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信仰の町カノーン

 正直に言えば、脳の処理が追い付いていなかった。

 追手について話していたはずなのに、ファニと同日に行方不明になった人物の話になったことも不可解であったが、そもそもの話。


(フィイアって……誰だっけ?)


 そこからである。

 確か、専学校の魔法の臨時教師だったと思う。三十代半ばの、やる気のなさそうな男。学校には初めて喚ばれた時の一ヶ月しか通っておらず、しかも彼の授業は一、二度受けただけである。


(いや、確か二回目は休講だった気がする)


 セシリィと共に頑張って覚えた、魔法用の神識典ヴィヴロスの文言を全て台無しにされた記憶が芋づる式に蘇る。

 他には、どこか眠そうで、覇気のない声だったことくらいしか覚えていない。どこかで聞いたような気もするが、初めて見た新作アニメの声優が誰か分からないもどかしさで、誰とも名前が出てこない。


(でも……最近あの顔を見たような気もするんだけど)


 前回も前々回の召喚でも、彼には会っていない。現実にでないとすると、乙女ゲームアプリの中ということになるのだろうが。

 どこでだったか、と思考を巡らせていた所に声を掛けられた。

 

「着いたぞ」


 ルキアノスの声にハッと顔を上げる。


「わぁ……」


 目の前に、厳かながら親しみの湧く街並みが広がっていた。

 まず目に入るのは幅広の通りを埋める旅人、そしてその両側から迫る幾つもの露店だ。歩き疲れた旅人を労るためか掴まえるためか、どの店も長椅子を店頭に置き、賑やかな呼び声を上げている。

 店の内容は軽食屋などから始まって、旅の道具や消耗品を揃えている実用的な店から、神殿で祈祷を受けたご利益ある品々云々と謳う土産物屋にしか見えない店まである。他にも、気の早すぎる宿の確保を呼び掛ける声もあれば、早速医者の案内をしている者さえいた。


(信仰のお膝元なんだろうし、詐欺や悪徳商売はないんだろうけど)


 やぶ医者を紹介されたり、仲介料をぼったくられたり、一番遠い宿に連れていかれたりしそうなイメージが先行するのは、先入観のせいだけだと信じたい。

 だがそんな不安を軽く上回って、美しい街並みが小夜の心を鷲掴みにした。

 カノーンは街全体が緩やかな傾斜になっているのか、市門から続く家並みが遠くまで見通せた。

 商店の地区を外れた辺りから広がるのは、白い壁に黒や灰色の木組みで統一されたモノクロの家々だ。正面のデザインはよく観察すればそれぞれ違うようなのに、屋根の向きと色が同じせいか軍の隊列のように整然として見える。その高さも少々の差はあれども一定で、小夜は観光都市における美観地区の建造物の高さ制限に関する条例の話を思い出した。


(すごい……この調和に、そこはかとない信仰心の強さを感じる)


 街路は升目状とまではいかながやはり整っており、どこを見ても掃き清めたように綺麗であった。毎日数えきれない余所者が出入りしているとはとても思えない。

 だが何よりも小夜の目を奪ったのは、それらを従えるようにして最奥にそびえる見事な建物であった。

 何段階かに区切られて伸びる石段と、その両側に等間隔に並んだ火の消えた灯籠、その先にあるのは乙女像を中心とした噴水だろうか。それを越えて見えるのが、細かな彫を施された列柱が三層に並ぶファサードと、聖泉の乙女デスピニスの伝説を元にしたレリーフを持つ威容――ディドーミ大神殿である。


「あれが、神殿……」


 知らず、声が零れていた。

 大神殿は街の一番深部にあるために遠く、細かい装飾などは見えない。石段や噴水のある広場には早くも参拝客らしき姿が増え始め、想像していた幻想的とか神秘的という言葉とも少し違う気がする。

 それでも、小高い丘の頂上に広がるその建物群は、街全てを照覧するかのような荘厳さがある。その更に背後、どこまでも続くような深い森と、遠く冠雪して白くけぶっている銀嶺と合わせて、一幅の宗教画のような雰囲気さえあった。


「まだ大神殿には行かないぞ。しばらく様子を見る」


 信仰の町カノーンにすっかり魅入っていた小夜の隣で、ルキアノスがそう小声で告げた。しばし状況も忘れて観光気分になっていた小夜は、気持ちを切り替えて小声で応じる。


「聞き込みですか?」


「ファニのことは聞いても無意味だろうがな。取りあえず、神の子に接触できる方法がどれくらいあるか調べてみるか」


「二手に分かれますか?」


「この人混みでは、奴が派手に動くことはないだろうが……」


 フィオナの提案に、ルキアノスは険しい表情で思案する。派手には動かずとも地味には動くかもしれないということだろうか。

 だがそれを警戒して動くには、この街はあまり小さくない。最も情報量と物量が多いのは、商店や酒場、宿屋などが軒を連ねるこの大通りメインストリートとその周辺だけだが、その更に外周には白と黒の住宅街がある。

 他にも小夜は知らないが、大神殿に近い北側の地区には神殿関連の仕事に関わる者たちの宿舎や施設が建ち、西側には領主や貴族とその関係者たちが出入りする王都風の建物群がある。そして街の外周からその周囲に広がる森の間にもまた、幾つかの像や施設が点在していた。

 四人が固まって行動するのは安全だが、その分情報を集めるだけで数日はかかるだろう。

 逡巡するルキアノスの横顔を見ながら、小夜はずっと思っていたことを口にした。


「気配を消すのは? ほら、セシリィを探していた時も、魔法の気配を消されて、捜索が大変だったじゃないですか」


 そうすれば、追手にびくびくする必要はなくなるのではないかと思ったのだが、ルキアノスはこれに力なく首を振った。


「それは襲撃を受けた直後に一度している。だがオレたちがカノーンに向かうことは分かりきったことだし、死の神タナトスに願うのは、そう頻繁にできることじゃない」


「あ……」


 確か、使い過ぎると死の神の恩寵を賜ってしまうと、その時にルキアノスが教えてくれたのだった。そうなると人間は生死の流れを断ち切られ、生ける屍になるとか。


(重い……重いよ製作……!)


 頻繁の頻度が小夜には分からないが、ルキアノスの冷えた瞳を見る限り、回数の問題でもないのかもしれない。


「とにかく、今日は宿を決めて、残りの時間を全員で動く。フィオナが話を聞き、シェーファは周囲を警戒。小夜は――オレと手を繋ぐ」


「……はい?」


 事務的な確認を行っていたと思っていた小夜は、ルキアノスの突然の宣言に目を丸くした。ゆるゆるとルキアノスの端正な顔を見上げる。至って大真面目に見えた。


「え? えっ、何で? 仕事の話してたんじゃないのっ?」


 繋がりが全く見えず、フィオナとシェーファに助けを求める。思えば抱きしめられたことも押し倒されたこともあるが手を繋いだことはそう言えばなかったなどと気付いて赤面している場合ではない。

 などと軽く混乱していると、ルキアノスが少しだけ口を尖らせた。


「何だ、嫌なのか?」


「…………ッ!」


 ルキアノスの拗ねる攻撃に、小夜は呆気なく轟沈した。


(なんっ、何なんですかその言い方! 可愛いじゃないの! っていうかルキアノス様のその拗ねた声に弱い私! ちょろすぎるぞ私!)


 一人悶々としながら、小夜はもしかしたらルキアノスはこの自分の弱点を既に把握済みなのではないか、という恐ろしい可能性に気付いてしまった。もし知られているとしたら、この先どんな無理難題もルキアノスの前でノーと発することは不可能となってしまう。

 脳内で危険信号が明滅する小夜を救ったのは、呆れたフィオナの声であった。


「はぐれないためにと、素直に仰ったらいかがですか?」


「オレは必要な行動を要約しただけだ」


「主導権握りたいのか優位性を示したいのかは追及しませんが、いつまでもこんな往来の端っこで討論していては目につきます」


 餓鬼臭い虚勢はお見通しだとでも言うように、フィオナが嘆息する。成る程ここで狼狽していてはこの先の勝利はないということらしい。


「……ほら、行くぞ」


「の、望むところです」


 言い負かされて不貞腐れた顔を隠して手を伸ばすルキアノスに、独自見解に辿り着いた小夜も気合いで応じる。

 えいやっと握った掌が、ぎこちない強さで小夜の指を握り返す。記憶にあるよりも更に大きく堅く、そして熱かった。



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