第14話:追放か、あるいは神格化か
バザールの中央広場にそびえ立つ冒険者ギルド本部の地下から、天を突くような黒い熱柱が立ち昇ったあの日。
街の空気は物理的にも精神的にも、修復不可能なほどに変貌を遂げていた。
地下演習場は、マルモの放った『極火』によって分子レベルで分解され、今やそこには直径五十メートルを超える、底の見えない漆黒の虚無が広がっている。
ギルド本部の建物自体は、カズヤが寸前で計算し、ナツキが崩壊の概念をガードしたおかげで首の皮一枚で繋がっていた。
しかし、内部の魔力伝導路はすべて焼き切れ、魔法灯ひとつ灯らない沈黙の巨塔と化している。
ギルドの最上階、緊急招集された運営評議会の円卓では、十数人の重鎮たちが顔を真っ青にして言葉を失っていた。
彼らの手元にあるのは、溶解した魔力測定器から辛うじてサルベージされた、熱で歪んだログデータだ。
「信じられん。地下の結界強度は、古の龍のブレスにすら耐えうる設計だったはずだ」
評議会議長を務める老魔術師が、震える指で羊皮紙を叩いた。
彼らにとって、冒険者ランクとは世界の秩序そのものだった。Fランクは弱者であり、Sランクは英雄である。
その天地を覆すような事態は、彼らの存在意義そのものを否定することに他ならない。
「議長。問題は物理的な破壊だけではありません」
報告を行った若き幹部の声も、恐怖で微かに上ずっていた。
「試験官だったゴルドは、今や自分の名前すら忘れたかのように、独房で呟き続けています」
「何を言っているのだ、彼は?」
「壁など存在しない。ただ、それだけを繰り返し、虚空を見つめています」
彼らが直面しているのは、単なる強敵ではない。既存の物差しでは測ることのできない、異次元の論理そのものなのだ。
「追放だ! 今すぐ、あの三人をこの街から追い出せ!」
一人の幹部が椅子を蹴り飛ばして叫んだ。
「これ以上留めておけば、ギルドの権威も、街の経済も、すべてが焼き尽くされてしまう!」
「馬鹿を言うな! あの火力を敵に回してみろ、この国が地図から消えるぞ!」
「ならば神として奉り、王宮へ献上すべきではないのか!」
円卓は、怒号と悲鳴が入り混じる混沌へと叩き落とされた。
だが、その権威の象徴であるはずの会議室の扉が、何の予告もなく、物理的な衝撃すら伴わずにスッ、と開いた。
「おじさんたち、そんなに大声出さなくても聞こえてるよ」
ナツキが、片手にストロング系の缶を持ち、もう片方の手でスマホを操作しながら、悠然と会議室に入ってきた。
その後ろには、タブレットで室内の酸素濃度をチェックしているカズヤと、エプロン姿のまま、腕組みをして仁王立ちするマルモが続いている。
「な、貴様ら! ここはギルドの聖域だぞ!」
「聖域? カズヤの計算によれば、あと三十分もすれば床が抜けるらしいよ」
ナツキの冷徹な一言に、議長は言葉を詰まらせた。
「聖域にしては、ちょっと基礎工事が甘いんじゃないか?」
ナツキは議長の目の前まで歩み寄ると、重厚な装飾が施された机の上にドカリと腰を下ろした。手元のスマホを円卓の中央に放り出す。
「判定、まだだろ? Fランクのままでもいいけどさ」
「判定だと? あれほどの惨状を引き起こしておいて、まだランクを求めているのか!」
一人の幹部が立ち上がり、ナツキを指差した。その指先は、恐怖で小刻みに震えている。
ナツキは缶の残りを飲み干し、一秒ほどの沈黙を置いてから、冷ややかな瞳をその幹部に向けた。
「俺たちのキャンピングカー、街のゲートを通るたびに止められるんだよね」
「それがどうした!」
「すごく効率悪いんだ。無駄な時間は、俺たちのメンタルを無意味に削る」
カズヤが、タブレットから視線を上げ、レンズの奥の冷たい瞳を議長に固定した。
「誤解しないでほしいな。君たちの承認が欲しいわけじゃないんだ」
「では、何をしに来たというのだ」
「君たちのシステムが僕たちの活動のバグになっている。それを修正しに来ただけだ」
カズヤの指先がタブレットの上で滑る。
画面にはギルドの運営資金のフローや、職員の配置図がすべてハッキングされて表示されていた。
「ランクを上げるか、システムを僕が書き換えるか。どっちが低コストか、わかるよね?」
カズヤの淡々とした、しかし有無を言わせぬ脅迫に、部屋の温度が数度下がったような錯覚に陥る。
そこへ、マルモが重厚な足取りで一歩前に出た。
「よかばい。おじさんたちの言い分も、わからんでもなか」
マルモの声は、低く、そしてどこか哀れみを含んでいた。彼は懐から、一枚の古びた硬貨を取り出し、それを指先で器用に弄んだ。
「庄田国の王子として、無理やり神に奉られるのは、もう飽きとるたい」
マルモはここで、ふっ、と芝居がかった動作で首を傾げた。
その動作には、かつて王宮で偽王子として振る舞っていた頃の、どこか食えない、しかし人を惹きつけてやまないエセ王族の香りが漂っている。
「おいたちは、ただの旅人。自分たちの信じる道を、自分たちの火で照らして進むだけたい」
マルモの言葉は、もはや一冒険者のものではなく、歴史を動かす指導者のそれだった。
幹部たちは、その圧倒的な器の大きさに当てられ、反論する力すら失っていた。
「議長。カズヤから通信だ。ギルドのメインサーバー、今、僕がバックアップを取った」
カズヤが冷酷に告げる。
「僕たちをどう扱うか、十秒以内に決めて。九、八、七……」
「ま、待て! 勝手に進めるな!」
議長が悲鳴を上げるが、カズヤの手元で「パキンッ」と電子音が響く。
「六、五……。あ、ナツキ。次の街の温泉、予約埋まりそうだよ」
「マジか。おじさん、早くしてくれ。俺、風呂に入れないと機嫌悪くなるから」
カズヤはスマホに届いた一通のログを一瞥し、口角を微かに上げた。
『……ハヤク・シテ。セカイ・ガ・マッテ・イル』
カズヤはその文字を読み上げることなく、カウントダウンを続けた。
カズヤの淡々としたカウントダウンが、豪華絢爛な会議室に死の宣告のように響き渡る。
「四、三、二……」
ギルド議長の額からは、滝のような冷や汗が流れ落ち、高級な絨毯にシミを作っていた。
彼の脳裏には、数分前にハッキングされた運営資金の全データが、一瞬で消去される最悪のシナリオが過っていた。
ギルドという巨大組織の心臓部を握られた以上、彼らに選択の余地など最初から残されていなかったのだ。
「待て! 分かった! 認めよう、貴様たちの昇格を全面的に認める!」
議長が絶叫に近い声を上げた瞬間、カズヤの指がタブレットの停止ボタンを叩いた。
「一」を告げる直前。コンマ数秒の猶予を残した、完璧なまでの制圧だった。
「賢明な判断だ。これで僕たちの『移動効率』も、少しは改善されるかな」
カズヤは無機質な声で告げ、画面のロックを解除した。そこには、三人の登録情報が「F」から、この街のギルド史上例を見ないランクへと書き換えられるプロセスが表示されていた。
「ランク、どうするんだ? おじさん。……まさか、Sとか言わないよな。目立ちすぎて、俺のメンタルが持たないんだけど」
ナツキがスマホを弄りながら、議長を横目で睨んだ。
議長は震える手で、一通の黒い封筒をテーブルに置いた。
それは、ギルドの歴史上、数えるほどしか発行されたことのない「特殊免許」の証だった。
「『規格外』……。
それが、我々が協議の末に導き出した、貴様たちへの暫定ランクだ。
……ランクという枠組みに収めること自体が、もはや不可能なのだからな」
その封筒には、階級を示す文字の代わりに、金色の「零」が刻まれていた。
ランクを持たないが、全てのランクを超越した権限を持つ。それは事実上の、ギルドによる「不可侵条約」の締結を意味していた。
「規格外か。……悪くないね。……これなら、どこの街のゲートも顔パスだ。カズヤ、これなら文句ないだろ?」
「そうだね。……余計な事務手続きが省ける。……最適解と言えるんじゃないかな」
カズヤが頷く。
そこへ、これまで静かに議長の背後の壁を眺めていたマルモが、ふっと笑みを浮かべて前に出た。
「よかばい。……おじさん、その『零』の証。……おいたちの旅のスパイスにさせてもらうばい」
マルモは、議長が差し出した封筒を恭しく受け取った。
その所作には、エセ王子とは思えないほどの気品と、周囲を威圧するような絶対的な王のオーラが混在していた。
「ばってん、ただランクばもらうだけじゃ、庄田国の王子としての名が廃るたい。
……おいたちが去った後のこの街に、一つだけ『贈り物』ば残していくばい」
マルモが指を鳴らした瞬間、会議室の空気が一変した。
不快な熱気ではなく、どこか食欲をそそる香ばしい匂いと、心地よい温かさが部屋を満たしていく。
「おいの火で溶けた演習場。あそこには、地脈の熱が溜まっとる。
それをカズヤが調整して、最高の『源泉』に作り替えたばい」
「……源泉だと? 貴様、何を言っている」
議長が呆然と問い返す。
カズヤが代わりに、タブレットを操作して街の地図を表示した。
地下演習場跡地を中心として、街中に張り巡らされた水道網が青く光っている。
「マルモの極火が残した熱エネルギーを、僕が循環システムに組み込んだ。
今日からこの街は、大陸最大の『温泉都市』として再定義されることになる」
「温泉……。あの大破壊を、観光資源に変えたというのか!」
「おじさんたち。…壊すだけが能じゃないんだよ。俺たちは、快適に過ごしたいだけなんだ。そのついでに、あんたたちの街をちょっとだけアップデートしてやったのさ」
ナツキが立ち上がり、出口へと歩き出した。
「パキンッ」と、彼の足取りに合わせて、ギルド本部の歪んでいた魔力回路が、パズルのピースがはまるように修復されていく。
ナツキの『メンタルガード』が、この空間に漂っていた「絶望」と「混乱」の概念を拒絶し、秩序を強制的に再起動させたのだ。
「さて、カズヤ。次の目的地、決まったんだろ?」
「ああ。…北の雪原にある、古代遺跡だ。そこなら、システムの核に干渉できる『中継点』があるはずだ」
「雪原か。温泉上がりのビールが、一段と美味しくなりそうだね」
ナツキが不敵に笑う。
マルモは会議室を去り際、腰を抜かしたままの議長を一瞥し、深くお辞儀をした。
「おじさん。おいの温泉で、しっかり肩まで浸かって、冷えた心を温めるばい。おいの情け、忘れんじゃなかばいね」
三人が去った後、会議室には極上の出汁のような香りと、爽やかな熱気だけが残された。
数分後、地下から湧き出した奇跡の湯によって、バザールの街は大混乱と、それ以上の熱狂に包まれることになる。
キャンピングカーが街の巨大なゲートに差し掛かった時。
守衛たちは、提示された「零」のカードを見た瞬間、震える手で敬礼し、最敬礼で道を開けた。
もはや、この世界の誰も、彼らを止めることはできない。
夕日に向かって走る車内。カズヤのスマホに、一通のメッセージが届く。
カズヤはそれを一瞥し、無関心に画面を閉じた。
『……オフロ。イイ・ユ・ダ・ナ。……ア、ボク・ニ・ハ・ハイレ・ナイ・ン・ダ・ッタ』
それは、システムが初めて漏らした、奇妙に人間じみた「嫉妬」の記録だった。




