今日の運勢システム
「新年に神社に初詣にいったんですけど」
須山ユリコはいつものように、わたしのデスクに来ると前置きもなくしゃべりはじめた。
「……おはよう」
ボブカットが必要以上に内側にカールしている、軽い毛先が揺れる。
今年の配属社員だ。
26歳新卒。数年を月面コロニーで生活していたというアウター・エイジで、やはりそれだけ一般常識とも乖離している。
軽く嫌味をこめた朝の挨拶も、彼女の中ではそんなに意味を持たないらしく、まったく無視をして自分の言葉を続ける。
「おみくじをひいたんですが、小吉でした」
「言わせて貰えば、ごく平凡な結果で、上司に報告するべきことでもないね」
他の社員にはこんな嫌味な言い方はしないのだが、須山にはいつもこんなふうになる。
「これは話のマクラに過ぎません。課長はわたしの意図をお察しになれませんか」
嫌がられている、ということを受け取らない。
むしろ、彼女の大きな双眸はよりキラキラと輝いて、それはまるで脳のシナプスで散っている火花が逆流しているかのようだった。
「キミが意外と信心深いひとなのだな、ということを学習することはできたよ」
「いいえ、仕事の話です。企画の話です」
ユリコは身を乗り出す。
ちょっと近い。
胸元の金色のネックレスチェーンが覗いた。
わたしは用心深く、身を退かせた。
「おみくじにはこうあったんです。『身をつつしみ、ひとの言葉に耳を傾けていれば、危難から逃れるであろう』と」
「まさにキミにふさわしい助言だな」
「私もそう思いました」
大きくうなずき、しかしすぐに言葉を重ねる。
「そしてこうも思ったのです。ということは、きっとどこかにこういうおみくじを引いたひとがいるはずです。『隣人に心をこめて助言せよ。さすればその者は救われ、感謝するだろう』と」
一瞬、めまいがした。
「わたしが引いたわけではないよ」
「課長も初詣にゆかれたのですか?」
「いやいや、不信心で申し訳ないが、行っていないしね」
そう聞いた須山ユリコは、なにをくだらないことを言っているんだろう、という表情を一瞬だけした。
「まあいいです。私が指摘しているのは、おみくじには大吉から凶まで、五種類程の吉凶の段階が記されており、そのリソースを集団で分割することによって、社会のパワーバランスを体現、また可逆的に、その分配を可能とするのではないか、ということです」
「ちょっと待て。大吉を引いた人には幸運が起こり、凶を引いた人は不幸になる、ということを言っているのかね?」
「心理学的領域においてはそれを証明することは可能です。しかし私が着目したのは、社会学的領域において、分配された吉兆が、共感覚上での自尊感情の傾斜を形成し、いえ、こういうべきですね、共同体内での自意識の優越と劣等のバランス整理を行って、円滑な社会関係を形成するのではないか、ということなのです!」
一息に言って。
胸をふくらませ、満足げな顔をした。
ついでに鼻もふくらんでいる。
オフィスはしーん、と静まっている。
もとより個々のブースのなかで、ほとんどの職員はVRシステムを装着して仕事中だ。
「……ひとつ、確認しておくが、須山くん、我々の仕事は何かね」
軽く頭痛のしてきた額を抑えながら、私は指摘した。
「顧客ニーズに応じた業務向けグループウェアの開発です」
「理解してくれていてなによりだ。ソーシャル・ネットワーキング・サービスの賑やかしじゃないんだぞ。キミが提案しているのは、朝のTV番組の欄外でやっているOL向けの『今日いちばんラッキーなのは、射手座のあなた! ラッキーナンバーは7、ラッキーアイテムは水色のポーチです!』みたいなあれだ。そういうサービスはもうある。それも、有史以前からな! それをグループウェアに貼り付けろというのかね。回覧・レポートのお知らせ欄に?」
須山ユリコはたじろがなかった。
「そのTV番組というものはわかりませんが、おみくじも有史以前からあります」
「わたしが言っているのも、まさにそれだ!」
「しかし、共同体を円滑化するためにリソースを分配する、という視点でそれを語ったのは私の発案の独自性ではないでしょうか。それも、有史初の!」
そして、須山ユリコはむくれた。
良いアイディアだと思って提案したことが、わたしによって即時に却下されたのだ。
「証明してみせます」
ポケットからタップを取り出すと、ものすごい勢いで私の机の一角でコーディングを始めた。
どうやら吉兆を表示するカード型データベースをもう作り始めていたらしい。彼女の細い指がオスカー・ピーターソンのように激しく震えると、オレンジ色の空間プロジェクターに独特のイタリックのフォントが湧き出してきた。
「少しだけ待ってください」
浮いた汗を拭って、彼女は指示口調で告げる。
「……コーヒーをとってきていいかね」
そう応じる。
まあ早いといっても二分や三分でできるものではない。
わたしは席を立ち、サーバーに行って、ことにゆっくり抽出されるネルドリップでマラウイを二杯、入れてきた。
戻ってきてもコーディングは終わっているわけではなく、彼女の神速の指先はたっぷり三十分は踊り続けた。それはそれで美しい光景で、わたしはカフェインの強いコーヒーをすすりながらたのしく眺めていた。
「飲みたまえ」
コーディングの終わった須山にコーヒーを渡す。
ありがたいもので、ハイレイト素材のディスポーザブルカップはコーヒーを冷めないように保持してくれる。
「ありがとうございます」
つん、とした表情の彼女だが、礼と共にカップを受取り唇をつける。
そして、さあ、試してみてください、とばかりに私のコンソールを顎で示した。
うなずき、ログインする。
画面の片隅から、キラキラッ、と金粉のようなエフェクトと共に、ちいさな鳳凰のようなキャラクターが現れて、巻物を開いた。
短い時間なのに、無駄に凝っている。
そして、趣味はいいな、と認めるのはやぶさかではない。
鳳凰は愛らしい声で、メッセージを読みあげる。
『貴方の今日の運勢は、上々吉です。貴方を想ってくれている人がそばにいるはず! 素直じゃない告白を見逃さないようにしてね! ラッキーアイテムは、温かいコーヒーですヨ!』
キラッ。
ウインクを残してミニキャラクターが消える。
「……」
わたしは、あんぐり、と口を開ける。
つーん、という頭痛の感覚を耐えながら、須山ユリコを振り返り。
「……そういうことなのかね?」
「ちがいますし!」
かあっ、と頬を上気させながら、犬歯をむき出しにして、須山ユリコが叫んだ。
紅い唇から啜っていたコーヒーの飛沫が飛んで、私のシャツにかかった。
「このアイディアには欠陥があることが確認できました。上申を却下いたします!」
その言葉を残し、ヒールの底を鳴らしながら、須山ユリコは自分のブースに戻っていった。
「……さて、仕事を始めますか」
彼女の後ろ姿が消えてゆくところまでを見送ってから、私はくるりとイスを回すと、自分のコンソールにあらためて向き直った。
どうということもない、いつもの朝の光景だが。
彼女の後ろ姿は可愛く感じられたので、今の視野光景はスクリーンショットに残しておこう、と思った。
<FIN>