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氷の魔法使い  作者: 星野 葵
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#3 闇への罠

風が吹く。その勢いに乗って思い切り飛び上がりたい。そんな気持ちがふと沸き起こる。だが、そんな気持ちも立ち上がった瞬間消えてしまった。また腰を下ろす。そんなことをバリューガは繰り返していた。


(なーんか気になってたことがあるんだよなあ〜。)


それが思い出せない。近頃バリューガはそのことばかり考えているのだ。頭の中に浮かんだと思ったら消える。ボーッとしているとまた何か思い浮かぶ。しかしそれもすぐに消える。その繰り返し。


(確か、セクエと一緒にいた時だよな。)


そこまでは思い出せる。だが、そこから先は何も出てこない。


セクエの言葉を思い出してみる。


ーそうさ、私は化け物だよ。ー


違う、ここじゃない。


ーその首、切らせてもらうことになるから。ー


ここでもない。


ー記憶をバリューガに見せるの。ー


いや、これよりも前に…。


ー何か証拠を見せてよ。ー


そうだ。それで、氷を作って…。


ーそんなこと、力のある者なら誰でもできる。ー


見つけた。


(これだ。これに引っかかってたんだ。力があれば誰でもできるってことは…)


しかし、頭がぼんやりして思考が思うようにいかない。


(えっと…だから…)


視界の焦点が合わない。自然と目が閉じる。


それから、何も分からなくなって、バリューガは眠るように意識を失った。


ーーーーーー


「…という訳で、しばらくはここにいることにしたよ。」


セクエはアトケインに向かってそう言った。


「そ、そうか…。」


アトケインとしては、混乱するばかりである。まさかこんなにすんなり留まると言ってくれるとは思っていなかった。


(にしても、なんでいきなり魔法の勉強なんか…。)


セクエの知識なら、ほとんど学ぶことはないはずだ。一体セクエは何をしようとしているのか。


「それで、これからどうするんだ?どこか、生活できる場所が必要になる。」

「そのことなんだけど…。」


セクエが言いにくそうに言う。


「しばらく、ここにいさせてくれない?」

「…は?」


意味を理解するまで少し時間がかかった。


「だって、私に家なんて無いし、そもそも肩書きもあるから他の人に泊めてもらうなんて絶対に無理でしょ?偶然見つかったから賢者が保護した、ってことにしてもらえないかなーって。」


確かに、その考えは妥当だ。賢者の屋敷は無駄に広い。部屋はたくさん余っていて、管理が行き届いていない可能性があるほどだ。そのうちの一つにセクエを保護するというかたちでしばらく住ませる。一見問題無さそうに思える考えだ。が、アトケインは不安なことがあった。


「それは構わないが、セクエ殿。」


アトケインは切り出す。


「なぜ、ここに留まることを決めたんだ。魔法の勉強と言っていたが、セクエ殿の力があれば、もうほとんど知識など必要無いはず。それなのに、なぜ、あなたはこれ以上の知識を求めるんだ。」


セクエはじっとアトケインの目を見つめた。しかし何も言わない。


「答えてくれ。」


ためらいがちにセクエは答えた。


「とても危険なことに巻き込んでしまうかもしれない。下手をすれば死んでしまう可能性もある。…それでも、聞きたいの?」


セクエの目を正面から見つめ返して、アトケインは答えた。


「構わない。どんなことになろうとも、訳の分からないことに協力する気はない。たとえ、それがシェムトネの民だとしても。」


セクエはため息をつき、それから話し出した。


「本当は、話したくないんだけど……私には、助けたい人がいるの。」


(助けたい人?)


「彼の名前はバリューガ。私の…幼馴染の少年。」


セクエはぽつぽつと、思い出すように話した。


「私は、シェムトネを出てから、ある場所で生活してた。そこには、たくさんの子供がいて、みんなで協力しながら暮らしてた。だけど、全員が『ある印』を付けられてた。…私も、まだシェムトネにいたころ、その印が付けられた。それでその場所に行くことになったんだけど…」


それから、セクエは黙った。言うべきか、言わないべきか、迷ったのだろう。それでも、セクエは決心して言った。


「その印を付けられた子供たちは、ある時になったら、全員、一斉に、殺される。…生贄として。他の誰も、そのことには気づいてなかったけど、私は、それが分かった。それで、怖くなって、私は逃げ出した。それからは、何もかも忘れようとしてたんだけと、やっぱりバリューガのことは忘れられなくて…見殺しになんて、できないから…。」


セクエは苦しそうにそう言った。アトケインは、セクエを傷つけてしまうことを分かっていたが、それでもいくつかの質問をした。


「他の子供たちは自分の置かれた状況を知らなかったんだな?なら、セクエ殿はどうして自分の置かれた状況を知ることができたんだ?」

「私は、ただ運が良かっただけ。本当に偶然で、知ったんだ。私は、印を付けられて連れ去られる直前に、こう言われた。『お前には力がある。その力を、我らの主たるお方に捧げろ。お前はこれより、力を溜める器となり、我と共に、終わりの地へと行くこととなる。』…そのあと、私はすべての記憶を消された。自分の名前以外、その時言われた言葉も、お母さんの顔も、シェムトネのことも、全部忘れさせられた。何も分からないまま、まるでずっとそこに住んでいたみたいに連れて行かれた先で暮らし続けた。」

「待て、連れ去られた、とはどういうことだ?セクエ殿はたしか、守護霊に助けられたと言っていただろう?」

「それは…ごまかしていたんだ。本当のことは、言いたくなかったから。」


ここでアトケインは嫌な予感がした。


(もし守護霊に助けられたことが嘘なら、セクエ殿の中にいるナダレ殿は一体何者なんだ?セクエ殿に付けられた印。それは、もしかしたら…。)


そんなことをアトケインが考えているとは知らないセクエは続けて言った。


「それから、何年そこで過ごしたか分からない。だけどある時、突然思い出したんだ。印を付けられる前、何を言われたのか、その言葉の意味まで、全部理解した。だから、逃げることができた。」


アトケインは続けて質問した。


「なぜ、他の子供たちを連れて逃げなかったんだ。セクエ殿の魔力なら、何人かの子供と一緒に逃げることもできたはずだ。」

「子供たちは、全員特別な教育を受けていた。自分たちが選ばれた特別な存在だって教えこまれてて、本当のことを言っても信じてくれる人なんているはずがなかった。それに…後から知ったことだけど、印には思考を制限する力もあった。何を言っても、私がおかしいとしか思われなった。」

「何かの魔法で信じさせることもできたんじゃないのか?」

「魔法を知らない人の前で魔法を使うのは危険だよ。どんなショックを受けるか分からない。」

「魔法を知らない?魔法使いはいなかったのか?」

「…私が知る限りでは、魔法使いは私だけだった。」


アトケインの目が冷たくなる。


「それなら、そのバリューガという少年も、『剣使い』だったんだな。」


剣使いとは、魔法を使えない人を魔法使いと区別して呼ぶ時の名称だ。皮肉の意味を込められることも多い。


「馬鹿らしい。たかが剣使いのためになぜそこまでするんだ。剣使いは、我々魔法使いを差別し続けてきた憎き種族。私たちの敵だ。」


アトケインは言い放つ。


「敵じゃ、ないよ…。彼らは…」


セクエの言葉を最後まで聞かずに、アトケインは言った。


「部屋なら、そこの扉からつながる部屋を使っていい。だが、その剣使いたちに関しては、私は協力しないからな。」


セクエはもう言うのを諦めたらしく、うつむきながら言われた部屋に入っていった。


「馬鹿らしい。」


アトケインはもう一度言った。


「剣使いなど…!」


ーーーーーー


バリューガが次に目を開けた時、自分は横になっていた。どうやら知らない場所らしく、自分がなぜここにいるのか分からない。そもそも森からは出られないのではなかったか?


体は動かない。動かそうという気力も出ない。とにかく気持ち悪い。


(なんか腹の中で別の生き物が動き回ってるみてえだ…。なんでこんなに気持ち悪いんだよ。)


小さく呻くと、近くで声がした。


「おっ?気がついたか、バリューガ。」


苦しんでいるバリューガとは対照的な明るい声だった。バリューガは身をよじらせてその声の主を見た。


「おまえ…!」


その顔を見て驚愕した。相手は答える。


「久しぶりだねえ。僕のこと覚えてる?まさかこんな形で会うことになるなんて、思ってもみなかったよ。」


そう答えた相手。それは、バリューガに宿る神、ヒョウだった。


「なんで、おまえがここに…。」


バリューガは確かに覚醒したのだ。ヒョウはバリューガから出てこられないはず。なのに、なぜヒョウが目の前にいるのか。バリューガはますます混乱するばかりだった。


「君も馬鹿だよねえ。気付かないふり、知らないふりをしていれば、こんな苦痛を味わうことも無く、穏やかな死を迎えることができただろうに。」


くっくっく、とヒョウが楽しそうに笑う。


「おい、ヒョウ。」


バリューガは苦しいのを我慢して言った。


「ん?なんだい?」

「オレに、何しやがった…!」

「はあ?なんのことだい?」


バリューガは続ける。


「とぼけんなよ。おまえが何もしてないなら、こんなに気持ち悪い訳ねえんだ。答えろ。オレに何をしたんだ?」


するとヒョウはニヤリと口元を歪めて言った。


「あーあ。これだから察しのいい人間は嫌なんだよねー。ま、その質問になら答えてやってもいいんだけど、後で嫌というほど同じことやってやるから、それまで我慢してもらえる?」

「なら、ここはどこだ。」

「その質問には答えられない。」

「オレは誰かに捕まったのか?」

「ご想像にお任せするよ。」

「なんでおまえがオレの外にいるんだ。」

「それはもう気付いてるんだろ?」

「オレが?」


バリューガは驚いてきき返す。


「そう、君が。そもそもここへ連れて来たのだってそれが理由だし。」


(オレが気付いたこと?)


バリューガには一つだけ思い当たることがあった。


「神ができることは、魔法使いにもできる…。」

「ご名答!その通りだよ。つまり僕を含むすべての神は、『神なんかじゃない』。ただ魔法を使えるだけの魂だ。君はそれに気付いてしまった。だから危険人物とみなされるようになった。これ以上余計なことをしたり考えたりしないように、君の行動や思考を制限、もしくは停止させることになった、って訳さ。今の僕はそのための見張り番であって、神でもなければ、君に宿っているわけでもない。」


ヒョウはいきなり左手を上げた。そして目を細め、その手のひらをじっと眺めた。


「なんて話してる間に、そろそろ、溜まってきた頃かな…?」


ヒョウはバリューガのすぐそばまで来て、その場にしゃがみこんだ。そして左手をかまえる。


言っている意味が分からないバリューガはただヒョウを見ていることしかできなかったが、それでも何かまずい事態であることだけは分かった。


「動かないでね?まあ、動けるほどの力がまだ残ってたら、の話だけどね。」


それだけ言うと、ヒョウは倒れているバリューガの腹に、勢いよくその左手を突き刺した。


バリューガはとっさに目を閉じたが、痛みはまったく感じなかった。ゆっくりと目を開けると、なんとヒョウの手は服や皮膚を貫通してバリューガの内側に入り込んでいた。ヒョウが呆れて言う。


「そんな驚かないでよ、バリューガ。僕はあくまで魂。実体がない。物をすり抜けるなんて当たり前。これが普通なんだからさ。」


ヒョウは目を閉じ、フーッと息を吐き出した。とたんに気持ち悪さが増し、バリューガは思うように動かない体を震わせながら呻いた。


「う…ああっ…!」


その感覚は今までに感じたことがなかった。腹に刺さった手からドクドクと脈打ちながら何かが体に流れ込んでくる。そしてその何かはバリューガの体に入ったとたんぐねぐねと動きだす。ヒョウの手から大量の生き物が流れ込んでいるようだった。


(これか…オレが起きる前にされたのは…!)


ヒョウは息を吐き終えるとその手を抜き、バリューガをあざ笑うような口調で言った。


「どう、気分は?さぞかし気持ち悪いだろうねえ。それに対して僕はずいぶん気持ちいいよ。この苦痛を全部君に預けることができるんだから。」

「何だ…今の…。」

「僕の魔力だよ。それを君に流し込んだんだ。それにしても、あれだけの魔力を入れられてまだ話すだけの気力が残っているなんて、やっぱり君を選んだのは正解だった。」

「なんの…ためだ?」


ヒョウは立ち上がりながら答えた。


「今それを聞いたって頭の中に残らないだろう?時間をかけてゆっくり教えてあげるよ。君がなんでこんな目にあうのか、僕たちが何者なのか、何が目的なのか、君の意識があるうちにできるだけ教えてやるからさ。」


ヒョウはバリューガに背を向けてどこかへ行ってしまった。


「ま、僕がいない間、せいぜい孤独や絶望と戦ってるんだね。」


最後にそんな声が聞こえた。


(…ああ、気持ち悪い。)


さっきまでは、体の中で何かが動いてるのがかすかに分かる程度だった。だが、今はそれがより大きく、より広範囲にわたっている。魔力を入れられるたびにひどくなっていくのだろうか。


(セクエ、今頃どうしてんだろ。)


ふと思った。セクエだって神の器だった。セクエには何もないのだろうか。


(セクエは魔法使いって言ってたし、オレが気付いたことに気付かないはずないんだよな…。ここに連れて来られるかな。それともセクエだったら魔法で逃げ出せるか?)


そんなことをしばらく考えていたが、それでもやはり不安は消えない。


(オレ、何に巻き込まれちまったんだろ…。)


体はまだ動かせない。バリューガはヒョウの言う通り、孤独や絶望、恐怖と戦うしかなかった。


ーーーーーー


賢者の屋敷では、アトケインが落ち込みながら反省していた。


(セクエ殿には言いすぎたかもしれない。いくら種族が違うとはいえ、幼馴染を助けたいと思うのは当然だ。でも、今さらなんと言ってやればいいものか…。)


あの部屋に入れてから、セクエは部屋から出てきていないない。声も聞こえてこない。さらに、後から気付いたことだが、セクエに貸した部屋は風通しが悪く、さらにあまり日も差さないので、ほとんど物置きに使われていた部屋だった。古くなった魔道具や効果の切れた魔法薬、古い文献などが放り込まれたように散乱している。少しヤケになっていたとはいえ、あまりにひどい選択だった。アトケインとしてはセクエに会わせる顔がない。


しかし、当のセクエは部屋に入った瞬間、さきほどまでの暗い気分がまるで嘘のように吹き飛んでしまった。


かなり管理が悪いが、かなりの量の魔道具があった。こんなにたくさんの魔道具をセクエは今まで見たことがない。それだけでも十分なのに、それ以上に目を引いたのが、壁に沿って設置されていた本棚に所狭しと並ぶ本だった。試しに一冊手にとって開いてみるが、ここで気づく。


(そういえば私、字が読めないんだ。)


セクエは文字というものを習ったことがない。シェムトネにいた当時は文字の読み書きより魔力の制御を優先していたし、学舎でも文字を読んだり書いたりする機会はなかった。


どうしたものか。ここにある本はどれもだいぶ古く、セクエが知りたいことが書かれているような気がする。


(とりあえず、片付けようか。)


この部屋の荒れようはひどい。机の上、さらにはその中にまで魔道具が散乱している。床にはそれらの他に書類やガラスの欠片やら鉄クズやらが散らばっていて危なっかしい。さらにそれらの上には床もろとも魔道具たちを隠そうとするかのように厚いホコリが積もっていた。ふと足元を見れば、自分の足跡がくっきりと残っている。


(いったいどれだけ放置されてたんだか…。)


ホコリをすべて取り除くことはあきらかに不可能なので、とりあえず歩いても問題無い程度にホコリを落とす。本棚と机の上も軽く払って、書類を集めて重ねておく。もちろん文字が読めないので順番は適当だ。それらが済むと、すぐに魔道具の整理にとりかかった。こちらはコツさえつかめば簡単だ。ひとまず手に取り、伝わってくる魔力から効果を予想し、大まかに分類する。中には、もう使えなくなっている物もあった。


しかし、得意というだけあって分別はすぐに終わってしまった。もうやれる事が残っていない。残った問題は文字が読めないと言う事だけだった。


(さて、どうやって読もうか…。)


何かないかと魔道具を探してみる。すると、ちょうどいい具合にあった。指先にはめて、文をなぞることで文字を読み取り、音声に変える魔道具だ。目が見えない人のために作られたようだが、そもそも目が見えない人は文字を読もうとしない。使われる日は来なかったようで、表面の色があせている。セクエは、まだ使えるのかと半信半疑で指にはめ、本棚に並ぶ中の一冊の背表紙の題名らしき文をなぞってみた。


ーガ…ガガ…ー


何か硬いものが擦れるような音が聞こえた。


(ああ、こりゃ駄目だ。何を言っているのか全く分からない。)


だが、このまま諦めるというのも納得いかない。きっとアトケインはまだ機嫌がよくないだろう。できる限りのことは自分でしなくては。


(修理してみようか。)


幸いなことに、セクエは魔道具をいくつか使ったことがあった。魔道具は、一般的な道具の中に魔力が入れられている構造になっていて、その魔力によって効果を発揮する。魔力にはすでに命令がされていて、利用する際は少し意識をするだけでその効果を引き出すことができる。使う人の魔力を消費しないという利点があり、生まれつき魔力の弱い人でも魔法と同じようなことができるとあって、様々なものが開発されていたようだ。


セクエは、制御できないなら魔法を使うのをやめ、魔道具だけを使ったらどうかと言われ、魔道具に触らせてもらったことがあるのだ。


(まあ、その時は触れた瞬間ひび割れて、使い物にならなくなっちゃったんだけどね。)


魔道具は、その内側に魔力が入っているため、ひび割れたり、傷がついたりすると、そこから魔力が漏れて使えなくなってしまうことが多い。セクエの場合、制御しきれない魔力が無意識のうちに体から放出されていたため、触れた魔道具を傷つけてしまったのだ。


(でも、あの時とはもう違う。自分の魔力は制御はできてるから、触れただけで傷つけることなんて起こらないよ。たぶん。)


セクエは机に魔道具を置き、自分は椅子に座って、もう一度例の魔道具をよく見た。小さなベルトのような形をしていて、指先に巻きつけて使うようになっている。ちょうど指の腹が当たる部分には丸いガラスが付けられていて、ここの部分が魔道具の役割をしているようだ。


(ということは、ここに魔力が入れられているはず。)


しかし、どんなに調べても、魔力をほとんど感じない。使い切ってしまったのか、どこかから漏れてしまっているか、どちらにしてもこれでは使えないのは当然だ。


まずセクエは、どこかに傷がついていないか調べた。一見どこにも問題ないようだったが、光にかざしたりして注意してよく見ると、端の方に小さな傷が付いているのが見えた。まずはこの傷を直さなくてはならない。セクエは片付けをした際に出てきたガラスの欠片の中でも、とりわけ長めのものを一つ取り出す。そしてその端を持って、反対の端を強力な熱魔法で溶かし、冷めないうちに傷に付けて、その傷をふさいだ。やったことがなかったので、ガラスを付けすぎて少し盛り上がってしまったが、まあ問題無いだろう。


次に、魔力を入れなければならない。入れすぎるとまたひび割れるかもしれないので、少しずつ、慎重に入れていく。まだ少し魔道具の中に魔力が残っていたので、魔力に命令をしなくても、おそらく機能するだろう。


すべてが終わったとき、セクエは汗だくだった。こんなに神経を使ったのは初めてのことだ。本来なら、きちんと機能するか確認した方がいいのだが、そんな気力はなかった。セクエはまだなんとなくホコリっぽい机に突っ伏して眠った。


ーーーーーー


「どうした?もう限界?」


声がした。バリューガは目をあける。


「まだまだ…。そんなに、早く…へたばって、たまるかよ…。」


あれから何回魔力を入れられたか分からない。すでに感覚は『気持ち悪い』を通り越して『意識がはっきりしない』という段階に入っている。


ヒョウは面白そうにくっくっく、と笑ったあと、バリューガから手を抜いて言った。


「で?どこまで話したか覚えてる?」


バリューガはかなり苦しかったが、それでも答えて言った。


「おまえらは…『主』とかいうやつのために、生贄になろうとしてる。…そいつは魔力を欲しがってるから、おまえはオレに魔力を入れている。…ってとこまでだ。」

「そうそう、ちゃんと覚えてるね。じゃあ、その続き。」


ヒョウは楽しそうに続けた。


「生贄って言ったけど、僕たちはそのためだけに主によって生み出された。僕の本質は魂だけど、それは作り物にすぎない。つまりニセモノさ。僕たちは肉体を持つことを許されず、他の体に宿ることで魔力を蓄える。でもね、その中で二つだけ、『例外』ってやつがいるんだよ。主様もよく考えるよねー。みんな同じにすればいいのに。」


バリューガはヒョウを睨みつける。早く本題を話してほしいのだ。今のバリューガは、いつ気を失ってもおかしくない。だから、それまでにできる限りのことを知っておきたかった。


「分かった分かった。そう睨むなって。ちゃんと話すからさ。その例外ってのは、バリューガも知ってると思うよ。一つの名前は、ナダレ、って名前だったな。」

「ナダレ…。」

「そ。話は聞いてただろ?君と仲良しのセクエちゃんに宿る神だ。いや、魂って言った方がいいかな?まあどっちでもいい。そいつが一人目の例外。本質的には僕らとたいした差は無いんだけど、あいつの例外的要素は、『この世に存在する生きた人間の魂から作られた』ってことかな。」

「生きた…人間の…魂…。」


(ああ、ダメだ。また意識が…)


目の前が少しずつ暗くなっていく。


「おい!」


バリューガはハッと目をさます。


「まだ話の続きなんだけど。これから面白くなるから、もう少し起きててよ。」


コホン、とせきばらいして、ヒョウは続ける。


「生きた人間の魂から作られたって意味、分かる?僕たちは、完全な無から作り出された。魔力によってね。でも、ナダレは違う。ナダレは人間の魂から作られた。だから性能がいい。あいつには人間の感情がある程度分かるし、勘ってものがあるから危機察知能力にも優れている。だからより確実に、器を守ることができる。で、次にもう一つの例外だけど、コレ、教えていいのかな?」


ヒョウがまた笑う。


「もう一つの例外には、名前が与えられなかった。そいつは生み出されてすぐ、生まれる前の人間に宿ったんだ。そして今まで人間として生きてきた。その人間としての名前が…」


ヒョウはいったん切った。そしてさもおかしそうに、楽しそうに、ニヤリと笑ってささやくように言った。


「セクエっていうんだよ。」


バリューガは目を見開いて驚いた。


「な…セクエ…って…。」

「どう?驚いた?これで眠気も吹き飛んだでしょ。」

「なんで…セクエが…。」

「だから、期待してるだけ無駄だよ?もしかしたら魔法使いのセクエちゃんが助けにくるかなー、なんて。だって、あいつはどちらかと言うと僕たちに近い存在だからね。君を助ける理由なんてどこにも無いんだから。」


ヒョウの声は、もはやバリューガには届いていなかった。


(セクエが、ヒョウと同じ…?)


助けに来てくれるなんて、そんな都合のいいことは考えていなかった。だが、助かってほしいと思っていた。自分と同じように生贄になることだけは、ならないように、祈っていた。ここに来てから、ずっと。それなのに。


(人間じゃ、なかったのかよ?人間だって、そう言ってやった時、あんなに嬉しそうに笑ったのに。化け物って言われること、あんなにあからさまに嫌がってたのに…。)


騙されたような気がしてならない。どこからどう見ても人間だったセクエが、どうして目の前にいるヒョウと同じなんてことがあるだろうか?


(それとも、そういうものだったのかな。)


人間のフリをして生きる運命だったのかもしれない。そういうように生み出されたのかもしれない。


(こんな裏切り、アリかよ…?)


バリューガはもう、今自分の置かれている状況に希望を見出すことはできなかった。


ーーーーーー


セクエはまた一冊本を取り出す。ページを開き、さて読もうとすると、声がした。


「そろそろ休め。体がもたんぞ。」


心配そうな顔をしてナダレが出てくる。セクエは手をいったん止めて、ナダレに向き直って言った。


「だって、仕方ないでしょ。私は文字が読めないし、この魔道具は読むのに時間がかかる。今日は朝からずっとやってて、もう昼になるっていうのに、薄い本一冊しか終わってないんだよ?知りたいことがどの本に書かれてるかなんて分からないし、そんなに時間も無いんだから。」

「それは分かるが、体を壊しては意味が無い。休憩を入れた方がはかどるだろう。いいから休め。」


セクエはムッとしてナダレを見たが、言っていることも正しいので反論できない。仕方なく本を閉じ、指から魔道具を外した。


セクエは机の上に置かれたその魔道具を見る。セクエはどうやらうまく修理できたようで、目覚めてからずっと使っているが、正常に機能していた。だが、直し方が悪かったのか、もともとそうだったのか、この魔道具は読み上げるまでに時間がかかる。しかも、なんとなく発音もズレていて、聞き取りにくい。魔力を使わないことが魔道具の利点なのに、セクエは魔力を使う以上に疲れてしまっていた。


「で、セクエ。お前は一体何が知りたいんだ。何をそんなに調べている?」


ナダレが尋ねた。セクエは答える。


「シェムトネの歴史。賢者の事とか、じい様の事とか…」

「嘘を言うな。」


ナダレが最後まで聞かずに言う。


「分かっていないとでも思っていたか?お前、自分が何を調べてるのか、ちゃんと分かっているのだろうな?下手をすれば、今すぐ『連れて行かれる』可能性もある。そして我はその見張り番だ。そのことを本当に分かってやっているのか?」


ナダレがセクエを睨む。セクエはひるまずに答える。


「分かってるよ。でも、私は私のやりたいことをやる。たとえ無駄だとしてもね。もし、ナダレがその邪魔をするっていうなら、私はナダレを倒してでも、バリューガを助ける方法を見つけてみせる。」

「それが裏切り行為だと分かっていながら、か?」

「そうだよ。それでも、見殺しになんてできない。できるわけない。私はこうなる運命だったとしても、バリューガは違う。彼は…巻き込まれただけだから。」


ナダレは一つため息をもらし、そして言った。


「そうか…では…」


(やっぱり、許されないんだろうか…?魔力を集めないといけない立場の私が、そのための生贄を助けるなんて…。)


「しばらくお前に付き合ってやる。」

「…えっ?」


聞き間違えたかと思った。自分に付き合う?なぜ神であるナダレがそんなことを言うのか、セクエにはさっぱり分からない。


「どうした?そんなに意外か?」

「だって、ナダレは…」

「忘れたか?我がどうやって生み出されたか。名目上やつの奴隷である我とて、あの男に恨みを持たぬわけがない。だが、直接復讐をしようにも、あの男の力は並外れている。とても相手にはなれない。だから…」


ナダレはニヤリと笑う。


「我の代わりを務めてくれるか?」


セクエは思わず微笑む。


「なるほどね。私でよければ喜んで。神様。」

「フッ…それでこそ我が器。」


ナダレはそれだけ言うとふと真剣な顔つきになり、セクエの中に戻った。それからすぐに扉を叩く音が聞こえた。


「セクエ殿?」

「ケイン?どうしたの?」

「いや…昨日から出てきた様子がなかったので、とりあえず、何か食べた方がいいかと思って、食べ物を持ってきた。…入ってもいいか?」


セクエがうん、と答えて扉を開けると、アトケインがおずおずと入ってきた。アトケインは机の上にパンとスープが乗ったお盆を乗せると、本と魔道具に気づいたようで、不思議そうな顔をして尋ねた。


「何をしていたんだ?」

「本を読んでたんだよ。」

「セクエ殿とは違う声が聞こえたが…?」

「えっ…」


セクエは慌てた。ナダレのことがばれるとまずい。


「ああ、魔道具のことかな?」

「この小さいのか?」

「うん。私、字が読めないから…」


アトケインが驚いた様子でセクエを見た。


「字が、読めない?」

「うん。習ったことは一度も無いんだ。それで、この魔道具を使って読んでたんだよ。」

「この魔道具が読み上げていた、ということか?」


ふうん、とアトケインが興味深そうに魔道具を持ち上げて眺めた。セクエは気にせずお盆の上のパンを一口かじる。なんだか久しぶりに食べ物を食べた気がする。スープも一口飲んでみる。暖かいスープが体に染み渡るようだった。夢中になって食べていると、それを見たアトケインが言った。


「すまないな。朝にも持って来ればよかったのだが、なかなか時間が取れなくて…。」

「え?ああ、気にしないで。お腹が減ってたんじゃなくて、ただ単に美味しかっただけだから。」


セクエはあっという間に食べ終わり、後には空になった皿とお盆が残った。


「セクエ殿は…」


アトケインが言いにくそうに言った。


「剣使いのことを、どう思っているんだ?」

「……。」


セクエはすぐには答えられない。簡単に答えられるものではないのだ。


「…私のことを、『化け物』って呼んだ人がいる。」


言葉を選びながら、セクエは話し始めた。


「私のことを、『化け物』だって思ってた人がいる。…当然と言えば当然だよね。私がまだここにいた頃は、魔力の制御ができなくて、物を壊してばかりいたから。私は当時、読心術も制御できてなかった。…だから知ってるんだよ。この村にいる人、ほぼ全員、私のことを化け物だって思ってたって。聞きたくなかったけど、どうしても心の声が聞こえてくる。私が人の前を通る時、ああ、またあの化け物が来た、ってみんなが思ってた。それが苦しかった。」


セクエはうつむいた。だが、休まずに続けた。


「お母さんも、私の魔力に怯えることがあった。魔法使いで私のことを化け物って呼ばなかったのは、ケインが初めてだった。ここを出て暮らしてた場所でも、私のことを化け物って呼んだ剣使いがいた。」

「待て、私が初めてと言ったが、ヘレネ様は?ヘレネ様はセクエ殿の魔力を抑えようとしていたんだろう?ヘレネ様も、化け物と呼んだのか…?」

「そうだね。ヘレネは、そうは呼ばなかった。」


セクエは顔を曇らせて言う。


「…もっとひどかった。私のことを、人間として、生き物として見ていなかったから。」


セクエは手を握りしめる。


「私は…」


セクエは手をさらに強く握った。爪が手のひらに食い込んで痛かった。だかそれでも溢れてくる怒りを止められない。


「私はっ…!」


その怒りに反応するように、セクエの魔力が膨れ上がる。アトケインはその魔力に圧倒されながら、セクエをなだめようとした。


「セクエ殿!すまない、私が変なことを言ったばかりに…。」


しかし、セクエは怒りを抑えられなかった。セクエ自身がその魔力を制御できていなかった。


その時、セクエの胸元のネックレスが青く光った。その光に吸い込まれるようにセクエの魔力が落ち着いていく。


セクエは、スッと体が楽になるのを感じ、大きく息を吐き出して、心を落ち着けてから続けて言った。


「私は、利用されるしかなかった。ヘレネにとって、私は都合のいい魔力の供給源でしかなかったんだ。物心つく前から…私が人並み外れた魔力を持ってるって分かった時から、ずっと、私から魔力を奪い続けた。私が地下牢に入れられるその日まで、毎日、毎日。」


セクエの目から涙がこぼれた。


「誰にも、言えなかった。お母さんも、その他の人たちも、みんな魔力の制御のためだって言ってたから。だけど、そうじゃないってことは分かってた。私は、ただ魔力を抜かれているだけだって。なのに、帰ってきた私を見ても、誰もそんな風には思ってくれなかった。むしろ魔力が小さくなった私を見て安心してた。それで、また次の日もヘレネの所に連れて行かれて…。」


セクエは顔を手で覆った。涙が止まらない。あの時のことを、セクエはいまだに鮮明に覚えている。体が動かなくなるまで魔力を抜かれ続ける恐怖がセクエの中から消えたことは、今までに一度も無かった。


アトケインはゆっくりと後ずさり、部屋を後にしようとしていた。セクエがそれに気づいて止める。


「待って。…まだ、終わってないから。」


涙を手でぬぐいながら、セクエは言う。


「みんな、私のことを化け物って呼んだ。でも、バリューガは違った。魔法を使った私のことを、人間だって言ってくれた。確かに、バリューガに使った魔法は、そんなに危険度の高い魔法じゃなかったけど、でも、初めて自分と同じ人間だって言ってくれた。保証してやるって、言ってくれたんだ。」


セクエはもう泣いていなかった。はっきりと、こう言った。


「剣使いは、私にとって、大切な人たちだよ。」


セクエが話している間、胸元のネックレスは青く光り続けていた。


ーーーーーー


アトケインはセクエの部屋を出てから、不思議な思いにとらわれていた。


(剣使いが、魔法使いを人間と認めた?あの、迫害を続けてきた彼らが?)


どうしても理解できない。あの野蛮な種族がなぜ魔法を理解できるのか。どうして魔法使いを同じ人間だと言えたのか。


(それに、あの言葉…。)


ー剣使いは、私にとって、大切な人たちだよ。ー


セクエは確かに、人『たち』と言った。だがその前に、セクエは剣使いからも化け物と呼ばれだと言っていた。それはつまり、その少年がいたから、セクエは剣使い全員を許せたということなのではないか?


(魔法を認める剣使い、か。)


いったいどんな少年なのだろう。そのバリューガという少年は。魔法を理解し、剣使いでありながら魔法使いは人間だと言ったその少年は。


(セクエ殿は、不思議な人だ。)


いまだかつて、こんなことを感じたことはなかった。剣使いを許せるかもしれないと、なぜかアトケインはそう思った。


ーーーーーー


バリューガから手を抜き、ヒョウは何度目かのため息をつく。


セクエの話をしたのは失敗だった。あれから、バリューガはほとんど意識があるのか分からない。呼びかければわずかな反応を見せるが、答えることはしない。自分の置かれた状況を知りたがることもしなくなった。


(あーあ、せっかく話し相手ができて退屈しないなーって思ってたのに。)


退屈で仕方ない。かといってここを離れるわけにもいかない。


(ま、仕方ないか。いつかはこうなる予定だったし。)


ヒョウはまた魔力が溜まるまでしばらく寝ることにした。寝ていた方が魔力の回復は速いのだ。


ウトウトしてきた頃、頭の中を何かが通り抜けたようにツキンと痛んだ。ヒョウは目を開ける。


「…なるほど、ようやく出番が来たってわけ。」


よいしょと立ち上がり、バリューガに向かって言った。


「おい、良かったな、バリューガ。またお日様が拝めるってさ。きっとセクエちゃんにも会えるよ?」


バリューガは反応しない。ヒョウはバリューガに近づきながら言う。


「ま、あくまで体は僕が支配させてもらうけど。」


それだけ言うと、ヒョウはバリューガの中に入った。


ーーーーーー


朝ごはんが運ばれてきた。セクエは黙って食べる。最近はなんだかエサを運んでもらっているような感じだ。なんだか申し訳ない気がする。そしてつまらないとも思う。なにせ外へ出られないのだ。保護という名目でここにいさせてもらっているのはセクエだって分かっている。外へはなかなか出られないということも。


(でも、それにしたってこんな日の入らない部屋じゃ今が朝なのか昼なのかも分からない。)


そんな思いを察したのだろうか、アトケインが話しかけた。


「セクエ殿は、何をそんなに熱心に調べているんだ?」


いかにもその場をなんとかしようとして言った言葉だった。


「えっと…なんだろ。…昔の事が知りたいんだよ。私が生まれるより前の。」


セクエはそっけなく答える。


「では、私も一緒に調べようか?」

「いや、それはいいよ。一人でしたいんだ。知りたいっていっても、全部が知りたいわけじゃないから。」

「それなら、せめてなにが知りたいのかくらいは教えてくれてもいいだろう。この部屋には無いかもしれない。」


セクエは食べる手をいったん止め、天井を見上げて考えた。


「ケインって、大賢者について、何か知ってる?」


アトケインの言っていることを無視してセクエは言う。


「それがセクエ殿の知りたいことなのか?」

「いいから。」

「…私が知っていることは、他の誰にも使えない力を持っていて、初代賢者となったということだ。あとは、突然村に現れ、村を治めたとか、老人だったとか、その程度のことしか知らない。詳しくは伝えられていないんだ。」

「そう…」


それから、アトケインは一つ思いついたように付け加えた。


「そういえば、村に現れた時、もう一人、供の者を連れていたと伝え聞いている。その者は、ずいぶん若かったらしい。」


それだけ聞くと、セクエは突然立ち上がった。椅子と机がぶつかってガタンと大きな音を立てた。


「よしっ!外に連れてって、ケイン!」

「な、何をいきなり…?」

「こんな狭い部屋にいたら頭がおかしくなっちゃうよ。気分転換しないと、私が何をしたいのかも忘れちゃう。だから、外の空気を吸いに行くの!」


アトケインはしばらくぼうっとしていた。セクエが何を言いたいのかすぐには分からなかったのだ。セクエとしては、その空白の時間さえも腹ただしい。


「もういい!」


それだけ言うと、セクエは自分に透明化とすり抜けの魔法をかけ、飛び上がって部屋を出た。


村の通りには今日も人がたくさんいた。セクエはそれを無視して近くの森に入り込む。木々が生い茂っているが、速さは落とさない。透明化の魔法が効いているので、何にもぶつからないのだ。体を木や岩がものすごい速さですり抜けていく。


(ああ、やっぱり少しは魔法を使わないとね。魔法の力が弱まっちゃうよ。)


しばらく森の中を飛び回り、ようやく落ち着いたセクエは魔法を解き、地面に降りた。ふと見上げると、今日の空は曇っている。


(少しイタズラしてやろっと。)


雨乞いの魔法メク・フェーレ。」


唱えてからしばらくすると、パラパラと小雨が降ってきた。もっと降るかとも思ったが、今のセクエではこのくらいが限界のようだ。天候操作の魔法は非常に大きな魔力を必要とする。雨を降らせただけでも大したものだとセクエは思った。


空を見上げて両手を広げ、全身で雨を受け止める。やがて本当に雨が降ってきたようで、だんだんと雨脚が強くなり、しまいにはザーザーと激しい音を立てて雨が全身を濡らした。それでもセクエは動かない。


ふと、耳の奥で何か声が聞こえた気がした。昔に聞いた、馴染みのある声だ。何か自分に呼びかけていたようだったが、その声はすぐに止んだ。


(思っていたより、時間が無い。)


急がなければならない。早くしないと手遅れになる。それからでは遅すぎる。そんな焦りにも似た感情がセクエの中に現れた。が、それでもセクエは動こうとはせず、今この瞬間を噛みしめるように雨に当たり続けた。日が傾き、雨がやむまでずっと、セクエは動かなかった。


ーーーーーー


「セクエ殿!やっと戻って来たのか。いきなり飛び出して行ったから、心配していたんだぞ?それに、そんなに濡れて…。セクエ殿は魔法でなんでもできると思っているかもしれないが、そんな無茶を繰り返していると確実に寿命が縮まるぞ。」


帰ってきたセクエを迎えたのは、こんな小言だった。体は温めの魔法で乾かしたはずなのだが、それでもまだ湿っていたようだ。


「ハイハイ、分かったよ。ちゃんと魔法を使わないで干して乾かすから。」

「そういうことを言っているんじゃない。セクエ殿の体を心配して言っているんだ。それに、魔力もずいぶん消耗したようじゃないか。こんなことは魔力があるからこそできることだ。もうこんな無茶はしないでくれ。」


アトケインはそう言ってセクエを部屋に戻した。もう何も言うつもりは無いようだったが、セクエは扉を閉める前に、振り返ってこう言った。


「後で、頼みたいことがあるから。」


ーーーーーー


いまだにホコリっぽいセクエの部屋で、アトケインとセクエは机の上に本を並べ、読んでいた。アトケインはすらすらと読めるが、セクエはそうはいかない。なんとか魔道具無しで文字を読めるようにはなったが、魔道具を使っていた時よりも読む速さはむしろ遅くなっている。


(もっと速く読めるようにならないとなぁ。)


セクエは横目でアトケインを見ながらそう思った。


「あ、この部分か?セクエ殿が探していたのは?」


アトケインはあっという間にセクエが知りたかったことを見つけてしまった。アトケインがセクエを見ると、その読む遅さにかなり驚いた様子だった。


「…本当に文字が読めないんだな。セクエ殿は。」


アトケインは不安そうに本に目を戻す。何を考えているのかが分かって、セクエは呆れて言った。


「そのくらい一人でも読めるよ。貸して。」


セクエは本を受け取った。アトケインが読んでいたのはかなり古い本で文字もかすれていたため、セクエにとってはかなり難しかった。セクエは文字を睨むように見つめながら読み始めた。


「かつて…二人の、男、村に…来たり。一人は、若く…一人、は、老いて、いたり。若き、男、白き、髪を、持ち、老いたる、男、長き、髭を、持つ。」


読んでいて、ここで合ってる、と思った。ここならきっと、あの男の名前が載っているはずだ。


「若き、男、すさまじき、チカラを持ち、民を、助け ける。老いたる…男、見知らぬチカラを持ち、民、を、助ける。ああ、このチカラ、こそ、大いなる、賢者の、チカラ、なり。民、皆、老いたる男、崇め、敬う。若き、男、これを、妬む。禁じられた、チカラを、用いて、魔となる。老いたる、男、これを、地下に封じたり。」


最後の一行は少し下に分けて書かれていた。まるで物語を締めくくるように。


「老いたる、男、名を、ゲイウェル…若き、男、名を…」


セクエはつばを飲み込んだ。ずっと知りたかった男の名前がここに書かれている。


「メト、といった。」


ふう、と一つ息をつく。なんだか胸騒ぎがする。この名前を知ったからだろうか。それとも…。


「…ありがとう、ケイン。しばらく、一人にさせて。」


アトケインは困った顔をして言った。


「この男が、どうかしたのか?」

「ごめん。これ以上は、言えない。私も、よく分からないから。」


探させておいて『よく分からない』はないだろうと自分でも思うが、それが事実なのだから仕方ない。この名前を知ったところで何か変わるのか、セクエ自信分かっていないのだから。


アトケインはなんだかすっきりしない顔をしていたが、やがて諦めたように部屋から出て行った。


「メト、か。」


セクエは呟く。なるほど、確かにどこかで聞いたことがある気がする。確実に初めて聞いたのに。この名前で間違いない。セクエは確信した。


すると、また声が聞こえた。さっきよりずっと大きな声だ。


ーセクエ。ー


呼ばれている。あの男に。


ー来い。…セクエ。ー


セクエは首を大きく横に振った。


(私は、あなたの所へは行かない。)


ー来い。来るのだ、セクエ。ー


(嫌だ。私は行かない。)


だんだんと頭が痛くなってくる。彼の魔力がセクエを支配しようとしているのだ。


ー私に従え。そして来るのだ。セクエ…!ー


「私はっ…行かない!」


ーーーーーー


「ゲイウェル?」


アトケインは呟く。どこかで聞いたような気がするのだが、どこだっただろう。それも、最近聞いたばかりだったような…。


(ああ、あの老人か。)


なぜか地下牢にいたあの老人の名前だ。これは偶然なのか?それとも、本当にあの老人が大賢者なのだろうか。とすれば、セクエはあの老人のことを調べていたのだろうか。分からない。


ふと、何か声が聞こえた気がした。セクエの部屋からだ。アトケインは、しばらく一人にしてほしいというセクエの言葉を無視するように、またその扉を開けた。中から物音がする。それもかなり大きかった。明らかにおかしい。


しかし、アトケインは扉を開けると後ずさった。部屋の中では本棚が倒れ、床には魔道具が散乱している。ホコリも舞い上がっていた。


(これは、いったい…?)


セクエはさっきと同じように机に座っている。しかし、苦しそうに頭を抱え、何かを振り払うようによく分からないことを叫んでいる。


アトケインはとっさに、セクエの魔力がまた暴走を始めたのだと思った。セクエを落ち着けようと近づいた時、何かがおかしいことに気づく。


(この魔力は、セクエ殿のものじゃない…。)


明らかにセクエとは違う魔力が部屋の中を暴れまわっていたのだ。そしてその魔力は、隙さえあればセクエの中に入ろうと狙っている。セクエを取り囲むようにぐるぐると回っていたのだ。


(まさか…)


アトケインの頭の中で、ナダレの言葉がよみがえる。


『目的のために、セクエを支配し自分のもとへ連れて来ようとするだろう。』


この魔力は、その男のものなのではないか?その男が、セクエを支配しようとしているのだとしたら…?


(セクエ殿を、守らなければ。でも、どうすればいい?こんな強い魔力に、私がかなうはずがない。)


セクエは叫び続けている。


「嫌だっ、私は行かない!私は、お前には従わないっ!」


そう叫んだ時だった。セクエを取り巻いていた魔力がふいに途切れ、落ち着いた。が、これで終わったのかと安堵する暇も無く、男の声が聞こえた。低く、響く声だ。


ーどうしても、従わないというのだな?ー


この言葉はセクエに向けられている。アトケインはそう思った。なぜ自分にも聞こえているのかは分からないが、この声の主が、セクエを苦しめているのは確かだった。


ー…まあいい。お前が従わないのなら、こちらもそれ相応の対応をするまでのこと。ー


アトケインは息を飲んでその声を聞いていた。魔法によって直接頭の中に声を届けているのだろう。どこから魔法を使っているのかは分からないが、かなり遠いはずだ。アトケインは完全にその男の魔法の技術に圧倒されていた。


ーお前は、あの少年とずいぶん仲が良かったな。確か、バリューガ、といったか。ー


幼馴染だと言っていた、あの少年の名前だ。見ていて、セクエが悔しがるのが分かった。


ーあの少年には、限界まで魔力を蓄えてある。意識があるかどうかも分からないほどの大量の魔力だ。…魔力を制御する魔法使いでさえ、魔力の暴走には大きな危険が伴う。それがもし、制御のできない剣使いに起こったら、どうなるか。お前なら容易に想像がつくだろう。なにせお前は、私そのものなのだから。ー


それを聞いて、アトケインはなぜか胸が痛むのを感じた。セクエが許した剣使い。それが危険にさらされている。腹ただしいと思った。許せないと。今までは、剣使いが死のうと苦しもうと、そんなことは関係ないと思っていたのに。声は続けた。


ーお前がもし、私に従わないのなら、あの少年の魔力をすべて暴走させる。それが嫌なら、私に従え。そうすれば少年は自由にしよう。お前が友の命の惜しさに自らの命を捨てるのか、それとも自分かわいさに友の命を捨てるのか…せいぜい楽しませてもらおうか。ー


声は途切れた。セクエは立ち上がる。


「待て、セクエ殿。行くつもりなのか?あの声の言う通りに…。」


セクエはアトケインの目を見てはっきりとこう言った。


「行かないよ。彼の言うとおりにしても、きっとバリューガは助からないから。」

「だが、さっきは、自由にすると…。」

「言ってるだけだよ。あいつが、本当にバリューガに大量の魔力を入れたなら、私とバリューガ、どちらかを諦めるなんて、そんなの絶対にありえない。どんな手を使ってでも、両方を手に入れようとするはず。」

「なら、どうするつもりなんだ?」

「…裏をかくしかない。できるかなんて、そんなの分からないけど。」


セクエは辛そうに顔を歪めている。もう何を言っても聞く気は無さそうだった。


「…そうか。だが、これだけは約束してくれ。その少年と共に必ず戻って来ると。彼にもし行くあてがないのなら、ここに住ませることも考えよう。だから…」

「ごめん。」


セクエは言った。


「約束は、できない。戻ってこれなかったら、ごめんね。」


そう言ってセクエは、壁をすり抜けてどこかへ飛び去った。


ーーーーーー


セクエはものすごい速さでまっすぐに飛んでいる。ナダレはセクエの内側から声をかけた。出てきたところで置いていかれてしまいそうだったからだ。


「セクエ、どこへ向かっているのだ?裏をかくと言っていたが、何をするつもりなんだ。」


セクエは答えない。黙って飛び続けている。


「セクエ、まさか、何も考えが無いなんて言わないだろうな?あいつが考え無しで勝てるような相手ではないことはお前だって十分に分かっているはずだ。…何をするつもりなのか答えろ。」


セクエは仕方なさそうに、短く答えた。


「今、バリューガの中の魔力を追ってる。そこに着いたらどうするかは、その時考える。」


(それを考えていないというのだ…。)


ナダレはもう、セクエに何もいう気になれなかった。


ーーーーーー


セクエがバリューガを追って着いたところは、あの森だった。それも、バリューガと出会った、あの枯れ木のすぐそばだ。


木の根元にバリューガが寄りかかるようにして座っている。意識が無いことは一目で分かった。そして、セクエとバリューガの間には、一人、見覚えのある人が立っていた。


「来ると思っていたわ。あまり来ないものだから、少し心配していたけど。」


それは、セクエの処刑を行った、あのセセィラだった。


(やっぱり、見張りがいると思ってた。あの男がバリューガを放っておくわけない。)


「あなたのしようとしていることは分かっているわ。彼を助けようとしているんでしょう?もちろん、そうはさせないわ。」


その言葉を無視するようにセクエは言う。


「セセィラ、じゃないね。あなたは誰?私と違って、名前は与えられてるんでしょ。」


セクエの予想では、セセィラはすでに神に支配されている。そうでなければ、こんなことができるはずがない。セセィラはつまらなそうに答えた。


「あらあら、いきなりひどいこと言うのね。まあ、その通りなんだけど。私はラメイ。雷の神よ。神というとも名ばかりだけどね。」


何が面白いのか、セセィラ改めラメイはふふっと笑う。


「どうすれば、バリューガを諦めてくれる?」

「簡単よ。私を倒せばいいの。それだけ。あなたが人を傷つけられるなら、の話だけど。」


セクエは顔を歪める。セセィラは分かっているのだ。セクエが人を傷つけることを極度に恐れていることを。


「どうしたの?やらないの?言っておくけど、私からは何もしないわよ。私の仕事はバリューガを譲らないこと。あなたを倒すことじゃないわ。」


セクエは何も言えなかった。セセィラを傷つけたくはない。だけど、そうしないとバリューガを助けることはできない。セクエには、選べなかった。その様子を見てラメイはなおも挑発した。


「何よ?今さらできないっていうの?あれだけ人を傷つけてきたあなたが?人を一人殺したあなたが?私には分からないけど、人の心って、ずいぶんと都合がいいのね。…まあいいわ。あなたが何もしないなら、それはバリューガが死ぬだけ。結果だけ考えれば、私が死ぬか、彼が死ぬか、その違いしかないわ。どうでもいいことかもしれないわね。」


それを聞いて、セクエの目の色が変わった。


「バリューガが、どうでもいい、だって…?」


ふざけるな。そう思った。バリューガが、すべてをセクエに教えたと言ってもいい。人の思いも、暖かさも、厳しさも、バリューガがいなければ、セクエは何一つ理解できなかったに違いなかった。故郷では、どれも学ぶ機会が無かったのだから。セクエがこうして自由を求め、友を助けようとしているのは、すべてバリューガがいたからなのだ。それを今、ラメイはどうでもいいと侮辱した。


(許さない。絶対に。)


セクエの中にムラムラと怒りが沸き起こる。その怒りが、セクエの魔力を増幅させた。


「あら、ようやくやる気になったの?」

「黙れっ!」


セクエはそう叫ぶように言い放つとラメイに飛びかかった。溢れ出す魔力を抑えようとは思わなかった。ただひたすらに憎い。自分の大切なものを一つ残らず消そうとしているこいつらが。


まずセクエは、広げた手のひらの上に火の玉を作り出し、それで右手を覆ってラメイの腹に叩き込もうとした。しかし、ラメイはすぐに上へ飛んで避けてしまう。セクエはその炎をすぐさま小さい火に分け、ラメイを追わせた。が、それもすぐにラメイの雷魔法によって消されてしまった。


「なかなかやるじゃないの。さっきはあんなに嫌がってたのに。」


セクエは答える。


「私だって不思議だよ。なんですぐにこうしなかったのかってね!」

「ふふっ、さあ、こっちからも行くわよっ!」


ラメイは両手を上に掲げ、巨大な雷をセクエの頭上に作り出した。


(勝った。)


セクエはそう冷静に判断する。


セクエに向けて雷が落とされる、その瞬間。セクエは唱えた。


対象転移フィアル・ロプ!」


セクエの頭上、そしてラメイのすぐ後ろに、大きな『穴』が出現する。空間に開けられた、絵の具で塗ったように真っ黒い穴だ。セクエに向けられた雷はセクエには当たらず穴へと入っていく。そして転移する。ラメイの後ろに開いた穴へと。それは避けようもなくラメイを直撃した。


ギャァ、という悲鳴を上げ、ラメイは地面に落ちた。その様子を確認することもなく、セクエは飛び上がる。そして右手を高く上げ、水を集め始めた。近くの川を流れる水、地面に残る湿り気、さらには空気中のわずかな水分までを集め、そうして集まった水を今度は氷へと変える。そうして、あっという間に大きな氷の槍を作り出してしまったのだ。そしてそれを、何のためらいも無く、地面に倒れているラメイに投げつけた。


ーーーーーー


ラメイはその様子をうす目を開けて見ていた。セクエが水を集めた時、それで何をする気なのかはっきりと分かった。ラメイは目を閉じる。


「ああ、これで、ようやく私たちの願いが叶う…。」


ラメイはうっとりと、夢を見ているかのような口調で呟いた。


「ついに…ついにあの子は…我らが主様ものに…。」


最後まで言うことなく、ラメイは氷の槍に貫かれた。

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