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後編 悪斬のコピー・サムライ

 初音は目を見開いた。

 それは剛毅流〝一乃太刀〟に相違なかった。

 すなわち初音のそれとは、異なるものということ。


 初音の構えは、掌で剣先を覆う形、蓋でもするかのように。

 しかし、本来は真剣を用いる技である。

 そんなことで突進力を抑え込めば、掌に風穴開くこと必至。


 ならばどうするか。

 刃を外向きにして寝かせ、反った側を二本の指で上下に挟むのである。

 それでギュゥッと締め付けて突進力を溜める。

 これが〝一乃太刀〟の完全なる姿だ。


 今、近衛(このえ)貴勇(きいさ)は、その構えを取るのだった。

 切っ先は無論、初音へと向けられている。

 見たのだろう、道場に来たとき、本物を。


 初音もまた〝一乃太刀〟──未完成──の構えを取って問う。


「何のつもり?」

「貴女ほどの、正義なき剣は、危ういものです。自分勝手に(ふる)われる。だからここで折る」

「否定はしないけど、貴方に言われるのは納得いかないわ。正義なんて、暴力に後付けした理由に過ぎないんじゃない?」

「そう言われても仕方のないことをしています。その自覚はある。けど、やめるつもりはない」

「狂人ね、私たち」

「……残念です」


 近衛のその言葉は、どこへ向けられたものだったのか。

 ただ心の底から響くように聞こえた。


 そして二人は、同時に、高速の突きを解き放つ。

 疾風が巻き起こる。

 切っ先と切っ先とが激しくぶつかり拮抗するは一瞬、初音の手の中から木刀が弾け飛び遥か後方へ。

 近衛の方が僅かに速かった。

 それ故に力負けしたのだ。


 すかさず近衛が第二の突き。

 来ると初音はわかっていた。

 身を屈め辛うじて躱し、間合いを詰める。


 突き技はやはり、一定の距離があってこそ活きる。

 その弱点を初音は使い手のために承知していた。

 そして剣術とは何も、武器を頼るものではないのだ。


 初音が近衛の鳩尾に拳を叩きこもうとした。

 瞬間、頭部に衝撃。

 近衛が木刀を握るその拳を、初音の脳天に叩き込んだのだった。

 それで怯んだ次には回し蹴りを喰らい、初音は地に倒れ込む。


 初音は痺れる頭に手を遣りつつ立ち上がった。

 そして近衛を見て「ハッ!?」とする。


 構えを新たにしていた。


 左足を前に出し、右側に刀を立てる。

 〝八相の構え〟と言う。

 正面からは腕が「八」の形に見える。

 力みすぎることのない自然な構えである。

 それから更に腰を低く落として、剣を天高く突き上げる。


 これには覚えがあった。


蜻蛉(とんぼ)〟──野太刀(のだち)流か!」

「その通りです」


 本来〝構え〟とは防御の姿勢を言うものである。

 〝蜻蛉〟にその語がないのは、つまりそういうことなのだ。

 野太刀流に防御は不要(いらず)、二の太刀も不要(いらず)


 一撃必殺、これあるのみ。


 故にその初太刀は尋常ならざる速さを誇る。

 受けても受け切れず、受けた刀の鍔で頭を割られるとさえ言われる。

 地球の中心を断つ気概で放たれるのだから、さもありなん。


 初音は訊く。


「でも、何故?」

 今の隙に斬らなかったのか、と。


 近衛が答える。


「斬れるからです」

 いつであろうと。

 隙があろうとなかろうと、構えていようがいなかろうと。

「ならば待ちましょう、万全を期すまで。言い訳もできないように」


 見くびられていた。

 いや事実、先の一合も今の一瞬も、初音は完敗しているのだから、正当な評価なのかもしれない。

 相手は天才でもある。

 一目見れば如何なる流派の技も模倣できる。


 ただ──当の本人、西東初音は近衛とは違うものを見ていた。


 初音は飛んでいった木刀を拾って、逃げることも出来た。

 そういう選択肢もあった。


 しかし、そうはせず、近衛に対面する。

 構えるは相変わらず〝一乃太刀〟。

 彼の〝蜻蛉〟──高速の初太刀には、同じく高速の突きしか考えられない。

 未完成だとしても、これまで自分が積み重ねてきた全てが、この技には籠っている。


 初音の背筋を冷たい汗が落ちていった。

 身体が心なし震えている。

 恐れ。なくはない。

 だがそれ以上に、言いようのない高揚感がある。

 武者震いだった。


 相手は決して格下ではない。

 けれど──格上でもない。


 初音は彼を一目見たときから、自分と同格だと直感していた。


 直感とは、なにも当てずっぽうなわけではない。

 目や鼻、耳といった感覚器官を通じて得られた無数の情報を無意識の領域で繋ぎ合わせて結論を導くのである。

 無意識であるが故に過程を表現できない。

 また、その精度は過去の経験にもよる。

 蓄積された情報量の差があるためだ。

 成功者に人を見る目の優れた者があるのは、このためなのだ。

 踏んできた場数が違うのである。


 初音はまだ若い。

 しかし伊達に、遥か高みの存在に稽古をつけてもらっているわけでもない。


 相手は同格。

 なればこそ剣を交える。

 今ここに至って、逃げるつもりは、さらさらない。


 近衛貴勇──彼は自分の全力をぶつけても良い相手なのだから。


 もはや言葉は不要。

 二人は無言で睨み合う。


 初音はいつものように突進力を、そして気迫を。

 身の震えを胸の鼓動を抑え込む。

 溜める、そのときのために。


 近衛が放たんとする技は、極めて攻撃的。刀を抜けば最後、相手を殺し切るまで決して止まらないと謳われる野太刀流である。

 にもかかわらず、彼の気迫は澄んだ水のように静か。

 柳の下の幽霊が如く希薄。

 この気配を操る(すべ)ばかりは、近衛自身のものに違いないと、初音は感じた。


 一陣の風──二人の間──通り抜けていく──。


 同時に動いた。

 叫ぶ近衛、野太刀流は狂った猿のような声をあげて斬りかかる。

 柳の下の幽霊が剣鬼と化して神速の太刀振る舞い。

 初音が高速の突き、疾風を巻き宙貫いて風穴開ける。

 一直線に神速と相対する様、剛毅の名に相応しき。


 木刀同士が触れ合って渇いた声で哭いた。

 初音の手から木刀が離れて地面に叩きつけられ、そして──弾む。

 ワンバウンド。

 近衛の初太刀が強すぎたのだ。


 その瞬間を初音は見逃さなかった。

 大地より舞い戻りし我が愛刀を、再び、その手中に収める。


 賭けだった。

 木刀がどのような弾み方をするのか、どこへ飛んでいくのか。

 それは予測できるものではない。

 初音は賭けに勝ったのだ。


 また真に命のやり取りではないからこそ、出来た芸当でもある。

 本当ならば野太刀流が先制し、脳天をかち割られていたはず。

 ()の流派が相手の武器を叩き落とすのは、万が一にも、後手に回ったときのみである。

 一対一の勝負では滅多にない。


 そして初音は近衛の、地面につくまで振り下ろされた、(いや)、地球を断つほどの気概が故に、止められなかった木刀、その切っ先を足で踏みつけた。

 これですぐには斬り返せない。


 初音の気迫が爆ぜる。

 二度目の突きが近衛に襲い掛かる。


「──ッキィィィィィイイイイッ!!」


 顔面を狙ったそれは、虚空を突いた。

 奈業流〝落椿〟である。

 初音は足元から木刀の引き抜かれるのを感じ取っていた。

 すぐに反撃の突きが放たれるだろう。


 だが焦燥はない。

 今回はこちらの方が速い。


 初音は二度目の突きを寸止めしていた。

 顔面に届くかどうか。突く気など元よりなかった。

 気迫でもってそれを悟らせず、また、落椿に誘導したのである。


 本命は、この三度目だった。

 斜め下、沈んだ近衛へ繰り出される。

 意趣返しの〝三縦刺〟──未完成の(ふた)突き。


 もはや近衛に躱すことはできず、額と胸元を小突かれるがまま。


 西東初音、対、近衛貴勇。

 第三局面はここに決着がついたのだった。


 個々の対決を見れば、初音は二敗一勝と負け越しているが、終わり良ければ全て良し。

 不思議と充足感があった。

 満たされないものが、ようやく満たされた。

 身体に着いた泥を落とせた。

 そんな清々しさもあった。


 けれど、もっと闘いたい。

 そんな気持ちも沸々と込み上げてくる。


 初音は未だ立ち上がろうとしない近衛を見て問う。


「私の勝ちで良いのかしら?」


 期待の滲み出た声だった。

 まだ、と答えて欲しい。


 近衛は、ふっと口角を上げ──、──吐血した。


「……え?」


 初音は頭の中が真っ白になる。

 そんなに強く突いたつもりはない。

 〝三縦刺〟の未完成なのだから当然だ。

 けど必死さの中で、加減を忘れていたのかもしれない。

 本当は二突きでなく、全力の一突きになっていたのかもしれない。

 そのために、こんな、血を吐くほどに……。


 殺人の二語が頭の中をぐるぐる回る。

 だがすぐに我に返り携帯電話で救急車を呼ぼうとした。


 その手を近衛が掴んだ。


「ちょっ、放して! 早く救急車呼ばないと」

「必要、ありません」

「なんで!?」

「病気……なんですよ、僕。余命もほとんどない」


 初音は固まった。


「いやはや、医療もだいぶ進みましたが、それでも治らないものは未だにある。運がない」


 近衛がゆらりと立ち上がる。


「だからこんな、馬鹿なことをしているんです。あと少しの命、どうにか使えないかと思いまして。武術しかないなと。でもこの時代に武術で何ができるでしょう。そう考えていたときに、あの事件です」


「……私が羅刹を壊滅させた」

「あれだけの数、まさか一人でなんて初めは思ってもみませんでしたが……妙に気になりましてね。調べましたよ。彼らに聞いたりしてね」

「元気だった?」

「僕よりは」

「笑えないわね」

「同感です。僕は死ぬのに、あんな小悪党は生きていく。大悪党だって生きていく。理不尽なものです」


 袖で口元を拭い彼は笑った。

 今にも消えてしまいそうな儚さだった。


「しかし西東さん。これまた不思議なものでしてね」

「なにが?」

「いよいよ死ぬとなったら、今度は、これで正しかったのかと思うんですよ。暴力で、世直しめいたことをして、本当にそれだけで死んで良いのかって」

「……私には、わからないわ」

「そうですね。貴女はこれからも生きていく」


 先ほど悪党に対しても同じ言葉を使ったが、今は、そのときの嫌味を露も感じない。

 誇り高きことのように彼は言ったのだ。


「西東初音さん」

「なぁに?」

「貴女は嘘つきです。剣を交えてみて、わかりました」

「急に失礼ね」

「貴女は暴力が好きなわけじゃない。全力を揮いたいだけでもない」

「じゃあ、なんなの? 私の剣が求めているものは」


「闘いたいんです。自分が持つ力の全てを出しきって、勝つか負けるか、先の見えない勝負を楽しみたいんですよ」


 その言葉は不思議と胸に染み入り、初音は受け入れることができた。


(あぁ……だから今の方が、羅刹のときより、気持ち良かったんだ)


 近衛もまた穏やかな笑みを浮かべていた。


「どうでしょうか。最後に僕は、暴力以外でなにかを為せたでしょうか」


 初音は真っ直ぐ見据えて答える。


近衛(このえ)貴勇(きいさ)。貴方の剣は、見事でした。ただ血を流すものでは、決してない、私にとっては」

「なら良かった。……いやはや、でも残念な気持ちもありますけどね。貴女と共に、悪と闘いたかったなぁ」


「私は御免よ。貴方と闘うのなら良いけれど」

「ご勘弁を。僕はまた、悪を懲らしめに戻りますよ。今度はどこぞの事務所にでもね」


「自殺志願者」

「戦闘狂」


 二人はどちらともなく、ぷっと吹き出した。

 そして目だけで別れを告げる。


 もう二度と、会うことはない。



   ☆   ☆   ☆



「お前は人の言うことを聞かん奴だな」


 翌日になって、初音は師範に事の顛末を全て語った。

 すると、こう言われたのである。


 ここは素直に謝っておく。

 言いつけを破ったのは事実なのだし。


「申し訳ありません。でも得るものは、確かにありました」

「そうだな、良い面構えだ。憑き物が落ちたな」

「はい」

「それはそれ、これはこれだ。あとで罰を与えるから覚悟しろ」

「……はい」


 あぐらをかいていた師範が、すっくと立ち上がる。


「それじゃあ今日の稽古を始めるとするか」


 初音も続いて立ち上がった。


「はい。……あ、もう一つ、良いですか?」

「なんだ?」


 首をひねる師範に、初音は良く通る声で言った。


「私──アイドルになろうと思うんです」




【劇終:2番勝負 悪斬のコピー・サムライ】

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