大分してるな
「だから言ったじゃないの。苛められるわよって」
報告終了後、トリコからの一言は実に冷めたものだった。
どうやら、ルキアノスの美声っぷりについては、毛ほども興味を催さなかったようである。
(語り合う相手がいないって、寂しい)
この世には同好の士もいなければ、SNSもネットもない。誰にも「分かる!」と言ってもらえないのは少し寂しいものがある。
それはそれとして。
「え、苛められたの?」
「招待状を渡された時、その相手以外にも周りで様子を眺めていた悪趣味な連中がいたはずよ」
「そうなの? 気付かなかった」
ルキアノスへの謝罪の後、顔をあげたら、いるはずのお嬢様たちは一人もいなかったのだ。
「大体、誰も話しかけてこないというのも、苛められていたようなものよ」
「え、そうだったの?」
停学明けの不良に声をかける者がいないのと同じ原理かと思っていた。どうやら違ったらしい。
「当たり前でしょう。学校と言っても、半分は貴族社会の延長のようなものよ。社交シーズンの話の時も言ったでしょう?」
「決め台詞だけはバッチリ」
覚えていないという代わりに、キリリッと答える。と、「もう」と呆れられた。
「毎日学校へ向かう幾つかの集団を見ていないの? 授業が終わった午後には、それぞれ横の繋がりを強めるために、ほぼ毎日お茶会や散策などをともにしているのよ。その声がかからないというだけで、力を持っていないと貶められているようなものよ」
「へぇ。なんだか面倒くさいんだね」
社交界の実態を知らない小夜には、その程度しか感想が出てこない。ここで骨を埋める気はないので、少々の力関係など少しも身につまされなかった。
「それに、第二王子と一緒に行動する理由も筒抜けのはずよ。廊下で誰かとよくぶつかるって、あなた話していたでしょう? それ、大方嫌味な女主人に命令された哀れな従者よ」
「そうだったの? 怪我の心配しちゃったよ」
てっきり、ルキアノスの美声に聞き惚れて視界が狭くなっているものとばかり思っていた。
一日に二人もぶつかった日は特に酷くて、なぜか持っていた葡萄酒が小夜の服にこぼれて、相手は泣きそうだった。
『大丈夫。お互い怪我もしてないし、こんなことで泣かないで。可愛い顔が台無しだ』
『……は、はい』
少女がチワワに見えて、つい頭を撫でていたのだが、どうやらお手打ち覚悟だったらしい。
トリコに報告した時、「名前と出身地と主人の名を聞いた?」と確認されたのは、どうやらそういう意味だったようだ。
「本当は第二王子にかけて、それを小夜に侍女らしく片付けさせたかったのかもしれないけれど、そこまでは怖くてできないという程度よ」
「ふぅむ」
小夜としては、苛めと言われて想像していたのはシンデレラの御姉様的なものだった。気付かない苛めをされても、反応に困ってしまう。
「大体、ついこの間まで未来の王妃だと威張り散らしていた女が侍女の真似事をやらされるなんて、陰で笑うだけで十分屈辱を与えられると思っているのよ」
ふん、と器用に鼻を鳴らすトリコはけれど、侯爵家で見たときほど辛そうには見えなかった。
「でも、言うほど与えられてなさそうだけど」
「それは……小夜があまりに普通にやるから」
素直に聞くと、トリコは恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。思わず抱き上げて胸に閉じ込める。
「エレニとヨルゴスさんも撫でてくれるしね」
ルキアノスの部屋に行くときはトリコもついていくのだが、この中ではエレニだけがにこにこと撫でてくれていた。ヨルゴスにもどうぞと勧めたのだが、表面上は無言で辞退されている。
残るアンナは興味がなさそうで、ルキアノスはまだ少し警戒しているようだ。
侍従のニコスに至っては、過労死するんじゃないかと思うくらい学校とそれ以外の場所を奔走しているらしく、それどころではない。
たまに辿り着いた寮の長椅子で死んでいるのを見かける。アンナが枯れかけの花に水をあげるみたいにお茶を用意していたのが微笑ましかった。
「まだ逃げたいと思ってる?」
青と緑の美しいグラデーションを撫でながら、腕の中の鳥に問う。まだ二週間ばかりで心境の変化は難しいだろうが、毎日嫌だ嫌だと思って過ごしているのかどうかだけは知りたかった。
(こればっかりは、私の勝手な選択だしね)
少しだけドキドキして待っていると、トリコはくぐもった声で「……それは」と言った。
「分からないわ。だって、問題は何一つ解決していないし、このままここにいたら……、いつか二人の婚約や、結婚の話を聞かなければならなくなる」
やはり、セシリィはまだエヴィエニスが好きなのだ。失恋したばかりの少女には、この環境は酷だ。
「トリコ……」
「でもそれは、辺境領でも修練教会でも、一緒なのよね」
クェ、と鳴き声で結ぶ。それが強がりか苦笑かは、小夜には分からない。
けれど次期国王の祝賀であれば、どこにいても届かないということはないだろう。その時、その報せを彼女がたった一人で受け止めることだけは、させたくないと思った。
「よしよし」
幼子をあやすように優しく撫でる。
「……なによ。泣いてなんかいないからね?」
ツンデレを地でいくお嬢様は、相変わらず可愛かった。
「問題は、正体を知られた場合の相手の出方ね」
悪い精霊云々について、トリコはまずそちらを心配した。
「そもそも信じないような気がするけど」
「外の世界のナニカと接触を試みる、という考え方は、わりあいに古くからあるわ」
それが術者によって、死者の霊だったり、地の底の魔者だったり、天上の神々だったりする。
原初の世界はあまりにも広く、最初の一人は絶対的に孤独で、もう一人の孤独な誰かと出会う前に、自分の箱庭を作り上げた。だから、もう一人の孤独な誰かが、やはり同じように世界を作っていたとしても、不思議ではない。
セシリィたちの神話では、世界の成り立ちとはそんなイメージらしい。
「外に別の世界があるという考え方はあまり聞かないけれど、絶対に受け入れがたいというものでもないと思うわ」
「でも、受け入れられた場合、どうなるの?」
「悪い存在なら、祓われるでしょうね」
「それで元の世界に戻れるとか、あると思う?」
「魂を消滅させるのではなく、追い出すだけの法があればあるいは、というところね」
結局最初の二択と大差ない答えになってしまった。分の悪い賭ばかり転がっている気がする。
「悪い精霊って、よく聞くの?」
「それも神話の話になるわね」
精霊というのはそもそも、創生神話に出てくる第二の神々が愛した自然物が神格化して自我と力を持ったという話から来ているとは、神学の授業で聞いた。
頭が痛くなる前の部分だったので覚えている。
「山の精霊や川の精霊は特に神々から直接名を賜ったとして、大精霊とも呼ばれたりするわね。あの子が助けられたという泉も、その一つよ」
ファニのことだ。
「シェフィリーダの建国神話はもうやった? 基礎中の基礎だから、専学校では今さらやらないかしらね」
元は小さな一公国に過ぎなかった祖国の太子が、ある時国を追われ、逃げ延びた泉で傷を癒し、必ず祖国を取り戻すと誓いを立てた。するとそこに光輝く乙女が現れた。
彼女は泉の大精霊クレーネーの慈悲により遣わされた聖女で、彼の願いを叶えるためにやってきたという。
二人は力を合わせて祖国を取り戻し、時の帝国から王国として認められるまでに力をつけた。
「その精霊が何かのきっかけで汚されたり、悪意に触れたり、その場所が戦場になったりすると、悪霊になると信じられているわね」
実際聖泉の乙女と呼ばれる彼女も、建国王と結ばれ王妃となった後、度重なる戦争を厭って姿を消したという記録があるらしい。
(夫婦喧嘩が壮大だな)
「だからこそ、あの子には悪意を一切近付けたくないのよ」
と、トリコは苦々しく言葉を区切った。
件の泉は今でも当時のまま森の奥深くに守られ、周囲には王族以外近寄れないように魔法で結界が張られているという。更に森の入り口には四方に大小の教会が建ち、参拝者も多い。
不審者が簡単に入れるはずはないのに、ファニはその泉から助け出された。しかもその時には一糸纏わぬ姿で、光輝いていたとも言われる。
だからこそファニは聖泉の乙女の再臨として保護され、王太子の婚約者候補にまでなったのだ。
(やっぱりそこはゲームと同じなんだ)
その紆余曲折はゲームで見ていたので、そこそこ想像もできる。
「悪霊になっちゃうから?」
「そうよ」
「トリコはそれを信じてるの?」
「信じるわけないでしょ? 今までにもそういった伝承を持った妃はいたけど、その何倍もの数の騙りがあったのよ」
心底呆れていると言わんばかりに溜め息をつかれた。小夜としては、過去にそういった前例がある時点で負けだなとは思ったが、口には出さない。
代わりに、いつもエヴィエニスの甘い言葉に顔を赤くして戸惑っている少女を思い起こす。
「確かに、ファニって純粋そうだもんね」
苛めてたはずのセシリィが近付いても、逃げるどころか心配してくれたりするのだ。根がいい子なのだろう。
その上、記憶喪失で困っている可愛い女の子となれば、大抵の男子は助けたくなるものだろう。本能には逆らえない。
「で、何したの?」
率直に問う。
ゲームでは、ヒロインが苛められるシーンは声の出番がないためにほとんど読み飛ばしていたが、ここまで聞いてはうやむやにも出来まい。
自覚はないが、他人から見れば実行犯は小夜なのである。
「な、何もしてないわよ」
案の定、トリコが視線を泳がせて否定した。が、その抵抗もすぐに折れる。
「ただちょっと……睨んだり、エヴィエニス様に近付かないよう忠告したり、素性を暴こうとしたり、脅したり、閉じ込めたりはしたけど……」
「大分してるな!」
次会ったら絶対謝ろう、と心に決めた小夜であった。