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疑問符が余剰在庫

 気が付くと、森にいた。


(……がっつり森だな)


 右を見ても木、左を見ても木である。上を見ても視界の半分は緑の枝葉で埋まり、下を見ても茶色の枯れ葉で埋まっている。じめっとした腐葉土特有の手触りも、土臭さもある。

 となれば、ここは樹木と言えばたった二本しか植わっていない我が家の庭ではないだろうし、勿論極限まで近付いた液晶画面の中のネット画像でも夢でもなさそうである。

 そして、気付いたことがある。

 植物学者でも森林保護を掲げてもいない小夜にとって、植生を見ただけではここがどちらの世界なのか判断しようがないと。


(異世界に来たつもりが、実は近所の公園とかだったらとうしよう)


 痺れるように冷たい夜露に触れたせいでかじかむ両手をにぎにぎと開閉しながら、そんなことを考える。だがその思考とは裏腹に、小夜の眼差しは中々情報を集めようとは動かなかった。


(とりあえず、いないってことは……どっちだ?)


 小夜は、自分の部屋では決して見えるはずのないものが見えて、慌てて駆け寄ったはずだ。手を伸ばせば触れる距離に、確かに膝をついた。けれど今、目の前には何もなかった。

 ざわざわと揺れる、森以外には。


「……見間違いってことで、いいのかな?」


 すぐ近くに誰もいないのは承知で、そう呟いてみる。「そうよ。相変わらず、小夜は粗忽者ね」と、聞き慣れた高飛車な声で肯定されることを、幾分期待していたのだけれども。

 返事は、ない。


「いやでも……何でよりにもよって、ルキアノス様が怪我してる幻なんか見るのよ」


 答えの出ない問いに軽く頭を掻きながら、諦めてゆっくりと周囲を見回す。かすかな恐怖に反し、そこにはやはり植物以外何もなかった。


「えぇー……、どういうことぉ?」


 小夜は益々混乱した。

 今までなら、小夜を召喚する場所はクィントゥス侯爵家の屋敷の地下室がお決まりであった。そして召喚の魔法には出来るだけ二人以上の魔法士が必要と聞いている。

 しかし今ここには小夜しかいないし、場所も全くもってあの陰気で薄暗い地下室には見えない。


「なんかの間違い?」


 一瞬視界が白くなったから、てっきりまた喚ばれたのかと思ったのだが、違ったのだろうか。幻覚が見えるほど疲れすぎていたなら、目眩を起こしても不思議ではないが。


「それにしたって、何であんな……」


 視界が失われる寸前に見たルキアノスの辛そうな横顔が、眼裏に張り付いて消えてくれない。どうせ見るなら、もっと幸せそうな顔が良かったのに。

 いや、それもどうかと、と考えたところで、枝葉の擦れる以外の音を聞いた。ハッと顔を上げる。


 クェー……と、遠くながら確かに聞こえた。

 トリコの鳴き声が。


「トリコ!? どこ!?」


 小夜は必死に暮れなずむ空と木々の間に眼を凝らした。どこかに、見慣れた大型猛禽類の色鮮やかな青と緑のグラデーションが見えやしないかと。

 しかし期待に反して、小夜の目は何も見付けることが出来なかった。再び、森には植物だけの静けさが満ちる。

 だが代わりに、気付いたこともある。


「やっぱり、喚ばれたのは確かみたいだ」


 小夜は、夜の九時まで残業していた。夢遊病で近所の公園に来てしまったとしても、空の色は変わるはずもない。

 だが今小夜の頭上に広がるのは、水色と灰色の間の空である。少なくとも、太陽はまだ沈んではいない。


「どうしよう……。やっぱりどこかに誰かいるのかな?」


 もう一度、大声で呼んでみようか。そう考えて、いや待て、と思い止まる。

 乙女ゲームアプリに酷似したこの世界は、時代で言えば中世~近世に近いはずだ。そんな時代の森が、果たして安全と言えるであろうか。

 下手に声を出して、獣や、人買いや野盗にでも見付かれば、何かが始まる前に人生が終わる。そして残念なことに、小夜は既に一度声を張り上げていた。

 今更ながら、嫌な冷や汗が背中を伝う。


(物凄い手遅れ感があるけど……)


 一度考え出してしまえば、途端に周囲の木々の影に何者かが潜んでいるような気がしてくるのだから始末におえない。

 小夜はゆっくりと近くの木の幹に背をつけるために後退りながら、素早く視線を走らせた。そしてふと、視界に何かが光った気がした。

 ハッと視線を向ければ、それが木々に隠れていた水源だと理解する。


(水場……湧き水かな?)


 耳を澄ませれば、ぴちょん、と水音が聞こえた、気もする。更に足を下がらせてやっと背中に幹が当たったところで、その水場に樹影とは別の何かを見る。


(人……? まさか)


 サッと血の気が引き、次には淡い期待に考えなしに走り出していた。もしかして、幻などではなくやはり本当にいたのでは。

 逸る気持ちで駆け出した足は、けれど数歩も進めずに立ち止まった。その首を、容赦のない圧迫にさらされて。


「…………ッ」


 経験したことのない苦しさに、小夜は咄嗟に目をギュッと瞑って息を止めた。喉を押さえる腕に両手でしがみついて、どうにか引き剥がそうと力を込める。だが気道は少しも広がらなかった。


(苦し……何で……っ?)


 ヒュッと、暴れる反動で吸い込んだ息が喉で詰まる。再び意識が白く滲む、その寸前。


「まさか……小夜様!?」


 聞き覚えのある声がして、バッと首が解放された。ぐったりと前に倒れ込んだ小夜の体を、同じ腕が抱き止める。そこでやっと、小夜は喘いだ喉に大量に入ってきた空気に、盛大にむせた。


「何なの、一体……」


 ゲホゲホと咳き込みながら、自分を支える腕を辿って視線を上げる。そこに見えた顔に、小夜はその先の疑問が吹き飛んだ。

 そこにいたのは、二十年前の心労のために色を失った髪に、灰色の瞳をした不健康そうな顔色の三十路男――シェーファであった。

 今はなきヒュベル王国の生き残りであり、諸事情を経て、現在はシェフィリーダ王国第二王子ルキアノスの侍従見習いをしている、はずなのだが。


「え、えぇ? 何でシェーファさんが……」


「それはこちらの台詞です。何故、小夜様が……?」


 互いに目をぱちくりさせながら、同じ疑問をぶつけあう。そこでまた、小夜は混乱した。


「何故って、ルキアノス様かセシリィが召喚したんじゃないんですか? さっき、トリコもいたみたいだし」


「いえ、そんなはずはありません。トリコは城に置いてきたはずですし」


「なんですと……?」


 早速疑問符が余剰在庫になるくらいには、小夜の頭では分からないことばかりであった。

 小夜がこの世界と結び付くには、姿形が似ているというセシリィか、一時その体にお邪魔していたトリコを依り代にする必要があると聞いたのは前々回のことだ。

 しかしトリコもセシリィもいないのなら、一体誰がどうやって小夜をこの世界に喚び寄せたのか。


「とりあえず、トリコを呼んでみましょう」


「いけません」


 ここであーだこーだと悩んでいても致し方ない。ひとまずトリコを大声で呼ばわろうと口を開けた矢先、シェーファの手に塞がれた。


「な、何でですか?」


 今度は息を押し込まれて、筋張った手の下でふがふが言いながら問い返す。灰色の瞳が、すぐ間近で細められた。

 その仕草に妙に胸がざわついて、小夜は答えが発される前に言を継いでいた。


「あ、じゃあ、ルキアノス様は呼んでもいいです? ご一緒ですよね?」


「それは……」


 えぇ、こちらです、と。小夜はそんな簡単な返事を期待しただけだった。けれど返されたのは、戸惑うような、言い淀む声で。

 小夜の中でやっと生まれたささやかな余裕が、呆気なく消えていく。忘れていた森のざわめきが洞窟の中のように大きくなり、木の幹の向こうが妙に怖くなる。

 そういえば、先程水辺で見た人影は何だったのだろうか。

 先程感じた様々な不安が、再び首をもたげる。


「一緒じゃ、ないんですか?」


 シェーファの手を静かに引き下ろしながら、その疲れたような顔色を伺う。白い睫毛が半ばまで伏せられ、短い沈黙が続く。

 それから、水辺とは反対の方向を指差した。


「こちらへ」


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