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逃がさない

「でも、意外でした。そこまで本格的に考えていただなんて」


 実際、その感想は本心からのものであった。

 小夜がルキアノスを好きだと自覚したのは前回の時だが、互いのあまりの立場の違いゆえ、「好き」のあとなど思い至りもしなかった。

 ただ、好きだった。

 小夜はそれで良かった。その先を望んではいなかったし、いつか消えるものだと覚悟していた。

 そしてもしルキアノスがそうであっても、同じようにすぐに消える程度のものだと思ったのだ。「好き」の先を考えるには、ルキアノスはあまりに高貴すぎて、若すぎた。


(ルキアノス様が、分かるようで分からない)


 初めて会った時は、乙女ゲームの中の人物そのもので、十七歳という少年らしさがあって、ただ格好良いと喜んでいられた。だが会うたびにルキアノスの内面は複雑に成長し、推察できない部分が増え、時折、ほんの一瞬怖いとすら感じる。

 今回のルキアノスの手腕もやはり十九歳という年齢に見合わなくて末恐ろしいのだが、その根底にあるのは変わらない優しさに思えて、結局小夜は嬉しくなってしまうのだ。


「当たり前だろ」


 と、ルキアノスが少しだけ眉根を寄せて首を掻く。


「こっちの都合で何度も喚び出しては用が済んだら追い立てるように帰すなどという酷いやり方、ずっと嫌だったんだ」


 苦しそうにそう言うルキアノスはやっと年相応の顔を見せて、小夜はようやく肩の力が抜ける気がした。疑心暗鬼に強張っていた頬を緩め、首を横に振る。


「酷いだなんて……そんなの、考えたこともなかったです」


「だが、お前にしてみればいつも突然だろう?」


「それは、そうですけど……でも、やっぱり会えるのは嬉しいので」


 珍しく心配するような口振りに、小夜も柄にもなく素直にそう答えていた。

 言っても詮無いことと口にしたことはないが、最初に自分の世界に戻ってきた時などは、二度と会えないと思って随分しんみりしたものだ。

 だから二度目に会えた時などは、セシリィが行方不明という状況で不謹慎だと思いながらも、喜びは一入ひとしおであった。


「嬉しい、か。それを聞いて安心した」


 いつもより落ち着いた燭台の灯りの中、ルキアノスが安堵したように微笑む。その声があまりに柔らかかったもので、小夜はつい油断した。


「その会えて嬉しい相手は、勿論オレでいいんだよな?」


「…………ッ」


 不意打ちの囁きに、小夜は瞬間的に硬直した。

 しまった、と思ったその一瞬で今度は距離を詰められる。

 揺れる炎にルキアノスの影が大きく伸びあがり、次にはその中に小夜をすっぽりと覆い隠していた。

 小夜の瞳の前で、ルキアノスの骨張った手が朱色の頬にのばされる。


「そ、れは……あの……あ! そろそろ帰りま」


「逃がさない」


「ッ!!」


 鼻血を吹くかと思った。

 耳朶じだにかかった吐息のせいでくらりと揺らいだ頭を、すかさず大きな手が支える。と同時に、服越しに伝わるほのかな体温がぐっと近付いた。腰にも当たり前のように腕が回る。

 言葉の通り、逃げ場がない。


(って、なんかちょっと手慣れすぎてないっ!?)


 娼婦のもとを渡り歩いてはいないという話だったが、どうにも疑わしくなってきた。などと考えたことを見透かされたのか、ルキアノスの腕に力が込められた。二人の体が更に密着する。


「想い合っていると分かったのに、今更手を放すわけがないだろ?」


「おっ、おもっ、もっ……!?」


 呼気に紛れるような声が、甘やかに降り注ぐ。

 たった一言の破壊力に早くも参っている小夜の反応を楽しむように、髪に触れるルキアノスの指が思わせぶりに毛先を弄ぶ。それが一瞬首筋をなぞり、ぞくりと背筋が震えた。


「もう、ためらう理由はないはずだぞ」


 鉄灰色の双眸が細められ、端正な顔がゆっくりと降りてくる。

 小夜はヒュッと息を飲んだ。


「っ! あ、ありますって! だって、年が」


「まだオレのことを子供だという気か?」


「九歳も年下なら十分……!」


 犯罪、という小夜の言い分は、音にはならなかった。ルキアノスの唇に優しく塞がれたために。


「っ……途中!」


 必死に身を捩って、どうにかその文句を絞り出す。だが顔も体も発熱したように赤く、瞳は潤み、今にも膝から力が抜けそうだった。虚勢でも張っておかなければ、このまま流されてしまいそうで、怖い。

 だというのに、瞳いっぱいに小夜を覗き込んだルキアノスは、腰が砕けそうなほど艶のある声でこう聞くのだ。


「もう一度ってこと?」


「バッ……違う!」


 最早大人の威厳云々も忘れて叫んでいた。ルキアノスがにやりと悪い顔で笑う。それすらも抜群に格好良く思えてしまうのだから、末期はすでに通り過ぎていた。


「何となく、お前の反応が分かってきた」


「は、反応って……!」


「つまり、小夜の価値観だと、年上が年下を襲うのが許されないってことだろ? だったら……」


 絶対に小夜の反応を面白がっているとしか思えない声を作って、ルキアノスが再び顔を近付ける。


「オレが小夜を襲うのは問題ないよな?」


「ッ!?」


 衝撃的な単語が襲いかかってきた。一瞬、前後の文脈がぶっ飛んで理解力が著しく低下する。


「な……ないって、そんなわけ……っ」


 あるわけがない、と口が脳よりも先に動いて、小夜ははたと考える。


(いや、確かに大人が未成年を襲うのは犯罪だけど、その逆は別に……ってなんか意図が違う!)


 既に流されて始めている気がして、小夜は自分の自制心に愕然とした。

 今問題なのは犯罪かどうか、法に触れるかどうかであろうか。

 否、違う。


「嫌なら、いつもみたいに逃げろよ。でないと……もう止められない」


「ル……ッ」


 鼻先が触れ合うほどに近付いた唇が、小夜の唇を吐息で濡らす。その掠れた語尾のあまりの切なさに、小夜は脳の神経が焼き切れそうな焦燥で、思ってしまった。

 もう、このまま流されてしまってもいいのではないか。どんな選択をしても、経緯を辿っても、結局後悔はする気がする。

 体中に触れる熱に、焦れるような眼差しに、蝕むような甘い声に、小夜の瞼が震えながら落ちる。

 そして訪れた闇の中で最初に浮かんだのは、国王テレイオスの顔であった。

 ハッと目をかっ開く。そして叫んだ。


「っ、じ、順序!」


 ルキアノスの唇を寸前で押し戻しながら、やっと気付いた心の引っかかりを訴える。


「こ、こういうことは、ちゃんと順序を踏まなきゃダメだよ!」


「……まずは口付けからだろ? それとも、先に服を脱ぐのが」


「そっちじゃなーいッ!」


 そんな手順の話は一切していないと、声を大にして否定する。なおも近付こうとする顔を力任せに押し返して、小夜は必死に言葉を継いだ。


「こ、告白したらまずはお付き合いでしょ! それで時期をみてご両親にご許可をいただく! これをやんなきゃこの先はダメです! 絶対!」


 自分で言いながらどこの昭和の馴れ初めかとも思ったが、年下の未成年とお付き合いするということになったならば、そこは蔑ろにしてはいけない部分に思えたのだ。特にルキアノスは身分も立場もあり、彼自身一方ならぬ責任感を抱いている。

 そんな相手に、雰囲気だけで流されて許しては、いつか絶対に自己嫌悪に陥る。ルキアノスの真剣な想いに対し、自分が嫌になったからと逃げることだけはしたくなかった。

 だから、ルキアノスの顔色が途端に悪くなっても、断固として首を横に振る。


「……付き合うのはいいが、両親は嫌だ」


「ダメです」


「……生殺しはつらい」


「そっ、そんな顔で言ってもダメなもんはダメですッ」


 眉根を寄せるルキアノスの熱っぽい瞳にうっと言葉に詰まるが、なけなしの理性を振り絞って訴えた。ここで引いては、せっかくの気付きも決意も意味がない。何より、この先ずっとルキアノスの隣に胸を張って立ち続けるためにも、折れるわけにはいかないのだ。

 果たして、その熱意が伝わったのか。


「……分かった」


「ル、ルキアノス様……」


 手の平にかかっていた力が抜け、そんな声が返された。

 小夜もまた体の力を抜いて安堵する。

 そして衝撃の一言を喰らった。


「小夜は別にオレのことが好きではないんだ」


「……へ?」


 小夜の真意は全然伝わっていなかった。

 あらぬ結論に理解が追いつかない内に、ルキアノスの久しぶりの屈託が続く。


「思えばお前の口からはきちんと気持ちを聞いてはいないしな」


「え……いやいや、あの……」


「あれもオレが無理やり言わせたようなものだし」


「ちょ……だから」


「別にいい。帰るなら帰れ」


 投げやりにそう言って、ついに小夜を抱き締めていた体が背を向ける。効果音があるなら、ずーん、と重い文字を背負うかのような背中であった。


(……マジか!)


 予想外の反応に、小夜は言葉を選び間違えたかと途端に焦り出す。だが今さら慌てても、ルキアノスを傷付けてしまったらしいことは拭いようのない事実である。

 小夜は悄然とするルキアノスの背中に駆け寄って言い募った。


「あの、そういう意味じゃないんです。嫌とか、ルキアノス様が嫌いとかじゃなくて」


「だが嫌なんだろう。もういい」


「いやだから……」


 すっかり拗ねてしまったルキアノスは、最早振り返りもしない。小夜はすっかり困ってしまった。

 この場で必要な言葉が何かは分かるが、改めて言うとなるとどうしても勇気がいる。それは初恋の時も、二十八歳になった今でも変わらず心臓を急き立てるから。

 だが、相手にだけ言わせて自分は言わないのは、公平フェアではない。向き合うと決めたのなら、出来るだけ誠実でいたかった。


「あぁもう、だから、あの……嫌、じゃないです。というか……」


 ルキアノスの背中を握り締めたまま、さぁ言え、と自分を自分で奮い立たせる。


「好き……です、ルキアノス様のこと。とても……。だから」


「小夜」


 名を呼ぶ声よりも早く、再びの温もりが小夜をきつく抱き締めた。露わになった首筋に顔を埋め、堪らずというように首を振る。


「小夜……」


 小夜、と何度も繰り返し名を呼んだ。その声がいかにも嬉しそうで、切なそうで、小夜はもうそれ以上ダメとは言えなかった。

 ためらいながらもルキアノスの背に手を回し、同じだけの力で抱きしめ返す。

 ここにあるのは幸せだ、と小夜は思った。

 ルキアノスに触れるこの手で、体温で、耳で、心で、小夜は今ここに幸せがあると感じた。


「小夜」


 と、ルキアノスがもう一度名を呼ぶ。二人の体がゆっくりと傾ぐ。


「お前に、もう子供だとは言わせない。だから」


 気付けば、ふらりと膝から力が抜けた。倒れる、と思ったが、背中がついたのは絨毯の敷かれた床ではなく、壁際に置かれた長椅子であった。

 見上げれば、ルキアノスの体が僅かに離れる。

 揺らめく炎と月光を映して、鉄灰色の瞳が輝いていた。

 そして。


「そういえば祝いの品を渡すのを忘れていた!」


 ばあん! とけたたましい開閉音を立てて、開かれた扉から更にけたたましい大音声が室内に響き渡った。




「………………………………殺す」


 本気の声であった。


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