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菓子への返礼

 子供がしゃくり上げるような嗚咽を、誰もが静かに見守っていた。

 突然現れた見も知らぬ男に妻が抱きつかれて、心中穏やかではないであろうアンドレウ男爵でさえも、拳を握り締め、歯を食いしばって堪えている。


(イオエルさんの心情はいかばかりか)


 やっと落ち着いた今でこそ余計なお世話が思考をよぎるが、再会できた三人を見た瞬間的は、小夜も胸が熱くなるほど嬉しかった。

 戦争のせいで生き別れとなった三人は、それぞれに居ない者の影に足掻き苦しんでいた。ラウラとイエルクはクラーラを見殺しにしたと思い、その復讐のためだけに十九年という長い月日を暗澹たる思いで過ごしてきた。クラーラもまた夫に拾われて生き永らえたが、敵国に甘んじるということに激しい葛藤を抱いていた。

 ラウラとイエルクがルキアノスの手によって捕らえられた当初は、再会できる見込みがほとんどないような状況だっただけに、ルキアノスの采配はただの幸運と済ませることのできない成果であった。


「改めて紹介させてください」


 クラーラたちの声が落ち着いた頃を見計らって、ルキアノスが優しく声をかける。

 クラーラは車椅子から降りて横座りの格好をしたまま、ルキアノスに頷き返す。ラウラとイエルクもまた改めて姿勢を正し、こうべを垂れた。


「近似見習いのフィオナと、侍従見習いのシェーファです」


「フィオナと申します。よろしくお見知り置きくださいませ」


「シェーファと申します。よろしく、お願いいたします」


「え?」


 名を呼ばれた二人が順に低頭したが、小夜は予想外のことに思わず声が出てしまった。三十代半ばの二人が見習いというのは立場上仕方ないということは分かるが、名前が全然違うのはどうしたことか。


(え、別人?)


 まさかの勘違いかとルキアノスを見ると、


「二人ともニコスの遠縁で、国境近くの辺境の村からやってきた」


 真顔でそう説明された。余計に混乱した小夜を見かねたように、セシリィがそっと耳打ちする。


「新しい名前と生い立ちよ」


「あ、なるほど」


 やっと理解が追い付いた。確かに本来の名前のままでは、シェフィリーダ王国で生きるには支障があるかもしれない。特にラウラは特徴的な髪と目の色をしているだけに、知る者が見れば容易に素性を特定できてしまう可能性がある。


「……良い名前です。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 クラーラもまた、納得するようにその名を噛み締めたあと、目も頬も赤く染めて深々と頭を下げた。二人の新しい名前にどんな意味があるかは小夜には分からなかったが、とにもかくにも喜ばしいの一言である。

 ただそのやり取りが、どこか嫁入りする娘のようだと思ったのは、小夜だけではないらしい。


「クラーラ。床に座っては体を冷やす。まずは椅子に戻ろう」


「イオエル」


 床に座り込んだままの妻の前に、アンドレウ男爵が穏やかな笑みを張り付けて割り込む。慣れた手付きで肩と膝裏に両手を回すアンドレウ男爵に、イエルク改めシェーファが慌てて介助の手を伸ばす。


「私もお手伝いします」


「結構。妻を介助するのは私の天命なので」


 鉄壁の笑顔で跳ね返した。それが小夜にはどうにも、俺のおんなに二度と触るんじゃねぇぞ、という脅しに見えた。先入観がないとは言わない。


「はぁ……」


「こわ……」


 ウキウキとクラーラを車椅子に座らせるアンドレウ男爵の背中を眺めながら、シェーファとラウラ改めフィオナがそれぞれに声を漏らす。シェーファなどは嫉妬の炎に燃えるのかとも思ったが、どうやら今の段階ではそういう心境でもないようだ。


「あなた」


「ん? なんだい?」


 車椅子に座り直した妻からの呼び掛けに、アンドレウ男爵が嬉しそうに返事をする。


「嫉妬深い男は嫌われますわよ」


「きら!?」


 笑顔で最大出力の口撃が放たれた。呆気なく床に轟沈する夫に、「……でも」と柔らかな声音が続く。


「ありがとうございます」


「…………! 僕の妻は女神だ……!」


 はにかんだ笑みと声に、アンドレウ男爵が感極まったように瞳を潤ませる。そのお礼が何に対してなのかは分からなかったが、クラーラは揺らぐことがないのだろうなと、小夜は思った。

 勿論、掌の上で転がされるとはこのことかとしみじみ思ったりもしたのだが、お口にチャックである。


「でも、部下ができたって、二人のことだったんだね?」


 そんな彼らのやり取りの裏で、小夜はこっそりとセシリィに確認する。ニコスとヨルゴスにそれぞれ部下が出来たことで、彼らにも余裕が生まれたとは聞いていた。つまり小夜が喚ばれる前には既に二人ともルキアノスの部下として仕事を始めていたということであろう。


「第二王子の誕生日の恩赦という形で、陛下に願い出ていたそうよ」


 これは後から聞いた話だが、このことは二人が投獄された時から考えていたことだったという。レヴァン同様、常に監視下に置ける状態で活用すること。それが最も自由の得られる立場だと、ルキアノスは考えた。そこに自由意思がどこまで介在できるかは、また別の問題ではあるが。


「まだ単独行動はさせられないそうだけれどね。ヨルゴスにきちんとした休みが出来るのは、もう少し先かしら」


 苦笑しながらそう続けるセシリィに、小夜もうんうんと相槌を打つ。


「それは良かった。ニコスさんがいつか過労死するんじゃないかって、ずっと気が気でなくて……ヨルゴスさん?」


「え?」


 目が合った。


「…………」


「…………」


 すーっと逸らされた。


(……なんじゃ今の?)


 とりあえず場合が場合なので、この場では追及することは止めておいた。


「ルキアノス殿下。身に余るお心遣い、本当に嬉しく存じます。厚く御礼を申し上げます。けれど、こんなにも良くしていただいても、どのようにお返し申し上げればいいか……」


 改めて深く頭を下げるクラーラに、ルキアノスは大様に首を横に振る。


「いえ、これは頂いた菓子への返礼です。再びの返礼は不要ですよ」


「そんな……あれもまた、わたくしの我が儘でしたのに……」


「いやいや、あれは私の我が儘だったので」


 困り果てたクラーラの声に、小夜は思わず口を挟んでいた。二人が同時に小夜を振り返る。途端、気にしていなかった冷や汗が、つと額に浮かんだ。


「お菓子を貰って帰りたいっていうのが、そこまで大事おおごとになるとは思ってなくて……すみませんでした」


「……まぁ」


 頭を下げる小夜に、クラーラがそんな声を上げた。ちらりと見ると、何故かルキアノスにも苦笑されていた。

 どうやら見当違いな意見であったらしい。だが本心なのだから致し方ない。あれは本当に、その場の思い付きでしかなかった。

 などと思っていると、クラーラが再びルキアノスに頭を下げた。


「ルキアノス様。この度は誠におめでとうございます」


「えぇ。ありがとうございます」


 そして何故か、突然祝いの言葉が交わされた。クラーラは微笑ましいものを見たように頬を緩め、ルキアノスに至っては今までで一番誇らしげに胸を張っている。

 実はそれは誕生日ではなく、誕生会という特別な日に暗黙の内に婚約者候補として小夜を公表できたことに対する祝賀であったのだが、当の本人はその重要性を一切説明されていないためにこの会話の意図するところも理解できないのだが、改めて説明する者もやはりいないのであった。


「え? なんで??」



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