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血も凍るような冗談

「お、おはようございます」


 隣室で待機していたらしいエレニによって運ばれたお水を三杯ほど飲み干してから、小夜は社会人の最低限の礼儀として、ご挨拶を申し上げた。

 本当は寝台から降りて頭を下げるところであったが、ルキアノス本人から顔色が悪いと言われ、すごすごとその場で平伏した。とても二日酔いのせいなのでお気になさらずとは言い出せなかった。


「まず、お前を喚んだ理由だが」


「ぐふっ」


「…………」


 一週間ぶりの生の美声に、思わず出かかった奇声をどうにか堪える。全員が、また吐くのか、みたいな顔で見てきたが、当の本人は全然別のことを考えていた。


(なんか会うたびに悪役度が増しててたまらん)


 小夜が大好きな声優さんの最近の出演作といえば、ベテランなだけに主役はほぼ皆無で、はっきり言ってイケボに飢えていた。飢えすぎて、最近は無料動画投稿サイトで過去アニメを漁って素敵な悪役の低音ボイスをリピート再生していたところだ。

 しかし今ここには、本物の美声がいる。

 頭痛も二日酔いもお空の彼方に吹き飛ぼうというものである。

 しかし爆弾は容赦なく投下された。


「今度のオレの誕生会で、パートナーを務めてもらう」


「…………はい?」


 理解しがたい単語が、今の一文に複数混ぜ込まれていた気がする。まず、


(『オレの誕生会』って、なに?)


 誕生会の意味は分かる。この世界は宗教上の関係かどうか、文明の発達のわりに個々人の生まれた日を祝うという文化が既に根付いているらしい。それは別にいい。

 問題は、ルキアノスが誕生日を迎える――つまり一つ歳を取るということ。

 そこで小夜は今さらなことに気が付いた。


(寒くない)


 小夜の世界ではまだまだ晩冬で、暖房に頼らない日もあるが、まだまだ寒の戻りもある。こんな、朝からじっとりと汗ばむような気候では、まずない。


(今、何月?)


 小夜の世界の一週間が、こちらの世界では半年から七ヶ月近くに相当することは、前回の喚び出しで確定している。となると、前回からまた一週間だから、更に半年は経過している――つまり夏だということ。


(知らぬ間に一年経ってる……?)


 目覚めの一発にしては強烈すぎる事実に、小夜はなぜか血の気が引いた。わなわなと震えながら問う。


「もしや……ルキアノス様は今度十八におなりで……?」


「いや、十九だが?」


「!!?」


 衝撃的な返事が来た。全然理解が追い付かない。


「え、え? でも、十七歳ですよね?」


 ゲームではそうなってましたよね、と舌の先まで出かかったが、どうにか飲み込む。そして返されたのは、


「最初に会った時はな」


 納得の一言であった。


(そうだ、あの時は春だった)


 夏が誕生日だというのなら、一度目に別れたあとにすぐ十八歳になったということになる。そして二度目は冬、この時もやはり十八歳。


(マジか……)


 からくりを理解した小夜は、一人愕然とした。別に時間の経過が違うことは知っていたし、悪いことは何もないのだが、何故だか取り残された感が強い。


(流れが速すぎてついていけない。ていうか)


 知らぬ間に、ルキアノスとの年の差が九歳に縮まっていた、らしい。その事実こそが、何故だか小夜の罪悪感をきりきりと締め上げた。


(何だろう、甥っ子の成長の重要なプロセスを見逃した気分?)


 実際、五つ離れた兄は実家から離れて暮らしており、現在進行形で甥と姪の成長は見逃し続けている。だがそんなレベルでないことは、言語化できなくても自覚はしていた。

 それはともかくとして、小夜は再びその場で額づいた。


「この度はおめでとうございます」


 少々複雑な気分ではあるが、とにもかくにも祝賀した。が、


「その言葉は当日にとっておこう」


「…………」


 引っ込んでいた冷や汗と頭痛が戻ってきた。ルキアノスの目が怖い。


「えっと……お、お水を」


「ん? オレが手ずから飲ませてやろうか?」


「片付けて頂いて結構ですぅ……」


 粛々とご遠慮申し上げた。

 傍らで待機していたエレニが、苦笑とともに水差しとコップを側机に戻し、一礼して退室する。セシリィを盗み見れば、何故か泣きそうなんだか必死なんだか分からない形相で拳を握られた。


(え、ガッツってこと? 何で?)


 どうやら誰も助けてはくれないようである。

 小夜は致し方なく、スルーしていたパートナー発言について踏み込んだ。


「あの、何故そんな大事な日のパートナーが、私なんですか?」


 社交界デビューとはまた違うのだろうが、王族の誕生会ならそれはもうわんさかと人が集まるだろう。そこに一緒に登場する女が、貴族社会も知らない十歳近く年上の庶民だなどと、一体誰が許すというのか。

 まずあり得ない。誰も求めていないし、何ならちょっと人目がなくなった途端暗殺されかねない。

 それでも小夜をパートナーにしたいというのなら、またのっぴきならない事情が発生したとしか考えられない。先程セシリィも助けを懇願していたし、そもそもこの世界に喚ばれるのは大抵切羽詰まっている時である。

 何の作戦かと、怖じ気づきながらも目顔で問う。


「オレがそう決めたからだ」


 満面の笑みでそう言われた。


「…………ん?」


 言葉の裏の意味が分からなくて、小夜はまずセシリィを見た。目を背けられた。

 今度はルキアノスの背後に控えたままの侍従ニコスを見た。申し訳なさそうに頭を下げられた。

 最後に残った近侍のヨルゴスを見た。安定の無表情であった。


(何だろう、嫌ですって言ったら爆死でもするのかな?)


 乙女ゲーム内であれば、好感度が左右される重要な分岐である気はする。だがここにそんなパラメータはないし、そもそも小夜はヒロインではない。


「えっと……理由は……?」


 恐る恐る聞く。にぃーっこり、笑われた。


「オレに、吐いたよな?」


「…………、あ、はは」


 乾いた笑いが漏れた。

 三十路も近くなれば、酒の失敗は程ほどにはある。

 小夜は基本的には陽気になるだけだが、その分羽目を外して上司の禿頭をぺしぺし叩いたことがある。皿も割ったし、コップも落とした。記憶をなくすことはあまりないが皆無ではないし、店で吐いたことは片手に余る。帰ってすぐ独り便器を抱えていた深夜はさすがに虚しさと愚かしさが身に染みた。

 だが今回の失敗が一番堪えた。それが人としてなのか女としてなのかは分からないが。


(やっぱり……夢じゃなかった……)


 小夜は灰になった。あるいは、燃えカスになる前にカスになった。


(あり得ない……王子に吐くとかもあり得ないけど、好きな相手に吐くとかマジあり得ないよ……!)


 女を終わらせている自覚はあったが、ここまでとは。


(もうやだ……おうち帰りたい……)


 再び布団にくるまって嘆く。人生をやり直したい。


「というのはまぁ冗談だが」


 しれっと言われた。悪魔に見えた。


「ルキアノス様の顔、見たくない……」


「何故だ!?」


(そんな血も凍るような冗談はむだかたるって言いませんー!)


 それからゆうに三十分は殻に閉じ籠った小夜であった。

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