脅されてんのかな
「今度の誕生会に決まった女性を連れていかないと、父上から婚約者を宛がわれてしまうんだ。会の出席者の中から、強制的に」
天岩戸を開くため、やっとルキアノスがまともな説明を試みた。
年甲斐もなくいじけていた小夜は、その言葉を自分なりに咀嚼してから、のそのそと布団から顔を出した。
「つまり、女避けということですね?」
小夜がまず思い浮かべたのは、童話の灰かぶりであった。彼女が出席する舞踏会は三日間開催されるが、名目は王子のお妃選びである。
ルキアノスの誕生会の裏向きの目的がそうであるならば、確かに未婚の淑女たちが詰めかけるだろう。その中からたった一人の生涯の相手を選ぶというのは、見合いよりも自由度があるといっても悩ましいものではあろう。
エヴィエニスが王太子で次期国王である限り、ルキアノスの方が結婚への自由度があるとは言っても、そこは貴族社会。婚姻政策からは逃れられないとも言える。
しかし逃れられなくとも、先伸ばしにすることは出来る。その為の小夜ということなのだろう。納得である。が。
「…………」
ルキアノスの顔は何だか怖かった。しかもニコスは苦笑しているし、セシリィは何故か呆れたような顔をしている。
(あれ、違ったの?)
分かっていただけて何より、という空気を期待していた小夜は首を捻る。と、セシリィが小馬鹿にするように嘆息した。
「ルークが悪いのよ。苛めるから」
「……くそ……!」
「?」
ルキアノスが拳を握って悪態をついた。さっぱりである。
「とにかく、そう言うことだから、小夜には一ヶ月後に迫る誕生会のために舞踏会の常識や作法を覚えてもらう」
仕切り直したらしいルキアノスが、しかつめらしくそう告げる。だが小夜としては少しも納得いかなかった。
何故なら、小夜はこの世界の住人ではない。世界のイレギュラーは何が起こるか分からないから、なるべくこの世界に滞在・干渉してほしくないというのが、今までのスタンスだったはずである。
それを、ただの女避けのためだけに覆して良いものなのだろうか。
「ちょっと待ってください。そんなことのためだけに喚んだんですか?」
「『そんなこと』……」
「その役なら、セシリィでも十分こなせるっていうか、セシリィの方が効果的っていうか」
「ダメよ小夜! それは絶対に嫌!」
何故かあらぬところから猛反発を食らった。駆け寄ってきたセシリィが、目覚めの時に見た必死の形相で小夜の手を掴む。
「わたくしが一度でも小夜のふりをして出席しようものなら、あいつの宿願が達成するまで何度でもおどさ」
「…………」
「もとい! わたくしだとバレた場合、今度は第二王子の婚約者気取りかとかまだ王妃の座に未練があるのかとかあることないこと噂されて、今度こそ社交界に戻れなくなるわ!」
「今なんか言いなおさなかった?」
「社交界に戻れなくなるわ!」
真顔で念押しされた。掴まれた両手が痛い。
(何だろう、脅されてんのかな?)
ルキアノスのことをルークと愛称で呼ぶくらいには幼馴染みらしいのに、二人の仲は程々にはよろしくない。セシリィと小夜の外見は、顔面偏差値を覗けばそこそこに近いはずなのだが、ここまで嫌がるということはそういうことなのだろう。
その証拠に、セシリィを見下ろすルキアノスの目が極悪であった。
(ルキアノス様にもわりと尊大な態度だったのに……どんな弱味握られたんだろ)
気にはなるが、今ここで言っても場の空気が悪くなるだけだということは、さすがの小夜でも分かる。
心中は凄まじく複雑ではあったが、小夜は致し方なく頷いた。
「分かったよ。なんか……大変だってことは」
「小夜……」
そこでやっとセシリィの形相が平時に戻り、握りしめた手の強ばりも解ける。
「この借りは絶対に返すから!」
「…………」
生け贄に出される村娘の気分であった。
◆
早速始めるか、というルキアノスのスパルタぶりに、小夜はまず心苦しくも遅延を要求した。
「あと半日……いえ、二時間ほど、頭痛と気持ち悪さが抜けるまでお待ちを……!」
突然の召喚と情報過多で色々と混乱していたが、小夜は飲み会帰りの二日酔い中である。ボーッとする時間が欲しかった。切実に。
「小夜……元の世界で何があったの?」
セシリィが本気で心配してくれていたが、こればっかりはザ・実のない返し「ちょっとね……」で押し通した。
背後から生暖かい眼差しで見守ってくれていたニコスやエレニ辺りは、二十代半ばということもあり無言で察してくれていたから、きっと良いようにしてくれたのであろう。
果たして二時間の仮眠と軽食を経て、三度目の異世界生活開始と相成った。
まず始めに行ったのは、着替えと化粧である。これには小夜は大いに感謝した。
(もう同じ轍は踏みたくない……!)
寝起きの顔がむくんでいたのはもうどうにも出来ないが、前回のようにノーメイクを長時間さらす愚だけは犯さずに済んだ。エレニに大感謝である。
それが済むとまず、究極の選択を迫られた。
「頭を使うのと体を使うのと、どちらがいい?」
復活したセシリィが、腕組みと共にそう言った。
正直セシリィとして一ヶ月学校の授業を受けた記憶から、もうこれ以上勉強はしたくない気分であった。何より、頭痛も完全には収まっていない。
「体で」
一択であった。
それが失敗であったと悟ったのは、寝室を連れ出され、二つ隣の部屋でダンスの手解きを受けろと言われた時であった。
「……マジか」
相変わらず、セシリィといいルキアノスといい、自分が難なく出来るからと他人にも同じレベルを求めすぎである。
しかも小夜が異世界人のせいで専属の講師はつけられないらしく、招かれた人物はどう見てもある種のオーラを発していた。
「なぜ私がこんな真似を……!」
オーラでは収まりきらず、声も出ていた。変わらない淡々としたアイスブルーの瞳に、学生時代よりも少し伸びた黒髪をさらりと耳にかけた、エヴィエニスの乳兄弟エフティーアである。
淡々とした喋りが魅力的ではあるが、今はその声にうっとりする余裕もない。
(スパルタ確実の人キタ!)
辛うじて声には出さなかったが、内心で小夜は早速後悔した。
「ちなみに、頭を使う方ってのは……」
「資料が揃えきれてないから難だけど、舞踏会と晩餐会の行儀作法とテーブルマナー、各爵位と階級、胸章の説明くらいなら今日講義できると思うけれど?」
「……ぅおっふ」
傍らに立ったセシリィが、滔々とそんな風に教えてくれた。とても準備不足の内容には聞こえなくて、泣きたくなった。