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婚約者はお前

 綺麗に整えられた室内は、甘ったるい匂いで満たされていた。

 薔薇のような、香木のような濃く深い香りが、少し指先を動かすだけでもふわりと薫る。部屋を照らすのも魔法の術式が組み込まれたシャンデリアではなく、不自然に部屋のあちこちに置かれた銀の燭台である。エレニたちがお茶を用意する合間に点灯していったのだろう。

 執務机や傍机の上の花瓶にも赤やピンクの花がもっさりと生けられ、壁にかけられた絵画もまた普段の神話の一場面から、裸婦像に掛け変えられている。


(あからさますぎる……!)


 これが誰の手によるものなのかは明らかであった。この模様替えをしたあとに小夜の化粧をしたのかと思うと、より一層複雑な気分になる。


(せめてルキアノス様の具体的な指示でないことを祈りたい)


 セシリィが逃げ出すのも頷けるというものである。しかもヨルゴスやフィオナは護衛として、隣室の控えの間にいる確率が高い。というかセシリィ以外は全員、役目上いても不思議ではない上に責められもしない。

 そう考えると益々逃げ出したい気持ちになったが、意に反して口も足も冷静には動いてくれそうになかった。


(な、なんて言おう。じゃあ私も帰ります、とか?)


 言った瞬間、「帰すと思うか?」と掴まりそうな気がする。


(……あああ! 自分のバカみたいな妄想力が私の首を締めにかかる!)


 脳内でルキアノスの声を想像してしまい、小夜は途端に顔を真っ赤に染めた。しかも乙女ゲームの中でもルキアノスの攻略に成功すると似たようなルートに突入するということを、こんな時に思い出すというおまけ付きである。


(バカバカ! 今はなし! 自動再生は許可してないってのにこの脳は!)


 毎日せっせと物語を進めてルキアノスの好感度を上げて辿り着いたハッピーエンドの後日談では、晴れて聖泉の乙女となったヒロインと、王太子となって彼女を妻に迎えることになるルキアノスが、王城の庭園で語らうシーンがある。

 自分の世界に戻ることが出来るようになったヒロインが、ルキアノスのためにこの世界にとどまる決断をしたことについて、ルキアノスはヒロインを抱き締めて改めて愛を誓うのだ。


『お前が何者でも、どこの世界の者でも関係ない。どんな悩みも苦しみも、お前ごとまとめてとろとろに甘やかしてやる。だから……覚悟しろよ?』


(この……! この悩殺ボイスよ! 犯罪よ!)


 このボイスをマイボックスにゲットしてから一ヶ月ほどは、毎晩聞き続けていた小夜である。そのお陰で再生品質は今なお高水準を維持していた。見事に膝から崩れ落ちる。

 それが図らずも、探し求めていた会話の糸口となった。


「まだ何もしてないのに、何故そんなことになるんだ?」


「ンハッ!」


 頭上からした呆れ声に、カッと目を見開く。小夜は慌ててその場に立ち上がると、先程よりも近い距離にルキアノスが立っていた。生き物のように蠢く炎を頬に受けたその濃い陰影に、意味もなくドキッとする。


(まずい、なんかもう既に負の循環に片足突っ込んでる気がする……!)


 小夜はさりげなく後退すると同時に、何事も起きていないような面構えで話題を探した。


「えっと、無事お誕生会が終わって、良かったですね」


「ん? あぁ、まぁな」


 あの強引な終わらせ方を無事というかどうかは、この際不問とした。大事なのは会話を続けることである。


「これで私の今回のお役目も終了ですよね?」


「…………」


 いつ元の世界に戻るかについてはまだ話していないが、帰還にはセシリィと伯母のメラニアの助力が必要である。明日以降、侯爵邸を訪ねる段取りが整ってからとなるはずだろう。

 無回答が怖くて、小夜は更に言葉を重ねる。


「えっと……これで、ルキアノス様もゆっくり探せますね」


「何のことだ?」


「だから、その……婚約者を」


 僅かに言い淀んだが、小夜はその言葉を口にした。

 ルキアノスが小夜のことを好きだと言ってくれたことは忘れられるはずもないが、第二王子の婚約者が一時の感情論だけで決められるはずがないことも、分かっている。

 何より、小夜は元の世界に戻る身である。そんな女が婚約者などと、どの口が言えようか。

 しかし、長い沈黙の果てに返された声は地を這うよりも更に低かった。


「……お前、まさかオレの話を聞いていなかったとでも言うつもりか?」


「いや、聞いて、は……」


「オレの婚約者はお前だろう」


「ぶっ」


 突然のパワーワードに、小夜は下品にも吹き散らした。無理です、と言うことも出来ないほどに舌がもつれ、目が激しく泳ぐ。


「え、なにそれいつの話? 全然聞いてないっていうかそんな話したっけ?」


 一気に記憶が混乱する。小夜が聞いた話は、好きかどうかということだったはずだ。婚約者のコの字も出ていなかった。という動揺を読み取ったのか、ルキアノスは軽く瞠目してこんなことを言った。


「まさか、まだ気付いていないのか?」


「気付いてって……あ! また何か嘘を!?」


「誕生会で同伴した女は、婚約者も同然だ」


「……そっち?」


 耳を疑った。嘘などという可愛いレベルではなかった。一度も知らされていないどころか匂わされてもいない。

 

「おかしいと思わなかったのか? セシリィがあんなに嫌がるのを」


「それは、だって、脅されてたのかと」


「脅しては……まぁ、いない」


 軽い俊巡に、平気で嘘をついたなと小夜は思った。

 だがそれ以上に問題なのは、全てが終わった後で計画的な裏切りに気付くという、三流の台本でも中々見ない間抜けっぷりの方である。しかも裏切ったか嵌めたかしたのがセシリィであるという、要尋問案件だ。


(教えてくれれば絶対拒否したのに!)


 知っていれば、受けたりしなかった。

 どんなにルキアノスのことが好きでも、そんな立場に収まれるなどとは微塵も思わない。


「で、でも、私ですよ? お父様、絶対に許さないでしょう」


「後を継ぐのはあくまでも兄上だ。その前提が覆らない限り、オレが下手に権力者の娘とくっつくよりも、その方が余程安心できるというものだ」


 その考えは、前国王とその兄との間で起きた謀反から考えても道理は通る。現在も王弟イリニスティスをこそ正当な王と考える派閥は根強く、国王との軋轢は続いている。イリニスティスが財力や影響力のある貴族と婚姻関係を結べば、国王と義弟はたちまち対立構造を悪化させるだろう。

 乙女ゲームの中でこそ、聖泉の乙女であるヒロインが三王子の誰を選ぶかによって王位継承権に変動が起きる場合もあるが、現実的に考えてそんなことが容易に起こるとも思えない。

 だが、最大の懸念がある。


「エヴィエニス様、絶対ファニを諦めそうにないですけど」


「安心しろ。オレが必ずくっつける」


 自信満々の顔で断言された。

 どんな手段を使うのか、考えるだけで怖い。


「母上も、形こそそれなりに整えたが、やったことといえば婚約者を捨てて恋愛結婚したようなものだ。家族で反対しているのは、血統を気にしている父上だけだ。他はどうとでもなる」


 国王テレイオスはいわゆる婿養子で、エヴィエニスもその血統の低さのせいで一部の貴族から正統性を疑問視されていた。だからこそ国王は、真正性の疑わしいファニを容易には受け入れられない。


「それに、最後の手札ではあるが、弟もいる。やりようは幾らでもある」


「できれば穏便にお願いします……」


 にやりと口角を上げるルキアノスに、小夜は小さく慄きながらそう言うしかなかった。十三歳の弟に一体何をやらせる気かと思ったが、答えは聞きたくないので黙っておく。

 と思ったら、突然矛先がこちらを向いた。


「何を言っている? 最も穏便な方法を提案しただろう」


「……えっと、いつでしょう?」


「卒業に対する正当な祝儀を要求した時だ」


(……されたな)


 据わった目で返された答えに、小夜は心の中だけで相槌を打った。クレオンも参加したお茶会での会話であったと思う。確か、怒濤の勢いで用意された書類へのサインや屋敷への同行、それに誰かとの面会を要求された記憶がある。


「あれが、ルキアノス様のいう穏便、なんですか?」


 すごい怖かったんですけど、とは、辛うじて飲み込んだ。


「こちらに市民権と屋敷と後見人を用意しようと思ったんだ。その方が無駄な面倒を避けて通れるし、いざという時にはしっかり守れると思って」


「ぅおっふ……」


 ヤバい、と小夜は思った。どんな強硬手段かと思ったが、意外と現実的に考えられている。

 実際、もし小夜がセシリィなど関係なく身一つで異世界に喚ばれていたら、まずその市民権を獲得するだけでも大変な苦労を要したことだろう。

 親切な宿屋の主人や領主や勇者や魔王に拾われる確率よりも、何の力も持たない農民や、下手したら人攫いに拾われる確率の方が何倍も高いのだ。生まれた村や領主の名前も言えない女など、農奴以下とされても抗う術などないに等しい。

 現在小夜がそんな苦労をせずに済んでいるのは、ひとえに喚び出される環境が整っていて、そこからはみ出さなかったからに過ぎない。だが今後もその状況が保障されるとは限らない。


(つまりこっちにも戸籍を作る……作れちゃうってことだよね)


 頼もしいとときめく前に、怖い、と思ってしまうのは、最早いかんともしがたい小夜であった。



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