恋をすると綺麗になる
「それで、どうしてルキアノス殿下に会いに行かないの?」
勉強を再開して、また少しの休憩を、と気を抜いたら、話がブーメラン式に戻ってきた。
「……え」
すっかり誤魔化せたと思っていた小夜は、お茶を飲もうとだしかけた手をぴたりと停止した。そして考えてなかった言い訳を絞り出す。
「別に、会いに行かないわけじゃ……物覚え悪いから、時間無駄にできないし」
「できないし?」
「それに、……ただでさえ忙しい人に、自分の不出来のせいで更に仕事を増やすなんて、申し訳なさすぎるでしょ?」
言いながら、真っ先に浮かんだのは新人営業の尻拭いをする自分と上司であった。次には脳内エフティーアが青筋を立てて「私が暇に見えるとでも?」と宣う映像が浮かぶ。
「いえいえ滅相もない!」
慌てて自分が作り出した虚像に謝っていた。
セシリィが首を傾げる。
「小夜?」
「あ、ごめん。じゃなくて、つまり、そういうことで」
「小夜」
へらりと笑って話を終えようとしたら、今度はしっかり睨まれた。ただでさえ整った造作の上、少しきつめの瞳に見つめられると、成る程眼力があると言わざるを得ない。
小夜は怖いとは思わないが、セシリィの内面を知らない者からしたらまさに悪役令嬢というところなのかもしれない。
「建前を持つことは否定しないけれど、そのためには本音が必要かどうか見極める目も持つべきよ」
「セシリィって本当に十六歳……?」
年に見合わぬあまりの正論に、小夜は打ちのめされながら声を絞り出す。が、これも自爆であった。
「何言ってるの。わたくしはもう十七よ?」
「そうだったぁ……!」
ぐぅ、と唸る。セシリィと出会ったのは十六歳だが、それから一年以上が経過している(らしい)。男子三日会わざれば刮目して見よとは言うが、それは少女であっても同じであろう。この年頃の少女は、たった一年でも劇的に変わる。
特に、目と、肌艶。
「なんか、セシリィってまた一段と綺麗になったよね。何で?」
「貴婦人ぶりに磨きがかかったということ?」
「いや、そんなんじゃなくて」
「真顔で失礼ね」
憤慨された。
「そこは違っていても『それは勿論あるけれど』と言うのよ」
「おぉ、上手いかわし」
「それで?」
「え?」
パチパチと音のない拍手を送っていた小夜は、問い返されて一瞬きょとんとした。それから話の筋を思いだし、「あぁ」と頷く。
セシリィは、会う度に綺麗になっているとは思う。それが加齢によるものか増え続ける経験値により洗練された結果なのかは分からない。
だが切れ長の瞳が思慮深く揺れる様や艶っぽい唇などは、そのどちらとも関係ないはずではとも思う。特に今回喚び出されてからは、異常に必死なせいか否か、セシリィの魅力が一段と引き出されている気がしてならない。
それが最もしっくりくる言葉となると。
「なんか、人間味が出たなぁって」
「いい加減怒るわよ」
「え、なんで? 誉めたのに」
「本気でそう思えるところが、長所というか短所というか……」
こめかみに指を当てて唸られた。言葉を厳選したつもりだったのだが、どうやら不評であったようだ。
「ますます可愛くなったって言いたかったんだけど」
「少しも伝わらないわ」
「残念」
肩を落としながらも、さりげなくセシリィにはぐらかされたかなと小夜は思った。
セシリィは基本的に圧がかかるくらい真っ直ぐに相手を見る。けれど、先程の問いにも今も、目を合わせなかった。つまり心当たりはあるけれど、まだ言いたくないのだろう。
(女の子は恋をすると綺麗になるってね)
本音は聞きたくてうずうずしているが、まだもう少し様子を見た方が良さそうだ。出来れば打ち明けてくれる前に気付いて陰からこっそり観察したい。
などと野暮なことを考えていると、今度こそ優しく目を合わせてこう言われた。
「はっきり言わないと、伝わらないと思うけれど?」
それがきちんと小夜を思っていると分かったから、小夜は苦笑と共に観念した。
「伝わったら困るから、言わないの」
「誰が困るのよ?」
「どっちも」
問答は結局曖昧な言葉に終始したが、それでもセシリィには大方伝わったようだ。柔らかな嘆息と共に、こちらも苦笑した。
「確かに、困ったものね」
そんな風にして、その後も適度に雑談を挟んで勉強は進んだ。息抜きがあった方が吸収効率が良いと、セシリィも気付いてくれたらしい。
午後はダンスの時間だが、基本が出来てきたこととエフティーアの仕事量が限界に近いということで、時間を短くし、代わりに机の前から離れて学ぶことを増やされた。礼儀作法やテーブルマナー、お茶やお酒の知識、ギャラリーに出向いての美術品鑑賞など、課題はまだまだ無駄にあるらしい。
「折角だから一通り覚えてしまえば後が楽よ?」
「後なんてないよ! だから山を張ってくださいお願いします!」
「山?」
及第点は難しくとも、山を張ってしまえば丸暗記ぐらいはどうにか出来る。小夜は外聞もなく泣きついた。
そもそも会話をする気は皆無だし、必要があれば出来る限りルキアノスが対処するとのことだが、それでもかいくぐって小夜に口を開かせようとする輩は現れる。そのための勉強だ。重点的に身に付けるのはマナーで、他は保険といえる。
だがこの中で、唯一楽しかったものがある。
(お馬さんサイコー)
乗馬である。貴婦人の嗜みとしては必須ではないらしいが、何故か授業に組み込まれていた。
馬の扱いや注意点と、馬具のこと。そして常歩と速歩を教えてもらった。馬の背から見る高い景色と風は、勉強に疲れた小夜には最高の癒しであった。内腿とお尻の筋肉痛もどんと来いである。
などと油断していたら、最後の一週間に最悪のメニューが用意されていた。
「これから一週間は本番を想定して、ルキアノス殿下にお相手をお願いします」
「……嫌ですぅ」
泣き言が止まらない二十八歳であった。