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麻痺寸前

 夜が更ける。


 小夜の心臓は、麻痺寸前であった。

 ここに親切な内科医がいたなら、家に帰って安静にしていなさいと言ってくれたことであろう。

 それくらい、小夜には場違いに過ぎた。クィントゥス侯爵邸の晩餐会に平服で呼ばれた時の比ではない。

 一歩踏み出すだけで心臓が暴れだし、口から飛び出そうであった。下着は既に夏の暑さのせいだけでなく汗でぐっしょりだし、全身がよく分からない震えに包まれている。

 そしてそれは、煌びやかな男の登場でピークに達した。


「待たせた」


「!」


 ヨルゴスとニコスを引き連れて迎えに現れたルキアノスは、本日の主役らしく、金糸銀糸の縁取りや刺繍がふんだんに施された一級品の夜会服に身を包み、首元は大振りの宝石をあしらったクラヴァットで留めている。

 その高貴な佇まいは、最早乙女ゲームの美麗スチルからそのまま抜け出してきたかのように完璧であった。


(見たことある……これ、ルキア様の誕生日イベントのスチルだ!)


 誕生日イベントというだけあってまだ一度しか発生していないが、その時の二次元のルキアノスもまたこのような綺羅綺羅しい服装に身を包み、不敵な笑みを浮かべてこちらに手を伸ばしていた。

 その時のスチルも勿論ボイス付きでマイボックスに保存されている。


『今宵のオレを独占できるのは、お前だけだからな?』


(あのぶっきらぼうながら甘く囁く少し掠れた声よ! 色気よ!)


 その台詞をゲットした時は天にも昇らんばかりであったが、今それを現実に目の当たりにしてみれば、あまりにも破壊力がありすぎた。

 しかも眼前の人物は、ゲームよりも二歳も年を重ねている。物語の中の王子様然とした姿以上に、その精悍な立ち姿に見合うだけの、胸を痺れさせる静かな声にこそ、小夜は大きく動揺した。

 とはいえ、艶やかに撫でつけられた金髪と覚悟を決めたように静かな鉄灰色の瞳もまた、普段の印象よりもずっと大人びて見せていることは間違いなく、とにもかくにも目が潰れそうであった。


(ち、直視不可……!)


 久しぶりに無言で悶える。だが無意識に折った膝は床に着く前に受け止められた。


「バカ。ドレスが汚れるだろ」


「ごっ……」


 ルキアノスの腕に抱き留められたと気付き、ハッと顔を上げる。と、鼻先が触れ合うほどの近さに鉄灰色の瞳があった。近すぎて、美しすぎて、現実味がなくて、小夜は数秒以上その姿勢で硬直した。


「……、ご、ごめんなさいっ」


 瞬間的な金縛りが解けたように、慌てて自分の両腕を取り返す。両手を万歳した格好の小夜は、ルキアノスを見ることが出来なくて視線をうねうねとさ迷わせた結果、改めて自分の恰好を見下ろした。

 十代の子が着るような可愛らしいデザインや色使いはやめてくれと散々頼み込んで既存の品から選ばれたのは、落ち着いた若葉色に濃淡の萌黄色が組み合わされた、爽やかなドレスであった。

 恐れていたフリルは袖口と裾に最小限に抑えられ、パニエのような膨らみもない。大きく開いたデコルテ部分的も、細かなレースで健康的に隠されている。

 化粧はいつもの通りエレニが丁寧に仕上げてくれたお陰で、すぐに顔に出る小夜の心情を半分ほどまで押さえてくれている。

 髪型はアンナの力作で、幾つも結っては編みこまれ、鏡で見ただけではとてもではないが再現不可能なほど手が込んでいた。極めつけに髪飾りの上に更に白と黄色の生花を飾られ、重いのなんの。


「エ、エレニとアンナの二時間かけた苦労を台無しにするところでした」


 小夜の支度が完了した時の二人の満足そうな顔を見た時、舞踏会が終わるまで絶対に崩さないと心に誓ったばかりである。早速誓いを破るところだったと胸を撫で下ろしていると、ルキアノスが短くない間を空けてから、一言呟いた。


「……綺麗だ」


「ッ!」


 んなっ、と発したはずの声さえも、驚きすぎて音にならなかった。瞬間湯沸し器並みに顔が真っ赤になり、体は硬直し、呼吸まで苦しい気がする。

 もしやルキアノスは波状攻撃を会得したのかもしれないと思いながら、小夜は自分自身に冷静になれと繰り返した。

 これは単なる社交辞令だ。紳士がパートナーを誉めるなど、今日の天気から始まる挨拶と何の変わりもない。ルキアノスの瞳が熱っぽく見えるのはきっと気のせいか照明のせいだ。


「……な、何ですか、突然お世辞なんて」


 上擦る声を必死に修正しながら、ハハハと混ぜ返す。


「あ、もしかして私の気分を持ち上げて成功率を上げようって寸法ですか? 大丈夫ですよ、そんな嘘なんかつかなくても。毛穴レスの住人に太刀打ちできるなんて思ってませんから」


「…………」


「だから、その……」


「…………」


「その……あ、ありがとうございます」


 呆気なく沈黙に負けた小夜は、消え入りそうな声で感謝の意を述べた。

 日常的な世辞くらいなら笑ってかわせるが、こうも直截ちょくさいな物言いを、しかも好きな相手からされるなど、ほとんど皆無といっていい。照れ隠しに誤魔化してしまうのは、最早身に染み付いた卑屈とでも言おうか。などという言い訳も、ちらりとルキアノスの顔を盗み見た瞬間吹き飛んだ。


(……なんで、そんなに嬉しそうなんですか)


 最近はいつも一文字に結ばれていた口角がわずかに持ち上がり、頬もほんのり赤い。何よりその目元が、何とも穏やかに緩んでいる。それだけで、ルキアノスの印象は随分可愛く、丸く変わる。


(そんな顔されたら……)


 まるで無垢な少年みたいで、一つも傷付けられないではないか。


(今日は絶対……なるべく! 拒否しない)


 素直になれ、淑女になれと自分に言い聞かせる。恥ずかしさだけで、ルキアノスの誠意を台無しにしないように。


「お手をどうぞ、マイレディ」


 早速、ルキアノスが麗しの笑みと共に右腕を差し出す。一瞬、そこら辺の貴族と同じようにしなくていいと言いかけて、ぐっと飲み込む。


「っ、よ、よろしくお願いします……!」


 気恥ずかしさで体温が一向に下がる気配のないまま、小夜はルキアノスの腕に自分のそれを絡ませる。隣に寄り添えば、ルキアノスの笑みがまた満足そうに深まった。


(かっ、かわいい……!)


 目玉が飛び出たかと思った。

 しかし今日の目標は、奇行しない、奇声を発しない、足を踏まないに加え、ルキアノスから逃げないである。

 小夜はチワワがごとくぷるぷる震えながらも、どうにかルキアノスの腕にしがみつき続けた。

 そうして時間になり現れた案内係に先導されて、二人は舞踏会の会場である大広間へと足を踏み入れた。


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