……うふふ
違う、と小夜は顔を蒼褪めさせて思った。
(なんか想像してたのと全然違うぞ……)
二十年前の戦争の英雄であり、婚約者のいた王女を略奪婚したというから、さぞロマンティックでアクティブな君主かと思っていたのに、と考えて、思い出す。
二十年前の戦争でテレイオスと対面したヒュベル王国の生き残りは、この男のことを「赤い悪魔」と呼んでいた。そして宮廷では、その即位の経緯から「血塗れ王」と密かに呼ばれているとも言う。
(つまり、ガラが悪いのはお家柄……?)
時々ルキアノスの口調が王子様というには少々庶民臭いと思う時があったが、原因は主にお父様にあったらしい。
それはともかくとして、聞き捨てならない単語があった。
「弱味、というのは……」
「あぁ、特に深い意味はない。気にするな」
この流れで気にしない奴がいたらお目にかかりたい。
(いや、この国王さまは気にしないかもだけど)
相変わらず会話も質問も誘導されているという感覚から抜け出すためにも、小夜はずっと抱いていた一つの懸念を口にすることにした。
「あ、あの、私は自分が一時的な女避けに過ぎないと承知しています」
「…………」
沈黙が怖い。差し向けた会話から逸脱しようとする小夜を、値踏みするような気配をじりじりと感じる。だが、言わねばならない。
「私は年も年だし、身分もないし、何より世界が違います。だから、ご心配はもっともですが、もう少しご子息を信頼してあげてください」
「信頼? あんなガキに?」
嘲笑を含んで、テレイオスがやっと反応を見せる。それが実に傲岸でテレイオスらしくて、けれど一般的な保護者のようにも思えて、小夜もまた苦笑をもらした。
「子供はみんなガキです。でもいつか必ずガキではなくなります。それは今かもしれません……よ」
「……ふぅむ」
テレイオスが意味深に頷く。調子に乗って正論を振りかざしてしまったと気付いたのは、いつもながら最後の最後であった。今更ながら、勘気をこうむったのではないかとびくびくする。
しかし返されたのは、予想外の言葉であった。
「だがそれは、貴女にも言えることではないのか?」
「わ、私ですか?」
思わぬ言葉に、小夜は頓狂な声を上げていた。と同時に体もぴたりと止まる。気付けば、一曲が終わっていた。
それでも、小夜の右手を掴む手は離れない。エヴィエニスともルキアノスとも、似ているようでまるで違う面差しと数秒見つめ合う。短いはずのその時間が、小夜には異常に長く感じられた。
無防備な腰を、背後から強引に引き寄せられるまでは。
「もう曲は終わりましたが?」
「ぅわっ?」
突然の力に対応しきれず、無抵抗で腕の中に収まる。見ればルキアノスが、小夜の腰を抱く両手に力を込めて父親を睨み付けていた。
「番犬のお戻りか」
まるで横取りされたオモチャを取り返して腹に抱える猛犬のような息子の様子に、テレイオスが鼻で嗤う。
「何をしたのですか」
「他愛ないお話し合いだ。気にするな」
「気に触ります」
「おぉ、余も気が乗っただけだ」
まるで戦場で仇敵に再会したかのような形相のルキアノスに対し、しかしテレイオスはあくまでも茶化すような態度を崩さない。
頭上でピリピリする父子に、さすがの小夜も口を挟めなかった。楽団は次の曲を奏でるに奏でられず、踊り終わった周囲の人々もざわつきを徐々に大きくしながら二人に注目している。
とりあえず落ち着いて、と言おうかどうか迷っている上で、ルキアノスがぎりりと歯軋りをした。
「最初から狙っていたくせに……!」
「紙切れなど、いくら持って来てもクソの役にも立たんからな」
ふふんと小馬鹿にするその言葉に、毎日直談判に来たという言葉を思い出す。どうやら、神殿に対しては自尊心を煽る暴論で丸め込めたが、父親にはどうやってもダメだったということらしい。
何故ならテレイオスは最初から、小夜という人間をこそその目で確かめようと考えていたから。
(言えばいいのに……意地悪だなぁ)
という感想を、どうやらルキアノスも感じたらしい。苛立ちを隠さない声でこう切り返した。
「言っていただければきちんと面会の場面を設けました」
「お前が都合よく仕込んだ操り人形と、誰が会話をしたいなどと思うものか」
「小夜はそんなんじゃない!」
「ル、ルキアノス様」
ついに堪忍袋の緒が切れたルキアノスを、小夜は慌てて宥めにかかった。明らかな挑発に対し、その返答はあまりに盲目的すぎて、テレイオスの思う壺としか思えない。最早密着しすぎた体勢になど構っている場合ではなかった。
「それはただの主張です。証明になってないですから」
「小夜!」
お前はどちらの味方かと、言外に責められた時であった。
「陛下ぁ? いつまで可愛い息子をいびっているのですかぁ?」
軽やかな靴音とともに、何とも間延びした柔らかい声が割り込んだ。この修羅場にそんな呑気な声で、と視線を向けて、小夜は固まった。
(ここここれは王妃様では!?)
まじまじと見たのは開会の時だけだが、間違いない。
ともすれば三十歳にも見えるその女性は、光沢のある白いドレスとヴェールのような薄い飾り布を翻して、なんの気負いもなく父子の間で足を止めた。
「息子なんぞ、いじめてこそだろ」
「まぁ。そんないけずなこと、言ってはいけませんわぁ」
「これは教育だと、いつも言ってるだろう」
「陛下の教育論にはぁ、興味がありません。うふふ」
胸を張って妻に向き直る夫に、王妃リアナがほほほと頬に手を添える。過激な発言しかしない夫に対し、妻の受け答えはあまりにのんびりとしていた。
(なのに殺伐感がすごい)
このテレイオスにうふふと笑えるだけでも大物に思えたが、リアナは夫の言い分には用がないとでも言うように、話を進める。
「今日の主役が誰かはご存知ぃ? 老害はそろそろお暇致しましょぉ?」
が、テレイオスは真顔でこう返した。
「リアナは老害などではないぞ?」
「…………」
「…………」
論点はそこではない。とは誰もが思った。
うふふ、とリアナが笑みを深める。
「テリーィ?」
「……分かった。余興はここまでとする」
「えぇ。まだお仕事もありますものねぇ」
「今日はもう仕事はしない」
「…………」
「…………」
「……うふふ」
リアナがいかにも愉快げに微笑む。
小夜の脳裏に、春爛漫な花畑をことごとく薙ぎ倒してごおうっと吹き抜けていく春嵐の映像が、何故かよぎった。