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大人の女は嫉妬しない

 期待した返答とは真逆の答えに、小夜は数秒停止した。

 がびーん、と古くさい効果音が脳裏を駆け抜けていく。

 そして次には、心の中で一人膝を折った。


(だから! エヴィエニス様がハッピーエンドになったらちゃんとやるつもりだったんですよ……!)


 第二章を! と運営かみさまに言い訳する。早速心が折れそうであった。


「行方が知れないって……あ、もしかしてついにエヴィエニス様が本気の拉致逃走という名の駆け落ちを!?」


「兄上を犯罪者にするな」


 それなら納得だと思った希望的第一案は、言下の却下により儚く散った。

 どこまで共通項は影響するのだろうかと思いながら、ほぼ一択の次点を口にする。


「やっぱり、神殿ですか」


「……恐らく」


 他に何があるとも思ったが、返された答えは意外にも断言ではなかった。


「恐らくって、他に何かあるんですか?」


 聞きながらも、良い予感はしないとは分かっていた。エヴィエニスとファニの結婚反対派の話のように、対象がほぼ全方位と言われれば、小夜にはもう御愁傷様と言う他ない。

 しかしルキアノスはこれには答えず、話を先に進めた。


「そもそも国王自身は、聖泉の乙女デスピニス自体には大した価値を見ていない」


「そんなっ……」


「実際、ファニ一人で神殿の権力を大幅に削ぐことが出来るなら、安い買い物だと考える可能性が高い。神殿が富や権力に固執するよりも悲願であった聖女を優先するなら、国としては願ったりだろう」


 それは、言葉だけで聞くと随分薄情な話に思えた。国王と神殿にとって、ファニはただの政治的取引材料に過ぎないと言っているようにしか聞こえない。そのどこにも、ファニやエヴィエニスの感情は考慮されていない。


「ファニは、何か言ってましたか?」


「何も望みはしない、とだけ」


 それは、十六歳の少女が口にするにはあまりに無情な答えであった。


(どんだけファニに試練吹っ掛けるのよ)


 ヒロインならば艱難辛苦に立ち向かうのは当然と言ってしまえば、それでお仕舞いかもしれない。だがそれが少なからず幸せを願う少女こどものことで、しかも本人の行いとは無関係のところで彼女を苦しめるというのなら、少々ならず腹が立つ。


(父親の謀反も、聖泉も、彼女が選んだわけじゃないのに)


「なんかむかっ腹立ってきた」


 ぶっすりと膨れて、所感を溢す。これには、ルキアノスが何か言うよりも早く、フィオナの牽制が入った。


「だからって、ルキアノス様みたいに考えなしに突っ込むのだけはやめてくださいよ」


「え?」


「…………」


「あ、それで怪我?」


 遅れて気付いた可能性に声を上げると、ルキアノスの目線がすーっと横に逃げた。どうやら正解らしい。


「ファニを取り返そうとして? ふーん……あ、そー」


 その瞬間勃然と胸に湧いた感情に、小夜は理性で言い聞かせるよりも前に半眼になっていた。そっぽを向くルキアノスの、更に精悍になった横顔を見る。じぃーっと、見る。


「……な、なんだよ」


「…………。いえ、別に」


 そして、ふぅと息を吐き出した。遅れて仕事をしだした理性に頼って、何とか自分を言いくるめる。


(いやいや、だからこういうことは受け入れるって最初から決めてたでしょーがよ。それがまた初恋相手に揺らごうとなんだろうと一緒なのよ阿呆か私は大人になれ)


 無心無心と、久しぶりに唱える。


「押し倒すぞ」


「何でですかってかもう倒れてる!?」


 ごっちんと後頭部を打った痛みも感じないほど、小夜は戦慄いビビっていた。嘆息したその間隙に肩を押されて、気付けば小夜は地面に背中をくっつけていた。真上には、当然のごとくルキアノスの端麗な白貌がある。

 近い。

 夏だった前回と違い、冬の冷たい空気のせいで、ルキアノスの吐息がひどく熱く感じられた。世界が突然二人だけになったような錯覚に、強制的に目の前のものに釘付けになる。宣言が遅いのか行動が早いのかなどと考える余裕もない。

 鉄灰色の双眸が、乾いて掠れた血をつけた唇が、ゆっくりと降りてくる。


「殿下。ここにねやのご用意はありませんよ」


 呆れきった声が、そう忠告するまでは。


「…………」


「…………」


 空気が凍った。

 ルキアノスは大いなる親切心の不親切さに、小夜は一瞬手放した常識と舞い戻った羞恥心とに。

 そして。


「なら用意しろ」


「へっ?」


 鉄灰色の瞳は小夜を射貫いたまま、発言者フィオナにそう命じた。

 血の気が引いた。


「ぇぇええ!? い、いいいけませんフィオナさん助けてぇ!」


 いつの間にか押さえられた両手首の間から、傍らに立ったままの近侍見習いに縋る。涙目で訴えると、大仰な嘆息が合図となった。


「言っておくけど、私たちが外に出たら結界も一緒に移動させるからね。見捨てるわよ?」


「…………」


 フィオナの一瞥で、それまで傍観者に徹していたシェーファが無言でルキアノスの腕を押し退け、小夜を優しく立たせてくれる。小夜は顔の火照りよ静まれと念じながら、フィオナの背後に隠れた。


「あ、ありがとうございます、フィオナさん、シェーファさん」


「いえ。主命ですので」


「主人はオレだ!」


 にっこりと微笑んだフィオナに、ルキアノスがくわりと反論する。その横では、シェーファが小夜の両手を握り締めたままごく真剣な顔で忠告してくれた。


「あまり、あ……殿下には近寄らない方がいいですよ」


「お前今主人オレを『あいつ』呼ばわりしようとしただろ」


 体勢を胡座に戻して手の土を払いながら、ルキアノスがやっと口を利いたシェーファに食って掛かる。主従だからこの横柄さも当然なのかと思うが、一方で同じ年代のヨルゴスさんには敬意をもって接していたはずだと思い出す。


(まだ前回の件を引きずっているのかな?)


 片や命を狙われた側で、片や捕まえられた側である。生き別れた初恋相手のためにこの主従関係を受け入れたはずだが、まだ確執は消化しきれていないようだ。


(よく半年もったな)


 上司である侍従ニコスと近侍ヨルゴスの指導の賜物か、はたまた二人の年の功か。

 と思ったら、シェーファが真顔で言った。


「お気になさらず」


「お前がしろ」


 意外に仲は悪くないらしい。

 うんうんと頷いていると、「大体だな」とルキアノスに話の矛先を戻された。


「小夜。お前、オレがまだファニに未練があるから向こう見ずに行動したとでも思ったんだろ」


 ぎくっ。


「いやいやそんなことは……怒るようなことでは」


 大人の女は嫉妬しない。と、自分の中の都市伝説を信じて否定する。が、言い切る前に、ビシッと人差し指を突き付けられた。


「言っとくけどな。ファニが戻らなかったら、兄上は立場も責任も全部放棄して助けにいくからな。そうなったら……小夜が未来の王妃だぞ!」


「ひぃぃいやですうぅ!」


 言下に拒絶していた。

 ムンクの『叫び』さながらに両手を頬にあて、必死で首を左右に振る。


(私が……王妃……!?)


 あり得ない、としか考えられなかった。

 王妃と言われれば、すぐに日本や海外の王室が思い浮かぶ。一見すれば華やかな彼らだが、ロイヤルとセレブの違いが分からないほど小夜は能天気にはなれない。

 彼らがどれ程の覚悟で王室に入ることを決めたかは、折に触れニュースなどで取り上げられている。王族と平民の格差とか、王室の礼儀や宮廷作法を一から完璧に覚えるとか、数か国語をマスターするとか、死ぬまで国家に尽くすとか。

 そこまでの気概は、とてもではないが小夜には持てない。それが、どんなに愛しい人のためであっても。

 自分の発言や行動に何万人もの命や人生が関わってくるかもしれないなど、恐ろしくて気が触れてしまうだろう。


「これで分かっただろ。オレが必死になる理由が」


 想像だけで青褪めた小夜を満足げに眺めて、ルキアノスが胸を張る。それはそれで少しズレていると思いもしたが、小夜は素直に謝っておいた。

 そうなると、今度は次の疑問が小夜を悩ませた。 


「でも、私の召喚が罠なら、一緒にいるのは危険ってことに……なるんでしょうか?」


 小夜を召喚したのは、神殿か、他のどこかか。それが分からないにしても、土魔法を使うルキアノスがあれ程の深手を負わされた相手だ。小夜が何もできないことは悲しいかな決定事項と言えよう。

 それがルキアノスを嵌めるために行ったことなら、今まさに術中に嵌まっているという可能性もある。

 どう行動するのが最適なのか、小夜には隠れているくらいしか思い付かない。と、思ったのだが。

 ぴくりと、ルキアノスの整った眉が跳ね上がった。

 再び、鉄灰色の瞳が小夜をじぃっと見つめる。


「オレが、お前を手放すわけがないだろ?」


「…………」


 どうやら、どこかから色気が漏洩しているらしい。

 小夜が叫んだことは、言うに及ぶまい。


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