第五話 side:boy
登校二日目。結局、寝たのは朝の二時で起きたのは六時。
元来睡眠時間の長い俺にはかなりキツイ。
口の中はカラカラで、関節という関節が強ばっている。それでも無理矢理布団から起き出して冷蔵庫からお決まりのスポーツドリンクを取り出して浴びるように飲んだ。
「ふう」
全身に染み渡る水分のおかげで多少はマシになった。昨日狩った幽霊は八体。
最近更に数が増えてきた幽霊はいくら狩ってもキリがない。
それでも狩らないという選択肢はありえない。俺が霧ヶ峰阿久人である以上、幽霊を狩るのは当然のことだ。
することもないので支度をして中身の少ない鞄を提げて早めに家を出る。通りを歩く他の学校の生徒やサラリーマンに時折、変わった視線で見られるのを無視して歩いた。
魔法使いが目立つとは、狂った世の中になってしまったものだと心の中でぐちった。
校門をくぐる。幾重にも張り巡らされた結界が学園敷地を聖域にまで昇華させている。
魔力的な不純物がまったく無く、このままで中級儀式にも耐えうるようなエーテル純度である。
これほどの結界はキープするだけでも手間だ。こんなもんを作って一体何をするつもりなのか。
単なる学園だという言葉を信じられるほど、霧ヶ峰阿久人は素直な人間ではない。
「ま、どうでもいいんだけどな。I'll ignite the whole earth.《革新する》」
別に用はなかったけど、なんとなくキーコードを口にした。
体を纏う透明な魔力は肌を冷たく冷やした。
「おはよう」
「おはよう」
始業時間まで大分余裕があったはずだが、教室に入ると三々五々挨拶が聞こえる。
「うっす」
適当に返答して自分の席へと向かった。
始業時間まで何をしようか考えていた時、声が聞こえた。
「Fire!」
教室の後ろで誰かが詠唱をしている。
いや、この場合は詠唱と呼ぶのもおこがましいだろうか。
今まで碌に教わってこなかったのだろう。手に入れた教本に書いてあることを試しているのだ。
あんな本など当てにならないのだが。
それでも阿久人はその様子を見ていた。より正確には教室全体の反応を見ていた。
見つめる者、呆れる者。その反応で実力者の数を測るのだ。
来ているのは十人と少し。その中で『本物』は恐らく三人。
予鈴が近づくと徐々に人数が増えていく。空席が埋まっていく。
それでも、おそらく今現在魔法を使える人間は十人にも満たないだろう。
このあたり、学校の思惑が見えてこない。
それとも、魔法の才能がある人間を管理するためだけにこの学校はあるのだろうか。
どちらにせよ、この学校で学ぶことは少なそうだ。
授業が始まった。
まずは座学を固めていくらしい。
当然基本中の基本から始まる。
世界を司る四元素や錬金術の意味。
魔法の種類。
そんなことをザーッと説明していく。
だが、魔法というものの秘匿性のためか先生も教えるのに慣れていないようだ。
わかりにくい説明が続く。
「それでは、皆さんも聞くだけでは退屈でしょうからこれからやって頂くことについて説明します。まずはシャドウとキーコード。この二つです」
先生は萩本と名乗る中年の男性教師だった。
シャドウとキーコード。確かにこれは基本だ。
だが、そんなにこだわる必要があるのだろうか。
どちらも魔法を学んでいく段階で徐々に形になっていく物だ。俺自身、自分のシャドウには不満が多い。
いや、まあ他流のことは知らないから先にシャドウを固めた方が効率が良いのかもしれないが。
「それではですね。出来る人、いますか?」
先生が徐に言う。クラスを見回すも誰も手を挙げない。
普通、魔法使いはそうだ。
隠匿者という別名を持つ程、魔法使いは自分の情報を公開したがらない。
魔法使いが存在を明けっ広げにすると碌な事にならない。……と言われている。
「君、出来るんじゃない?」
先生が俺を指す。誰が経験者かということは把握しているようだ。
「出来なくはないです」
「やってごらん」
本来は短剣を用いたいところだが、たまたま杖を手にしていたのでそのまま行使する。
「顕現せよ」
ただ一言。
否、本来は言葉など必要ない。
俺の心の弱さ故の一言だ。
現れるのは朱雀。
古来より南方の主語を司ると言われる伝説の鳥だ。
鳳凰という名前の方がより知名度は高いかもしれない。
何物にも侵されぬ強く、気高く、美しい鳥。
それが俺のシャドウ。
「お見事。そのまま保持していてくれるかな。皆さん、有り体に言えばシャドウは霊体だ。もちろん一般的な亡霊とは一線を画すんだが霊体には違いない。事実、シャドウは亡霊に干渉出来るんだ。即ち斃すことも可能」
え?
そうなのか。
いや、そうか。どちらもマナで編まれた存在だから可能なのか。
そんなこと考えたこともなかったな。
「つまり、シャドウを操ることが出来るだけで亡霊にやられる心配はなくなる。便利でしょ。
だから、みんなにはこういう訓練をしてもらおうと思う」
先生が杖を肩の高さまで掲げ、一瞬目を閉じる。
次の瞬間にはそこに大きな狼が現れていた。
勿論、シャドウだがその輪郭の鮮明さは俺のシャドウをも凌ぐ。
そして、その体躯の大きいこと。
ただの狼でありながら、それは最早神話の域へ達していた。
更に、次の瞬間その狼が朱雀目掛けて飛びかかってくる。
「なっ」
空中で赤い鳥と灰色の獣が絡み合う。
衝撃で俺の精神にも揺らぎが生じる。
「こうやって、シャドウ同士を戦わせるんだ。面白いだろ?近々全校でランクを決めることになるだろうからみんな張り切って練習するように」
クラス中が興奮する。
そりゃそうだ。目の前で神話のような戦いが繰り広げられ自分たちにもそれが出来ると言われたのだ。
だが。
一体、それに。
「何の意味があるんだ?」
魔法使いは魔法を使う物。
霊を使えるようになることに意味などあるのだろうか。
俺のつぶやきは誰の耳にも届かなかった。
先生がこちらを見てニヤリと笑った。
微笑んだのか嘲ったのかはわからなかった。
その中間のような気が、何故かした。