あの阿呆め
折角一週間ぶりに会えたというのに、小夜は出鼻を挫かれた気分で憮然としていた。
一方、無自覚に出鼻を挫いた張本人は、怪我によるハイテンションがどうやら収まったようで、やっと冷静に状況を分析し始めた。
「そもそも、何故こんな所に小夜がいるんだ?」
下草を踏みならして地面に胡座を掻きながら、基本にして最大の疑問を口に出す。
小夜は分からないという意味を込めて、首を横に振るしかない。
「気付いたら、森の中にいました。いつもみたいにホワイトアウトしたから、また召喚されたものだとばかり」
「喚んだのか?」
「まさか。ここ一帯は今や準武装地帯です。女性をわざわざ呼んだりしません。それに、媒介もありませんし」
ルキアノスからの問いに、シェーファが表情は変えぬまま否定する。先の会話でも思ったが、どうやらシェーファとフィオナにも、小夜が異世界から来ていたことは周知されているらしい。
(トリコ、いたと思うんだけどなぁ)
先程森の中で聞いた声を思い出すが、言われてみれば姿は視認していない。などと思案していると、ルキアノスが不穏な単語を呟いた。
「……考えたくはないが、何かの罠か」
「わ、罠っ?」
思いもよらぬ発言に、小夜はつい声が大きくなってしまった。慌てて自分の口を出て押さえながら、ルキアノスの眼差しを見やる。思わしげな鉄灰色の瞳に、冗談の色はない。つまりルキアノスが罠と考えるだけの理由か、状況があるということになる。
(私を使って罠を仕掛ける? 誰か……ルキアノス様に怪我を負わせた、誰かが?)
字面にすればするほど、それはぞっとしない考えであった。現にルキアノスは怪我をしてここに隠れているようだし、前回小夜を召喚するだけでも、父王や神殿など色々な箇所と調整の必要があったという。
それがなくとも、彼は王族で、しかも父は血塗れ王などと仇名されている。小夜の知らない対立が幾つあってもおかしくはない。
「えっと……罠ってなんですか?」
ずっしりと現れた沈黙を前に、小夜は正直聞きたくはないなと思いながらも、そう聞いた。
シェーファとフィオナが目配せし、ルキアノスが重々しく頷く。
そして語られたのは、どこかで聞いたことのあるようなものであった。
「今、シェフィリーダ王国は、国王側と神殿側とで対立が激化している」
「そ、それって、この前私を喚ぶのにとんち坊主みたいな極論でやり込めたから……?」
神殿と言われ、小夜はサーッと血の気が引いた。
ルキアノスは前回の召喚について、小夜がこの世界にとって危険人物なのではないかと危惧する神殿に対し、屁理屈のような言い分で黙らせていた。曰く、神様が黙っているのなら、小夜の存在は危険ではない、と。
常識で考えれば、そんな子供の喧嘩のような揚げ足の取り合いに聖職者が乗るはずはないのだが、結果として小夜の召喚は行われ、神殿の面子は少なからず悪影響を受けたはずだ。
その報復がたった今行われているのだと思ったのだが、そうではないとルキアノスは首を横に振った。
「ことの発端がどちらかとは言えないが……原因は阿呆親父だ」
「えっと、テレイオス国王様ってこと?」
「あぁ。元々、神殿が年々権力を肥大化させていることは、誰の目にも明らかだった。神々のための組織といいながら、その世俗的な行為や腐敗は、随分前から宮廷にまで及んでいる」
思い出すのも嫌だという風に、ルキアノスが顔をしかめる。
しかし小夜もまた、別の理由で顔をしかめたくなった。
(やばい。面倒臭そうな話が始まってしまった……)
政治と信仰が対立することは、小夜の世界でも度々繰り返されてきたことだ。現代日本でそれを肌で感じる機会は少ないが、中学高校時代には、それなりに身近であったとも言える。
(世界史の教科書か……!)
主に欧州の中世初期を習うにあたり、全く理解できずにスルーした箇所である。中でも暗記科目であった理科と社会は、学生時代には特に苦手としていた。早くも耳を塞ぎたい衝動が込み上げる。
しかしルキアノスは構わず続ける。
「貴族なのか聖職者なのか分からないような連中が宮廷に溢れ、幅を聞かせ、富を掻き集めている。代々の国王がこれを歓迎していなかったことは確かだが、それでもその神性は疑いようもなく、誰もが多少の差こそあれ、敬ってきた。阿呆以外はな」
(二回も言った)
元々前回の舞踏会での二人のやり取りから、長めの反抗期かなとは思っていたが、どうやらルキアノスの中で父の株はますます下がったらしい。
「あいつ、司教の叙任権は神殿にあると重々承知した上で、自分の子飼いの貴族を神殿に送り込んで次々に対立司教を立てやがって……神殿の資産の一部は元は国のものだとか、学校から聖職者は退くべきだとか、神武官は警護ができれば十分だとか、王都内の不要な修道院は全て閉鎖するとか……!」
ついにルキアノスは頭を掻きむしった。それをシェーファは相変わらずの真剣な顔で、フィオナは聞き飽きたような苦笑で見ていた。
「お陰で神殿からは連日抗議が入ってくるし、神武官は殺気立つし、そんな中であの阿呆め、のこのこと視察になんか出やがって!」
三回目の阿呆にどうやら反抗期は終わりそうにないと確信しながら、小夜は相槌を打つべきかどうか逡巡した。何かあったんですか、と聞いても、大変ですね、と聞いてもルキアノスの大いなる嘆きはしばらく鎮火しそうにないと思ったからである。
ちらりとフィオナを盗み見ると、案の定、訳知り顔で先を引き取ってくれた。
「その視察の帰りに、残念ながら陛下はある神殿で足止めされてしまったのです」
「はぁ……」
なんか間抜けだな、と思ったことは、勿論おくびにも出さない。
あの人を食ったような性格のテレイオスなら、罠に嵌められる前に嵌め返して三回くらいは笑顔で追い詰めそうな気がするのだが。
「相手はあくまでも対等な交渉を望んでいるだけだと主張しています」
「あぁ、敵じゃないよってこと?」
そのせいで国王は暴れることも嵌め返すこともできずに、大人しく捕まったということなのだろうか。状況にもよるだろうが、話し合いたいと言っている相手を無下に退ければ、後で立場が悪くなるのはこちらではある。
「敵に決まってんだろ」
ルキアノスが、不貞腐れたように嘴を突っ込んだ。
「何が『こちらはあくまで冷静で穏便な解決を求めている』だ。『世俗的な富に固執することは決してない』とか言って、その口で要求するのがファニの身柄だぞ? 目的なんぞ見え透いている」
「え、ファニ?」
突然の登場に、小夜は反射的に声を上げていた。
ファニとは現在十六歳の少女で、第一王子エヴィエニスの未来の婚約者だ。彼女は、王族しか出入りができない森の中の聖泉から、光りながら現れたと言われている。このためにファニは聖泉の乙女と言われ、神殿からその存在を強く求められている。
だがエヴィエニスは当時婚約していた侯爵令嬢セシリィとの婚約破棄をしてでも、ファニとの結婚を望んだほどだ。その決意は生半なものではなく、たとえ父と天秤にかけても手放すとは思えなかった。
だがエヴィエニスの心情よりも神殿の脈絡のない要求よりも、小夜には不吉な符号の方が気になった。
(ファニと神殿って……なんか、危なくない?)
この世界でのファニは聖泉の乙女だが、小夜から見ると、乙女ゲームアプリのヒロインそのままに思えた。生い立ちこそ異世界から来た少女ではないが、そのヒロインが神殿から目をつけられている。
もしここで拐われたり、要求に従い差し出そうものなら、あのゲームの第二章が始まってしまうのではないか。
(いやいや、そこまでは流石にゲームに毒され過ぎ?)
実際、小夜をこの世界に喚びつけた張本人であるセシリィは、乙女ゲームの中では悪役令嬢として、第一章の時点で既に退場している。似ているからといって、全てをゲームに照らし合わせる必要はない。
(はず、なんだけど……何だろ、この胸騒ぎ)
第二章を少しもプレイしていない焦燥感が、少しだけ小夜を不安にさせる。だがそれをルキアノスたちに説明しても仕方ない。
小夜はひとまずの安心を得るために、最も重要なことを確認した。
「でも、ファニは渡したりしませんよね?」
ただの事実確認、そのはずだったのに、返る沈黙はぎこちなかった。
「兄上は、死んでも渡さないだろう。だが」
ルキアノスが、それまでの怒りをくすませて苦々しげに目を逸らす。
「数日前から、行方が知れない」