神の意思も、天の采配も
曲の途中ですけど、という指摘は勿論出来なかった。
足は綿雲の上を歩くように、体は鉛を引きずるようにして、ダンスの輪に向かう。その間中、踊っている者も踊っていない者も惹きつけられるように国王テレイオスを見つめていた。
針の筵とはまさにこのことである。ルキアノスを探すために目玉を動かす余裕すらなかった。
(この人、凄い……)
存在するだけで圧を放つという人間がいることは、聞いたことはあった。だがこうして目の前にすれば、最早納得する他なかった。
誰もの目を惹きつける。それが好悪のどちらかは別にして、それは純然たる力だ。
そしてそんな人物に対峙するには、小夜は小物過ぎた。
「貴女は」
「!」
吐息のような呼びかけに気を取られた隙をついて、ぐいっと体を引き寄せられる。その次はすぐにダンスの一歩目。曲の途中だというのに、その動きは驚く程円滑で紳士的であった。
状況を整理する時間もないまま、体がどんどん音の波にさらわれていく。
「随分馬鹿息子に気に入られているようだな」
「え、え? あの」
そしてまともに自分のステップも踏めないまま、怒濤の会話まで始まってしまった。
「この日のために、あいつは随分走り回っていたな。毎日のように直談判に来るものだから実に鬱陶しかった」
「そ、そうだったんですか?」
「おっと。何も聞かされていないのか? 貴女がこちらに来る時にはそれはもう面倒な手続きをさせられたものだ」
「それは……申し訳ありませ」
「まぁ、久しぶりに面白くもあったが。神殿が関わるからには、やはりやり込めなくてはな」
「ん……んん? それはどういう」
「貴女が現れる瞬間の全てを見定めよ、と言われたぞ」
「?」
意味が分からず、無意識のうちに足が止まりかける。しかしそこを下からさらうようにしたテレイオスの動きが、強制的に小夜の足を踊らせ続ける。
「お前たちが危惧する世界の外側の人間を喚ぶから、その時の状況を細大漏らさずつぶさに観測しろと言ったんだ。それこそあいつらが信じる神も天も聖女も神の子も、何もかもな」
「観測して……何かあるんですか?」
つらつらと語るテレイオスに、小夜はこわごわと問いかける。
説得が上手い人間は、気を引くために語りかける口振りも間も絶妙で、相手の質問さえも意のままに操っているような錯覚さえある。そしてそれに反抗して聞かなければ、後悔するぞと匂わせる。
そう考えることこそがテレイオスの覇気に呑まれている証拠でもあったが、結局選択肢は一つしかないのだから致し方ない。
しかしテレイオスは、楽しくて仕方がないという意地の悪い顔で意地の悪い返しをした。
「さぁな」
小夜は思わず、なんじゃそりゃ、と言いそうになった。
「何せ俺は神ではないからな、ですか?」
子供の屁理屈かと、ぽろりといつもの一言余計が漏れた。そして、
「……ほう」
「あっ」
エヴィエニスよりも色素の薄い碧眼が眇められた後で失言に気付いても、後の祭りである。
突然低俗になったやりとりのせいで、緊張が薄れたせいだ。と言い訳しても意味はない。
「あああのっ、すいませ」
「息子の言い分はこうだ」
と、テレイオスは特に口調も表情も変えることなく続けた。
「世界が拒むなら、神々が赦さないのなら、何らかの反応があるだろうと。貴女が世界に脅威をもたらす存在なら、神々の恩寵を受けた精霊の子である聖職者は気付くであろうと。だが何もなかった。少なくとも奴らには気付くことが出来なかった」
勇者じゃないんでね、とは、今度は心の内にしまった。
そもそもの最初は、セシリィがこの世界が嫌になって逃げようと考えた結果の副産物に過ぎない。つまり害虫だ。この世界が電子上に存在するのなら排除されるかもしれないが、どうやらそんなことはないらしい。また反対に、この世界では天上にいるらしい神々が小夜にチートな能力を授けたりもしないし、勘付いた魔王が軍団を差し向けることもない。
「何もないのなら、それが一番なのでは……?」
意味深に開いた間に、小夜は半強制的に疑問を口にする。
得たり、というように、テレイオスの口角が持ち上がった。
「それを誰が証明する?」
「え? あ……」
反問されて、小夜はやっと言いたいことを理解した。
「事実などどうでもいい。神の意思も、天の采配も。問題は、それが存在すると信じる連中が、今回は見付けられなかったということだ」
本当に世界が小夜を拒むかどうかは、問題ではない。もしそんな意思があるとしても、ルキアノスが説き伏せようとした聖職者はただの人間である。彼らがいかに神や世界の意思と声高に叫んでも、彼ら自身が観測できないのであれば、答えは二つしか用意できない。
小夜が無害であるか、もしくは彼らが無能であるか。
「そして奴らは、自分たちが無能であることも、敬愛する神に愛されていないかもしれないということも、受け入れられはしない」
「そんな極論を……」
「頭の固い連中を論破するだけなら十分だ。これに奴らが応じれば、事は成る。そして成った。だから貴方は今、ここに無傷で立てている」
「…………ッ」
そう言って小夜を射抜いた碧眼に、小夜は純粋な悪寒が走った。無傷で済まされない事態が起こった場合、もしくは何かが観察された場合、この男はどの立場を取るのだろうか、と。
そして今回は何事もなかったと済ませられたが、次もまたそうとは限らないのではないか。
(怖い……)
純粋な恐怖を、小夜は恐らく初めて感じた。前回、気絶したセシリィを見付けた時にも恐怖は感じたが、これは種類が違う。自分の命の危機に直結している。
だがそう感じる一方で、引っ掛かるものもあった。
「陛下も、信じてはおられないのですか?」
言い慣れない「陛下」という単語にまごつきながら、微かに感じた違和感が声に出る。
「何をだ」
「神の意思か、あるいは天の采配を」
事実などどうでもいい。そう言った時のテレイオスは変わらず超然としていたが、微かに嫌悪感を抱いているようにも、小夜には見えたのだ。
婚約者がいた王女、友と呼べた王太子の謀殺、守れなかった義弟、憎いはずもなかったヒュベル王への誅殺。そして転がり込んできた玉座。
若き血塗れ王テレイオスの身に起きたことは、激動というにはあまりに悲惨で、だからこそ小夜などは運命という言葉を当てはめたくなる。
テレイオスの瞳が翳るのは、しかし刹那にも満たない時間であった。
「そんなものがあれば、あんな気怠い椅子になど座っては……」
言い終わる前に、テレイオスが小夜をくるりと一回転させた。ダンスの練習では一度もなかった動きに、心臓がばくばくと走る。ちらっと見えた周囲の誰一人として回ってなどいなかった。
(猿回し……!)
意味はまるで違うが、曲芸をさせられた気分という点では間違っていない。
そして小夜の焦点が合わないうちに、テレイオスは引き続き真っ当なステップを再開した。
「しかしなぁ」
正しいステップを踏んでいるはずなのに振り回されるような感覚が抜けない中、テレイオスが小夜を見下ろしてにやりと嗤う。
「あんなにも熱心に行動するということは、それが自分の弱味だと吹聴しているようなものなのにな」
それは、ルキアノスの悪戯めいた笑みが可愛らしく見える程、邪悪で活き活きとしていた。