序章
続きが書けそうだったので、再開します。
といっても、今回は深刻な話は一切発生しません。
箸休めの章になる予定です。
よろしければお付き合いくださいませ。
「期日が迫っているな」
兄の公務の手伝いの一つとして父の執務室を訪れたルキアノスは、目線すらくれずに開口一番そう言われてげんなりした。
父の決裁済みの書類に一枚一枚目を通し、案件の確認と内容の一文要約と自分なりの対応策を考えながら、淡々と事実だけを答える。
「まだ一月近くあります」
「だが卒業式は終わった」
「約束は私の誕生会までのはずです」
「あぁ。決定はな」
つまり下準備は着々と進められているということなのだろう。
息子にこの威圧ぶりはいかがなものかと思うが、血塗れ王の不名誉を堅実な政治手腕で叩き潰してきた父である。息子の卒業後の身の振り方さえも、仕事の一環なのであろう。
「神殿への根回しは順調に進んでいます。ご心配には及びません」
「余の所にはまだ聞こえてこないがな?」
「…………」
あんたは天上の第一の神々よりも耳が遠いのかと、喉元までせり上がった文句をルキアノスはどうにか飲み下した。
ルキアノスが今までに提出した過去実績と因果関係と対策案を四回も根拠不足として突き返したのは、何を隠そう目の前の父である。
だがそんな結果になっているのは、ひとえにルキアノスが父を満足させる情報を提示できていないからだ。
ぐぬぬ、と内心臍を噛みながらも、ルキアノスは王子らしく笑ってみせる。
「是非楽しみにお待ちください」
「あぁ。餓鬼が意気がるのは楽しいからな」
ルキアノスの会心の笑みにも結局顔を上げぬまま、父親らしからぬ言が返る。それを最後と、ルキアノスはばっさばっさと書類を束ねて退室した。扉が閉まる寸前に聞こえた含み笑いが、実に腹立たしい。
(あれが一国の王の言い様かよ!)
父は王族に婿入りした国王であり、元々の王族ではない。だがそれでも生家は伯爵位を持ち、宮廷にも出入りできる貴族であった。
だというのに、口が悪い。
勿論議会や外交などの公務では立派な外面を用いるが、気心の知れた相手にはあの有り様だ。お陰でルキアノスも若干口が悪いのだが、そこは都合よく棚上げする。
(絶対認めさせてやる!)
王宮の長い廊下を足音も高らかにずんずん進む。
今年の七月に誕生日を迎えるルキアノスは、学校を卒業後は研究職や進学などはせず、昨年卒業した兄同様公務に専念することが決まっていた。
そのことに不満はないし、公務に本格的に携わることに誇らしさもある。だがそのせいで付属品のようについてくる問題については、ここ半年間、ずっと頭を悩ませていた。どうしても避けて通れない分、周囲を黙らせる対策が必要である。
期日は、王宮で催される誕生会当日まで。
◆
「お疲れ様です。一息入れますか?」
王宮の自室に戻ると、侍女のエレニがにこやかに出迎えてくれた。是と答えるのを見越したように、室内には深夜だというのにお茶の馥郁とした香りが漂っている。
忙しさで忘れていた疲れと空腹が、今さらのようにルキアノスの体に訴えかける。
「あぁ、頼む」
答えながら長椅子に体を沈めると、アンナが濡らした布と着替えを持ってきてくれた。
まだまだ議会にも参加できていないルキアノスには、伏魔殿というほどの権謀術数にはまだお目にかかっていないが、それでもやはり自室に戻ってくると気が緩む。
専学校の学寮で過ごした時間が長いために王宮の部屋はまだ馴染まないが、面子は幸いにして変わっていない。
「首尾はいかがでしたか?」
先に戻って資料を事前にまとめてくれていた侍従のニコスも、ひょこりと顔を出す。近侍のヨルゴスと共に部下持ちの長となったため、ニコスは寮の時よりも比較的側にいることが多くなった。顔色も大分良い。
今は答えるルキアノスの方が渋面である。
「頑固で口が悪くて頭が回るから最悪だ」
「中々前例の少ないことですからね」
父との直近の会話を思い出して、ルキアノスは大きな溜め息とともに天井を仰ぐ。ニコスが毎度のことと苦笑すれば、図ったようにお茶が運ばれてきた。
実にならない後進の育成ばかりさせてきたのが申し訳なくなるくらい、エレニは優秀だ。これ以上頭角を表すと面倒なところから引き抜かれてしまうので、程ほどにしておくように改めて言っておかなければならない。
などと、ルキアノスが小難しい顔をしていたせいだろう。
「他にも、ご入り用のものがありましたらすぐに手配致しますよ」
ニコスが仕事の報告の手を止めて、そんなことを言った。季節がら幾分温めに供されたお茶をずずっと啜りながら、ルキアノスはふぅむと考える。
「入り用……」
何とはなしに繰り返す。だが最終的に辿り着く答えは、考え込まずともずっと前から決まっていた。
「小夜かな」
呟く。
「「「…………」」」
全員が沈黙を返した。
頑張れ、ルキアノス。