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れろれろれろ~

 記憶は曖昧である。

 朝の気配に目を開けると、見覚えのないものばかりが視界に入った。

 布張りの天井と、その四方から垂れる同色の布。ひだを作る様はカーテンのようにも見えるが、我が家にあるナイロン製とは明らかに光沢が違う。

 どこからともなく漂うのは、お香と香水と薬品の中間のような独特の芳香で、二日酔いでガンガン響く頭の痛みを少しだけだが和らげてくれているような気もする。

 そして柔らかに射す陽光。の中に仁王立ちするセシリィ。


(……どういうこと?)


 記憶は実に曖昧であった。

 取り敢えず、小夜は布団をかぶり直した。

 三十六計逃げるにしかず。

 先人は実に素晴らしいお言葉を遺された。


(寝よう)


 そうだ。そうしよう。


「……小夜」


 名前を呼ばれた気がするが、幻聴かもしれない。


「……小夜」


 夢の中の声には返事はしてはいけないという。先人は良いことをいっぱい言った。

 そして視界を布の闇で覆って、小夜は流れる冷や汗に気付かないふりをして必死に考えた。


(えーっとぉー、昨日はぁー……)


 ズキズキするこめかみを押さえて記憶を振り絞る。

 まず思い出したのは、仕事を定時で切り上げて、久しぶりの会社の飲み会に参加したこと。そこで新人営業にアホみたいな質問をされて、梅酒をおかわりして、二次会に行って。


(……あれ? その後どうしたんだっけ……)


 発作的にルキアノスの声が聞きたくなって乙女ゲームアプリを起動し、二次会の席が整うのを待つ間にアプリを閉じようとして、画面が何故か白くて。

 気付けば、セシリィが目の前にいた。


(あの白いのはホワイトアウトか!)


 やっと気付いた。飲み過ぎたための視界くらくらでも、一瞬の寝落ちでもなかったらしい。


(酔っ払いは異世界召喚されたりしないってぇ)


 布団の中で亀になりながらめそめそと泣いた。恥ずかしすぎた。同世代ならまだしも、未来に夢と希望溢れる十代の前でしていい醜態ではなかった。

 何故なら。


 れろれろれろ~。


 という効果音が頭の中を都合十回はゆうに巡ったからである。


(吐いた……? 吐いたの私……!?)


 恐ろしい想像であった。しかも肝心な所だけ記憶がない。


(いや、きっと気のせいかも! だってゲームの世界に泥酔嘔吐イベントなんてないし!)


 当たり前である。しかし悲しいかな、現実には存在する。そして小夜は現実側の人間であった。


「……かえりたいぃ……っ」


 狸寝入りを決め込んでからの第一声の情けなさよ。

 これが親のすねを齧る実家暮らしの二十八歳独身女の現実であった。


「だ、ダメよ、小夜! 帰ってはダメ! わたくしを助けてちょうだい!」


「…………え?」


 己の不甲斐なさに涙がちょちょ切れていた小夜は、布団の上から体を揺さぶる手とその声に、ちょっと待てよ、と我に返った。


(そもそも、何でまた喚ばれたの?)


 前回も前々回も、小夜の存在は良くないということで送り返されたはずだ。ふらっとお茶をするような気安さで会えるはずはない。

 しかし、いる。

 ちらりと布団から頭を出して、体を揺する手を辿っても、やはりそこにいるのは乙女ゲームの中の悪役令嬢そのままの少女セシリィ・クィントゥスである。まかり間違っても母ではない。

 小夜は観念するように布団から上半身も出すと、のろのろと寝台の上に座り込んだ。


「えっと、セシリィ? 何でいるの?」


 なんという聞き方かとは思ったが、他に言葉が出てこなかったのだから致し方ない。しかしセシリィのいつもの高飛車な突っ込みはなかった。代わりに、


「小夜、お願いだからわたくしをあの悪魔から助けてちょうだい」


「ぅおっふ」


 らしくもなく弱気な顔とともに抱きつかれた。振動で頭痛が悪化する。しかしそんなことは言っていられない。

 こんな弱ったようなセシリィなど、今まで見たことがない。しかも何やら物騒な単語まで出てきた。

 小夜は、セシリィの豊かな栗色の髪が流れる華奢な肩を抱き止めて、どうにかその顔を覗き込んだ。


「ど、どうしたの?」


「実は……」


 小夜の心配ぶりか、それとも自分の慌てようが恥ずかしくなったのか、セシリィが仄かに頬を赤らめて小声で切り出す。しかしその先が続けられることはなかった。


「誰が悪魔だ」


「ぎゅわん!」


 唐突に破壊力抜群の美声が鼓膜を貫いた。咄嗟の反動で頭痛が更に悪化して、小夜の頭はそのまま布団に沈み込んだ。

 ぐわんぐわん唸る頭を両手で押さえながら、どうにか布――恐らく寝台を覆う天蓋のドレープ――の向こうに見えていた扉に視線を滑らせる。


「目を覚ましたか」


 そう言って寝台へと歩み寄ってきたのは、金髪に鉄灰色の瞳をした美青年、この国の第二王子であるルキアノスであった。後ろには近侍のヨルゴスと侍従のニコスを連れている。

 しかし小夜は別のことに気を取られていた。


(思い出してきた……この人、いたな!)


 セシリィを最初に見たのは、恐らくいつも召喚に使うクィントゥス侯爵家の薄暗い地下室だった。そしてその場に、確かにルキアノスもいた気がする。気がするというのは、何故かどアップの記憶しかなくて、いまいちはっきりしないからである。


(まさか……私、このお方に吐き散らしたんじゃ……!?)


 冷や汗が倍増した。しかし自分からは確かめられない。頭痛が進行し、喉がカラカラに乾く。そして。


「今回小夜を喚んだのは、他でもない」


 ルキアノスが深刻な顔で切り出す。その本題が始まる前に、小夜は堪えきれずにおずおずと挙手した。


「その前に、お水もらってもいいですか……」


 話の腰をばっきばきに折った。ダメな大人の見本であった。 


ダメな大人……。

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