前編 再会のサムライ・ガール
一九九九年。人類に歴史的転機が訪れた。
宇宙線の影響で遺伝子が変異したのである。
その遺伝子は超常的な能力──異能力を人類にもたらした。
以降、人ならば誰もが異能者になれる《《可能性》》を秘めることになった。
しかし人々は、この誰が覚醒するのか、覚醒できないのかもわからない未知の力を危ぶみ封印することにする。
二十七基の衛星を打ち上げ、地球全土に異能力の発揮を抑制する結界を張ったのである。
こうして人類はかつての生活に戻っていく。
──はずだった。
異能力を人類の進化として歓迎する者たちがいた。
彼らは研究を重ね、ついに反異能力結界の効果を阻害する結界を開発する。
これにより人類は、その結界内部においてのみ異能力を発揮できるようになったのだ。
そして長い時が流れ、現在。
異能力結界を利用した新たなエンターテイメントが、ニッポンで爆発的人気を起こしていた。
その名も結界舞闘!
異能者同士の格闘ショーである。
超常的な力を用いた超人的バトルに多くの人が魅了された。
人々は、かつてこの国で魅了する存在を指していた名を、その競技者に与えることにした。
すなわち──舞闘者と。
今やアイドルと言えば、彼ら彼女の他にはないほどになったのだ。
☆ ☆ ☆
西東初音、十五歳、高校生。
兼、舞闘者。
デビューから二ヶ月が経ち六月になった。
土曜日、雨。梅雨入りしたそうだ。
結界舞闘はスタジアムの内で行われるため関係ない。
スタジアムまで来るのが少し面倒に思うくらいで。
初音はステージの上に立ち、対戦相手が来るのを待っていた。
その格好はカジノディーラーを思わせる。
アップにした髪には、『剛毅』の一語が浮かぶ銀色のバレッタ。
白いシャツの上に、黒いベスト。
胸が窮屈なのかベストはボタンを留めていない。
反面、タイはキッチリと締められている。
手にはビリヤードのキュー・スティック。
その長さはおよそ一四〇センチ、竹刀と同じ。
すらりとした脚を引き立てる黒のパンツ。
それが西東初音の舞闘衣装だった。
ステージは正方形で一辺が十五メートルほど。
会場内には同様のものがあと八つ、碁盤の目のように並べられている。
その周りを囲う観客席から、自分の名前が聞こえた。
男二人の声だ。
初音は素知らぬ顔で聞き耳を立てる。
「おい、見てみろ、あの子」
「んー……誰? 有名な子?」
「西東初音だ。Cクラスの。聞いたことくらいあるだろ?」
アイドルにはクラスがある。
五段階で上はA、下はEである。
戦績によって振り分けられる。
「あーなんか、聞いたことあるかな。新人戦が良かったんだっけ?」
「ああ、二十三勝だ。三番の成績だった」
ただし新人には戦績がないため、まずは新人同士で三十戦ほど闘う。
その結果に応じて振り分けられる。この場合Cクラスが最高にあたる。
「へー。じゃあ、そのうちAクラス入りするかもしれないな。今のうちにサイン貰えないかな」
「それはどうかな。俺は精々Bクラス止まりだと思うが」
初音は不意に観客席の方を向いた。
男二人が「しまった」という表情をする。
しかし初音は彼らの思惑に反して、微笑を携え手を振る。
そしてまた待ちの姿勢に戻った。
男たちがヒソヒソと話す。
「いやー……カッコいいな、なんか」
「……そうだな。十六歳とは思えなかった、あの余裕は」
「まじでサイン欲しくなったかもしれん」
「俺もだ」
その声はもう初音の耳には届いていなかった。
初音が会場へ通ずる入口の方を眺めていると、奥から人影が見えてくる。
その少女は既に初音が来ていることに気付いて慌てたように駆け寄ってきた。
「す、すみません。お待たせして」
対戦相手の情報は事前に聞かされている。
名前は八木仁実、歳は同じ。
丸い眼鏡に太い三つ編みをして、黒のセーラー服を衣装とする。
スカート丈が短いのが気になるのか──見られても良いよう何かしら履いているだろうに、と初音は思う──、しきりに手で押さえている。
その手には模造刀が握られていた。
初音は二重の意味で「気にすることないわ」と答え、対面に立つよう促した。
ステージ上にアイドルが揃えば、ライブバトルの準備は九割終わったも同然。
最後の一割のため装置が起動する。
ステージの四辺から薄紫色の膜のようなものが上へと伸びていく。
十メートルほどになると今度は、蓋でもするように横の膜が張られた。
完成する薄紫色の柱。
これが偶像領域の真の姿なのだ。
異能者がその力を揮うことのできる唯一の空間が、今、完成した。
初音は身軽になるのを感じていた。
異能者には、例えば手から炎を出すというような能力が見られるのだが、それに留まらず体力や身体能力の著しい向上もある。
あらゆる面で人間離れしているものなのだ。
だから目の前の、闘いとは無縁そうな子だって、今なら大の大人を投げ飛ばせるはずである。
それだけの力はある。
もっとも身体能力が向上しないタイプもいるにはいるので断言はできないが。
二人の頭上にスターティングランプのホログラムが現れた。
これから三拍の後に、それが赤から緑に変わる。
そのときにバトルは始まる。
また二人の傍には、これまたホログラムで、横に伸びるバーのようなものが現れる。
初音は緑色、仁実は赤色。HPゲージである。
相手のそれをゼロにした者が勝ちとなる。
初音には構える前に、一つ訊きたいことがあった。
「ところで、どうして私を?」
実はこの対決、八木仁実の方から要求があり実現したものだった。
通常、対戦相手は同クラスから選ばれる。
ところが仁実のクラスはE。
ただこれは、新人戦の成績が不調だったためではない。
彼女は今日が初戦だった。四月の頃にはアイドルではなかったのだ。
そのため新人戦には参加できず、Eクラスからのスタートとなった。
これ自体は、よくあることである。
何故、初戦の相手として自分を指名したのか。
よほどの自信があるのだろうか。
仁実がおずおずといった具合に口を開く。
「あの……覚えてませんか? わたしのこと」
「えーっと……?」
初音はまじまじと仁実を見てみる。
言われてみれば、どこかで会ったことのあるような、ないような。
見つめていたら段々、彼女の顔が赤くなってきた。
「す、すみません……たぶん、顔はわからないと思います。名前っ、名前の方で……!」
「名前? やぎ、ひとみ?」
聞いたことのあるような、ないような。
学校関係ではないだろう。それならむしろ顔に覚えがあるはずだ。
となると剣道か剛毅流か。面をしていることが多いから。
けど思い出せなかった。
「ごめんなさい。わからないわ」
「ですよね……。面つけたままですもんね……」
「あぁ、やっぱり剣道の方なのね。そうなのかなとは思ったんだけど」
「中学一年のとき、地区予選の一回戦で当たったんです。瞬殺されましたけど……」
「ご愁傷様ね」
「容赦なくって怖かったです。初心者だったんですよー、こっちは」
「本当にご愁傷様。運がなかったわね」
既にランプは緑になっていたが、だからと言って攻撃を始めるほど初音は無粋ではない。
「でも次はもう少しって思って、頑張って……決勝であたる予定だったんですけど、その前に敗けちゃって」
「へぇ。それは残念だったわね」
「うん。それで去年、最後の大会──一回戦でまたあたったんです、西東さんに」
伏した目がやや上がり、こちらを見た。
初音はその奥に微かな輝きを認める。
きっとそれは欲望の光だった。
見えたのは一瞬。
仁実はまた目を伏せる。
「すぐに敗けちゃいました。頑張ったんですけど……でも……あっという間に、最後の夏が」
「それで私に復讐しに来たわけね?」
「ふくっ……!?」
仁実は跳ねるように顔をあげ、ぶんぶんと首を横に振った。
「そんなんじゃ! 悔しかったのは悔しかったですけど。でも憧れもあって。西東さん、強くて、かっこいいから……」
そんな風に頬を染めて言われると、初音も流石に照れ臭い。
「意地悪言ったわ。ごめんなさい。けどリベンジマッチなのは間違ってないでしょ? だって私、高校は剣道部に入らないで、こっちに来たし」
「それは……まあ……はい」
「そんなに勝ちたい? 私に」
「──はい」
強い声で仁実は答え、初音を見据える。
そこにはやはり光が見える。
そして、改めて八木仁実は宣言した。
「勝つために来ました。今度こそ。四度目の正直です」
ただそれのみを欲して、アイドルになったに違いない。
なればこそ四月のデビューではなく、今になったのだろう。
仁実が刀を抜き、鞘を足元に置く。
「だから、よろしくお願いします!」
初音は心の底から答える。
「ええ。喜んで受けて立つわ。全力で」
そして両者一斉に構えを取る。
初音のやることは、舞闘者になってもそう変わらなかった。
何故なら彼女の異能力〝秘剣・岩融〟は単純明快。
突きを強化するというものなのだ。
それでどうして闘い方を変える必要があろう。
いつもの如く〝一乃太刀〟を放つ姿勢で、仁実なる挑戦者に対峙する。
ただ、以前と違う点が二つ。
掌で得物の先端を覆うのではなく、指で挟むという本来の形になっている。
そして担当プロデューサーに〝ブレイク・ショット〟という、新たな呼び名をつけられた。
仁実の方は、対応力が高く、剣道でもよく見られ正眼の構えである。先ほどまでの、おどおどとした様子はどこへやら。
凛とした剣士に様変わり。
それを見て初音はようやく思い出す。
このように空気を一変させる子と、確かに試合をしたことがあった。
腕前は、覚えていない。
仁実の異能力は〝瀑氷ノ魔〟というもの。
名前だけはプロフィールに掲載されているため、初音も知っている。
詳細は不明。新人の有利な点だ。
ただ、その名前から推し測ることもできなくはない。
瀑氷とは滝の凍ることを意味する。
(氷使いなのかもしれないわね。氷の刀とか作るのかも。模造刀はフェイクで。魔は何かしら。単に恐ろしいことを意味しているのかしら)
確かなことはわからない。
異能力ばかりでなく、勝敗の行方も。
初音は赤い舌をちろりと出して唇を舐めた。
牙を剥くことの代わりに。
「いざ尋常に──」
「勝負! です!」
先の見えない勝負。
それでいて命の遣り取りではない勝負が、今、始まった。