お約束がほしい
どうにも釈然としないと思う小夜の前で、方針はまとまった。
ファニを見付け出すこと。国王を取り戻すこと。そして、無関係ではなさそうな神の子について調べること。
だがこの人数を分けることは実質不可能である。ルキアノスの要望はともかくとして、結局小夜も彼らの調査に同行することとなった。
(怖い……とは、流石に言えないよね)
全容が全く分からなくても、我が儘が言える状況でないことくらいは分かる。ルキアノスたちが守ってくれるという言葉を信じて、足手まといにならないように頑張るしかない。
などと一人決意を固めていると、ルキアノスがこんなことを口にした。
「しかし、ここに来るまでにあった目晦ましや落とし穴の罠によくかからなかったな」
自分たちがいた痕跡を消しながらの言葉に、小夜はここに来るまでのシェーファの不思議な行動を思い出した。ジグザグに歩いていたのは、どうやらそういうことらしい。
(道理で、襲われて怪我してるわりにのんびり話すなぁと思った)
実際、この空間を見付けられにくくする初歩の手段として、風舞師のフィオナと水遊師のシェーファで薄い幕のようなものを張っていたらしい。フィオナがここを出たら結界も移動すると脅したのは、このことだった。
シェーファが、少しだけ思案するように小夜を見る。
「それが……どうも効かなかったようで」
「効かない?」
三人が、作業の手を止めて小夜を振り返った。
ぱちくり、とその視線を受け止めて、束の間。
「……きたぁぁぁあ!」
拳を握りしめて叫んでいた。
(ついに! ついに異世界転移もののお約束! チート能力発現きたぁ! 四回目にしてっていうのがどうも腑に落ちないけどこの際文句は言うまい! これでついに、ついに私も人生の主役を名乗れる時が来たんじゃないでしょぉかぁぁぁー!?」
「声がでかい!」
歓喜に打ち震えていたら、容赦ない勢いで口を塞がれた。「あ」の口の中に吐いた息が全部逆流する。
げほげほっと噎せながら横を見ると、目を剥いたルキアノスが小夜を至近距離で睨んでいた。
「す、すみません、念願が叶ったもので、つい……っ」
嬉しすぎて心の声がいつの間にか漏れてしまっていたらしい。恥ずかしさと迂闊さから青くなる。
「オレたちは、これから、秘密裏に行動するんだ。分かってるよな?」
「は、はい。勿論です……」
文節で区切ってまで強調された。更に縮こまる。肩身が狭いどころではなかった。
(さっき決意したばっかりだってのに)
早速足手まといどころか、これでは重すぎるお荷物である。
ルキアノスの声には大分免疫がついたと思うし、チート能力は誰だって叫ぶと思わなくもないが、今はそんなことは問題ではない。
(叫ばない。もう何があろうと叫ばない)
小夜は改めて己の軟弱な心を深く戒めた。
「さぁ、行くぞ」
ルキアノスの号令一下、シェーファとフィオナが前後になって隠れ家を後にする。倒木を乗り越え、目の前の落とし穴を避けて回り込む。そして、
「ぎゃっ!?」
落ちた。
小夜だけが、落ち葉の蓋を踏み抜いて、落ちた。
風が下から吹き、一瞬にして視界が大量の落ち葉で埋まる。何事かと思う暇もなく体に衝撃が走り、次には地面に尻餅をついていた。
「お怪我はありませんか?」
フィオナが、驚いた顔で駆け寄りつつそう声をかけてくれた。どうやら、叫ばないと念じながら歩いていたせいで落とし穴に落ちた小夜を、風で受け止めて地面に下ろしてくれたらしい。
間抜けに更に輪をかけて間抜けな所業であった。
しかしそれよりも、小夜には物申したいことがあった。
「……んな、なんっ、なんで!?」
小夜に魔法は効かなかったと言ったのはシェーファである。だというのに落ちた。落とし穴を作ったのはルキアノスの魔法のはずなのに、落ちた。
「魔法は効かないんじゃないの!?」
叫ばないと心に誓ったこともあり、その声は僅かながら小声ではあった。しかし心の中はほぼ絶叫であった。
それを感じ取ったのかどうか、シェーファが観察を終えたように呟く。
「どうやら、直接の影響は受けずとも、副次的な現象は影響するようですね」
「あぁ、じゃあ流れ弾とかには当たるかもしれませんね」
「……つまり、魔法は効かなくとも、魔法で作られた物質とかは普通に効く、ということでしょうか」
フィオナの頷きに、小夜は嫌な予感をひしひしと感じながら問い直す。悲しいかな、フィオナは苦笑と共に首肯した。
「えぇ。ですから、水や火の攻撃などは特に気を付けた方が良さそうです。あれは空気中の物質を再構築して顕現させている感じですから、存在してしまえばそこらの石ころと同じです」
「へ、へぇー……」
「まぁそもそも、魔法が効かないなんてことはないと考えた方がいいかもな。油断して良いことはない」
頬が引きつる小夜に、ルキアノスが至極真っ当な補足を加えた。血涙を流してもいいんじゃないか、と小夜は半ば本気で思った。
「お約束……お約束がほしい……!」
◆
森の中は、フィオナの風舞師の力を頼りに進んだ。
人や獣の気配を探りながら草木に隠れて慎重に進み、空が赤らむ頃にやっと視界は開けた。きらきらと輝く夕映えの中、木々の代わりに雑草が広がり、その向こうに田園風景が続いている。その田園の間には、南北に伸びる街道も見える。
森の中にも踏み固められたような道はあったが、向こうの街道が正規ということのようだ。
(なんか、欧州のナントカ街道とかって、こんな感じかな?)
夜な夜な検索して眺めていた幾つかの画像が、脳裏に順に流れていく。主には世界遺産を含む観光名所を見て回る道順だが、その間にある道は左右に街路樹や麦畑が広がり、今にも青臭い緑の匂いがしてきそうだと思ったものだ。
(そう言えば、麦畑って初めて見たかも)
稲田に似ているかとも思ったが、生育途中の麦畑はまるで違っていた。目の前にあるのは冬麦の一種なのかまだまだ背丈が低く、青々しい苗がどこまでも広がっている。畑の中に雑草が見当たらないのは、日本と違って寒く乾燥しているからだろうか。
「あそこって通ります?」
「いえ、この近くに市壁のない町があるはずなので、もう少し街道を迂回してこっそり入ります」
先頭を行くフィオナが、振り返らずにそう答えてくれた。行きたくても金銭的時間的余裕の問題で全く現実的でなかったロマンティック街道を歩けるのかと、一瞬膨らんだ期待があえなく萎む。
追われているという状況では、こっそり入るのが安全ということらしい。
(残念……)
茜色の夕景の中、ロマン主義を満喫して歩くことは諦め、畑の畝を歩き、街道を横切って再び木々の間を進む。そうして更に歩くこと三十分弱、久しぶりに人工建造物が現れた。
小高い丘の斜面に沿って、素焼きの煉瓦のような色合いの家々が軒を連ねている。それほど大きな町ではないのか、王都で見たような市壁はなく、周囲には畑や糸杉や、手作り感満載の小屋などがあるだけだ。
「あそこは安全なんですか?」
「適当な場所からこっそり入るので、大丈夫ですよ」
何となく町や村に入るには検問があるのでないかと思ったのだが、そもそも正面突破などはしないらしい。大丈夫かなと思っていると、フィオナが満面の笑みで付け足した。
「それに、バレなきゃどこでも安全です」
「…………」
不安が募った。