ちっちゃい男
そうこうしながら、小夜の淑女修行は二週間が経過した。
セシリィからは追加の手作りノートを貰い、エフティーアからはこれ以上足を踏むようならルキアノスと交替すると脅されてから、特に習得が捗った。
「どうしてそこまでルキアノス殿下を嫌がるの?」
小夜の代役を死にそうな顔で拒絶した奴がよくも言うとは思ったが、小夜はこの二週間で積もりに積もった不安を素直に吐露した。
「嫌がるっていうか……そもそもルキアノス様ってすごい多忙みたいで、たまにしか顔見ないでしょ?」
その通り、この二週間でルキアノスと面と向かって喋ったのは、挨拶以外では数回しかない。そのくらいルキアノスは小夜のいる客間に顔を出すことも少なかった。
ダンスの時間でも、エフティーアと四苦八苦しているのを二、三度見に来た程度だ。
(会いたくないわけじゃないけど……っていうか声だけならずっと聞いてたいけど)
しかし声を聞いても顔を見ても平常心が綿毛のように飛んでいくのだから致し方がない。
前回の別れ際の発言については全く思考がまとまっていないし、泥酔して吐いた(わけではないらしいが、何かはやらかしたらしい)件についてもまるで弁明出来る気がしない。
できれば猶予は多い方がありがたい小夜である。
「それは仕方のないことね。専学校を卒業したら公務に本格的に参加するのは、王族の義務だから。エヴィエニス様もそうだったわ」
「でもあの人、前回来たとき学校にいなかったっけ?」
「学校ではなくて、イリニスティス様の離宮でしょ? ファニのためにいつも時間を無理矢理捻出してるのよ」
その犠牲になるのが主にエフティーアで、前回全く顔を合わせなかったのも公務を押し付けて王城に残してきたかららしい。
(苦労性が身に付いていらっしゃる……)
ファニのためにエヴィエニスの厄介を押し付けられ、小夜のためにルキアノスの私情を押し付けられるエフティーア。とりあえず次に会ったら謝ろうと心に決める小夜であった。
「それで、ルキアノス殿下が多忙だと何が嫌なの?」
「セシリィこそ、なんでルキアノス様のパートナーがそんなに嫌なの?」
まだ明確な答えを用意できていなかった小夜は、ずるいと承知で質問をし返した。途端、セシリィの白貌が苦虫を噛み潰したようにしかめられた。
「そこまで?」
どうにも、元々の嫌悪感とはまた違う意味合いがあるようだ。ちょっと困った眼差しで見つめていると、ふぅ、と溜め息をこぼして答えてくれた。
「最初にも言ったけど、わたくしが一度でもルキアノス殿下のパートナーを務めたと社交界に知れ渡ったら、謂れのない様々な中傷を浴びることは間違いないわ。そのせいでルキアノス殿下に婚約者として娘を差し出そうと考える家は減るし、わたくしの方はもっと酷いでしょう」
「そっか、それはちょっと考えてなかった」
シェフィリーダ王国の婚約がどういったものかは小夜にはよく分からないが、婚約者をとっかえひっかえするのが好ましいということはないであろう。
ルキアノスにとっても、姉妹や従姉妹がいればパートナーくらいは頼めたであろうが、いないのだから致し方ない。しかもどういう理由でか、ルキアノスが婚約者も拒むのであれば、無難なところからパートナーを選ぶしかない。
「他に、セシリィみたいな女の子っていないの?」
「どういうこと?」
「幼馴染みとか、学校の同級生とか」
「いないわね。貴族の子女はみんなエヴィエニス様にすり寄っていたから」
「おいたわしや……」
こんなところにもルキアノスの劣等感を刺激する要素があったらしい。セシリィが正式な婚約者になった時期がいつかは知らないが、男子は未来の国王の腹心になるため、女子は未来の王妃やその取り巻きになるために頑張っていたということであろう。
「それに学校で最もそばにいたのは、クレオンお兄様だったし」
「おいたわしや!」
確実に女生徒とは仲良くできない構図がありありと目に浮かんでしまった。思わず顔を覆う。
とりあえず簡単には解決できそうにない問題だと分かったので、小夜は質問の焦点を変えることにした。
「セシリィはまた誰かと婚約するの?」
「し!」
意想外に大きな反応が返ってきた。若干体をのけぞらしたセシリィを、ぱちくりと見やる。
「し?」
「し、しないわ。というよりも、わたくしと結婚してもいいと考える好き者など、まず現れないでしょうね」
一瞬赤く染まったと思った頬はけれど、すぐに元に戻っていた。
(エヴィエニス様への未練って感じでもないのかな?)
エヴィエニスに誤解されたくないからあんなに必死で拒んでいたのかとも思ったが、今の反応ではそうでもなさそうだ。前回本人の目の前で宣言した通り、恋心はきちんと冷めたままらしい。
(他に気になる人でも出来たのかな?)
前回はそれがルキアノスかとも思ったが、誤解であったと分かっている。他の可能性としては、また父であるクィントゥス侯爵から新たな婚約者を宛がわれたかだが、そうなった場合セシリィは頬を赤ではなく青に染めたであろう。
「そんなことないと思うけど?」
「外聞が悪すぎるのよ。下手をしたら、未来の国王が切り捨てた女を家に入れるなんて、逆心があると思われかねないわ」
「すごい曲解。それはさすがに飛躍しすぎじゃない?」
「そうとも限らないわ。エヴィエニス様のことは変わらず尊敬はしているけれど、ファニのことがどうなるか分からないから、今後のわたくしへの当たりも読めないのよ」
「ちっちゃい男……」
不敬と承知で、他に言葉がなかった。もしファニとの婚約が上手くいかずセシリィに八つ当たりしようものなら、どんなに良い声でも軽蔑すると小夜は思った。
だが現実的な選択肢として、ファニとの仲が決裂した場合に備え、セシリィを再び婚約者に戻すという考えは皆無でもなさそうなのが怖いところである。
(侯爵家は立場が回復できるし、エヴィエニス様は惑わされていた心を取り戻すってか)
上手く心情操作をすれば美談にまとめることが出来る。当人同士の思惑は蚊帳の外にして。
そう考えると余計に、セシリィへの新たな婚約話は持ち込まれにくくなるであろう。ファニとの件がもつれでもしたら、セシリィまで巻き添えを食って嫁き遅れる可能性まである。
「ちなみに、ファニとの結婚には誰が反対してるの?」
特に小夜が何かできるわけでもないが、興味本位で聞く。
「全員よ」
最悪な回答が返ってきた。
「お父上である陛下も、聖泉の乙女を手に入れたいと望む神殿側も、反国王派の貴族も、みんなね」
「すんごい茨の道……」
エヴィエニスの性格が会う度に陰鬱になっていく理由の一端を知った気がする小夜であった。




