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『日下の米田』

本日は、序章と合わせて二話分の投稿になります。

「『ニジゲンヨメ』って、何ですか?」


「…………」


 残業真っ只中、帰りたくても帰れない午後九時。

 周りの席は既に消灯し、所長が外回りから帰ってくるまでがタイムリミット。只今絶賛追い込み中の死に体五分前のこと。


 消費税増税前のシステム変更から始まる手動部分の訂正データ洗い出しがあと一割で終わるというところで、付属品がたっぷり付いた七面倒くさい注文を持ってきた担当の新人営業からの、脈絡のない質問に、畑中はたなか小夜さよは数秒フリーズした。

 ちなみに、この大型注文について当然のごとく「何で今!?」と聞いたが、回答は至極真っ当な「増税前だから」であった。


(くそう、正論!)


 無論、内容がもっと下らないものであれば、「そうねー」でスルーしてガン無視だったろう。

 小夜はいつだって早く帰りたい。


(折角改心して、エヴィエニス様を真摯に攻略中なのに……)


 だがこの質問ばかりは、さすがにそうも言っていられなかった。

 先週末、短期派遣社員歓迎のために催されたごく和やかで穏当な宴席でのこと。


『二次元嫁だよ気付けよ!』


 恋をしている相手は誰か、という質問に対しそんな阿呆な啖呵を切ったのは、忘れたくても忘れられない、小夜自身であった。


(最悪の逆ギレだよもう……! 誤魔化すにしても他にあるでしょうがよ)


 あの時の自分の間抜けさは、呪っても呪いきれない。せめて、アイドルとか俳優だといえばまだ救いもあったものを。少なくとも、現実リアル虚構フィクションの区別がつかない痛々しい人とは思われても、人付き合いを拗らせた結果二次元に嫁まで製造した痛々しい人とまでは思われなくて済んだのに。


(さぁ、どーしたもんか)


 宴会での他愛もない会話なんて酔っていて何も覚えていない体でスルーするか、正直に説明するか熟考すること、五秒。

 小夜は何でもない風を装いつつ、問題を先送りにすることに決めた。


「……な、んでまたそんな話を今更ぶり返すの?」


「ネットで調べてみたんですが、変な結果しか出なかったので」


 最悪な返しがきた。

 それは結果が変なんじゃなくて記事が変なだけで何も間違っていないのだと、一体誰が言いたいと思えるであろうか。


(今度こそ本物のネットワーク使ってきやがった……)


 いや、もしかしたら例のごとく既に社内の限定的女子情報網ネットワークには確認済みで、答えが得られなかっただけかもしれない。

 小夜がさりげなく確認した所、社内に中重度のヲタクと思わしき人物はいなかった。


 無難なはぐらかし方が浮かばず、人気もない薄暗い室内にカタカタとキーボードを叩く音だけが響く。

 すると、常には他人の顔色を気にしない新人営業でも、小夜の沈黙に何か気付くものがあったのか、それとも知らず冷や汗でも掻いていたのか、珍しく補足がきた。


「分からない単語は、調べないとどうにも気になるたちで」


「……あぁ、そう?」


「…………」


「…………」


 特に深い意味がないなら結構です、とでも続かないかなと期待する小夜であったが、そんな科白は残念ながらいくら待っても聞こえてはこなかった。

 電子機器と、給湯室にある冷蔵庫の駆動音しか聞こえない静かなフロアに、キーボードの入力音が無機質に追加される。

 カタカタカタカタ、カタッ、カタカタ。

 否、あまり無機質とは言い難かった。入力ミスという名の動揺がちょいちょい現れている。


(……いかん、このままでは退社時間がずるずる遅くなる)


 小夜は改めて、数字ばかりが並ぶ発注画面を眉間に皺を寄せて睨み付け、先程の三倍速で注文を入力しきった。怒濤のダブルチェックに入る。

 沈黙。


「……あれは、に……『日下にちげ米田よねだ』って、言ったんだよね!」


 苦しい言い訳であった。


(なにその聞き間違い説! 米田はともかく「にちげ」って何!? 読むなら「くさか」だっての!)


 液晶の光が反射する小夜の顔はあくまでも真顔であったが、その心中では大いに頭を抱えていた。

 案の定、隣からも同じような疑問がぶつけられた。


「ニチゲの米田、って何ですか?」


「日下は……地名だよ。そこの米田さんってこと」


「……あぁ。それで『ニチゲノヨネダよ』……」


「…………」


 何だこの会話。

 二十八歳にもなる社会人がするには頭の悪すぎる会話に、小夜は堪らず両手に持ったままの手書きの注文書をぷるぷると震わせた。恥ずかしさと阿保らしさが頂点ピークを過ぎ、しゅんと思考が冷める。


(……帰ろう。締め切りはまだ来週だし。うん。そうしよう)


 心に決めた途端、小夜は手早くパソコン内と机上の片付けに取りかかった。開いていたソフトを順に閉じ、書類を未処理箱に戻しながら、隣の新人営業に告げる。


「じゃ、私もう帰るから」


「あ、はい。あの」


「っていうか、そろそろ自分の仕事に戻ったら? まだ帰れないんでしょ?」


「はい。先方に発注ナンバーが必要と言われたので」


「先に言えぃ!」


 食い気味に叫ぶ。

 今まさにパソコンの電源を落とそうとしていた小夜であった。




       ◆




 自宅の自室にたどり着いた途端、小夜はベッドに倒れ込んだ。

 頭の中では、まだ手書きの発注書と発注画面と出し直した発注ナンバーがちかちかとフラッシュバックしている気がする。


(金曜日だから、やれるだけやっておこうと思ったのに)


 まだ猶予は一週間あるし、通常業務が忙しい時期でもないから、毎日二時間程度残業すればどうにか終わるとは思う。ただ小夜の性格上、嫌なことは一気にまとめて片付けてしまいたかった。


(締め切りとか、やり残しとか、嫌なんだけどなぁ)


 しかし仕事にはいつも優先順位がある。新人営業を責めても致し方のないことだ。


「ということでチーズとろっとろの肉まんを食らう! そしてデザートは雪苺大福だ!」


 会社の帰り道にあるコンビニで衝動買いしてきたものだ。普段は買い食いなどしないのだが、空腹と苛立ちに負けて買ってしまった。塩分と糖分で脳を鎮めるのである。

 ベッドの上に起き上がると、バリバリと包装をといて、湯気が消えかかっている肉まんに早速かぶりつく。


「うみゃー……」


 はむはむと温かな塊を口いっぱいに押し込みながら、小夜は身体中の力が抜けていく感覚を味わった。壁に背を預けながら、放り投げていた鞄からスマホを取り出す。

 行儀が悪いとは承知しながらも、最早日課となった乙女ゲームのアプリを立ち上げる。


(ここに本物のルキアノス様が現れるんなら、しないけどね)


 幸か不幸か、ここは小夜が暮らす現代日本で、神のお声をお持ちのルキアノスはスマホの中から現れることはない。ベッド上で食べ物を広げる無作法も、ながらスマホも咎められることはないし、入浴前の一日分の汚れを嗅ぎ付けられることもない。

 そして。


「きたきたきたぁー!」


 タップを連打してすっとばしたオープニングの果てに現れた美青年の微笑みに奇声を上げても、泥水の跳躍回避に失敗した雨蛙を見る目を向けられたりもしない。


「こら小夜! 叫ぶ前にお風呂入っちゃってよ!」


「はいはーい!」


 母上の怒声を軽やかに聞き流して、この世でもっとも尊い声を待つ。が、聞こえてきたのはルキアノスの美声ではなく、聞き慣れたBGMであった。

 気付けば、トップ画面が最近よく見る動画に切り替わっている。


『無事、真実の愛を見付けたあなた。けれど元の世界に帰ろうとした時、再び何者かにさらわれてしまう。次に目が覚めた時、そこは荘厳な神殿の中で――

 今度の舞台は森の中に隠された神秘的な大神殿。そこであなたは、密かに匿われている「神の子」と呼ばれる少年に出会う。彼には、不思議な力と、誰にも言えない秘密があった。

 その他、少年を護衛する剣士、白髪の侍従、双子の従者など、攻略対象を追加! ますます広がる世界をお楽しみください!』


 そんな文言とともに次々と現れては消えていく数々のイケメンたち。勿論、声優さんをチェックすることは外さない。

 のだが。


「第二章配信開始の案内よ……」


 小夜が今さらメインキャラのエヴィエニス攻略に立ち戻っているためか、最近はアプリを立ち上げるたびに現れていた。どうやら、第二章のチュートリアルを開くまでは続けられるらしい。

 しかし声の恵みを心底欲していた小夜は、『今すぐタップ!』を無視して強引に前画面に舞い戻った。

 トップ画面に自動的に現れる現在攻略中の金髪男性キャラには無反応で次へと進む。タップしたのは、唯一にして完全制覇した攻略対象の美麗スチルとボイスが保存されているマイボックス。


『こんなにもオレを放ったらかしにしておいて……お仕置きが必要みたいだな?』


「くぅぅ!」


 少し拗ねたような口調でそう言ったのは、小夜が子供の頃から大好きな声優さんの声で喋る完璧な美青年――シェフィリーダ王国第二王子ルキアノスであった。スマホ画面の小さな平面の中、金髪を後ろに撫で付け、いつもと違う礼服姿で悪戯な笑みを浮かべている。


(思い出すでしょうがよ!)


 現れるのはアプリがランダムに選択しただけの美麗スチルだとは分かっているが、先週末にルキアノスたちの世界に喚ばれた時に強制参加させられた舞踏会の記憶が一々触発されて、小夜は肉まんを咥えたまま悶えるしかなかった。


『ちゃんと待っていろよ』


 別れ際の一言が、いまだに気を抜いた瞬間リフレインしてくる。最早、二次元だろうと三次元だろうと破壊力は大して変わらない。

 そもそも、待っていろと言われても、ルキアノスが半年頑張ったとしても、小夜にはたったの一週間なのだ。心構えも何もあったものではない。


(……それでも)


 ルキアノスは確実に大人になってしまう。実年齢もそうだが、あちらの世界の子供時代は、現代日本に比べてあまり優しくも、長くもない。うかうかしていたら、小夜の方が精神的に子供という事態になりかねない。


(休日の楽しみが、録り溜めたアニメと積んだ漫画と小説の消化って……)


 大人になりきれていない自覚は嫌になるほどある。

 当該問題ルキアノスが目の前にいないからと、答えを先伸ばしにしている自覚も。


(どうしたもんか)


 もっしゃもっしゃと、肉まんの残りを口の中に引っ張り込む。とりあえず今は、お茶を飲んでデザートに――と手を伸ばした所で、


「…………ん?」


 何かが見えた。LED電球の明かりの下、安っぽい木目調の扉の前に、何か――大型犬よりも大きな何かがうずくまっているような影が。


「……疲れ目?」


 ごしごしと、パソコンで疲れきった目を擦る。だが次に目を開けても、それは消えてなくなることはなかった。むしろ、輪郭がはっきりとしてきた。赤と黒と金色が見える。

 それは、犬というよりもむしろ、倒れた人のような……。


「ッルキアノス様!?」


 まさかと考えた瞬間、ベッドから飛び降りていた。あり得ないと否定する反面、その苦しそうな横顔を見間違えるはずがないとも思う。

 小夜の見た黒色は服の色だ。そして金色は頭髪。となると、所々に見えた赤色は何だ?


(そんな、まさか……!)


 答えが出るよりも前に、小夜はルキアノスと思われる人物の傍らに辿り着いていた。恐る恐る手を伸ばす。


「ル、ルキ――!?」


 その体に触れる一瞬前に、視界が真っ白に塗り潰された。五感が嵐の中に放り込まれたように吹き飛び、ふっと意識が途切れる。

 その寸前、小夜は誰かが自分を呼ぶ声を、確かに聞いた気がした。



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