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氷の魔法使い  作者: 星野 葵
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#4 友の声

セクエは、目を見開き、目の前の光景を眺めていた。両足はいつの間にか地面についている。いつ降りたのかさえ覚えていなかった。


セクエの目の前には、セセィラがいた。セセィラは横たわり、そしてその腹からは氷の棒が生えていた。いや、生えているのではない。深々と、その腹に刺さっていたのだった。


(私が、やったの…?)


呆然とした頭で、それだけは理解できていた。セセィラの体は、雷を直撃したことでボロボロになってしまっている。その上、氷に体を貫かれたのだ。生きている可能性はまずなかった。


自分が何をしたのか、その実感がじわじわと湧いてくるにつれて、セクエは、ふいに恐ろしさを感じた。


(私が、殺した…。)


もう『あんなこと』はしないと、あれだけ思っていたのに。また、やってしまった。殺してしまった。


全身が激しく震えている。目の前のセセィラはもう、セクエに何かを訴えることはできない。だが、その姿だけで十分だった。その姿をセクエに見せているだけで、セクエは自分のしたことの恐ろしさ、異常さ、おぞましさをはっきりと理解することができた。


(怖い…怖い…!)


目の前の光景が。そして何よりも、自分のしたことが。セクエは崩れ落ちるように座り込み、両手で頭を抱え、現実から逃れようとするように、叫び声を上げた。


ーーーーーー


ナダレは、激しく後悔していた。セクエを止められなかった自分の無力さを嘆いた。ナダレは、セクエが戦っている間、全く動けなかったのだ。セクエが怒りを爆発させた時、ナダレはその溢れ出す魔力に耐えられず、体からはじき出されてしまった。そしてその勢いのまま、体を強く木に打ち付けてしまったのだ。本来の魂なら、実体が無いので、衝撃など無いはずなのだが、ナダレには実体があった。そしてその衝撃をもろに受け、意識さえ危うい状態だった。ただセクエを見ることしかできなかったのだ。


ようやく動けるようになった時、すでに戦いは終わっていた。セセィラはセクエに殺され、セクエは完全に我を失ってしまった。


(だから、考え無しでは勝てないと言ったのだ。あの男に何も考えずに挑んだところで、勝ち目はないと。)


ナダレの視界の隅で、何かが動いた。バリューガだ。その姿を見て、ナダレは少しだけ安心した。


(バリューガが無事だったということが、不幸中の幸いと言えるな。二人は本当に仲が良い。彼が隣にいれば、セクエの精神の安定も早まるだろう。)


しかし、そこで一つの疑問にぶつかる。その疑問に気づいた瞬間、ナダレは全てを見透かされていたような、そんな恐ろしさを感じた。


(バリューガは、本当に『無事』なのか…?)


見た目はなんともないように見える。だが、あの男がこんなことを許すだろうか。あの男は、セクエが動揺することを狙っている。ならば、バリューガをこんなかたちで人質にするのはおかしい。バリューガがそばにいれば、それだけでセクエが動揺する可能性はぐっと低くなるのだ。あの男がそれを予想できないはずがない。


(とするなら、バリューガは、すでに…)


考える前に体が動いた。セクエに駆け寄ろうと立ち上がって、声をかけようとした。だが、その時。


「おっと!邪魔されたら困るんだよね、ナダレ。」


いつの間にか、すぐ目の前にバリューガがいた。だが、明らかにおかしい。バリューガはナダレの名前を知っていても容姿を知るはずがないのだから。


「邪魔をしているのはお前の方だ。バリューガ。いや…ヒョウ、と呼ぶべきか。」


ヒョウはニヤリと笑う。


「まんまと引っかかったね。これで主様の狙い通り。君たちがどんなにあがいても無駄だった、ってわけだ。あの子が主様に支配されるのももう時間の問題さ。もちろんお前は一緒にくるよね、ナダレ?」

「ふざけるな。誰が、貴様などと…!」


ナダレは空気中の水分から氷を作り、それでヒョウを切ろうと構えた。しかし、ヒョウは何事もないかのように言う。


「そんなことしていいの?ナダレなら分かるんでしょ?人間の思いをさ。もしこの体が傷ついたら、セクエちゃんがどんな反応をするのか…想像できるんじゃない?それでもいいなら、別に僕はかまわないけどね。」

「かまうものか!貴様など…」

「止めろ。」


静かな声が響いた。ナダレは思わず黙り込む。それがセクエの声だったからだ。セクエはいつの間にか立ち上がり、こちらを見ていた。


「…魔力の無駄だ。」


声に感情が無い。完全に、メトに支配されてしまっている。この声はおそらく、メトがセクエを通して話しているだけで、セクエの意思ではないのだろう。


「我は…行かぬ。貴様らの所へなど…。」


ナダレはその気配に圧倒されそうになりながら、それでも言った。


「それは許されない。」


声は冷たく答える。


「この体から魔力を取り出せるのは、この体に宿った者、すなわちナダレ、お前だけだ。お前がいなければ、この体があっても使い物にならない。お前が逆らうことは許されない。」

「そうであるなら、なおさら貴様らと共に行くわけにはいかない。セクエをみすみす殺させはしない…!」

「セクエの魂を生み出したのは私だ。生かすかどうかも私が決める。」

「人間がどう生きるかは、生きている本人が決めることだ。」

「セクエは人間ではない。」


断言した。セクエの、その体を使って。セクエは人間であろうとしていた。自分が何者か分かっていながらも、それでも人間でいることを諦めなかった。だというのに。


(メト…許さん!)


「どうしても、私と共に来ないというのなら。」


メトが言った。その右手がすっと前に伸びて、ナダレを指差した。


「…!」


体から力が抜ける。すぐに立っていられなくなり、その場に倒れ込んでしまう。


「お前のその力、すべてもらっていくことにしよう。お前がいなくとも、この体から魔力を取り出せるように、な。」

「なん…だと?」


ナダレは焦る。体のほとんどが魔力でできているナダレは、魔力を完全に抜かれたら消滅してしまう。そうなれば、もはや打つ手はない。しかし、ナダレは限界まで魔力を抜かれたが、最後まで力を抜かれることはなかった。メトは手を下ろし、そして言った。


「やはり、この体では力を完全に抜くことはできないか…。ヒョウ、ナダレを連れて来い。」


ヒョウの返事を聞かずに、メトは唱えた。


集団転移ジバスク・ロプ。」


ーーーーーー


セクエは、よく分からない所にいた。自分はどうやら浮かんでいるようだ。いや、底のない谷に落ちているのかもしれない。それとも、むしろ上へ上がっているのだろうか?セクエにはどの感覚も無い。自分は今、どうなっているのだろう。


目の前には何もない。かといって真っ暗というわけではなく、それでいて明るいわけでもない。自分は『無』の中にいるんだ。セクエはそう思った。


(体が動かない…。これが『支配される』ってことなのかな…。)


思考も思うようにはたらかない。やはり、自由なんて、そうそう手に入るものじゃなかった。


(私…負けたんだ。)


メトに負けた。いや、むしろこうなるのが当然だったんだ。作り物、偽物である自分が、その生みの親であるメトに勝てる可能性なんて、もともと無かったのだろう。


(なんか、おかしいな。)


笑えてくる。なんて無駄なことをしていたんだろう、自分は。これじゃまるで聞き分けの悪い子供じゃないか。馬鹿らしい。初めからおとなしく従っていれば、こんな思いもしなくてすんだのに。バリューガに出会わなければ、命令を素直にきくこともできたのに。


(このまま、終わるんだろうか。)


メトの生贄として。本来あるべきかたちで。意識も戻らないまま…。


声が、ずっと聞こえている。聞き慣れたメトの声。それが頭の中に響いてこだまする。もはや何を言っているのかも分からないほどに。だが、何を言おうとしているかだけははっきりと分かる。


(どうせ、従えって言うんだ。この後に及んで、私なんかが、もう逆らえるはずもないのに。)


セクエはただ無の中に存在していた。やがてセクエ自身も無となってその空間に拡散していく。意識も感情も薄くなり、完全にその空間にとけ込もうとしていた。だが、そこで。


ーあなたの…………は、何…ー


(…誰?)


声が聞こえた。メトではない何者かの声が、消え去ろうとするセクエの意識に語りかけている。


ーあなたの…………は、何…ー


消えかけていたセクエの意識が再び集まり、セクエの体を構成していく。


(誰…。誰なの…?)


セクエは目を開けた。さっきまでは、何もなかったその空間に、メトでも自分でもない、誰かの気配を感じる。開いた目は、光をとらえた。光っているからといって、何かが見えるわけではないが、確かに光っている。自分のすぐそば、その胸元で。


それは、母の残したネックレスだった。それも、いつもの青い光ではなく、燃えるような、勇気付けるような赤い光だった。


ーあなたの、大切な物は、何…?ー


聞こえる。声が。母の声が。自分に、問いかけている。


(分からない…何が大切なのか、何を大切にするべきなのか、分からないよ。お母さん…!)


セクエはいつの間にか涙を流していた。大切なものが、分からなくなってしまった。バリューガと出会い、ナダレと話し、メトに捕まってしまったために。どの世界が本物なのか、どの価値観が自分に近いのか、セクエは見失ってしまっていた。


ーあなたの…ー


声はそれでも続けた。


ーしたいことは、何…?ー


これなら、セクエは知っていた。すべきことではなく、したほうがいいことでもなく、したいことを。母がそれを選べと言うのなら、セクエは迷わずに選ぶことができた。


(私は…)


メトの声が大きくなる。自分の心の声すら聞こえなくなるほどに。だが、それに負けるわけにはいかない。母が、力を貸してくれるなら、セクエはそれに応えたかった。


(私は…生きたい!バリューガと、ナダレと、みんなで…!)


何もない空間に裂け目ができた。その向こうに、世界が見えた。


ーーーーーー


自らの眠る地、学舎へとセクエたちを転移させたメトは、その場ですべての神たちと合流し、自らの肉体の封印されたその場所へまっすぐに進んでいた。


ナダレはヒョウに背負われて運ばれていた。ナダレとしては逃げ出したいのだが、もう動けるほどの魔力が残っていない。されるままになるしかなかった。


(くっ!魔力さえあれば、ここから逃げ出せるというのに…。)


集団の先頭はメトだ。ナダレはそのすぐ後ろ、そしてそのあとに他の神がずらずらと並んで歩いていた。


ふと、目の前の魔力が乱れたような気がして、ふと前を見ると、メトが立ち止まっていた。それに見てヒョウが立ち止まり、後ろの神たちもそれに合わせた。


(何だ…?)


立ち止まる理由などどこにもない。むしろメトは急ぎたいはずだ。


「バリューガ…ナダレ……」


ナダレはハッとして目を見開いた。この声は他の神に届いただろうか。それとも、自分の聞き間違いなのだろうか…?


メトは、まるで水の中にいるようにゆっくりと、振り返った。その目にわずかに光が戻っているように見えたのは、やはりナダレの見間違いなのだろうか。


メトの手がすっとヒョウに伸びる。指をさすのでもなく、手を握っているのでもなく、ただ伸ばされただけの手。ただの手のはずなのに、なぜか嫌な予感がする。ヒョウもどうやらそれを感じ取ったらしい。ヒョウが身構えるのをナダレはその背中の上で感じていた。だが、相手がメトと分かっている以上、反撃はもちろん逆らうこともできない。さらに背中の上にはナダレを背負っているので、思うように身動きもとれないだろう。ヒョウは構えているだけで何もできないのだ。


いきなり、メトが伸ばした手を素早く握った。ナダレにはそれが何かを握りつぶそうとしているように見えた。しかしそこにはなにもない。ただ空気をつかんでいるだけだ。


(何をしているんだ?)


ナダレにはあまり考える時間は与えられなかった。すぐにヒョウが苦しみだし、地面に投げ出されてしまったからだ。地面に叩きつけられた痛みに顔を歪めながらヒョウの様子を確認すると、ヒョウは自分の胸のあたりを掴んでうめき声を漏らしていた。息もかなり荒い。最後に、うっ、という声を残し、ヒョウは倒れた。そして、ヒョウの気配が完全に消えた。


(なっ…バカな!なぜメトはヒョウを消した?なぜこれだけの魔力を持つバリューガの体を諦めた?何を…考えているんだ…?)


メトの瞳にはやはり感情が見られない。その目がほんの気まぐれのようにナダレを捉えたかと思うと、今度はその手がナダレをさした。


今度は自分の番か…。ナダレは目を閉じて自分を襲うだろう苦しみに備えた。だが、苦しみはおろか、痛みも無い。むしろ体が楽になっていくような…。


(セクエ、なのか…?)


そう思った。セクエなら、ヒョウを消す理由もナダレを助ける理由もある。セクエが、メトに逆らっている。それ以外に考えられない。ナダレは倒れた体制のまま、セクエから与えられる魔力をもらい続けた。


やがてセクエは手を下げ、進行方向を振り返った。そして、メトのいる方向へ走り出した。


残された神たちは、今の状況を理解できないらしく、ザワザワとしていた。


「ヒョウが倒れたぞ?」

「セクエは何をしたんだ?」

「まさか、主様に逆らったのか?」

「それより、この人間、どうする。ヒョウは消えた。目を覚ます前に殺すか?」

「それはいいが、ナダレはどうする。」

「適当に誰かが連れて行けばいいだろう。それよりこの人間だ。」


何かよからぬ会話をしている。ナダレは立ち上がり、言った。


「この少年を殺そうというなら、我は…全力で止めるぞ。神ども。」


一人が言う。


「何言ってる。そんなフラフラの体で、いったい何ができるっていうんだ?それに、数の差を考えろ。お前一人で俺たち全員が止められるわけないだろう。」


はははっと笑う。つられるように他の神たちも笑い出した。ナダレは叫ぶ。


「それはどうかな?」


笑い声が止まる。ナダレは続ける。


「貴様らなど、我一人で十分だ。」


(セクエ、お前がメトに抗おうというなら、我はその神として、全力で、それを支える。それが神というものだ。そうだろう、セクエ。)


それに、今のナダレには氷以外の力もある。人間は学ぶ生き物だ。ナダレもセクエを見て魔法の使い方というものを学んだ。今なら、それなりに戦える。いや、そうでなくとも、せめて時間稼ぎくらいにはなるだろう。ナダレは身構える。


(まずは、バリューガを遠くへ離さなくては。)


転移魔法を使おうか。いや、それでは魔力の消費が大きすぎる。仕方ない。少し面倒だが風魔法で運ぶとしよう。ナダレは魔力を集中させる。呪文は分からないので、意識だけで魔法を発動させた。


ビュオッ、と風が巻き起こり、バリューガの体を包み込む。そしてそのままバリューガをどこかへと運んでいった。


他の神たちはみんな目を見開いて驚いている。まさかナダレが氷と水以外の魔法を使うとは思わなかったのだろう。ナダレはフッと笑って言った。


「さて…これで心置きなく戦えるな。」


ーーーーーー


セクエは走った。いつ再び支配されるか分からない。ネックレスは赤く光り続けているが、その力がだんだんと弱くなっているのをセクエははっきりと感じていた。この力がなくなる前に、なんとかメトを止めないと。


目の前に洞窟が見えてきた。やっぱりここか。私が魔力を感じて、バリューガと戦った、この場所。ここに、メトがいる。セクエはその洞窟にころがりこむように入っていった。


ーーーーーー


ガンッと何かに強く打ち付けられたような気がして、バリューガは目を覚ました。


「いってー。何なんだよ、コレ!」


そう叫んで、ハッと気づいた。少しだるいが、体が動く。


(ヒョウは?)


何も感じない。いなくなったのだろうか。いや、それはなんとなく不自然な気もする…。


「ま、そんなことはどーでもいいか!これで自由ってわけだし!」


そこで一つ気づく。ここはどこだ?周りを見渡す。周囲を崖に囲まれている。ここは学舎なのか?


(でも、誰もいねえな。)


とりあえず立ち上がる。そこで、風に乗って何かを感じた。


(気配?いや、気配は風に乗らないよな…音じゃないし、匂いでもないし…何なんだ?これ。)


その何かが飛んできた方向に顔を向ける。すると、さっきよりもその気配がはっきりと感じられた。暖かい。そして、懐かしい。セクエだ、と、バリューガはとっさに思った。なぜそう思うのか、なぜセクエの存在を遠くから感じられるのか、バリューガにはさっぱり分からなかったが、それでもその直感は当たっているような気がした。


(セクエが、この先にいる。)


ヒョウたちと同じ存在のセクエ。ずっと人間のフリをし続けて、自分を騙してきたと思うと、今でも腹がたつ。しかし不思議と、顔なんて見たくない、とは思わなかった。むしろ、今すぐ会いたいと思った。なぜか、今会わなければ、もう二度と会えない気がする。会いに行かなければ、生きていけるかもしれない。会いに行けば、その場で殺されてしまうかもしれない。それでも、もう一度セクエの顔を見たい。声を聞きたい。話をしたい。それが許されるのは、きっと今だけだ。


そう思うと、もうバリューガは迷わなかった。直感が知らせる方にバリューガは進んだ。そこに何がいるのかなんて、そんな面倒なことは考えないことにした。直感で歩いているので、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、まっすぐに進むことはほとんどなかったが、それでもなんとかおそらくここだろうという場所にたどり着いた。ここに来るまでにどれだけの時間をかけたんだろう。そんなことをぼんやりと考えた。


そこは、洞窟の前だった。


なんとなくここだろうとは思っていた。バリューガからしてみれば、ここがすべての始まりだった。ここで初めて戦った。ここでセクエが魔法を使った。きっと、ここには自分の想像もつかない何かがあるのだろう。


そっと中へ入る。あの時と何も変わっていない。入り口は狭く、奥はやけに広い。そして、中には明かりが無いのに、ぼんやりと明るい。ただあの時と違うのは、その奥の方の壁が崩れたようになっていて、向こうに道が見える、ということだ。気配はそこから流れ出ている。そこに入る。下へと続く階段になっていて、下は何か明かりがあるのか、かなり明るくなっている。


ここにきて少しだけ怖くなった。この下に何がいるんだろう。もしくは何があるんだろう。好奇心はある。だが、恐怖心がそれに勝っている。足が進まない。


『来い。』


バリューガは飛び上がるかと思うほど驚いた。今のは空耳か?


『いるのだろう。早く来い。』


いや、空耳じゃない。確かに声がする。どうやら自分がここにいることがばれてしまっているらしい。


(それなら、もう迷うだけ無駄だよな!)


バリューガは無理に明るく考え、階段を下りた。やけに狭い。恥ずかしくなるほど自分の足音がよく響いた。下は、やはり広くなっていて、大きな部屋のようになっていた。構造は上とあまり変わらない。


部屋の中央、バリューガの目の前に、セクエがいた。バリューガには背を向けている。バリューガは駆け寄って声をかけた。


「セクエ。セクエってば!」


声をかけても反応がない。顔を覗き込んでみると、思わず見なければ良かったと後悔した。その顔に、何の表情も浮かんでいなかったからだ。喜び、怒り、怯え、その他のありとあらゆる感情が無い。


(人形、みてえだ。)


立っているからには生きているのだろうが、はたして今の状態を生きていると言っていいのだろうか。もう一度声をかけようとした時、また声が聞こえた。


「無駄だ。セクエにはもう何も届かない。お前の声も、姿も、気配も、もはや何の意味も持たないのだ。」


バリューガは振り返った。そこに、一人の男が立っていた。なぜ気づかなかったのかと思うほど近くにいた。声が低かったので、歳を取っているかと思ったが、ずっと若い。セクエの年の離れた兄のような感じだ。それほど痩せていないのに、生命力をまるで感じない。


だが、その顔立ちは美しかった。すっきりと整った顔をしている。目は青い。よく晴れた空のような鮮やかな色だ。そして何より、その髪がキレイだった。短く切ってあるその髪は、真っ白だったのだ。氷のような透き通った白さではなく、まさしく純白と呼ぶべき色をしていた。バリューガがそれを美しいと感じたのは、その色合いがどことなく空を連想させたからかもしれない。


「どういうことだ?」

「セクエは悟ったのだ。自らのあるべき姿を。」

「てめえ、誰だ。」

「我が名はメト。神、およびセクエを生み出した者だ。」


メトはしばらく黙った。バリューガも何も言わなかった。が、やがて耐えられなくなったようにメトが話し始めた。


「私は、お前が憎い。お前たちのような剣使いが、この上なく憎い。」


バリューガは何も言えなかった。きっと言ったところで何も変わらない。そんな気もした。


「はるか昔から、剣使いと魔法使いは争いを繰り返してきた。我々は、魔力は全能なる神より与えられた人間の力だと考えている。だが、剣使いはそれを穢れた闇の力だと言って嫌う。さらに、それだけでは飽き足らず、国へ攻めてきては数人をさらい、拷問にかけたあげく最終的には処刑した。我ら魔法使いはその行為に怒り、剣使いと戦った。」


メトはバリューガを睨みつけるように見た。恨みのこもった目だった。バリューガはそれを黙って受け止めるしかなかった。魔法を恐れる気持ちは分かる。バリューガだって、初めて魔法を見た相手がセクエでなかったら、魔法使いを恐れていたかもしれないのだ。


「お前は知らないだろうが、この世界には魔法使いと呼ばれる民が大勢いる。おそらく剣使いよりもはるかに多い。世界の大多数を占めるその民が、なぜ忌み嫌われ、差別され、殺されなければならなかった?なぜ、何もしていない我々が攻撃を受けなければならなかった?さらにあげくの果てには、今さらになって我々を避け、魔法使いとの間に起こったことすべてを無かったことにしようとしている!そちらから勝手に始め、多くの犠牲者を出しておきながら、一言も謝らず、ただ一方的に攻撃をやめ、それで全てを解決したと思い込んでいる。私はそんな貴様ら剣使いが憎い…!」


聞いていられなくなって、バリューガは叫ぶように言った。


「そ、そんなこと、ねえだろ?そんなひどいことしておいて、何にも謝らないで忘れようなんて、そんなこと…!」

「ならばお前はセクエと出会う前から知っていたのか?魔法使いと呼ばれる種族の事を。我らとの争いの記憶を!何も覚えてはいまい!お前たちは忘れようとしたのだ。過去の争いの傷跡をな。私はその恨みを晴らすために、剣使いを滅ぼすためにより大きな力が必要だった。神たちは、そのために必要な犠牲なのだ。」


もう何も言い返せなかった。きっと、自分では想像もつかないほどメトは苦しんだのだろう。しかしそこで一つ疑問が浮かぶ。バリューガは思い切ってそれを尋ねた。


「セクエは?」

「なに?」

「セクエは、魔法使いだろ?なのに、なんで殺そうとしてんだよ。お前が憎いのは、剣使いだけなんだろ?セクエは、生きてたっていいじゃねえか。」


メトは、まるでくだらない質問に答えるように、吐き捨てるように言った。


「セクエは、魔法使いだ。だが、それ以前に人間ではない。」

「そんなことない。セクエは人間だろ?」

「肉体だけはな。だが、その魂は作り物だ。人間と呼ぶにはほど遠い存在。」

「でも、体は人間じゃねえかよ?」

「セクエはすでに、この世界で人間として生きていくことはできないのだ。」


メトはきっぱりと言った。


「言っただろう。人間と呼ぶにはほど遠いと。セクエの作り物の魂には、本来人間に備わるべき要素が大きく欠落している。そのせいで、セクエは十数年という短い時間の中で過去に二人の人間の命を奪っている。これからいつ同じようなことが繰り返されるか分からない。セクエは人間を襲うのだ。剣使いも魔法使いも関係なく、な。」

「でも…。」


バリューガは信じたくなかった。なんとなくそうだとは思っていたが、自分に襲いかかってきたセクエを本当のセクエだとは思いたくないのだ。あれには何か理由があったに違いない。そう思いたかった。


「それ、あんたがさせたんじゃないのか?セクエがお前の命令に従うように、セクエを操ってやらせたんじゃないのか?」

「…なるほど、ナダレと同じ誤解をしているようだな。あの時は私は何もしていない。セクエを操るようなことは何もしていないのだ。そうなるかもしれないとは思っていたが、本当にあんなことになるとは思っていなかった。セクエは、私の想像をはるかに超えていた。」


その顔は暗かった。セクエを恐れている。バリューガはそう思った。自分で作った命を恐れている。セクエだって生きているというのに。メトは続けて言った。


「セクエは確かに殺したのだ。一人の少女と…セクエ自身の、母親を。」

「母親…?そんな…そんなはずねえだろ?いくらなんでも、母親を殺すなんて…。」

「私はセクエの目を通して確かに見た。セクエはあの時母親を守れたはずだった。だがそうしなかった。セクエはずっと、死んでいく母親を見ていた。私としても、信じられなかったがな。」

「だとしたら、何か理由があってやったんだ!セクエは、そんなことするやつじゃ…」

「もう、いいよ。」


バリューガは黙った。セクエの声だった。もういい、ということは、メトの言ったことはすべて正しいのだろうか。バリューガはそれが許せなくて歯をくいしばった。


「メトの言ってることは正しいよ。私は、確かにお母さんを守らなかった。いなくなっても構わないって、思ってた。それに…」


セクエは無表情のまま、呟くように言った。


「今でも、あの時の判断を後悔したことはないよ。殺すことは恐ろしいことだけど、でも、間違っていることだとは思えないんだ。…メトの言う通り、私は危険な存在なんだよ。これから先、私が自分で自分の大事なものを全部壊してしまうくらいなら、ここで死んだほうがいいんだ。きっとその方が…」

「ふざけんじゃねぇっ!」


バリューガは怒鳴った。その声の大きさに自分でも少し驚いた。怒りで頭が真っ白になる。自分が何を言っているのかも分からなかった。ただ、思ったことを次々に叫んだ。


「おまえ、見せた記憶の中で言ってたよな。殺したヤツの分まで生きるって、言ってたよな?それ、全部嘘だったってのかよ!それともなんだ?おまえが殺したヤツらの命なんて、その程度の価値しかないってのか?ちゃんと生きれるか自信がねえからって、そう簡単に捨てれるようなもんだったってのかよ!」


セクエはいきなり怒ったバリューガに少し戸惑ったようだが、それでも意見を変えるつもりはないらしく、バリューガに言い返した。


「だって、私はっ…!」

「うるせえ!おまえのこと、人間だって思ってたオレがバカだったよ!」


セクエの顔が歪む。それを確認したメトはバリューガを睨みつけ、ものすごい速さでバリューガを壁に押し付けた。バリューガの首を押さえたその体制のままメトは言った。


「黙れ!これ以上、セクエに自我を目覚めさせてはならない。」


バリューガは言い返そうとする。だが、なぜか声が出ない。これも何かの魔法だろうか。


「セクエが私の命令に逆らってまで助けようとしたその命…見逃してやろうかと思っていたが、これ以上私の邪魔をしようというなら、もはや容赦する必要は無いらしいな。」


首を掴むメトの手に力がこもる。すると体から力が抜け、上がりかけていた手がだらりと下がった。意識が薄れる。


(ああ、オレは結局、何も変わってないな。)


セクエを助けられなかったあの時から、少しは強くなった気でいた。次は守れる気でいた。でも、それも全部思っていただけだった。


(オレは結局、セクエを助けてやれない…。)


そのまま意識は無くなり、メトが手を離すと同時に体は崩れるようにして倒れた。


ーーーーーー


「もう、やめて。」


バリューガを殺そうとしたメトの耳にセクエの声が届いた。メトは振り返る。そして一つため息をついてから言った。


「やはり、自我が目覚めてしまっていたか。」


メトはセクエを睨みつける。だが、その目つきに何の意味もないことはお互いに分かっていた。


「もう、お前も、あの少年も、私から見れば価値のない存在になってしまった。」


メトは言う。


「ヒョウは消えた。そして、ナダレも消えかけている。馬鹿なやつだ。たった一人で大勢の神に戦いを挑むなど…どうなるかは目に見えていただろうに。」


セクエは何も言わない。それでもメトは続けて言う。


「神のない器は、もはや魔力を取り出す方法は無い。本来なら、剣使いであるあの少年は殺し、魔法使いであるお前は生かすつもりでいたが…お前は、剣使いはおろか、魔法使いまで滅ぼしかねない存在となってしまった。しかし、お前が持つ魔力は私をはるかに上回っている。私の支配から抜け出した以上、私はもうお前をどうすることもできない。この状況で、おまえはどうする?」

「…分からない。でも、あなたをそのままにはしたくない。剣使いは滅ぼさせない。」

「お前にそれができるのか?私は何を言われようと意見を変えるつもりはない。私を止めるなら、私を殺す他に方法はない。だが、お前にはもはや人を殺すことなどできまい。少なくとも自らの意思では。その状況で、どうやって私を止めるというのだ?」


セクエはうつむいた。分からない。答えが見つからない。メトは続けた。


「それに、私を殺すということは、お前が生き延びるということだ。それがどういうことか、お前なら分かっているだろう。お前が再び暴走すれば、おそらく剣使いも魔法使いもすべて滅ぶ。お前は剣使いは滅ぼさせないと言ったが、お前にそれができるのか?私を止めたところで、この少年も、故郷の民も、見ず知らずの者たちも、お前は全員殺してしまうだろう。お前は自らを制御しきれていないのだからな。」

「私は、それでもあなたを止める。その後は、自分で死ぬ。それしかない。」


そんなことはできないと、セクエは分かっていた。メトを殺さずに止める方法も、自分で死ぬ方法も分からない。


(いや、本当は分かっているんだ。どうやればメトを止められるのか、どうすれば、死ねるのか。)


でも、それをしたくない。もはや迷っている時間など、どこにも無いというのに。


「お前が何を選んだところで、いずれ剣使いは滅ぶ。私が滅ぼすか、お前が滅ぼすか、その二択だ。」

「そんなこと、ないっ…!」


セクエは叫んだ。もう、迷っている暇はない。セクエはメトに近づきその体に触れると、呪文を唱えた。


「強制合成魔法!ティラーク・ジパル!」


セクエの体から大量の魔力が放出される。それと同時に、メトの体からも魔力が放出された。それが一つの大きな渦を巻く。二つの魔力がつながり、一つの新しい魔力を作り出す。


「フッ、なるほど。合成魔法か?確かに私とお前の魔力が合わされば、かなり強力な魔力ができるな。」


魔力の渦に目を向けることなく、メトは言う。


「だが、それでも人間一人を死に至らしめるほどの魔力にはほど遠いぞ。この魔法で私を止めることができても、お前を止める者がいなくなるだけだ!」

「それなら!この魔力を使って自分を殺す!私は、剣使いも魔法使いも滅ぼさせないっ!」


セクエがそう叫んだ時だった。魔法が次の段階に進んだ。セクエとメトが触れ合っている所から、まるで柔らかい粘土がつながるように、体がつながっていく。メトはその痛みに思わず顔を歪め、セクエはその痛みに堪えきれず悲鳴をあげた。しかし魔法は止まらない。互いは互いの肉体に飲み込まれ、その頭上では魔力が合成された。やがて肉体は完全に一つになり、渦を巻いていた魔力はその体に宿った。


ーーーーーー


バリューガは目を開けた。一瞬、ここがどこだか忘れていた。だが、そんなことを気にするより先に、すぐ目の前にいたその人影に目を奪われた。その人は床に散らばる小石や、よく分からない何かの欠片を無数に空中に浮かべ、今まさに自分の体に突き刺そうとしていたところだった。


「やめろっ!」


思わず叫ぶ。その人がビクッと反応し、浮いていたかけらがバラバラと音を立てて床に落ちた。


「死ぬなんて、そんなの、止めろよ…。」


その人は振り返ってバリューガを見つめた。その目に見たこともないほどの悲しみが浮かんでいるのを見て、なぜか胸が痛んだ。その人がセクエであることは一目で分かった。だが、何があったのかその見た目は大きく変わっている。髪は真っ白で、かなり長い。足の付け根あたりまで伸びていた。そしてその目はどこまでも青く、吸い込まれるようだった。メトと同じだ。細かく見ればもっと差があっただろうが、その他は目に入らなかった。


「止めないでよ。…私は…!」


そう言った声はバリューガが知っているものよりずいぶん低い。少女というより、少年といった声だった。


「このままじゃ、全部壊しちゃうんだよ?見たことない人だって、動物だって、バリューガだって、きっと関係ない。私は、そんなことしたくない!そんなのは嫌だ!そのくらいなら…死んだ方が、ずっと…」


その目から涙が落ちた。涙は止めようもなく溢れてきて、セクエは座り込んで大声を上げて泣いた。


「なのに…どうすればいいの?このままじゃ駄目だって分かってるのに…死ねない…。死にたくないよ…ねえ、バリューガ…どうしたらいいの…!」


セクエはひたすら泣いた。思えば、こんなに子供みたいに泣いているセクエは見たことがなかった。バリューガには、どうすればいいのか分からなかった。しかし、どうしても何もせずにはいられなくなって、バリューガはセクエにそっと近づいて肩を抱いた。それでもセクエは泣きやまなかったが、バリューガには、セクエが死にたくないと言ってくれたことが嬉しかった。その気持ちを分かってほしくて、セクエにまた笑ってほしくて、バリューガはずっとセクエを抱きしめていた。

勢いで書いていたら中途半端な終わり方になってしまいました。すいません。今後、『魔法使いシリーズ』として続編を書く予定です。

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