その4
華織は、蒼井桜にカップを差し出した。
「桜のお茶ですの。あなたにお出ししたいと思って、用意しておいたものです」
「……」
「水中でお花が開くの。きれいでしょう?」
「…はい」
「でも、タイミングを間違えると開かないし、開いても味や香りがとんでもないことになってしまうのよ」微笑む華織。
「何を…おっしゃりたいのでしょう」
「あなたは記憶を失っているのではなく、記憶を操作されているだけ。そこから脱したいと本気で思うなら、私が手をお貸ししますわ」
「操作…」
「あなたのお力を求める方々は多くいらっしゃいましたよね。巫女という名の占い師。政治家や実業家たちが、神事の隙をぬっては押しかけ、答えを求めていた」
「…そうなんですね」
「あなたが答えを得る時に使っていたアイテム、伊勢の奥に秘密裏に奉納されていた水晶、あなたはそれを持って失踪してしまった」
「…水晶…久我さんとお会いした時に、先生が使っていた…」
「そう、それです」
「なぜ、私はそんなことを…?」
「四辻奏人先生が、そう仕組んだからですわ」
「四辻奏人…?」
「あまりピンと来ないようね。では、禊屋…関根さんは?」
「あ…」
「思い出されましたかしら」
「彼は…大切な人だったことがありました…」
「なぜ、別れてしまわれたの?」
「彼が女性に求めるのは、自分の力を伸ばす助けになるかどうか、力を実務的にサポートしてくれるかどうかなんです」
「あなた自身を見ていたわけではないと」
「私の出自にも惹かれていたのでしょう。気づいた時に、うんざりしました」
「出自とおっしゃるのは…」
「おわかりなのにお聞きになるなんて、趣味が悪いですわ」笑った後、自分の言葉に驚いたような顔で自分の唇に触れる桜。
「二条の先々代の隠し子…でいらっしゃったわね。元“禊”の方々の中で、群を抜いた未来予知能力をお持ちだった方。あなたは、お父様の能力を濃く継いでいる」
「でも、父は私を世間から隠すため、あえて“命”側の伊勢に預けました」
「お母さまのお名前、世間に出たら大変なことですものね」
「さすがに…国をひっくり返しそうな一大事かと」
「だから二条さまは、四辻先生に逆らえなかった」
「…父…は…このままにはしておかないと思います」
「大切な娘を拉致して利用されたら、見過ごす父親はいませんわ」
「…私…何でこんなことをしゃべっているんでしょう」再び自分の唇に手を添えながら、とまどう桜。
「この子と同じ」カップの中の桜の花をのぞき込む華織。「少しずつ開いて、本来の姿に戻る」
「……」
「ところで桜さん。四辻先生が黒マントの怪しい人に扮して、あなたの水晶と一緒に久我家を訪れていた時、あなたはどこにいらっしゃったの? 真里菜ちゃんは、あなたを見ていないようですけど」
「あ……あの時は、少し席を外すように言われて…しばらく庭にいたんです。その時に、真里菜ちゃんが部屋に来たので会っていなかっただけで」
「では、あなたが庭から水晶を使って占いをなさったの?」
「私も四辻先生も占っていません。あの方が勝手に書をお書きになっただけです」
「まるでインチキ占い師ねえ」笑う華織。
「あの水晶は、四辻先生といえども、やたらと使えるものではありません」
「あなたが、この国の人々の幸せのために使う御神体ですものね」
「それに、使ったら伊勢に居所がわかってしまいます。むしろ先生は、あの場の会合の一切の気配を、順次消し去ったはずです」
「さすがの真里菜ちゃんの鼻でもわからないはずよね」
華織は、天井を見上げると言った。
「では…最後の質問です」
「四辻先生は、なぜあなたを一人で八角堂に行かせたの?」
「…西園寺の“命”さまを、八角堂から引き離すためです」
「私のいないところで何をするつもりなのかしら?」
「あの子の力を開きたいのだと思います」
うつむく桜の肩を、華織はやさしく抱いた。
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