人間不信を拗らせそう
余計な紆余曲折を経てどうにか達した結論を元に、小夜は疑問を次の段階に進めた。
「でも、この後ってどうするんですか?」
ファニか国王を取り戻すことで、事態を終息させることができるだろうことは理解した。だがそれと、ルキアノスが怪我をして隠れていることとは直接には結び付かない。
そもそも誰に襲われたのかも分からず、この隠れ家がいつまで安全かも分からない。先程までふらふら歩いていた森だが、今は恐ろしくて足も踏み出せない。
「また、その襲ってきた誰かと戦う、とか……?」
かつてルキアノスの土魔法で閉じ込められたことや、ファニを捕らえるために目の前で魔法合戦を繰り広げられたことが思い出される。
しかしルキアノスは十分に思考した末、ゆっくりと首を横に振った。
「いや。多分もう襲ってこないはずだ」
それは、不思議と確信しているようであった。何か理由があるのかと続きを待つが、ルキアノスは考え込むように視線を落とした。フィオナとシェーファにも視線を回すが、知らないというように首を振られた。
「心当たりでもあるんですか?」
断言の理由が気になって問う。
「クレオンが当たりをつけた」
「クレオン、様?」
脈絡のない人物の登場に、小夜はぱちくりと目を瞬いた。
クレオンとはセシリィの二番目の兄で、ルキアノスの同級生でもある。在学中からちょくちょく出奔していた自由人で、その性格はまさに豪放磊落。そのせいで度々ルキアノスの怒りを買っていたご学友である。
しかし、彼は腐ってもクィントゥス侯爵の次男だ。どこに就職したかは不明だが(そもそも就職というまともな選択をしそうにないが)、諜報活動のようなことをする身分でもない気がするのだが。
「なんで、クレオン様が?」
「あいつには個人的に辺境の施設を調査させていたからな」
「個人的……辺境……」
一瞬で険悪になったルキアノスの顔と声から、記憶の中にある会話が不意に蘇る。
あれは前回の召喚の最後、遅れて祝いの品を届けに来たクレオンの間の悪さに落胆したルキアノスが、個人的に幾つかの指示を出していた。例えば、最北の神殿の内部調査とか、山岳民族の動向とか、聖泉のある森の治安調査とか。
(アレか!)
あの時は怒り任せにしても随分つらつらと名目が出てくるなぁと感心していたが、どうやら全部本気だったらしい。
「ただの嫌がらせかと思ってた。ちゃんと実務だったんだ」
「誰が嫌がらせだ」
どちらにも失礼な感想が勝手に口から零れていた。ルキアノスがぶすりと訂正する。
「オレは無駄なことはしない」
「でも、あれってもう半年前のことですよね? まだやってたんですか?」
「どうやら馴染んだらしいな。王都に留めるよりも何倍もイキイキしてたぞ」
「あぁ……」
大笑しながら、馬を単騎で駆って一人どこまでも突っ込んでいく姿が目に浮かぶようである。
しかしそれはそれとして、このクレオンの登場により、最初にして最大の疑問に対して実に不穏な可能性が浮かび上がってきた。
「ところで、ここって何処ですか?」
辺境を調査していたクレオン。その発見により行動するルキアノス。そして王都では見かけなかったこの広大な森林。予想はできるが、できれば当たってほしくないと思いながら、上目遣いに尋ねる。
ルキアノスが、目を丸くしていた。
「は? そこから?」
「だって、本当に突然だったんですよ! 怪我してるルキアノス様が見えて、慌てて近寄ったら森の中で、でも誰もいないし……」
思えばルキアノスの負傷からずっと動転していて、シェフィリーダ国内の情勢に驚きっぱなしであったが、小夜の方の事情だとてまだ一寸も話していないのだ。
この混乱と味わった恐怖に対しそんな風に言われるのは、少々心外ではある。
「ここはコヴェントーの森の中です。もう少し北に行けば聖泉エレスフィが、そこから西に進んで森を出れば、大神殿があります」
そう丁寧に説明してくれたのは、唯一混乱していた小夜を知っているシェーファであった。最早出会い頭の首絞めに関しては綺麗さっぱり忘れようと決める小夜である。
「聖泉って、確か王都の更に北だったんじゃ……」
元々北の山脈オン・トレン山脈の南麓の一領地として始まった歴史から、王都は現在も国内の北部に位置する。その発祥の地でもある聖泉は、その更に北――ほぼ最北に位置していたはずである。
「そうだ。オレたちはその大神殿に調査に来た、その途中で襲われたんだ」
「へ、へぇ……」
(そのタイミングで現れた私……もろくそ怪しいやんけ)
今更ながら項垂れたくなる小夜であった。
(そりゃ罠とか疑われるわ)
しかしそこで立ち止まっていては、いい加減話が進まない。小夜は本人確認はちゃんと済んでいると信じて話を元に戻す。
「それで、そのクレオン様が何かを見付けたか、気付いたと」
「あぁ。神殿が、何故こうも性急で大胆な行動を取ったのかの、幾つかの可能性は絞れた。その中の一つに、『神の子』というものがある」
「かみのこ……」
どこかで聞いたことのある単語だと、のそのそと記憶を探る。どこで、と考えたところに、キラキラしい二次元の映像と何人ものイケメンが脳裏を駆け抜けた。
「ゲームだ!」
「ゲーム?」
咄嗟に叫んでから、小夜は慌てて自分の口を押さえた。
セシリィにはこの世界とこれから起こることが乙女ゲームにとてもよく似ているという話はしてあるが、ルキアノスにはゲームに出てくる声と同じ、という程度の話しかできていない。
あの時のルキアノスの冷たい声を思い出すと、今でも胃の腑が凍えるようだ。出来れば二度とルキアノスの前でゲームや声優の話はしたくなかったのだが。
「何か知っているのか」
ルキアノスの静かな眼差しに、小夜はしばし考え込んだ。相手があの新人営業なら何の迷いもなく誤魔化すかスルーするかの二択でいいが、ルキアノスにそんな不誠実なことはしたくない。
小夜は悩んだ挙げ句、何度も躊躇いながらも、以前話した声優やゲームのことを改めて説明した上で、こう続けた。
「そのゲームの中に、神の子と呼ばれる男の子が登場するという予告があって」
「予告?」
「実は……具体的な内容はまだやってないので分からなくて。だから私が知っているのは、神の子と呼ばれる不思議な力を持つ少年がいて、神殿に匿われてるということくらいなんですが……」
「それがどういう存在なのか、知らないのか?」
「すみません……。プレイしていないので」
セシリィが行方不明になった時に引き続き、何らかのヒントやアドバンテージを持っていれば良かったのだが、生憎小夜にそんなものは一つもなかった。
(異世界転移ものお約束のチートの一つや二つ、くれてもいいのに)
未来は予知できないし、魔法は使えないし、有利になるものが一つもないどころか、ただの足手まといである。
乙女ゲームのヒロインにはなれなくとも、自分の人生の主役は自分、くらいには高らかに宣言できてもよさそうだったのに。
(神様でも出てこないかな)
トリコ辺りに頼んだらひょっこり出てきやしないだろうかと夢想する。空しさが倍増した。
しかしそれも、次の発言で軽く吹き飛んだ。
「どうやら、もう良さそうだな」
「……? 良さそうって、何がですか?」
「いや……。神の子は、カノーン――神殿のある町では隠す必要がないほど噂になってる。それを敢えて知らないというのは、逆に不自然だからな。それにゲームのことは、オレもセシリィも誰にも話していない。本人以外からは出ない発言だとほぼ確実に言える」
不自然、という言い方に、小夜は先程の懸念が的外れでないことを思い知らされた。本人確認は済んでいるどころか、ずっと継続中だったのだ。
「……まさか、試していましたか? 今まで、ずっと」
「まぁ、最初の反応でほぼ間違いないだろうとは思っていたがな。念には念を」
信じられないという意思を込めて睨むと、ルキアノスは種明かしをするように苦笑する。そこには、ほんの少しの気まずさしか見られない。
(……分かる、分かるよ? 色々打ち明けたあとで私が偽物だったら、情報漏洩どころの騒ぎじゃないもんね?)
しかしそれと感情論とは、別物である。
完全に据わった目付きで睨んでいると、横からもフィオナが穏やかに補足した。
「クラーラ姉様のことが出た辺りで、私は警戒を解きました」
「…………」
人間不信を拗らせそうな気分であった。