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完全無欠でオレの下僕

 アンドレウ男爵夫妻との歓談は、あっという間に終了の時間を迎えてしまった。

 退室する二人に名残惜しいながら別れを告げると、部屋にはルキアノスとセシリィと小夜、そしてラウラ改めフィオナと、イエルク改めシェーファが残った。

 クラーラがいた時の情味はつれなくも掻き消え、あとには声のかけづらい雰囲気だけが室内に満ちる。


(そうだよね。従者になるのだって、クラーラ様に会いたい一心だろうし)


 元々ヒュベル王国の人間である二人は、祖国を滅ぼしたシェフィリーダ王国を十九年もの間怨みに思って復讐する機会を狙っていた。聖泉の乙女デスピニスであるファニを攫おうとしたのも、王子たちを殺そうとしたのも、ひとえにそのためだ。

 何の目的も果たすことが出来ず捕縛された二人が、クラーラに会えるという理由だけでルキアノスの従者という立場に甘んじることがどれほどの苦悩と葛藤の末の結論なのか。小夜には思量することさえできない。

 この場にニコスやヨルゴスが同席していないということは、少なくともルキアノスが二人を信用しているということの表れだとも思うのだが、それを聞くのは憚れる。

 そうして視線を彷徨わせていた小夜に、不意に声がかけられた。


「小夜様。ご無沙汰しております」


「え?」


 振り返ると、先程の立ち位置からは変わらぬまま、フィオナが頭を垂れていた。隣のシェーファも同様に頭を下げている。それがどう見ても自分に向けられているようで、小夜はぱちくりと目を瞬いた。

 真意を求めて左右に視線を向けるが、ルキアノスは仏頂面を、セシリィは普段の笑みを浮かべるだけで、助けは得られそうにない。

 小夜は逡巡の末二人に歩み寄――ろうとしたが、ルキアノスがそれとなく牽制してきたので、その場で向き直った。


「こちらこそ、最後に失礼をしたまま何の音沙汰もなく、申し訳ありませんでした」


 小夜の中での二人の最後の記憶は、謝ると言ったくせにきちんと謝れずに終わったことであった。その謝罪についても、シェーファを困らせただけで終わった気がしている。

 だが返されたのは、少しの翳りはあるものの心配したほど屈託はない声であった。


「失礼など一つもありません。むしろこのような格別のご高配をいただけたのも、全て小夜様のお心配りのお陰です」


「……私、何かしましたっけ?」


 心当たりが無さすぎて、小夜は愛想笑いで首を傾げた。それを察したように、フィオナが表情を和らげて言葉を繋ぐ。


「本来なら、私たちの罪は死刑でも終身刑でも足りないものでした。ですが小夜様を始め、セシリィ様やルキアノス殿下のお心遣いにより、殿下に協力することで減刑という処置となったのです」


「素行に問題がなければ、いずれは釈放という形になる可能性もある」


 そう補足したルキアノスに、小夜は「なぁんだ」と安堵した。


「じゃあもう釈放されたも同然じゃないですか。良かったですね」


「いや、だからそれは素行正しく、反逆の意なしということを態度と実績で証明した上での話で、もし何かあれば……」


 明らかに緊張を解いて表情を緩めた小夜に、フィオナが困惑しながら言葉を重ねる。その説明もきちんと理解した上で、小夜はやはり笑顔のまま小首を傾げた。


「え、でも、ないですよね?」


「…………」


「クラーラ様に関わる仕事とかだとしたら難しいかもだけど、そうじゃなければ反逆する必要なんてないですもんね?」


 小夜の印象では、二人はクラーラの最後の言葉のために十九年の歳月を費やしてきたような気がしていた。だがその懸念もアンドレウ男爵の存在で解消された。それでも二人がルキアノスたちに抗う理由があるというのなら、そもそもルキアノスの言いなりになるなどという選択肢は端からなかったであろう。

 懐に入り込んで爪と牙を隠し、虎視眈々と復讐の機会を窺っているということでないのであれば。


(あ、それを証明するために頑張るってことか)


 確かに命を狙われた側からすれば慎重にならざるを得ないところであろうが、小夜からすれば杞憂ではないかと思えた。


(とか言えないのが政治の世界ってやつなのかね)


 主に普通の社会人としてしか生きていない小夜としては、政治戦略や派閥争いや権謀術数などは完全に物語の中の話でしかない。高度な政治的駆け引きが行われていると言われても、まるでピンと来ない。

 などと一人勝手に納得していると、フィオナがやっとその整った顔に笑みを上らせた。


「やはり、あなたにお仕えすることを選んで正解でした」


「…………え。え?」


 ふふと笑うフィオナはどこか満足そうだが、言われた小夜は驚きすぎて思考が一瞬停止した。頬を引きつらせながらすぐ斜め前に立つルキアノスを見やる。


「ルキアノス様じゃないんですか?」


「完全無欠でオレの下僕だ」


 むすっとした回答がきた。そっとフィオナに視線を戻す。と、その前にシェーファと目があった。


「これからよろしくお願いいたします、我が主」


 目尻を緩めるだけのささやかな笑顔が、改めて小夜の前で伏せられる。その隣に立つフィオナの苦笑気味の顔を見て、小夜はやっと成る程と理解した。


(イエルクさん……じゃなくてシェーファさん、ルキアノス様のこと、まだあんまり好きじゃないんだな)


 だからこそ、クラーラに面差しが少しでも似ている(らしい)小夜になら、という気持ちでルキアノスの提案を受け入れたのかもしれない。

 そしてそのことを承知しているからこそ、ルキアノスは小夜が二人(主にはシェーファであろうが)に近付こうとしたのを牽制したのであろう。まぁ、フィオナがそれに乗ったのは、単純な意趣返し程度の気もするが。


「主じゃないですけど、よろしくお願いします」


 小夜がいない間に行われた様々なやり取りが端々に感じられて、小夜は微笑ましさから苦笑をこぼした。丁寧にお辞儀をすれば、それ以上否定されることもない。

 こうして、この夜に用意された全ての顔合わせは終了した。




       ◆




 そうして、特に会話も弾むことなく、一同はルキアノスの私室へと到着した。


「それじゃあ、小夜。明日からはもう勉強もないから、ゆっくり休むのよ」


 結った髪をほどいて、化粧を落として、ドレスから部屋着か寝間着に着替えてと、一連の作業を行うのに今までの客間に通されるとばかり思っていた小夜は、その言葉に戦慄した。


「行かないで」


「嫌よ」


 あっさりと置き去りにしようとするセシリィに本気でしがみついた小夜であったが、こちらもかなり本気で拒絶された。背後から物理攻撃並みに突き刺さるルキアノスの視線のせいだとは、嫌だが分かる。

 そしてそんなやり取りをしている間にニコスとヨルゴスは姿を消し、エレニとアンナも飲み物や軽食を用意して迅速に退室してしまった。

 唯一動かなかったのはシェーファであるが、


「小夜様。よろしければご一緒いたしましょうか」


「是非!」


「出てけ」


 固い笑顔で進言された好意は、本当の主人に瞬殺された。

 不満顔のシェーファを促してフィオナが退室すると、残るはセシリィであったが、


「小夜。また明日ね」


 そそくさと後に続いてしまった。

 だが扉を閉める寸前、


「殿下。明日からは勉強はありませんが……朝はきちんと来ますので」


 ルキアノスに対し、何故かそんな宣言を残していった。


「……………………チッ」


 ルキアノスがそれを目だけで見送って、実に忌々しげな舌打ちをした。

 そうして、小夜はルキアノスの部屋に二人きりで取り残された。


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