File1.魔法人形(マジックドール)殺人事件-前編-
とある村に、こんなお話が伝えられています。飢饉に見舞われた村の住人達は、生贄を捧げることで村が救われると信じて六人もの人間を殺しました。そのおかげかは分かりませんが、少しだけ作物が実るようになりました。
しかし、今度は病や家事などの不幸が起きるようになり、ほとほと困り果てた村人達は今度は盛大な祭りを開いて土地の力を高めようとしました。人形を作って歌って騒いで三日三晩騒ぎ続ける聖なる宴を始めたのです。その甲斐あってか、今度こそ村は栄えるようになり、飢饉や病といった不幸もなくなりました。
ですが、過去に生贄を捧げて殺してしまったのは事実。その事実を忘れないようにする為に、村人達は歌を作りました。毎年開かれる祭りでこの歌を歌うことで、殺してしまった人達のことを決して忘れず、感謝し続ける為に……
残された歌は、こんな歌詞だそうです。
『一人目は罪深き罪人 首を狩って現世と引き離せ
二人目は純潔の乙女 せめてその顔だけは隠してあげよう
三人目は愉快な商人 罪人の頭で黙らせよう
四人目は頼れる大工 両手がなくては何も出来ぬ
五人目と六人目は仲良い双子 頭を換えて力ある祝福を
笑って泣いてありがとう 今夜は私だけの宴 明日は貴方達の宴 その次皆で騒ぎましょう 空と大地のお祭りさ
魂の人形よ 命を抱えて大地で笑え 命を抱えて空へ飛んでおゆき 皆で見送ってあげましょう 魂の門出を』
これが村に代々伝わる民謡。生贄となった人々を忘れないように、ありのままを綴った罪の告白。
その村では、今でも祭の時にこの歌を歌うようです……
紅鈴はガタガタと揺れる馬車の中で、代わり映えしない風景を眺めていた。もう二十分以上馬車に乗っているのに、広がる景色はずっと同じだ。そう思えるくらい、周りには広い畑しかなかった。鈴の両親、金次と銀子は呆けた様子の娘を見て笑みを浮かべる。最初は興味深そうにしていたものの、今ではすっかり反応がなくなってしまっていたからだ。
金次はそんな鈴に話し掛ける。
「鈴、すっかり飽きたようだな」
「だって、何もないんだもん……」
飽きっぽい子供を諭すような態度に鈴は反感を覚えたものの、ここで騒いだら負けなような気がして大人しく認めることしか出来なかった。まだまだ自分は両親に子供扱いされていると思うと、ちょっと面白くない。
鈴は薄紅色の髪を短いツーサイドアップに纏めて、かんざしを挿している。どこか幼さが残る顔立ちでもう14歳になるのに子供扱いされることも珍しくない。表情がよく顔に出るから子供扱いされるのだと母親に言われているのは、自分でも気にしていることだ。
鈴達が馬車に乗って目指しているのは辺境の片隅にある小さな村。そこにある別荘で宿泊する予定なのだが、今回は旅行で来ている訳ではない。
毎年村で開かれている祭に使う人形に良い物がないか、父の協力を仰がれたのだ。金次は絵画や人形などの芸術品を買い取り、それを美術館や第三者に売る仕事をしている為、ある程度質のいい人形は所持している。
だから、今回の話を受けてわざわざやって来たという訳だ。
鈴も数年前に一度だけ来たことのある村だが、その時は祭のシーズンではなかった為何も無い村だと記憶している。
ただ、父の話だと毎年開かれている祭はかなり賑やかで楽しいものらしい。それを聞いて、昨日は楽しみにしすぎて中々寝付けなかった。
鈴がそんなことを考えていると、金次が窓を開けて外を覗き込んだ。
「見えたぞ鈴。あれが人形村……そして、人形死祭だ」
促されるがまま、鈴も窓から顔を出して馬車が向かっている先を眺めた。そこには、質素な門に括りつけられた大量の人形が出迎えているかのように並べられていた。
一見楽しそうな外見とは裏腹に、どこか恐ろしさを感じながら鈴は人形村へと訪れた。
馬車が別荘に到着し、荷物を降ろして中へ入る。業者の人が時々掃除してくれているからか埃などは無く、綺麗に掃除されていた。自分の寝室に手荷物を置いてリビングに戻ると遅れて両親が寝室から出て来た。
そしてそのままお茶の準備を始める金次に、鈴はどうしたのかと尋ねた。
「どうしたのお父さん、急に紅茶なんて準備しだして」
「ああ、ここに着いたらすぐお客様が来ることになっているんだ。向こうも私達がもう到着していると知っているから、いつ来てもいいようにしないとな」
そんなことを話していると、玄関から呼び鈴が鳴った。早速誰かがこの別荘を訪ねてきたらしい。
銀子が玄関へ向かい、客を招き入れる。その顔を見て、鈴は緊張してしまった。
「……あら、鈴ちゃん。こんにちは」
「こんにちは、ヴィクトリアさん」
訪れたのは長い銀髪を揺らすどこかミステリアスな雰囲気を纏った女性だった。
ヴィクトリアは高名な人形師でその腕は天才と呼ばれるほど優れている。金次も彼女の作品は度々高額で取引している。
そんな彼女とはよくこうして顔を合わせるのだが、鈴はどうにも彼女が苦手だった。昔はよく色んな人形を見せてくれたり本を読ませてくれたりと遊んでくれていたのだが、最近は少し近寄りづらいと感じることが多くなった。
別に態度に変化がある訳ではないのだが、何というか彼女に見つめられるのが気味悪く感じる。
とはいえ特に何かされた訳でもないので邪険に扱うわけにもいかず、こうして両親がいる前では礼儀正しく接するしかない。
それに二人きりならともかく、両親やヴィクトリアの弟子も彼女の側に付いているからまだマシだった。
「リリシャ君、君の作品だがまだ粗があるね。あれではまだウチで扱うことは出来ないな」
「面目ありません」
「彼は中々上達しないから困るわ……鈴ちゃんもそう思うでしょ?」
「私は詳しくないので……でも、充分素敵だと思いますよ」
金次やヴィクトリアは厳しく言っているが、鑑定などしたことない鈴にとってはそれなりによく出来た人形に思えた。だが、あのヴィクトリアの弟子となるともっと精巧に作らなければいけないのかもしれない。
腕の良すぎる人の弟子は大変なんだなぁと、鈴はさっきから頭を下げてばかりいるリリシャに同情した。
最初の不安を余所に、こうしてヴィクトリアの訪問は穏やかに過ぎていった。両親とヴィクトリア達は会話に花を咲かせて楽しく時間を過ごしている。鈴は邪魔にならないように大人しく紅茶を飲んで話に耳を通す。
最初に不安になっていたのが馬鹿らしくなるほど平和で穏やかだった。
ただ、それでもどこか嫌な予感を彼女が来てから感じる。鈴はそんな鬱屈とした悩みを胸に抱えたまま過ごすのだった。
暫くするとヴィクトリアはリリシャを連れて帰り、鈴はほっと胸を撫で下ろした。彼女のことが嫌いなわけではないが、やっぱり落ち着かない。
これでようやくのんびり出来ると思ったところで、数分したら金次が外に出かける準備をするように言ってきた。
「お父さん、どこに行くの?」
「夕食会に誘われているから皆で行こう。その前に遅刻常習者がいるから、ついでに起こしに行ってやらなくてはな」
「京さん、時間にルーズですものね」
銀子が笑いながら言うと金次もつられて笑い出す。良く分からないが、ともかく出かける準備をしなくてはならないらしい。
鈴は急いで洗面所に行き、身だしなみを整えることにした。
祭で賑わう街中を歩いて鈴達はある一軒の家に辿り着いた。木造建築の素朴な家に向かって、金次が大声で呼びかける。
「おーい京ー! 起きてこーい!」
「……うるさいな、起きてるよ」
門を開けて、面倒臭そうな顔をしながら一人の男が頭を掻きながら出て来た。
金次は呆れているのか笑っているのか、微妙な表情で京に話し掛ける。
「どうかな、狸は嘘つきだから信用できんな」
「こんな嘘ついても仕方ないだろう」
京は苦笑しながら金次の肩を突いて、それを受けて金次も仕返しにどつき返す。まるで子供のような二人のやりとりに、銀子はクスクスと笑って見守る。
鈴はよく知らないのだが、この京という男性は金次の古い友人でさっきまで鈴達がいた別荘を建てた建築家らしい。
金次は長年の経験の賜物だと称えているが、京本人はそこまで長生きしていないと言い張っている。見た目は確かに本人の言う通りまだ若く見えるが、彼の種族を考えると見た目では年齢が分からない。
化け狸の京や先程あった鳥人族のリリシャのような妖怪は人間と比べると老いていくのが比較的遅いため、四十歳で二十代の見た目をしている人はざらにいる。
だから、京は若く見えても金次と同年代だし、サバを読んでいたら年上ということもありえる。
京も自分の年齢は明かさないから真相は闇の中だ。
京を連れて金次は夕食会に向かった。そこらの家中に飾らけている人形を見ていると、京が独りでに呟き始めた。
「この村にはもう何年もいるが……相変わらず不気味だな、この人形死祭は」
「そうか? 俺は楽しいが」
「芸術馬鹿のお前はな。俺からしたら、過去の伝承含めて不気味で仕方ない。大昔に人間との戦争に負けて神力なんてなくなってるも同然なのに儀式に頼ったりしてて、この村の連中は昔から変人ぞろいさ」
その話は鈴も本で見たことがある。大昔に人間と妖怪達の戦争が起こり、それに人間が勝利した。そしてその影響で神の力も弱まり、強い妖怪も生まれなくなり人間達が時代を築き上げたのだという。
この村の伝承は、そんな神の力が弱まっている中で尚救いを求めて生贄を捧げたという話なのだ。確かにあまり正気とは言えない。
当時は神の力と思われていたものの、今ではただの偶然だろうと歴史研究家達の中でも結果が出て発表されている。それでもその伝承を文化として残そうとした結果が、今行われているこの人形死祭なのだ。
「ただの商売として継承されてきた祭なのに、たまに本気で人形に魂込めようとする奴だっているだろ。いつもは住みやすい穏やかな村だけど、祭の間だけは息苦しいぜ」
「こんなに楽しそうなのに……」
金次は辺りにある人形を見ながら首を傾げている。鈴にとっても人形だらけなこの光景はちょっと不気味なのだが、父は相当な変わり者なのだろう。
そんな金次を見て、京は呆れて深い溜息を吐くのだった。
その時、鈴は京が大きな鞄を持っていることに気が付いた。かなりの大きさで、中に何が入っているのか全く予想出来ない。一体何が入っているのかと、鈴は京に尋ねた。
「あの、この鞄どうしたんですか?」
「ああ、これから行く夕食会の主催者がこの祭の主催者みたいなもんだからな。何かいい人形があったら持って来いって言われているんだ。君の親父がここに来た理由と同じさ」
「お前人形なんて持ってたのか?」
「倉庫に仕舞ってあった」
金次と京はそのまま大人だけで話し出し始めて、鈴は会話に入り込めなくなってしまった。どうやらこれから行く夕食会はこの村の有力者や祭に貢献している家の人が集まるものらしいと言うことだけは、鈴にも理解出来た。
昔からこうした会食に誘われることはよくあったので嫌ではないのだが、こういった時は大抵偉い人が集まる為失礼がないようにしないといけない。それが窮屈で鈴はあまり気乗りしなかった。
ただ今回は事前に色々言われなかったので、そこまで注意しなくてもいいのだろうと鈴は考えた。
大きな門を通って敷地に入ると、鈴の目の前には大きな屋敷がそびえ立っていた。この村の規模を考えれば、この屋敷は相当な大規模だ。父が中に入っていく姿をよく後ろから眺めたりしていたが、自分がこの屋敷に足を踏み入れるのは初めてだ。
メイドや使用人の案内に従って進むと、広い部屋に辿り着いた。そこには中央に長いテーブルが並べられ、その上には豪勢な料理が並んでいた。
メニューは特に変なところはないが、サラダや肉料理など、飽きがこないように色々な種類の物が並んでいる。
金次は中央より上座よりの位置に腰を下ろし、その隣に銀子とそれに続いて鈴が座るように指示した。鈴は座ったまま大人しく待っていたが、誰かが部屋に入って来る度に扉に顔を向けて確認する。
「鈴、人の顔をジロジロ見たりしないの」
「はーい」
銀子に注意されて鈴は口だけ反省の返事をしてやり過ごした。昔から好奇心が強いと友達から言われ、その通りだと本人も自覚している。知らない場所に来たり人を見たりするとついつい気になって観察してしまうのだ。
そんな風に考えていると、自分の向かいに同年代の少女が座っていることに気が付いた。向こうもこちらの存在に気がついたのか挨拶をして来たので、鈴も慌てて返事をする。
「こんにちは。私は柊桃子、あなたは?」
「私は紅鈴です。初めまして」
「私は友達の紹介でここに来たの、彼女が東雲霧子。人形死祭を執り行う東雲家の令嬢なのよ」
桃子は自分の隣に座っている霧子を紹介し、霧子は話が終わった所で鈴に話し掛けて来た。
「あなたが紅のお嬢さんね。紅さんのところとは公私ともにお世話になっているから、一度ご挨拶したいと思っていたの」
「いやそんな……私、あまり家の仕事のことには詳しくなくって」
「もう、仕事のことなんていいじゃない。霧子は祭で色々祝詞とかがあるけど、私達はお客様なんだからね」
「あなたは村人でしょう……」
二人の会話を聞いていると、二人は本当に仲の良い友達なのだと鈴は思った。こうして冗談を言い合える仲の子がこういった場でもいるというのがまだ少し緊張が残っていた鈴の体をほぐしてくれた。
大人は大人同士で談笑し始めていた為、子供は子供だけで話すように自然となった。
鈴はこの場にいる人がどんな人なのかを桃子に尋ねた。見た感じ呼ばれた面子は揃っているようだから、どんな人達なのか興味が湧いてきたのだ。霧子は時々挟まれる大人の質問に答えたりしていて忙しそうだったので、桃子に尋ねることにしたのだ。
桃子は頷いてここにいる人達の紹介をしてくれた。
「えっと霧子の隣にいるのが霧子の両親で、その隣にいるのが浪速金銭。変なアクセサリーとかオカルトグッズばかり売ってる商人だけど、あれでも人形死祭に必要な物を取り寄せたりしてるらしいから呼ばれてるの。で、貴女のご両親はいいとして……ヴィクトリアさんと弟子のリリシャさんは知ってるよね?」
「うん、何度か会ってるから」
「じゃあ京さんは?」
「お父さんの知り合いで建築家ってことだけなら」
桃子は水を一口飲むと再び口を開いて会話を続ける。
「京さんは設営とかも担当しててね、この村ではあの人以上の建築家はいないんじゃないかな。で、あの上座に座ってるこの屋敷の主がヴェルビッヒさん。東雲に資金提供してる人形死祭のスポンサーね」
「ふーん……じゃあ、ここにいる人って皆人形死祭の関係者なんだ」
「そうね。あなたの両親も人形を提供しに来た訳だし、ヴィクトリアさん達も祭に使うほぼ全ての人形を用意してくれたり……私とあなた以外は皆この村や祭のお偉いさんみたいな物だわ」
鈴は実感が無かったが、やはり自分の両親はこういう場所によく呼ばれる立場の人間らしい。確かに両親が金に困っているところは見たことないが、鈴自身はお小遣いもそれ程多く貰っていないからかどうにもお嬢様呼ばわりされるのには慣れなかった。
友達がよくからかいながらそう呼ぶため、困った顔をしていたのも懐かしい。
鈴がそうして懐かしんでいると、桃子は続けて話を振って来た。
「でね、あまり大きな声では言えないんだけど……ヴェルビッヒさん、詐欺やってるんじゃないかって噂があるの。豪遊ぶりもだまし取った金でやってるんだって」
「えー、本当に?」
「いや、知らないや。証拠はないから誰も追求しないし……逆に証拠を残してるのが浪速さんね。契約書とか誓約書をちゃんと残しててさ、軽い気持ちで買った商品で酷い目に合った人も文句言えなくて泣き寝入りしたって話もあるの」
どうやら桃子は相当な噂好きのようだ。だが、鈴にとっても色々と知りたがるその気持ちは理解出来る。段々楽しくなってきて、更に詳しい話を桃子に尋ねる。
「ヴェルビッヒさんや霧子さんが頭につけてるアクセサリー、綺麗だね」
「あれはね、家が何軒か買えるくらいの高額らしいわ」
「凄いね。そんなの私買ったことないや」
「私も全然ないなー……えーっと、鳥人族だっけ魚人族だっけ? 霧子の宝石はたしかある種族に幸福をもたらして、それで栄えたとかなんとか……あれ、それはヴェルビッヒさんのだっけ? 大昔にこの土地の一族が残した遺産が霧子の宝石だったっけ?」
「どっちなの? どっちがどの宝石なの?」
「……忘れちゃった」
桃子は自分の頭をこつんと優しく叩きながら舌を出して笑ってみせた。鈴は何が真実か分からずにモヤモヤした気持ちだけが残り、釈然としない。
きちんと問い詰めて思い出させようとしたところで、ヴェルビッヒが突然立ち上がって口を開いた。
「では皆さん、ここできちんと挨拶をして置きましょう。今宵は我が屋敷においでくださいまして、誠にありがとうございます。今年の人形死祭の繁盛とこれから先の村の繁栄を祈って、どうか盛大にこの食事を楽しんでください」
それまで水かコーヒーを飲むだけだったが、ヴェルビッヒのスピーチを期に皆目の前に並べられた料理に手をつけ始めた。鈴もお腹が空きだしていたので手を合わせて頂きますと言い、食事を始めた。
一応食事会という名目だけあって料理はどれも一級品だった。まるで舌が落ちてしまうのではと錯覚してしまうほどの美味しさに鈴は思わず頬を緩ませる。
「あ、そうだヴェルビッヒさん。私達特にお見せ出来る人形がございませんでしたの」
「おや、それは残念ですな」
霧子の母の言葉に、ヴェルビッヒは残念そうにした。確かに、他の皆が大きな鞄やケースを持って来ているのに東雲夫婦だけはそういった類の物を持っていない。
しかし、東雲夫婦とヴェルビッヒが並ぶと宝石やアクセサリーが眩しすぎて目がチカチカしてしまう。これは鬱陶しくて仕方ないと鈴はこの人達を視界に入れるのを控えようと心に決めた。
その後は皆気ままに過ごしていた。ずっと談笑している人達もいれば、黙々と食事をしている人もいる。鈴も一度お手洗いに出て、帰ってくると数人姿が見えなくなっていた。自分と入れ違いにトイレに行ったか、外の風に当たりにいったのだろう。
自分の席に座ると両親と少し会話をして再び桃子と話すことにした。
「霧子って結構鳥目なのよ。一族の中でも珍しく」
「夜盲症なの?」
「そこまで深刻ではないんだけど、ただ夜は本当に怖がりなのよね。ここに来る時だってきっとお母さんの手を掴んでビクビクしてたに違いないわ」
「誰が怖がってたって?」
こっそり話を聞いていた霧子が桃子の頭を拳でグリグリと攻撃し、桃子はわざとらしく悲鳴をあげる。鈴はこの光景を笑いながら見ていたが、ふとある人物が長いこと姿を見せていないことに気がついた。
「ねぇ、ヴェルビッヒさんがいないみたいだけど」
「え、トイレじゃないの? 抜け出してる人なんていっぱいいたじゃない」
「今は皆揃ってるし……それに、もう一時間近くいなかった気がするんだけど」
桃子は鈴に言われたことが本当か確かめる為に周りを見回した。確かに今はヴェルビッヒ以外の全員がこの部屋に集まっており、ヴェルビッヒだけがいない。
他の皆もヴェルビッヒを最後に見たのはいつかと話し合い始めた。その結果、大体一時間かそれより少し前程度からヴェルビッヒを見た人はいないということが分かった。
「君、そろそろ帰りたいからヴェルビッヒに挨拶がしたいのだが」
「ご主人様は、自室に行くと言ったきり見ておりません……」
「ああ、そうか」
金次はメイドにヴェルビッヒのことを尋ねると、合点がいったのか大きく頷いた。どういうことか尋ねると、ヴェルビッヒはよく食事中に胃薬を飲みに自室へ帰ることがあるのだという。どうもお腹の調子が悪いのか、こういうパーティの時は頻繁にそうしているというのだ。
時計も9時を回っており、そろそろ帰ってもいい頃合だ。最後に挨拶だけして帰ろうと、皆金次に続いて席を立つ。
ぞろぞろと皆でヴェルビッヒの部屋に向かっていき、騒ぎすぎたのか疲れきった様子の人もいる。鈴も食べ過ぎでちょっとお腹が重く感じている。やがてヴェルビッヒの部屋の前に到着し、金次は扉をノックした。
「おいヴェルビッヒ、皆もう帰るぞ」
「……ヴェルビッヒはん、まさか寝たりしてへんやろな」
金次と金銭が心配しながら返答を待つが、しばらく経っても反応が無い。皆で顔を見合わせて首を傾げる。
このまま帰ってしまってもいいのだが、一応主催者にきちんと確認を取ってから帰るのが筋だ。そう考えた金次は扉を開けて直接話すことにした。
鈴も金次に続いて部屋を覗き込む。
その部屋は中を見る前から、異様な雰囲気が伝わって来るような気がした。空気が肌に触れるだけで、思わず体を震わせるほどの不快感が湧いてくる。ただ、それは前触れに過ぎない。
鈴と金次、そして後ろから部屋の様子を見に来た者は見てしまった。
それは恐らくヴェルビッヒだろう。服の至るところに装飾品を散りばめているから間違えるはずもない。体型も記憶と一致している。どうしてそんな遠回りな方法でヴェルビッヒだと推測しなければならないのかと言うと……首が、無かったから。
まるで来客を待ち構えていたかのように、椅子に座ってこちらを向いているヴェルビッヒの首無し死体が、中央に置かれてあったのだ。
「きゃああああああああ!!」
「なっ………」
「ヴェル、ビッヒ……?」
大人達が困惑する中、鈴は悲鳴を上げて尻餅をついた。桃子もこれを横から覗き込んでしまい、口を抑えて俯いた。
「胸に貼られている紙はなんだ」
「これは……詩?」
『一人目は罪深き罪人 首を狩って現世と引き離せ』
死体の胸に貼り付けられてあるカードには、そんな文章が書き込まれていた。この文章がどういうものなのかは大人なら皆知っているが、どうしてこんな物が貼られてあるのかは、さっぱりだった。
そして、鈴は死体をまともに見ることを嫌ってずっと蹲っていた。だが、尻餅をついた時に足を引っ掛けて部屋の隅に倒れ込んでしまい、部屋から出られなくなってしまっていた。足が震えてまともに立てそうにない。
「……クスクス」
「え?」
突然、どこからか笑い声が聞こえてきて鈴は思わず顔を上げた。
それが何なのかは、すぐには理解出来なかった。ただ、自分に向かって微笑みかけているブロンドの少女の人形があまりにも不気味で、鈴はまた叫んでしまった。
「っ、お父さん、に、人形!!」
「……人形がどうしたんだ?」
「い、今人形がいたの! 私の背丈の半分くらいの!」
「……どこにもそんなのいやしないじゃないか」
金次は部屋を見渡してからそう口にした。鈴も死体を視界に入れるのを我慢してもう一度部屋をよく見てみるが、確かに人形などどこにもいない。
だが、確かに見たのだ。自分より大分小さな大きさで、美しいブロンドの可愛らしく、それでいてどこか恐ろしい雰囲気の少女の人形を。
「い、いたの! さっきはそこに絶対いたの!!」
鈴がそう訴えても金次は困った表情を浮かべるだけだった。周りの大人達も、変なものを見る目で鈴のことを見ている。
そこへ、ヴィクトリアが屈んで鈴の目線に合わせて話し掛けて来た。
「鈴ちゃんったら、ショックでおかしくなっちゃったのね。無理もないわ」
「ち、ちが……」
「でもちょっとおかしな話よ。誰も見ていない人形が見えたなんて……ねぇ?」
ヴィクトリアはそう言って微笑んだ。その笑顔が怖くなって、鈴は黙り込んだ。良く分からないが……この顔は、子供をあやしたり慰めたりするようなものじゃない。
ただ純粋に面白がっている人の顔に見えて、鈴は黙り込んでしまった。これ以上口を開くとヴィクトリアにまた絡まれるかもしれなかったから、それを嫌って大人しくすることにした。
いずれにせよ、あんな死体を見てしまったのだ。鈴は不気味な人形のことも合わせて、不穏な夜を過ごす羽目にあうのだった。
「ん……」
最初は微かに聞こえる程度だった音が、徐々にしっかりと耳に届くようになる。その花火の音で鈴は目を覚ました。人形死祭も二日目を迎え、まだまだ盛り上がっていくのだろう。
鈴としては到底そんな気分になれず、ベッドの上でボーッとしていた。昨日間近で見たヴェルビッヒの首無し死体の衝撃が強すぎて今でも気分が悪い。それに増して花火の音で起こされたのだから、尚更目覚めが悪かった。
確か毎朝7時に浪速金銭が裏庭から花火を上げることになっているらしい。元々三日三晩続けて行われていた祭を少しでも再現するために、朝早くに人々を起こす役目のようだ。
鈴はリビングへと降りることにした。いつまでも落ち込んでいられないし、少しでも朝食を摂らないと体に悪いだろう。
なんとかトーストと紅茶を平らげた鈴は、気晴らしに散歩に出かけた。昨日のことがあって少し不安だったが、鈴に殺される理由はないしまだまばらとは言え人目のある村の通りで襲われる危険はないだろう。そう思ってぶらぶらと歩いていると、こちらに向かって近付いてくる人物に気がついた。
「桃子さん、おはよう」
「おはよう鈴ちゃん。昨日は災難だったね」
桃子は溜息を吐いて深く肩を落とした。一番災難なのは殺されたヴェルビッヒなのだが、その首無し死体を目撃してしまった方が桃子達にとっては嫌だったのだ。
あまり思い出したくは無かったのだが、二人で話そうとするとどうしても昨日のことが中心になってしまう。鈴はまだまだ平気とは言えなかったが、なんとなく昨日のことが詳しく知りたくなって桃子に色々尋ねることにした。
「結局、昨日はあの部屋で何があったんだろう……検死とか出来たの?」
「えっとね、簡単なことしかやってないんだけど……」
昨日大人達が調べて分かったことは死亡推定時刻が大体8時前後ということ。警察が詳しく調べればもっと正確な時間が分かるかもしれないが、あの時間帯は皆席を立ったり酒で騒いだりお喋りに夢中になったりとしていたため、誰が何時に行動していたか正確に把握することは不可能だろう。
「そう言えばその……首が切れてたにしては、部屋が綺麗だったね。血も殆ど飛び散ってなかったし」
「ああ、あれね……多分Bペイントよ」
「Bペイント?」
Bペイントとは、平たく言えば止血が出来る塗料のことである。この村では人形を作る際に本物の動物の皮や羽を使うことがある。その時に普通に殺してしまうと血が吹き出て汚れてしまうし、それを拭いたとしても血が滲んで色が変わったり見栄えが悪くなったりしてしまう。それを防ぐためにあらかじめBペイントを塗っておくと、塗料が塗られた範囲からは血が溢れないようになるという魔法の塗料だ。
余所では珍しい塗料なのだが、この村は人形師が多いからごくごく自然に出回っている。
「それを使ったから血が吹き出てなかったんだね」
「うん。普通にやったら……もっとグロいことになってたかもね」
「あとは……首を切るのって凄い時間が掛かると思うんだけど」
「マジックナイフとかじゃない? 魔力の通ってるやつなら簡単に切断出来るだろうし、そうじゃなくてもやっぱり狩りとか人形を作る為に切れ味抜群の刃物はたくさん作られてるから」
鈴は桃子に説明をしてくれたことを感謝して、今どこに向かっているのかついでに尋ねてみた。
「霧子の家よ。あの子もだいぶ落ち込んでるかもしれないし」
「そうだね、ちょっとでも元気になってもらわないと」
あんな死体を見てショックを受けない子供なんていないだろう。霧子も大人びているとは言えまだまだ大人ではない。少しでも元気づけてあげられたらいいな、と鈴は桃子に付いて行くことにした。
暫く歩くと霧子の屋敷に到着した。桃子が呼び鈴を鳴らすと従者の人がすぐに気がついて門を開けてくれた。
どうやら桃子がこうして朝に霧子を起こすのは恒例行事なようで、すっかり毎朝お馴染みの光景になっているらしい。
「あいつ本当にねぼすけなのよね。自分で起きたことなんてここ数年ないんじゃない?」
「それって、桃子さんが起こしに来るから甘えてるんじゃないの?」
「そうかな……そうかも」
桃子は笑いながら頷いた。本人も思い当たる節があるらしい。そんなことを話していると、霧子の部屋までやって来た。桃子がノックをして中にいる霧子に呼びかける。
「霧子ー、起こしに来てあげたわよー!」
暫くそうしていたが、いつまで経っても霧子は返事をしない。不審に思ってドアを開けようとするが、鍵が掛かっていて開かない。桃子は首を傾げて呟いた。
「おかしいなあ。ここまで反応ないのは初めてだわ」
「霧子さん、やっぱり体調悪いのかな」
「昨日の今日だしね……」
あれだけショッキングな光景を目の当たりにしたら落ち込むのも無理はない。だが、ずっと寝ていても駄目だし放っておく訳にはいかない。鍵は掛かっていないらしくすんなり扉が開き、桃子と鈴は部屋の中へと入っていった。
「霧子、ほら鈴ちゃんも来てくれたのよ」
「おはようございます」
布団を被って顔を見せない霧子に近づいて起こそうとする。だが、ここで桃子はあることに気がついて足を止めた。
「なんだか変な匂いしない?」
「そう言えば薬品みたいな匂いがするね」
「……Bペイント?」
嫌な予感がした。どうして霧子の部屋中でのBペイントの匂いがするのか。それを深く考える前に、桃子は布団を掴んでそれを思い切り捲り上げた。
そこに、東雲霧子の顔は無かった。少量の血が染みたシーツと、その上に横たわる首から上のない死体があるだけであった。
「いやああっ!」
「霧子……」
鈴は大声で叫ぶと腰を抜かして尻餅をつき、桃子は呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
霧子の胸にはヴェルビッヒの時と同様に一枚の紙が貼られてあった。
『二人目は純潔の乙女 せめてその顔だけは隠してあげよう』
騒ぎを聞きつけたメイドが部屋の惨状を目撃し、すぐに警察を呼ぶように助けを求めて出て行く。使用人の数人は現場の保持をする為に桃子と鈴に部屋から出るよう言ってきた。その時、鈴は窓から吹いてきた風を受けて咄嗟にそちらへ目を向けた。
「…………」
そこには昨日鈴だけが目撃したブロンドの人形が髪を風になびかせながら、窓枠に座って鈴を見つめていた。一瞬視界に映った情報を処理しきれなかった鈴だが、体を震わせて使用人の腕を掴んで必死に訴える。
「あ、あそこに! 人形がいます!!」
だが、改めて窓を見てもそんな人形はどこにもいない。使用人は困った様子で鈴を見下ろしている。鈴は申し訳なさと同時に、一体自分はどうしてしまったのかという不安に駆られて俯いた。
あの人形は一体なんなのだろう。どうして少し目を離しただけでいなくなってしまうのか、そもそも本当に見間違いではないのか。
そんな疑問を抱きながら、鈴は霧子の胸にある紙を見つめた。
……あの紙は一体なんなのだろう。犯人は、民謡に見立てて殺人をして何をするつもりなのだろうか。
その答えは、今の鈴にはさっぱり分からなかった。
「……ったく、なんで立て続けに事件が起きるんだか」
「愚痴っても仕方ないですよ警部」
昨日の事件を調べにヴェルビッヒの館を訪れていた刑事達が、通報を受けて霧子の部屋にやって来ていた。一人は大柄の中年で、もう一人は部下の若い青年。
中年警部の方は薄汚れた緑色のコートを着て、青年の方は紺色のスーツを着ていて見た目だけでは同じ職の人間には見えない。
「俺は花田 真、こいつは部下の山本 悠里だ。第一発見者はお前達で間違いないな?」
「はい……」
桃子は花田の問いに頷き、鈴も力無く頷いた。そして、発見時の状況を説明する。
窓が最初から割れていたことや頭部の行方が知れないこと。知っている出来る限りのことを伝えると、花田は大きな溜息を吐いた。
「全くこんな面倒な事件、俺達二人だけで担当することになるなんてな……これだから田舎は嫌なんだ」
「花田さん」
悠里は花田に窘めるよう呼び止めた。友達が死んだのを面倒呼ばわりされていい気分にはならないだろうと、桃子を横目で見ながら自分を止める悠里に、花田はまた溜息を吐いた。
「で、なんか他に変なこと無かったか?」
「あの……私、変な人形を見ました!」
鈴は花田に自分が事件現場で不審な少女の人形を目撃したことを伝える。だが、花田はそれを一蹴する。
「あのな、お前の他にそんな人形を見た奴は誰もいなかったんだろう?」
「そう……ですけど」
「だったら見間違いだ。変なこと言って大人をからかうんじゃねえ」
見るからに機嫌を悪くして声を荒げる花田に萎縮して、鈴は黙り込んだ。これを見て、桃子が花田に突っかかった。
「ちょっと、そんな風に言わなくてもいいでしょう!?」
「捜査の邪魔なんだよ。大体お前だってこいつが言うような人形なんか見てないんだろう!」
「そうだけど……でも、鈴ちゃんが落ち込んでるのは分かるでしょ! 追い打ちかけるようなことしないで!」
「桃子さん、私はいいから……」
「花田さんも、大人気ないからやめてください」
鈴と悠里が間に入り、花田と桃子は忌々しそうにして舌打ちをしつつもそれ以上闘おうとはしなかった。
それから真面目に捜査をして、二人やメイド達の証言と現場に食い違いが無いか調べると、花田は椅子に座って一息吐いた。
「死亡推定時刻は今朝の6時半頃。首を切断されて死亡したに違いないな、他に外傷や毒物の類は検知されなかった」
「じゃあ、ヴェルビッヒさんの時と……」
「それは分からん。だが朝早くに人様の屋敷に入り込んで首切って殺すやつなんてそうそうおらんと思うがな」
何より、霧子の胸に貼られていたカードには人形村に伝わる歌の続きが書かれていたし、そんなカードが貼られていたことは今朝の時点で知っている者はほぼいない。つまり、同一犯による連続殺人と考えるのが自然だろう。
続けて悠里が補足として花田に事件の詳細を確認する。
「犯人の侵入経路ですが、分かりませんね。扉が開いていた以上密室ではないですし、外から入って来たのか中から侵入して外へ逃げたのかは判断しかねます」
「こんな立派な屋敷でも、防犯カメラなんてもんは無いみたいだしな……とはいえ2階まで侵入するのは厳しそうだな。ロープとかで2階に昇った痕はないんだろ?」
「はい。ロープやワイヤーの類の痕は残っていません」
花田は拳に顎を乗せて考え込んだ。鈴は重い空気から目を逸らすようにして壊れた窓を見た。
綺麗なカーペットの上にガラスが割れて穴の開いた不格好な窓がある光景は何だか変に思えた。今は見えないが、確かにあの窓に人形が佇んでいたのだ。
どうして自分にしかあの人形が見えないのだろう。あの人形は何者なのだろうか。
(もしかして、呪いとか……?)
人形の呪いが次々と人を殺して回っている。そんな考えが頭をよぎり、鈴は体を震わせた。
そうしていると悠里が窓に近づいている姿に視界に映る。
「……花田さん。下にガラスの破片が大量にあります」
「となると、やっぱり内側から力強く叩き割ったんだろうな。そうして窓ガラスは全部外へ飛んでいった」
「ガムテープらしい物もありますし、それで音がしないようにしたんでしょうね」
この場の捜査をこれで終わることにした花田達は、続けて昨日ヴェルビッヒの館に集まった人達に話を聞きに回ることにした。容疑者として怪しいのはやはり昨日館にいたメンバーだ。だから彼らに怪しいところがないか調べるつもりなのだろう。
花田は鈴達の扱いをどうするか渋ったが、一緒に付いてくるよう命令した。うろちょろされるのは面倒だが、後で探しに行くのも面倒だから、という理由だ。
桃子は花田が嫌いになったからか渋っていたが、仕方なく頷いた。鈴も花田はちょっと苦手になったのだが、我が儘は言ってられないし刑事と一緒にいた方が安全だろうと考えた。
そうして、一行は霧子の部屋を後にした。
東雲の館を出て最初に向かったのは京の家だった。霧子の死を聞いて京は驚いた様子で事情聴取に応じた。昨日は真っ直ぐに家に帰って寝て、鈴と同じく7時の花火で目が覚めたらしい。その時リリシャが自宅を訪れて暫く仕事の話をしていたと言う。
「仕事の話って、具体的には?」
「あいつの家は俺が設計したんだが、ちょっとミスして水漏れしてしまったんだ。それを直すついでに改築しようと提案したんだが、仕事柄あいつも作業場の設計にはうるさくてな……色々揉めて中々話が纏まらないんだよ」
花田の問いに京は頭を掻きながら渋々答えた。自分のミスについてだからか、あまり京は話したがらなかった。
結局分かったのは京とリリシャは今朝の7時~8時の間は京の家にいたということだけだった。それ以前の時間帯についてはアリバイが無く、容疑は完全には晴れそうに無かった。
「よし、次は……お前の家だな」
「……」
京の家の敷地から出た花田は桃子を見ながらそう告げた。次は桃子の家に行くらしい。
だが、肝心の桃子はどこか上の空で話を聞いていないようだ。鈴は心配になって桃子に話し掛ける。
「……桃子さん?」
「あっ、と……ごめん。ボーっとしてた」
「うん……どうしたの?」
桃子は悩んでいた様子だったが、思い切って京に小さな声で話し掛ける。
「あの……気をつけてくださいね京さん。もしかしたら、4番目かもしれませんし」
「俺は土方作業はしないから平気だとは思うんだが……まぁ、警戒しとくよ」
京はそれだけ言うと家の中へと帰って行き扉を閉めて鍵を掛けた。鈴は何のことか気になって桃子に尋ねる。
「桃子さん、4番目って?」
「あのカードのことだよ。この村に伝わる民謡の歌詞通りに、人が殺されるかもしれないから……」
桃子の家で花田と悠里が桃子の両親に話を伺っている間に、鈴はあのカードに記されている歌のことを桃子から説明されていた。
「これがね、人形村に伝わる歌」
『一人目は罪深き罪人 首を狩って現世と引き離せ
二人目は純潔の乙女 せめてその顔だけは隠してあげよう
三人目は愉快な商人 罪人の頭で黙らせよう
四人目は頼れる大工 両手がなくては何も出来ぬ
五人目と六人目は仲良い双子 頭を換えて力ある祝福を
笑って泣いてありがとう 今夜は私だけの宴 明日は貴方達の宴 その次皆で騒ぎましょう 空と大地のお祭りさ
魂の人形よ 命を抱えて大地で笑え 命を抱えて空へ飛んでおゆき 皆で見送ってあげましょう 魂の門出を』
鈴は本に書かれた歌詞を読みながら、この村の歴史について思い出していた。そう言えば昨日も京がこの村の歴史について軽く触れていた。飢饉から村を救うために生贄を捧げたという話を思い出して鈴は本を閉じる。
「ヴェルビッヒさんは詐欺の疑いがあって、首を切られた。そして霧子も……殺された」
確かに、真相は分からないがヴェルビッヒは罪人かもしれないし2人目の純潔の乙女という単語にも霧子は一致している。霧子の殺され方が歌の通りかどうかは少し怪しいが、もしこの歌の通りに人が殺されていくというなら、建築家の京が4番目に狙われる可能性は十分ある。
そこで話がひと段落ついたらしく、花田と悠里が立ち上がって鈴に付いてくるよう視線で訴える。すると、桃子の母親が桃子に話し掛けた。
「桃子、正午のイベントの挨拶……貴女がやりなさい。そういうしきたりだから」
「あ……はい」
部屋から出て行く最中に聞こえたこの会話が気になり、鈴はどういうことか尋ねようとしたが、花田が扉を閉めてしまい聞きそびれてしまった。鈴はがっかりして溜息を吐いたが、そんな鈴に悠里が小声で話し掛けて来た。
「東雲霧子がやる予定だった祝辞やイベントの役割を、年の近い友人である柊桃子がやるって意味だよ。風邪とかで体調が崩れた時の為の制度なんだけど……死んでしまった以上、適用するしかなかったんだろうね。しきたり通りなら来年以降も柊さんが役目を引き継ぐんじゃないかな。言い方は悪いけど……東雲霧子が死んだおかげで」
「そんな……」
「別に彼女が犯人だと言っている訳じゃないよ。ただ、彼女にも東雲霧子を殺す動機はあるってことだ」
この発言に言い返したかった鈴だが、いい言葉が見つからなかった。ヴェルビッヒを殺す動機は無い筈だと言いたかった。だが、もしかしたら彼女がヴェルビッヒの詐欺疑惑に詳しいのは自分の家が被害に遭って恨んでいたからかも。
そんな仮説を思いついて、鈴は自分が嫌になった。さっきまで仲良くしていた人を疑っている自分が、嫌いになりそうだった。
このままだと嫌な方向へと考えが向いてしまいそうだから、鈴は悠里に別の話題を振る。
「悠里さんはどうしてこの村のしきたりについて知っていたんですか?」
「僕はこの村の出身だからね。今はここに住んでないけど……まぁ、ここで育ったからその辺の知識はあるんだ」
この村に警察署や交番はないから別の町の人だと思っていたが、どうやら出身はこの村らしい。だからカードの歌詞を見ても思っていたより不思議がらなかったのだと、鈴は合点がいった。
そうこうしている内に、浪速金銭の家に辿り着いた。
自宅と商店が一緒になった建物に住んでいる金銭は、ここで商売をしているようだ。
「おい、浪速さん。ちょっと話を伺いたいんだが……」
花田が何回か大声で呼びかけて扉を叩くが、返事は無い。痺れを切らした花田が扉を開けようとすると、あっさりと扉は横にスライドして開き、店内の様子が目に飛び込んできた。中は古びた商店らしく空気が篭っていて少しむせる。
不思議に思いながら中に入って金銭を呼ぶが、それでも返事は無い。
カウンターまでやってきても、誰も出てこない。
「誰もいないのか?」
「判子入れが空になってるから外出しているのかもしれませんね。取引とかで」
悠里が軽く周囲を調べた上でそう判断すると、花田は無駄骨かと肩を落とした。
「お前の話だと、確か浪速金銭はいつも8時に営業を始めるんだったな」
「はい。だからいつもは棚の判子入れのケースに判子を入れてカウンターに座っているんですが……」
「何にも無いな。開店の知らせもないし、まるで営業前みたいだぜ。そもそも鍵掛けてないなんてよ」
鈴は店内の怪しげな骨董品や書類を眺めながら呟いた。
「この店、商品に統一性がありませんね」
「まぁ、金銭さんは売れるものなら何でも売ろうとするタイプの商人だったから……」
そこまで言ったところで、悠里は口を閉ざした。そう、浪速金銭は商人だ。
そして、あの民謡に見立てて殺人が行われているなら次のターゲットは商人になる。
花田はカウンターの台座から降りるとその奥へと向かった。
「……中を調べるぞ」
「……」
悠里と鈴は無言で頷いた。
裏口に行って鍵が掛かっていることを確かめると階段を昇って2階へと向かう。最後に残ったのは金銭の寝室だった。
花田は口の中に溜まった唾をゴクリと飲み込むと、一気に扉を明けた。その仲の光景を、三人は同時に見た。
それが浪速金銭であることを理解するのには時間が掛かった。一応頭はくっついているし、服だけで判断するような状態ではない。
ただ、金銭の顔は何か丸い物体で隠されており、それが邪魔でよく見えなかったのだ。そして、その正体を知った時、皆言葉を失った。
それは、昨日から見当たらなくなっていたヴェルビッヒの頭部だった。金銭の口に縫い付けられた頭部は雑な縫い目がこちらから丸分かりで、そのあまりの醜さに誰もが吐き気を覚えた。最初は椅子に座らせてあったのかもしれないが、バランスを崩して倒れたことは近くで倒れていた椅子が証明している。
そして、やはり金銭の胸にはあのカードが貼り付けられていた。
『三人目は愉快な商人 罪人の頭で黙らせよう』
どうしてヴェルビッヒの頭が金銭の口に縫い付けられているのか。その疑問はこの歌詞を見れば解決した。
だが、理解はしたくなかった。
人の頭部をこんな雑に他人へと縫い合わせる所業を、理性が理解することを拒んだ。そして、よく見ると金銭の首も一度切断されていることが縫い目から分かった。魚人であるためか、首の縫い目から垂れる赤い血が青い肌と対象的すぎて目立っていた。
「ぁ……」
鈴はただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
悪夢のようなこの光景を目の当たりにしながら、身動き一つ取れない。
だが、まだ終わりではない。
人形村で起こったこの残酷な連続殺人事件は……まだ、始まったばかりなのである。