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前編 風聞のバッド・スレイヤー

 外は心なし肌寒いものの、道場はいつものように熱気が籠っていた。

 あちらこちらから、面だの胴だの籠手だのと、本当にそう言っているのか怪しいほど奇声めいた声が聞こえる。


 互角稽古である。


 力量差の少ない者同士で、決まった時間、試合を行う。

 判定を気にせず技を打ち合い実践力を培うことを目的とする。

 勝敗を決しなくとも真剣試合のつもりで臨むことが肝要である。

 また自身や相手の技が、有効か否かを見極められるようになると、なお良い。


 師範が「ヤメッ!」と鋭く言えば、およそ二十余名は互いに相手へ一礼して師範の方へ向き直った。

 先ほどまでとは打って変わって静まり返る道場。

 師範は一人ひとりに対し、今の稽古の所感を話した。

 それが済めば今日の稽古は終わり。


「ありがとうございました!」


 弟子たちが礼して防具を脱いでいく。

 若い──年齢ではなく入門歴──弟子が掃除に取り掛かろうとしたところ、師範が制する。


「今日は良いから帰りなさい」

「はい! ありがとうございました!」


 師範は齢五十を越える御仁であるが、見た目は若く四十代でも通用しそうだ。

 髪は黒々として短い。精悍な顔つきだから、剣道をやっていると言われれば「あぁ」と十中八九納得する。


 師範のもとに一人の青年が歩み寄る。

 長身痩躯、色白で理知的な顔立ち。どこか儚さのある。

 剣道着を身に着けていない。弟子ではなく見学者なのだ。

 彼は丁寧に挨拶をしてから道場を出て行った。


 師範と弟子の二人だけが残った。

 弟子の方は、まだ幼さの残る顔立ちをした少女である。


 名を西東(さいとう)初音(はつね)と言う。


 唯一、彼女は互角稽古に参加せず、道場の隅で見学者の如く眺めていた。

 これはこれで稽古になる。見稽古と言う。

 彼女にとっての締めの稽古は今からだ。

 相手は無論、師範である。


 そのつもりで初音が道場の真ん中へ進めば、師範に、

「まぁ座りなさい」

 と促された。


 言われるがまま正座し、初音は口を開く。


「ところで、さっきの方は入門するのですか?」


 師範もまた対面に腰を下ろし胡坐をかく。


「なんだ気になるか。惚れたか?」


 初音は口をへの字にして不満の色を露わにした。

 師範が「すまんすまん」と笑う。


「いや、また後日に剛毅流の方を見に来るよ。その申し込みに今日は来ていてな、折角だから剣道の方もと誘ってみたんだ」

「そうだったんですか」


 ここ立浪(たちなみ)剣道教室では、今日のように普通の剣道を教えもするが、もう一つ、突きを主体とする古剣術・剛毅流も教えている。

 初音は剛毅流を学ぶが、中学校では剣道部に所属していることもあり、部活動がないときなどは剣道教室の方にも顔を見せることもある。


「顔は整っていたと思うんだがな。今時の子には合わないのかな。俺の時とはイケメンの形が違うものなぁ」

「どうでしょう。別に私は、顔の好みはありませんから」

「なら痩せ型が好みではないか」

「筋肉質な方が強そうには見えますね」


「そうか。お前は強い男が好みなのか」

「違います。師範には惚れていませんし」

「今俺を振る必要はあったかな?」

「一応、勘違いがないように。あと別に強い男が好みと言うわけでもないです」

「同年代には気を付けてやってくれ。案外繊細なもんだ、男は。それじゃ、どんなのが好みだ?」

「そう言われると強い方が良い気がしてきました。面倒そうなので」


 師範が笑った。


「そら悪いことをした。……まぁ、それはともかく、本題に入るとしよう」

「はい」

「少し気になる噂を聞いてな」

「……噂、ですか?」

「ああ。なんでも──剣道の面を着けて札付きどもを成敗している輩がいるとか」


 一瞬、初音は固まった。

 そして首を傾げる。


「私を疑っていますか?」

「いや、そうではない。最近のお前からは、人を斬った様子はないし、その心配はしていない」


 夏の初め頃、初音は友のために人を斬った。

 友すらも斬った。

 もちろん真剣で斬ったわけではない。

 だが剛毅流の技を使った以上、そのようにも言えよう。

 剛毅流は剣術である。

 人を殺すが本来である。


 その一件は数日の後に、師範にバレてしまった。


 師範曰く

 『弱くなった。手加減する癖がついた』と。


 どういう意味か、初音はわからず訊き返した。

 すると師範はこう続けた。


『少し前までは意識的に手を抜いていた。それはそれで少し問題だと思っていたが、相手が格下なら仕方のないことでもある。だが今は無意識に手加減しているな。この俺に対してもそうなのだから間違いない。お前、人を斬ったろう?』


 初音は隠し事は無駄と悟り、自分のしたことを包み隠さず語った。

 そして恐る恐る訊いた。


『……破門でしょうか』


 訊ねると言っても確認するようなつもりだった。

 破門されると思っていた。

 だが、そうはならなかった。


『なんだ友達を助けて後悔しているのか?』

『そんなことは!』

『なら良いだろう。自分から無用な諍いを起こしたわけでもなし。破門する気はない』

『しかし私は……あのとき気分が良かったのです。剛毅流を存分に揮うことができて』


 その相手を選ぶ気のあるうちは良い。

 けれどいつか、誰でも良くなってしまったら。


『ふむ。怖いか、自分が』

『……はい』

『その自分に()ってみろ。剛毅とは不屈の意志を言うものぞ』


 それ以来、師範に稽古をつけてもらっていた。

 まず悪癖を直すためである。

 格上を相手にいつまでも、手加減などとふざけた真似ができるものだろうか。

 師範なら相手にとって不足なし。


 自分の力を存分に(ふる)うという欲求も満たせる。

 だがそれは別の欲求を呼び起こすものでもあった。

 そのことには、二人ともまだ気づいていない。


 師範の言う通り初音は人を斬っていない。

 だが「しかし」と初音は返す。


「人斬りに慣れてしまっただけかもしれませんよ。平常心を得れば師範にもバレないでしょう」


 師範は一瞬ポカンとした後、膝を打って笑い飛ばした。


「ハハハッ! それはない、ない! お前さんにゃまだ無理なことよ」

「……むう」


 初音が頬を膨らませ抗議する。

 年相応に見える貴重なシーンだ。


「いや笑って悪かった。そうむくれるな。仮に慣れたとしても、わかるさ」

「そうですか?」

「俺はお前の師範だからな」


 ドヤ顔の師範はさておいて、初音は話を元に戻した。


「それで、どうして私に、そのような話を? 私は有名ですが悪名は然程ありませんよ」


 中学生全国剣道大会は例年八月に行われ、今年はもう済んだ後。

 妙な癖の所為か決勝ばかりは危うい場面もあったが初音はまたもや優勝した。

 一年に続き二連覇。当然と初音は思う。


 師範が答える。

「念のため。釘を刺すため」


「釘、ですか?」

「もしもそいつと鉢合わせても、闘おうとは考えるな。お前はまだ癖が直ったわけではない」


 秋になった今、初音はかつての剣筋にだいぶ戻ってきているが、確かに万全とは言い難い。

 その自覚は初音にもあった。


「別に、そんな気は起こしません」

「なら良いんだ。強い男が好きらしいから心配したぞ。まぁそいつは女の可能性もあるがな」

「師範の冗談はどこまで本気かわかりにくいですが……本当のところは?」

「格好がお前を思わせるし現れた時期も近い。もしや真の狙いはお前なのかもしれんと思った」


 初音は、まさか、と思った。

 それをそのまま口に出す。


「気にし過ぎだと思います。格好については連中を問い質せば知れるでしょうが、私にそこまで執心を抱く人に心当たりはありませんね。連中の仲間くらい。けど彼らの仲間なら、そんな回りくどいことしないでしょう。単に小悪党を相手に憂さ晴らししてるだけの剣道経験者では?」


「だと良いが……狂人やもしれん」

「私のような?」

「お前は違う。守るべき者のため剣を握った、それでどうして狂人と言えよう」

「その人にも守るべき者とやらがあるのかもしれませんよ。例えば……正義だとか」


 師範は悲しげに(かぶり)を振った。


「そうかもな。だが、そうじゃないかもしれない。触らぬ神に祟りなし。そういう話だよ」

「わかりました。どちらにせよ、関わりません。そもそも会うかどうかも、わからないじゃないですか」

「ああ。何もなければ一番だ。……あまり自虐的になるな」

「そんなつもりも、ないです」


 本当は自覚している。

 けれどなんだか、ばつが悪い気がして口ばかりの否定をした。


「……さて、締めの稽古にしようか」

「はい。よろしくお願いします」


 初音は面と籠手を装備し立ち上がった。

 師範は防具なしに竹刀を握る。


 これが師弟の力量差を、そのまま表していると言って良かった。

 たとえ全国大会で優勝しようとも西東初音は、心技体の全てにおいて、まだまだ未熟なのだ。

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