誰なんですか
一話から早速主人公が少々お見苦しいことになっています。
受け付けない箇所は読み飛ばしてください。
「畑中さんって、恋してるんですか?」
「…………は?」
消費税増税に向けての一時的な事務作業増加に伴いやってきた、短期の派遣社員の歓迎会の席でのことであった。
短期だから歓迎会は大袈裟ではとか、長期になるかもしれないからとか、結局口実作って飲みたいだけなんじゃないのとか、女子社員の間ではこそこそ言われていたが、その日が来てみれば皆そこそこに楽しんでいた。
そして二次会の話もそろそろ出始める頃、マイペースを地で行く新人営業が隣でそんなことを聞いてきた。
「な、な、なんでそんな話が出てくるの?」
小夜は通算五杯目となった梅酒のソーダ割りを半分あおってから、余裕ぶってクールに決めようとして完全に失敗した挙動不審ぶりで問い返した。
語尾がひっくり返る寸前だった気もしたが、この新人営業は対人スキルが絶望的なので普通に会話を進めてくれた。
「いや、席で皆さんが話してるのを聞いたので」
(女子力! ネットワーク!)
小夜は心の中で、今は隣のテーブルで楽しそうに所長にアルハラをしている事務仲間の女性陣に叫んだ。
この会社は営業所ということで昼でも電話番が必要なため、休憩も交代制であった。小夜が先に休憩を頂いた日のことなのだろう。
そして彼女らに一切の悪意がなく、ただ単純に電話も鳴らない気だるい昼時の話題に召し上がられただけだということも分かる。
もしくはなるべく定時帰宅を心掛ける小夜が定時ダッシュしたあとのお喋りだったかもしれない。
どちらにしろ、返すべき言葉は決まっている。
「……なんだろう、もしご心配頂いてるなら、全然社内とかじゃないからご安心をとだけ言っておく」
「誰なんですか?」
「聞く!? そこ聞く!?」
それはもはや対人スキルの問題云々を軽く超越している気もしたが、振り返って見た顔は何のてらいも他意も悪意もないというような、いつもの悟りきった無表情であった。
(いや、ビールでちょっとは顔赤いか)
酒に強いのか弱いのかは知らないが、普段が普段だけに、目が据わっているのかどうかすら判断がつかない。
そもそも、いつも営業所で散々小夜から小言を言われまくっているのに、なぜ無礼講の飲みの席でまで隣に来るのか。不可解である。
「……いや、恋っていうか、恋ですらないというか……まぁ、ただの夢想だから」
梅酒が底をついても引き下がる気配がないので、小夜は仕方なく濁しまくった回答をする。
が、なおも食い下がってきた。
「誰なんですか?」
「いやいや、だから誰っていうのもないっていうか……もう完全に手の届かない相手だし……」
「誰なんですか?」
「だからぁ……」
しつこい。
「二次元嫁だよ気付けよ!」
思わず叫んでいた。
お前は壊れた目覚まし時計か! と言わなかっただけ小夜は自分がまだ良心的だとつくづく思った。
が、女性でも入りやすいはずの焼き鳥屋に、一瞬の静寂は落ちた。
「…………」
女性陣は絶対聞き耳たててたな、と思いながら、数秒。
「すいませーん。梅酒ロックくださーい」
笑顔で店員に手を上げた。飲み放題って素晴らしい。
途中からやけ酒気味になっていた小夜は、皆が二次会に行くと言って焼き鳥屋を出るのに続きながら、最後尾でスマホを連打していた。
(あーっ、ルキアノス様のお声が聞きたいっ)
ふらふらする足を適当に前に押し出しながら、真顔でオープニングをすっ飛ばす。果たして、小夜がここ一年以上お世話になっている乙女ゲームアプリは起動した。
そして現れるトップ画像には、現在攻略中の金髪男性キャラが表示されているが、華麗に無視して次へと進む。タップしたのは、唯一にして完全制覇した攻略対象の美麗スチルとボイスが保存されているマイボックス。
そして。
『よぉ、今夜は月が綺麗だな。……別に、深い意味はないぞ』
手の平ほどの液晶画面の中で、2Dイラストの青年がほんのり頬を染めてそんなことを言った。
親密度を順調に積み上げてのデートイベントの美麗スチルで、この夜を境に彼は自分の中のコンプレックスを少しずつ打ち明け、ヒロインとの距離を一気に縮めていくのだ。
「はぁぁ~、お声もお姿も尊い……」
月の光のような美しい金髪に、どこか物憂げな鉄灰色の瞳が背景の夜空によく映える。
シェフィリーダ王国第二王子ルキアノス。
子供の頃から大好きな声優さんが声をあてている乙女ゲームの攻略対象キャラクターにして、小夜が胃をキリキリさせながら二次元嫁と断言した、意中の相手である。
「これでいい、私はこれでいいのよ……」
無心で呟く。繁華街を歩きながらの台詞なので完全なる酔っ払いの戯言であったが、気にしない。現実の男なんかお呼びじゃないのよとか、最早そんなことを宣っていた時代さえ懐かしい。
(重症……)
自覚はあった。
乙女ゲームの悪役令嬢セシリィ・クィントゥスとの繋がりで、ゲームの中のような世界に喚ばれること二回。だが小夜はあくまでも異邦人で異物で不確定要素で、つまり危険人物であった。
あの世界のお偉方たちが小夜という存在を憂慮している以上、小夜はあの世界と関わることは今後一切ない。
「あー、ルキアノス様みたいなのどっかに落ちてないかなー」
無理な話であった。現実世界で恋をすればきっと諦めきれるとは分かっているが、いかんせん比較対象が高度すぎる。
しかも。
『お前がいないくなったら、オレは毎夜、お前の温もりを求めて夜を彷徨うだろう』
気を抜くと、前回の帰り際の一言が勝手に自動連続再生を繰り返す始末であった。
「………!」
バンバンバンッと近くの壁を叩く。夜九時を過ぎているとはいえ、駅前の繁華街である。人通りはそれなりにある。無言で悶えた。
「畑中さーん。次ここにするってー」
「はーい」
通りの先から同僚の声がかかって、小夜は突然しゃきっとした。ルキアノスの思い出し美声は仕事中でも容赦がないので、切り替えはとても上手くなった。
「今席空けてくれるって」
小走りで追い付いた先は、和風居酒屋のチェーン店であった。同僚たちが下足場で渋滞している。
その彼らの背をぼんやりと眺めがら、手に持っていたスマホを操作する。トップ画面に戻すと、現在攻略中のメインキャラ、王太子エヴィエニスの凛々しい微笑が現れる――はずが、違った。
白い。
(……飲み過ぎかな?)
どうも足だけでなく頭もフラフラする。そう思ったのが最後であった。
◆
まず、最初にきたのは吐き気であった。
その気持ち悪さに意識が覚醒し、何度か目を瞬いている間に、ゆっくりと視界が明瞭になっていく。
(やばい、転んだかな)
いつの間にか両手両足をコンクリートについてる気がする。触れる感触がひんやりと心地よい。しかしその心地よさに負けて頬をつけてはならない。前方にはまだ同僚がいる。醜態は晒せない。
ぐぬぬ、と顔を上げる。薄暗かった。
(最近のオシャレな居酒屋はねぇー)
暗くてナンボである。などと思いながら靴を脱ぐ。
と、声がかかった。
「ちょっ、小夜? 何故脱ぎ出すの?」
「何故って、気持ち悪いから先にお手洗いに……ん?」
言いかけて、小夜ははて、と思った。会社に、小夜を下の名前で呼ぶ者はいない。それに靴を脱ぐのは当然だ。下足場があるということは、店内は土足厳禁なのだから。
何を言ってんだか、と顔を更に上げる。
美人がいた。
「え、気持ち悪い? 召喚のせい? でも、今までそんなこと……」
薄暗い中でも分かる白い肌に輝く碧眼を揺らして、すぐ至近距離から小夜の顔を覗き込んでいる。どうにも見たことのある顔であった。しかしそれはおかしいはずだ。
「うーん。セシリィに見えるなぁ」
しかし小夜が生きる世界にいるはずはない。なぜならセシリィ・クィントゥスは小夜がこの一年を注ぎ込んでいる乙女ゲームの世界に酷似した世界に生きる、文字通り別世界の住人なのだから。
それはそれとして、取り敢えず撫でておいた。
「セシリィは今日も可愛いねぇ。無理してない? 毎日頑張ってて偉いねぇ。あんまりつんつんしてちゃダメよ。よしよしー」
「さ、小夜? なんだか、様子がおかしいのではなくて?」
セシリィが少し顔を赤くして後ろを振り返る。可愛い。
振り向いた先には、やはり見覚えのある顔があった。
さらさらの金髪に、物言いたげな鉄灰色の瞳。頬はやはり白いが、どことなく記憶の中よりもシュッと線が鋭くなっているようにも見える。
しかし、見間違えるはずもない。
「らっきー。ルキアノス様が落ちてた」
「……小夜。どうやら混乱しているようだが、今回喚んだのは」
「はぁぁー、今日も良いお声ぇー」
何やら深刻な顔で歩み寄ってきたルキアノスであるが、小夜はえへらえへらとその顔と声を受け入れた。最早これが夢でも泥酔しすぎた結果の幻覚でも、本当は同僚の誰かでも構いはしない。
「なんで突然ルキアノス様に見えだしたのかさっぱりだけど」
「小夜? おい」
「取り敢えず、拾って帰ってもいいですか?」
「「…………は?」」
無難な許可申請のつもりだったのだが、何故かセシリィとルキアノスの両方から変な声が上がった。しかし構わず抱きつく。
「なっ、バッ……!」
(んー、夢にしては温もりがリアル……)
すりすりとルキアノスの肩に額を擦り付ける。するとすぐ鼻先に、ルキアノスの形の良い唇が目に入った。惹き寄せられるように顔がそちらに近付く。
熱いほどの吐息が、小夜の唇にかかる。だがそれ以上に、小夜の吐息は熱を帯びていた。
そして。
「さ、小夜……!?」
「……ぎもぢわる……」
ついに口の中に酸っぱいものが込み上げた。
ダメな大人でごめんなさい……。