第三話 side:boy
油断があった。
俺が真に警戒すべきは夜で、昼間のこの学校は俺に安息を与えてくれるとどこかで思っていた。
魔法使いに安息の地など存在しないことは当たり前のことなのに。
こんなことでは親父に合わせる顔が無い。
それが、腕から多量の血を流しながらも頭に浮かんだことだった。
一生涯無敗を誇る男の息子がこの体たらくでいいのか?
いいわけがない。
親父の偉大さは、
「I'll ignite the whole world.《革新する》」
この俺が証明する。
この学校で本気を出すことは初めてだった。本気とは即ち命を賭けること。
ゆえに敗北は許されない。
異形のシャドウが飛び退る。迸る殺気を感知したのか。
「ちっ」
今までシャドウがいた場所を薙いだ俺の右腕が空を切った。
術式も何も無い、ただエーテルを纏わせただけの拳はそれでも嫌な音を立てた。
まるで空気が呻いているようだ。
「屈せ!時空!」
敵が逃げた先の場所を空間ごと潰す。それだけで、敵は世界に存在せぬイレギュラーと誤認され世界からの圧力に苛まれる。
またも逃げる敵。突き破られる窓。ガラスの破砕音と周りの悲鳴が遠い。
「逃がすか!」
一瞬の躊躇も無く後を追う。
「ちょっ、ここ何階だと思ってるのよ!」
誰かの声が遠かった。
はっきり言って自分が何故ここまでムキになっているのかわからなかった。
万物を統べる9.8メートル毎秒毎秒の重力加速度に引きずられながらぼんやりと思った。
「顕現せよ」
シャドウが実体を持てることを利用し、軟着陸に成功。
目標である異形のシャドウはかなり遠くまで逃げていた。
「が、甘い。校庭に逃げたのが運のつきだ」
異形にはべったりと俺の血が付いている。魔法において血とは大きな意味を持つ。
術式を構成する。
パーツ単位に分解されて見える俺の視界にさまざまな数式が飛び交う。
俺の血をもとに敵の位置を(X,Y,Z)として座標を取得。
その座標を原点として式を組み上げる。使う数式は局座標表示r=θ、アルキメデスの螺旋。
原点を中心として渦を描く関数だ。
「劫火、収束、永続」
補助としての呪文。俺の影響下にあるあらゆるエーテルが渦を描くように密集する。
あとは、元素系魔法でこのシャドウを燃やす。
燃えるものが無くなれば渦から新たな魔力が供給されるので止むことは無い。
俺の元素系魔法が弱さをフォローするための大掛かりな術式の完成である。
この程度の火力、サキなら十節ほど詠唱すれば為しえてしまうのだろうが。
……やっぱ俺って非力だな。
「ちょっと?もう十分じゃない?」
「はい?っと、そうだった」
見ると、炎の先には何も残っていない。あわてて術式をきった。
「ホントにムチャクチャやるわね。血垂れ流したまま三階からダイブとか、血の雨よ」
「すまん。なんか無我夢中だった」
「ま、いいけどねー。それにしても派手にやったわね」
「威力は見た目ほどじゃない。手加減しろといわれても手加減すると弱すぎるんだよ」
「どっちにしろ目立ちすぎよ。校庭の真ん中で炎の渦を作るとか。今日から有名人決定ね」
「……ごまかせないかな」
「無理でしょ」
「はぁ」
呆れたようなサキの笑いがちょっと印象的だった。
「つまりですね。この学校内で野良シャドウの目撃証言が大分増えてるわけです」
飄々とした、とでも表現すればいいのだろうか。つかみどころの無い人間、それがうちのクラスの担任の兵藤である。
「ああ。というか、うちのクラスには被害者もいるんでしたっけね。で、原因なんですがね。まったくわかってないんですよ。これが。こんなに魔法使いが一堂に集うこともそう無いですからね。多分、そんな感じのことが原因なんでしょうけど、ようわかりません」
ようわかりませんって。ふざけているのだろうか?
「とはいえ、このまま放置しとくわけにも行かないんでね。こうします。シャドウバトルのルールに追加して、野良シャドウを倒したら得点に加算します。しかも、シャドウ使わなくて魔法とかなんでも使っていいっす」
生徒を襲う危険があるものを生徒に退治させるだと?
「まあ、危ないんでアレですね。皆さんは今までどおり点稼ぐのがよろし。このクラスにはダブルエースがいるらしいんでね。その辺は適当に任せましょ」
担任が俺のほうを見てにこりと笑う。
飄々とした笑みだった。