表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/9

中編 邂逅のバッド・スレイヤー

 小悪党狩りの剣道人(けんどうびと)

 初音がその噂を聞かされてから、二週間が経とうとしていた。


 初音は制服姿のまま街を徘徊する。

 かつてより髪が少し伸びたから、黒色のバレッタでアップにしている。

 前髪はピンで留めて視界をクリアに。

 その肩には学校鞄と木刀を仕舞った袋がある。

 袋には竹刀も入っているが今日の出番は済んだろう。

 さっきまで部活だった。


 出来るだけ、チンピラのいそうな場所の近くを狙って、ふらふら歩く。

 時々、嫌な目付きで話しかけてくる輩がいれば、軽く叩いてやって逃げる。

 まるで小悪党狩りだ。


 もっとも本物は小突く程度で済みやしない。

 今日までに、付近で評判の悪い連中二組ほどが傷害事件の被害者となった。

 そのやり口、つまり怪我の具合はどちらも──両手足の骨折だ。


 師範が気にするのも無理はないと、初音はようやく合点がいった。


(私が起こした事件に影響を受けた、そのくらいの可能性は考えても良いかも。つまり模倣犯)


 そうなると、師範には悪いが、あまり無視もできそうにない。

 正義感なら良い。

 被害者が、自分にとっても納得できるクズなら、良い。

 心が痛まない。


 だが師範の言うように狂人であるならば。

 誰でも良くなってしまうことがあるならば。

 自分にも〝剣鬼〟を産みだした責任の一端が、あるのではないか。


 自分でまいた種ならば、自分で刈らねばなるまいか。


 ──そこに自己弁護めいたものが含まれていることには、初音はまだ気付いていなかった。


 ふと初音は足を止めた。

 背後に意識を集中させて、再び歩き出す。

 しばらく行って確信を深めた。

 尾行(つけ)られている。

 チンピラだろうか。それとも──。


 ちょうど公園が目に入る。とても小さく、遊具は滑り台と砂場しかない。

 人影がないのは、きっと日が沈みきったからだけではないだろう。

 手入れをされず鬱蒼と生い茂った木の葉が、月も隠れた夜の帳に更なる影を重ねている。

 そこに唯独り街灯のみが立ち尽くす。

 世界から取り残されたかのように、寂しさの漂う公園だった。


 初音は街灯の真下に陣取ると振り返り、入口に佇む人影へ「誰?」と良く通る声で問うた。

 人影は逃げることなく、一歩、二歩……と近付いてきて、何者か、白光の下に曝される。


 ──剣道の面をかぶり袴姿、右手には木刀を携えて。

 その趣、ゆらりと幽鬼の如く。


 驚くことがあるとすれば、そんな格好で街を練り歩いていたのか、ということくらいか。

 良く人に咎められず済んだものだ。

 よほど人通りが少ない道を歩いたのだろう。


(……まぁ悪いことする連中だって、人気のないところにいるわけだし、無理でもないかしら)


 驚くことがなくなった。

 格好自体は自分も以前にしたものだ。


 この剣道人は男であろうか女であろうか。

 背は高いから厳島(いつくしま)賢慈(けんじ)なら男と断じよう。

 しかし微かに覗く手首は細い。女の線もなくはないと初音の考え。


「羅刹を壊滅させたのは貴女ですか?」


 若い男の声であった。同年代か、少し上だろうか。

 野太いわけではないが、芯のある。


「ええ、そうよ。それで貴方は何者?」

「──手合せ、願います」


 初音は肩にかけた袋から木刀を取り出すことで、返答に代えた。

 鞄と竹刀の残る袋を、邪魔にならないよう離れた場所に置く。

 男の正面に戻り、そして構えるは剛毅流〝一乃太刀〟──片手で握る木刀を水平に引き、剣先を空いた方の手で覆うという、あの異形の構えである。


 遊ぶつもりはないと言うが如く。


 初音は乾いた唇をちろりと舐める。

 それはまるで獲物を前に蛇がする、舌舐めずりのようだった。


 対する男は、木刀を両手で握りしめ、剣先を初音の目に向けて中段に構える。

 正眼の構えと言う。多様な状況変化に幅広く対応できるため、剣道では基本的な姿勢としてよく見られる。

 奇しくも厳島賢慈のときと同じである、左右のいずれかに躱されるだろう。


 初音がフーッと長い息を吐く。


(でも奴よりは強い)


 一目見たときから、そう感じていた。


(二度目ではきっと終わらない)

 ならば三度、四度と放つもの。それが突き技である。


 両者見合ったまま微動だにせず。


 初音は突進力を抑え込む。溜める。気配を、気迫を抑え込む。

 いつ放つか、気取らせない。

 それでも男は柳のように悠然と佇む。

 力み、動く予兆を感じさせない。


 突如として解放される〝一乃太刀〟。

 空気を貫き高速の突きが男に迫る。


 その首が、ぽとりと落ちた。


 まるで椿の花が散る如く──そのように初音の目には映ったが、まさかそんなはずはなく、ただ男が素早く股割りをしたがために、錯覚したのである。

 奇怪なる技だった。

 右でも左でもなく下へなど、初音は思ってもみなかった。


 それがなんだと言うのか。

 突きは一撃必殺にあらず。

 初音は高速を越えて木刀を引き戻す。


 ──しかし男の、身体(からだ)を深く沈ませた瞬間放たれし突きには、到底間に合わず。


 初音の目が丸くなる。


「ば、かな」


 初音は喉元、胸、鳩尾に《《同時》》に衝撃を感じて、二歩、三歩と後退させられた。

 いや、あり得ない。

 実際には同時などではなく上から順番に突かれている。

 それも恐ろしく速く。


 同時だと思ってしまうほどに、速かったのだ。


 ただ《《同時》》を為すため、一突き一突きは非常に浅い。

 故に初音が感じた衝撃とは、精々がデコピン程の威力だった。

 それで充分。真剣ならば出血は免れない。

 木刀であっても、およそ同時に三ヶ所を突かれて恐れ(おのの)かぬ者など、一部の強者(つわもの)くらいである。

 威嚇のための技なのである。不殺の技とも言う。

 もしも死なすことあれば、それすなわち失敗なり。


 そのことを初音はよく知っていた。


「今のは! 剛毅流〝三縦刺(さんじゅうし)〟──何故、貴方が!?」


 自分の知る人間なのか。いや、そんなはずはない。

 声に覚えがない。

 ボイスチェンジャーを使っていることも考えられるが、あの道場に、このような儚げな雰囲気の男がいただろうか。


 初音が訝しむ中、男は面を取ることで返答に代えた。


「貴方は確か」

 見覚えのある顔だった。

「道場に見学に来ていた」


 結局、習いには来ていないのだ。

 そういうこともあるかと気にも留めていなかった。


「はい。はじめましてと言うべきか、お久しぶりと言うべきか。困りますね」

「……とりあえず名前を教えてもらえるかしら? 私は西東初音。知っているでしょうけど」

近衛(このえ)貴勇(きいさ)です」

「でも何故、貴方が剛毅流を……」

「見学したとき、見させてもらいました」


 初音は思わず目を見開き、渇いた笑いを零す。


「……それで覚えたって? 嘘でしょ」

「得意なんです、そういうことが」

「じゃあ、剛毅(うち)の技に移る前のあれも」

「はい。奈業(なごう)流という古拳法にある〝落椿(おちつばき)〟という技です」


 初音の知らない流派だった。

 剣術ならともかく、そちらは意識したことがない。

 事もなげに答えてから彼は、自嘲気味に笑う。


「所詮は猿真似ですけどね。一回見たくらいじゃ本物には敵いません」

「何回か見れば本物にも迫れる、とでも言いたげね?」

「三回ですね。その先は実際に使って身体に馴染ませるんです」


 本当に渇いた笑いしか出てこない。

 こういうのを天才と言うのだろうか。

 初音はこほんと咳払いをして問う。


「それで、近衛さん」

「はい」

「私に何の用?」


 問題は、そこだ。

 まさか本当に手合せだけなはずがない。

 それなら道場に来ればいいだけである。

 剛毅流は他流試合を喜んでする方だ、それだけの自信がある。

 この天才がそうしなかったのには理由があるはずだ。


「まさかストーカー?」

「はい」

「え」


 思わず木刀を正眼に構える初音。


「冗談です。けど貴女を探していたのは間違いありませんから、似たようなものですね」


 近衛は真剣な眼差しをして。


「西東初音さん、貴女の剣の腕を見込んで頼みたいことがあります」

「そんな大層なものじゃないわよ」

「一人より二人です。僕と一緒に、悪を斬りませんか?」


 本音なのだろう。目と口でわかる。

 この男は心から、正義を為したいと思っている。

 初音は静かに首を横に振った。


「悪いけど、私、正義の味方ごっこは卒業したの。小学校にあがるくらいでね。自警団に入るつもりもないわ」

「ならば貴女は何故、羅刹を?」


 ふんと鼻を鳴らして答える。


「あいつらは良い奴だったのよ」

「はい?」

「暴力を揮っても良い奴ってこと、ただそれだけ。やってみたかっただけ」


 本当のことを語る義理があろうか。

 あれは自分と友の、最後の思い出だ。

 もっとも、この理由とて嘘八百というものではない。

 己が全力をぶつけても良い相手を、今でも欲している。


(誰でも良いわけでは、今のところ、ないけど)


 自虐的な笑みを浮かべかけた、そのとき──近衛が構えを取る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ