その3
進が通りかかると、風馬が不機嫌そうに声を掛けた。
「さっき僕を止めたの、進にいさんでしょ」
「失礼しました、風馬さま。差し出がましいかとは思いましたが、いらぬ誤解を招く必要はないかと思いまして」
「確かに、ちょっとやりすぎたかな。彼女の気を、彼の気配から逸らせれば、それで十分だったわけだから」
「目的はきちんと達せられています。彼女はまだ“彼”に気づいておりません」
「でも、それも時間の問題かな。九条の女性は妊娠出産で力が飛躍的に上がるというのは本当のようだ。
咲耶ちゃんといる時の彼女は、瞬間的に母さんぐらいまで力が上がって、ちょっと驚いたよ」笑う風馬。
「お気をつけください。娘を探ろうとした主だと知られれば、九条の姫は容赦なく反撃してまいります」
「やたらなことはしないよ。とばっちりで華音の身に何かあっては困る」
「はい」
「それと、気づいてると思うけど、響子さん、“開いた”ようだね。龍が張った結界を抜けてたようだ」
「風馬さまのご助言が功を奏したのでしょう。御自分の立場を強く自覚された結果です」
「僕じゃない。悠斗くんだ。彼は、もしかしたら僕以上に、母さんと華音の身を守ることに必死だ。ありがたいよ」
「…恐れ入ります」
「母さんが蒼井桜を自宅へ案内している。僕も戻るから、後をよろしくお願いします」
「承知いたしました」
進は風馬の肩越しに見える響子に目をやり、静かに微笑んだ。
* * *
八角堂の外では、響子がぼんやりと竹林を見つめていた。
“私が夢宮に…? どういうことなんですか、お義父さま…あなたはまさか…。”
頭を左右に激しく振る響子。
“どちらでもかまいません。翼と奏子を守ってください!”
「響子さん」
後ろから響子の肩を叩く雅。
「あ…雅さん…」
「どうなさったんです? ぼんやりなさって」
「…いえ、ちょっと」視線をそらす響子。
「お疲れですよね。お客様が大勢で」
「いえ」
「責任感じちゃいます」
「責任?」
「…充経由で紗由ちゃんに、ここを会場にオススメしたの、私ですから」
「そう…なんですか…でも、なぜ?」響子は雅をじっと見つめた。
「うちの店にいらした、四辻奏人先生につながりがあるのかと思われた人たちが、八角堂の図面を残していったんです」
「図面を? なぜです?」
「さあ。私にはわかりません」雅は、ふーっと大きく息を吐いた。「図面を見つけたのは主人でした。それを手にした途端、頭の中に声が聞こえてきたそうです」
「誰の声…だったんですか?」
「ぼんやりとしか思い出せないようです。でも、聞き覚えのある声だったと」
「なぜ思い出せないんでしょう」
「指示された一連の行動の後、自分で自分の記憶を封じるように命じられたからです」
「記憶を封じる…?」
「主人はその指示通りに動きました。外務省外郭団体のデータベースにアクセスして、VIPお忍び会合物件から、この八角堂を探し出したんです」
「ご主人は確か、元SEでいらっしゃいましたよね」
「ええ。ですから、そっち方面はいろいろできるんですけど、記憶を自分で封じるといっても、そういう力が強い人ではありません。封じ方が不十分だったのでしょう。しばらくすると記憶は断片的ですが、戻ってきました」
「なぜ図面を置いて行った本人が記憶を封じなかったのでしょう」
「遠隔でそのようなことをすれば、その軌跡を西園寺家の方々からたどられると思ったのでは」
「…でも、なぜ充くんに見つけさせなかったんでしょう? そのほうが、直接紗由ちゃんにここを薦められるでしょうし、手間がありませんよね」
「人というのは、手間ひまかけたものを追い続けるものです。冒険好きな姫たちの興味を引き続けるために必要だったのではないかと」
雅の言葉に、響子は小さくため息をついた。
「ここに集まった人間は皆、その人物に踊らされているということなのかしら…」
「おそらく」
「でも…なぜ私にそんなことをお話しになるの?」
「…響子さんが、こちら側にいらっしゃったからです」
雅はそれだけ言うと、響子に背中を向けた。
「待って!…もうひとつだけ教えて。あなたがおっしゃる“こちら側”にいれば、私は翼と奏子を守れるの?」
「…皆、自分の大切なものを守るために“力”を使っています。そして私たちには“命”さまがついています」
「じゃあ…」
「一筋縄ではいかないと思います。子供たちを守りたい親と、今回、仕掛けてきた主の意図が一致するとはかぎりません」
「だったら、もう、親御さんたちには能力がない人が多いとか、元“禊”の血筋がどうとか言っている場合ではありませんよね」
「どうするつもりですか?」
「親も子供も、今回集まった人間全員で話し合って連携して、その仕掛け主に備えましょう」
「そのやり方は、“命”のルールに反する部分もありますよね」
「ええ、確かに。これまで私は“宿”の娘として、必要以上に関係者に接触して意思疎通をはかってはいけないと思っていました」
「その禁を破ると?」
「ええ。私が思うに、その仕掛け主は、すでに破っているのではないでしょうか?」
響子の言葉に笑い出す雅。
「やっぱり、“宿”の娘には要注意だな」
「…お義父さま…?」
響子の問いに、ニヤリと笑って、その場に倒れこむ雅。
「雅さん!」
響子はなぜか、咄嗟に風馬に電話をかけた。
* * *




