必殺兵器
「ヨルゴス? あの男は、撫でるのが上手いわね」
部屋に戻っていつものようにその日あったことをトリコに報告すると、意外にも肯定的な意見が返ってきた。
「見られたくないものは謹慎前に処分したし、ここに移動する前にも確認は済んでいるわ。家捜しされて不快に思うのは、疚しいことがある者だけよ」
話を聞けば授業開始の初日三日は、毎日部屋にやってきたという。乱暴なやり方はせず、淡々と作業を進めたので、黙認していたらしい。
「ルキアノスの立場からすれば当然の警戒だわ」
「警戒してるのに、怪しすぎる鳥は撫でてくんだ?」
「二日間は視線を感じただけだったけれどね。三日目に退室するときに熱視線を感じたから睨み返してやったら、羽を優しく撫でられたわ」
ご満悦で言われた。満更でもなさそうである。以来、部屋に入るたびにトリコを一通り撫でていくとのことだ。
(おじ様の秘密を知ってしまった……)
ちなみにヨルゴスというのは近侍のことで、四十絡みの渋めのおじ様だ。寡黙な方のようで、小夜はまだ声を聞いていない。
ゲームにも登場しないので、勝手にベテラン声優の低くて渋い声を予想して一人にまにましている。
(早く喋ってくれないかな)
十代ばかりのこの環境では、渋い声は貴重だ。そして三十路女にとっても、年上の存在は精神的に有り難かった。
「でも、これで護衛なのにレヴァンみたいに引っ付いてない理由が分かったね。捜査を終えたら授業にもついてくるようになると思う?」
「小夜、それは前提が違ってよ」
疑問がひとつ解消できたと納得していると、秒で否定された。
「校内では武力を禁止しているのだから、基本は護衛であろうと立ち入りには毎回許可が必要よ」
確かに、教会でも武器は預けるというし、元々教会付属から発展したという学校にそのルールが適用されるのは道理である。
「それに、エヴィエニス様はルキアノス様よりもお強いの。下手な護衛など不要よ」
「え、じゃあレヴァンの存在意義は?」
「万が一の時の盾ね」
「ぅおっふ」
世の中には知らない方がいいこともあるという良い実例だった。
「ついでに言えば、学生に貴賤はないという考えから、本当は侍従や小姓も連れてきてはいけないのよ」
それは指摘されれば当たり前の話であった。
学校は学力、精神力ともに自立を目指す場所だ。三十路で実家暮らしの女が言うのもあれだが、お手伝いがいては効果は半減だろう。
だが校内で見かける貴族らしい人間の半数以上は、誰かを引き連れていた気がする。
「入学には全学校の推薦状がいるけど、入学できる年齢や受ける授業に対する年齢制限はないわ。だから年の近いお友達を自領から引っ張ってきて仲良くやっているだけなのよ」
「はぁ。そういうお友達なわけね」
それはほぼ強制ではないかと思ったが、素質があっても裕福でない生まれの子供からすれば、領主の子息に付き添うことで学費を免除されるようなものなので、互いに利益はあるという。
(しがらみ凄そうだけど)
極力関わり合いになりたくないシステムである。しかし今の立場は侯爵令嬢だ。聞きたくはなかったが、仕方なく火種の回収をすることにした。
「セシリィにもそういう人はいたの?」
「いないわ」
あっさり否定され、小夜はホッと息をついた。
以前の部屋には続きの間があり、侍女が一人いたが、それはある程度の寄付金によって許可が下りる類のもので、授業に供をする者は不要と断ったという。
「勉強するだけの場所に、どうして余人が要るのかしら」
金の瞳が面倒くさそうに細まる。成る程性格が出ている気がした。
「セシリィ様。よろしければ今度、我が家の夜会にいらっしゃいませんこと?」
学業を再開して二週間近く経った頃、ついに他の生徒が接触を試みてきた。
セシリィと同年かひとつ上の女性で、金髪の縦ロールがいかにも華やかだ。後ろには取り巻きらしき少女たちと、まるで従者かというような雰囲気の違う少女たちとをそれぞれ引き連れている。
(凄い。ザ・お嬢様がいた)
思わず返事も忘れて観察してしまった。
鏡の中のセシリィを見た時にも感じたが、あの時の驚きは「そのままだ」で、今は「実写化だ」という具合である。
「こちら、招待状ですわ。勿論受け取っていただけますわね?」
セシリィと同じく、水仕事も紫外線も知らないような白い手が、季節の花を描いたカードを差し出す。そのキラキラしさは、華美と上品のギリギリを攻めていた。
(受け取るのはいいけど……トリコに相談しないと返事はできないもんな)
晩春の今はまだ社交シーズン中で、学校にいても晩餐会や舞踏会の誘いがあれば皆出席するものだとは、トリコから聞いている。
だが社交の意味はほとんど集団見合いで、婚約破棄されたばかりの縁起の悪い女はお呼びではないらしい。
もし招待状を渡されるようであれば、半分以上が嫌味か噂の真相を知りたいだけなので、笑顔でこう言うようにと言われていた。
「お誘いありがとうございます。後ほど改めてお返事させて頂きますね」
「是非いらして下さいね。皆さん、今をときめくセシリィ様のお話を楽しみにしていますの」
ときめかせているとは知らなかった。
(三十路になっても、女子高生の駆け引きは怖いなぁ)
全然優位に立てる気がしない。と思いながらカードを受け取ーーろうとして、ひょいっと上から伸びてきた第三の腕が取り上げてしまった。
「オレのセシリィを横取りしようとするなんて、随分度胸のあるお嬢さんだな?」
「え?」
「あっ」
続いて上がった男性の声に、少女たちが次々と驚きの声をあげる。しかしこれを背中で聞いていた小夜は、目を丸くして固まっていた。
「セシリィはこれからしばらくはオレ専属だから、こういうのは行かせられないんだ」
ルキアノスがつかつかとセシリィの横に並び、ご令嬢方に人懐っこい笑みを向ける。最後に片目を瞑ってカードを返せば、呆気なく足元がぐらつきだす。
それだけで、必殺兵器の完成である(注・但し効力のある人間は限られる)。
(な、慣れたと思ったのに……!!)
小夜はというと、両手で顔を覆いながら、近くの壁にしなだれかかっていた。
(何ですかその登場の仕方は王子様か! いや王子様なんだけどそんなキラキラいつもは発してないじゃんっていうかオレの! オレのって言った! 例えその続きがセシリィであろうとも大丈夫脳内変換で勝手に小夜にできるから! つまりたまらんというかもうドーパミンが限界であーもーあーもー!」
「っ待て待て! どうしてそうなる!?」
無意識のうちに、興奮のあまり壁にヘッドバットをしようとしていた小夜の額を、ぐっと後ろに引っ張る力が働いた。
大きな手だ、と気付いて、やっと背後をちらりと振り返るだけの理性が戻ってくる。
そこには、左手を壁につき、右手で小夜の額を守るように押さえるルキアノスが立っていた。意外に焦った顔をしている。
(おっと、この顔はちょっと初めてかな)
いつもは笑うか睨むかくらいなので、ちょっと新鮮である。が、今は問題はそこではない。
「あの……私、何か変なことをして……?」
「あーもーって叫びながら壁に頭突きしようとしてたぞ」
(良かった、そこからか)
少しも良くないのだが、小夜的問題はこれで片付いた。つつつ、と壁とルキアノスの隙間から横移動で抜けつつ、頭を下げる。
「私の体を守っていただき、ありがとうございました」
つい衝動的な行動に出てしまったが、この体は元々セシリィのものだ。十六歳のおでこに、アホな理由で傷をこさえては申し訳も立たない。
という意味の謝罪だったのだが、頭を上げると、信じられないものを見たというような顔をされてしまった。
「セシリィ、お前……悪い精霊か何かに取り憑かれているのか?」
「え」
どうも、小夜は悪霊だったようだ。
笑ってごまかした。




