がしがし薄めてくる
結論から言うと、特に不穏なことは起きなかった。
完全に日が暮れる前に町に二軒しかないという宿屋に入り、大部屋を借りて四人で雑魚寝した。一日分+αで風呂に入っていないことに気付き、小夜がルキアノスから逃げ回るという一悶着はあったものの、無事夕食を摂り、五体満足で朝を迎えられた。
ちなみに、帰宅して上着を脱いでいた状態で喚ばれた小夜は、上はタートルネックの上から薄手のセーター、下はキャメルのズボンという格好だった。
これではどうしても目立ってしまうので、古着屋から上着を購入し、その上から外套を羽織ることで解決した。古い藁とカビのような匂いが染みついている気もしたが、これはフィオナに匂い袋を借りることで我慢できた。
「やはり、神の子についてはこの辺りでは有名みたいですね」
出発の準備をしながら、フィオナが町で聞いてきた情報をルキアノスに報告する。どうやら、古着屋など立ち寄った場所場所で早速情報収集をしてきたらしい。
「この町でも、神殿まで行って病気を治してもらったという方がいるらしいですよ」
「病気? 魔法でってことですか?」
この世界の魔法には、自然治癒力を高めるというものもある。だがそれは限られた人にだけしか使えないというものではなかったはずだ。それで神の子が特別だというのは少々腑に落ちないと首を捻ると、ルキアノスが意外な補足をくれた。
「魔法で病気は治せない。治せるのは外傷だけだ」
「え、そうなんですか?」
アニメや小説で見る治癒魔法といえばほぼ万能というイメージがあった小夜は、意外な特性に驚いた。だが思えば外傷は損傷だが、病気による諸症状は体の行き過ぎた自己防衛や誤作動の結果であることも多い。くしゃみも熱も頑張っているだけだ。それを治そうというのなら、病原体そのものを消滅させる必要がある。
(それが出来たら医者なんかいないか)
「だが神の子は怪我どころか病を治す。それが、奇跡と騒がれる所以だ」
「はぁー。そういうことかぁ」
乙女ゲームの予告では、神の子についてはまださわりしか説明されていなかった。不思議とか奇跡とか謎とか、興味をそそるキャッチコピーもあったが、未プレイの小夜には分かるべくもない。
「ですが、神の子は普段は神殿から一歩も出ないとか。会えるのはカノーンの町医者に一度診察にかかった者で、更に神殿が許可を出した者に限るそうです」
「だろうな。それ程の奇跡ならば、神殿側も不用意に不特定多数に接触させるのは好まないはずだ」
フィオナの説明に、ルキアノスが思案げに頷く。確かに、そんな便利な存在がいれば時代に関係なく誰もが治してもらいたいと押し寄せるだろう。規制や最低限の手順が生まれるのは必然と言える。
だが小夜が感じたのは、相変わらず少々ずれていた。
(なんか、堅実的な実務性が折角の神秘性をがしがし薄めてくるな)
頭の中に、折り畳み式の会議用長机が並んだ受付が浮かぶ。診断書と申込書をセットにして受付印を貰い、待合所に入る人々……。
「中に入るのも難しいかもな」
「えっ」
つい妄想の続きで「おトイレお借りしまーす」と言って入っていく自分を想像していた小夜は、ルキアノスの声にハッと正気に返る。
「ん? 何か案でもあるのか?」
「い、いえいえ、そんな」
あはは、と笑って誤魔化す。顔が割れていない人間であれば診断をでっちあげて問題なく入れるような気もしたが、安全とは言えない策なので自分から提案はしたくない。
「まぁ、どちらにしろ目的の街はすぐ隣だ」
「そうなんですか?」
「ここは巡礼路にある町の一つで、日暮れまでに大神殿に辿り着けない者が宿を取ることが多い」
「あぁ、それで」
大きな町ではなさそうなのに、宿屋が二軒もあるのは過剰なのではと感じていた。しかも冬のこの時期だというのに満室に近いという。
市壁がないというのも、大神殿に礼拝に行く者たちが立ち寄ることで徐々に大きくなってきた結果に、人手や予算が追い付いていないからかもしれない。
(そっか。完成された都市ばっかりなわけないよね)
「先程も、既に巡礼に行く方々が街道に向かっていましたよ。あまり遅いと目立ちます」
「あぁ。そろそろ出るか」
フィオナの進言に、ルキアノスが荷物を背負って応じる。昨日から、荷物は三人で等分していた。
貴人は巡礼には主に馬車を利用することが多い。徒歩で荷物を持たない巡礼者はいない。念のため、小夜も中身の少ない荷物を持つように言われている。
しかしルキアノスに続いてドアに向かったところで、小夜は別の驚きに声を上げていた。
「栗色!?」
同じくドアに歩み寄っていたシェーファの髪色が、白髪でなくなっていたのだ。
「え、え? 何で? それも魔法?」
一瞬で髪を染める魔法があれば最早染髪料も不要ではないかと思ったが、フィオナが「違いますよ」と優しく訂正してくれた。
「これは染め粉です。白髪はこの辺りではヒュベルの人間だと思われますからね、念のためです。兄様はただの心労だけど、印象に残ることに違いはないですから」
「あ、あぁ、そう言えば」
アンドレウ男爵家の三人が揃って白髪と紅眼だったため、その特異性を失念していた。フィオナは黒とは言えないが濃い灰色だし、目立つなら確かにシェーファの方であろう。
ちなみに、匂い袋はこの染め粉の匂いを消すために持ち歩いていたという。鼻も大分順応したので、謹んでシェーファにお渡しした。
珍しく、シェーファが自信なさげに目を伏せる。
「変、でしょうか。元はこのような髪色だったのですが」
「そうなんですか? 全然、変じゃないですよ」
そう言えば元の髪色は聞いたことがなかった。頬のこけた感じがあっても、髪色が変わるだけで随分若返ったように感じる。
世辞ではないという思いを込めて、にこりと笑う。と、その手をぐいっと引っ張られた。ルキアノスだ。
「ほら、行くぞ」
「あ、はい」
◆
朝陽が昇りきる頃には、外は旅人で随分賑わっていた。
一行は中央通りと思しき広場にあった小規模な屋台で朝食を済ませると、街道に続く人の流れに何食わぬ顔で混ざり込んだ。
夜の内にすっかり霜の降りた麦畑の間を行く旅人は、まだ新しい外套や旅装もあれば、使い込んでボロボロのものもある。中には一人で歩く人もいたが、多くは複数人だった。
その中にはひとり驢馬や荷馬車に乗る者もちらほらいて、彼らのために神の子に会いに行くのかもしれないと、小夜は少しずつ周囲に聞き耳を立てた。
「あぁ、ついに神の子にお会いできるんだねぇ」
「いつ着くんだい。昼前には着くだろうかね」
「カノーンではもう雪が降り始めているらしいよ。もう少し着込まないと」
「大精霊クレーネーは仰いました。『聖泉の乙女よ。彼の者は、善き魂をもって良き地を築く者である。乙女はこれをよく祐け、よく護り、善なる心にて導くべし』と」
「聖泉の乙女は聖泉から現れたというけれど、神の子も同じなの?」
気も早く想像の中の神の子に手を合わせる者や、咳き込む者、一心に神識典の一説を読み上げる者もいた。だが皆に共通するのは、やはり奇跡を起こすという神の子への期待のようだ。
それらの会話から、小夜もまた気になるものがあった。
「神の子も、泉から引き揚げられたの?」
神の子と聖泉の乙女は、聖泉と奇跡の二点において共通点があると言える。その神の子も聖泉から現れたのであれば、ファニと同様の現象が起きたのかもしれないと思ったのだが、ルキアノスは外套の頭衣の下で首を振った。
「そうとは聞いたことがない。聖泉の恩寵を賜っているとは言われるが」
「そう言えば、聖泉には王族以外入れない結界があるんでしたっけ?」
年に一度の建国祭の儀式のため、エヴィエニスたち王族が集まっている中にファニは現れたという。だがファニは元々王家の血を継いでいる。結界内に入る資格があったのだ。
では神の子はどちらだろうかという小夜の疑問に、ルキアノスは「あぁ」とすぐに肯定し、その後に思い出したようにこう付け加えた。
「……いや、あの結界も確か聖泉戦争のあとに張られたらしいから、その前は……。だが神の子はまだ若いと聞くから」
「神の子の出自や経歴は今のところ不明です。ここ数年で表に出てくるようになったようですが、その前は孤児だったとか、実は第二次聖杯戦争よりも前からいたとか、整合性のない噂なら幾つかあります」
考えながら言葉を続けるルキアノスに、フィオナがそう言った。どうやら、情報収集は主に彼女の担当らしい。社交性の問題を考えると、妥当な人選であろう。
「結局、分かっていることの方が少ないんだ」
ルキアノスがどうしたものかというようにそう唸る。どうやら前途は多難らしい。
だが街道を進む間も特に近寄ってくる気配はなく、正午前には次の町を視界に捉えることが出来た。また町に入るために迂回するのかと思っていた小夜は、ルキアノスがそのまま進むと発言したことに驚いた。
「だ、大丈夫なんですか? 追手とか、検問とか」
「検問をかけるなら、前の町で出来たはずだ。だがそれらしき気配はなかった」
「それって、つまり……」
「敵は、こちらを深追いする気はないということだろう」
ルキアノスの断言に、それまで根底に漂って消えなかった緊張と焦燥が泡が消えるように霧散した。それなら早く言ってくれればいいのにと思う反面、今まで確信が得られなかったということだろうとも思う。
小夜は改めて胸を撫で下ろしながらも、もっともな疑問に首を傾げた。
「でも、どうしてでしょうね?」
神殿がファニを攫ったのなら、それを取り返そうとするルキアノスは邪魔者でしかない。第二王子を殺すまではしないとしても、対処するならばそれなりの人員を割いて近寄らせないようにするはずだ。見逃す理由が分からない。
それを全て承知の上でか、ルキアノスは眉間に皺を寄せて淡々と答える。
「さぁな。ただ、ファニが消えた日に、同じく姿を晦ませた奴がいる」
そして、最後に何故かこんなことを言い出した。
「フィイアだ」