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注・主観である

「面を上げろ」


 熟考を感じさせる間をあけて、エヴィエニスが静かに命じた。

 顔を上げ、南国の海のような真っ青な双眸と目を合わせる。


「お前は昔から賢かった。だがその聡明さが時に敵を作り、自身をも危険に晒しているとは気付いていない。愚かになれとは言わない。だが察して、時に弁えることも必要だ」


 空気を読めと、エヴィエニスは言う。

 ここが現代の日本でなくとも、それは必要だと。

 それはセシリィのことを心配しての忠告だったろうが、小夜にとっては大きなお世話だった。


 空気は見えない。見えないということは、感じ方も人それぞれだと言うことだ。永遠に正解のないものばかり気にしていては、疲れて身動きが取れなくなってしまう。


 それくらいなら、自分の直感と感性に従って失敗した方がましだ。空気に従って失敗するよりは、潔く頭を下げられるから。


 そして、それは相棒も同意見だったようだ。


「殿下、それはわたくしに、わたくしを辞めろと言っているのと同義ですわ」


 届かないと承知している声で、トリコが告げる。その通りだと、小夜も思った。


(セシリィは、本能で真理を識るタイプかな)


 だから、小夜は珍しくトリコの言を代弁することにした。


「殿下は、私が私でない方がよろしいですか?」


「…………」


 真っ直ぐに目を見た。エヴィエニスもまた、目を逸らすことはしなかった。


「小夜……」


 驚いたような戸惑うような声が、弱々しく耳に届く。つい自分も知りたいから聞いてしまったが、少女にとっては不安を煽るだけでしかなかったかもしれない。

 ごめんね、という思いを込めて、また背を撫でておく。


(ゲームみたいにヒロインにあっさり落とされたのかと思ったけど、そんなに単純でもないのかなぁ)


 少なくとも、親同士が決めた利害も因縁も面倒くさそうな婚約を一方的に解消してしまうほど、愛だの恋だのに現を抜かしている、という風には感じない。

 こっそり繋がれた二人の手から、両想いらしいのは疑わないのだが。


(ご馳走さまです)


 表面上は見えない駆け引きがあるのだと言われたら困ってしまう。と思っていると、ふっと青色の瞳に金の睫毛がかぶさった。


「その答えは、今はまだ分からない」


 その声に、含みは感じられなかった。どうやら、存外真っ直ぐな青年のようだ。


「では、もうちょっと待っていてもいいですか?」


 にこりと、小夜は自分の言葉を引用した。

 絶縁状は、まだ先でいい。


「ファニも、それでいいか?」


 一瞬で声の糖度を上げて、エヴィエニスが隣の恋人に話しかける。こらこらと思ったが、馬に蹴られるのも嫌なので沈黙を選ぶ小夜。


 だがここに、勇者が現れた。


「おいこら、そこはファニよりもオレに先に確認するところだろ?」


 聴覚を持つ全ての生き物が平伏す玉声(注・主観である)が、軽やかに王太子の前に割り込んできた。

 それまでずっと壁際で状況を静観していたルキアノスだ。呆れるような混ぜ返すような可愛らしい声(注・しつこいようだが主観である)で、兄をちらりと覗き込む。


 そして小夜はというと、


(さささささ最高っ!)


 ギュッと胸の前で両手を握り、一人小さく身悶えていた。奇声奇行を我慢した結果である。はずだったのだが。


「近いのよ!」


 クェェ! と鉤爪が頭に食い込んだ。


「ッハ! い、いつの間にこんなに近くに!?」


 気付けば椅子ではなく、いつのまにかルキアノスの足元で正座していた。


(自分の本能が恐ろしい……)


 またはポンコツぶりが。


「……えっと、すみません、お続けください」


 すごすごと椅子に戻る。

 なるべく本人を見ないようにしながら、我慢我慢と呟く。さすがに一回り以上年下の女の子に、二度も同じ理由で説教されるのは悲しい。


「セシリィ? 本当にお前、一体……」


「もしや、何かの奇病に……」


「何でいっつも崇めてるのー?」


 三者三様、三度みたびざわつかれた。エフティーアに至っては、最早病気の心配までされてしまった。

 それを止めたのは、子供のような笑声だった。


「ふっ」


 と、天使の羽が舞い上がるような軽やかな声(注・やっぱり主観以下略)が耳をくすぐる。

 小夜の胸がときめくのは、最早仕様であった。


「っはは! ほんとに、何があってあのセシリィがそんな行動になるんだ? 壮大な深謀遠慮があるって言われても、これじゃどう警戒していいか分かんないな」


 それまでの取り澄ました顔をくしゃりと歪め、実に愉快そうにルキアノスが声を上げる。そうすると冷たい印象だった鉄灰色の瞳が細まり、途端に近寄りがたさがなくなるのだ。


(それで愛情度がマックスに近付くと、ヒロインにこう言うのよ!)


『お前といると、なんか調子狂わされる……』


 その時のはにかんだような、素顔を暴かれてぶっきらぼうになったようなさじ加減が、もう神の御業(注・主か以下略)だったのだ。

 ローリングしながら悶絶絶叫したのは言うまでもない。


「その台詞たまりませんからぁぁぁーっ!!」


 今のように。


「……小夜……」


 あーあーあー……と、そこまで広くはない室内に語尾が空々しく反響する。二つ前の奇行でもう椅子の背に戻っていたトリコが、突っ込むのも疲れたというように首を落とす。


 そのあと一拍の間を空けて、今度はルキアノスとレヴァンが膝を叩いて笑い合った。


 その下で、両手で顔を覆ってキュン死に寸前の小夜がいたのだが、余談である。


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