長い1日の、その翌朝
朝だった。
柔らかな光が、薄いカーテン越しに部屋へ差し込んでいる。
静かな風が窓辺を揺らし、白い寝具の端をかすかに揺らした。
リオは、ゆっくりと目を開けた。
視界に入ったのは、見慣れない天井だった。
高すぎず、けれど質素すぎもしない。
木と石で整えられた、落ち着いた造りの部屋。
ギルド専用に与えられた小さな城――その中にある、自分専用の寝室。
まだ少しだけ、頭がぼんやりしている。
けれど、目を閉じてしまえば戻れなくなりそうで、
リオはそのまま天井を見つめ続けた。
「……昨日」
ぽつりと、声が漏れる。
たった1日だった。
けれど、何もかもが変わった。
再会があり、知らない事実があり、王と話し、騎士たちと向き合い、王都を歩き、貧民街を見て、夜には大勢と同じ卓を囲んだ。
長い。
本当に、長い1日だった。
リオはゆっくりと上体を起こし、窓の方へ目を向ける。
朝の光は穏やかで、昨日の騒がしさが嘘みたいだった。
「……これから800年、か」
小さく呟く。
その数字は、まだ現実味がない。
あまりにも長すぎて、逆にうまく掴めない。
でも、これから積み重なっていくのだろう。
昨日みたいな日が、もっとたくさん。
向こうの現実世界では――
たぶん、ほんの一瞬なのかもしれない。
そう思うと、奇妙だった。
こちらでは長い時間が流れていくのに、
あちらでは、まだ瞬きほどの間なのかもしれない。
リオはしばらく黙り込み、それから小さく苦笑した。
「でも……」
そこで、ふと別の疑問が浮かぶ。
「なんで、このギルドで俺がリーダーなんだ?」
真顔で呟いてしまった。
どう考えても、ラルラゴの方だろう。
強さも、落ち着きも、存在感も、全部あちらの方が上に見える。
ヴァルは絶対に違う。
リュメリアはたぶん面倒だと言って逃げる。
ノアは支える側に回るだろう。
そうなると、やっぱり一番自然なのはラルラゴだ。
「普通に考えたら、ラルラゴだろ……」
誰に聞かせるでもなく呟いてから、
リオは少しだけ考え込み――すぐに諦めた。
「……まあ、いっか」
その瞬間だった。
外から、どたどたと慌ただしい足音が響いた。
続いて、城の外から大きな声が飛び込んでくる。
「ご報告です! ご報告です!!」
リオがぱちりと目を瞬く。
「……ん?」
さらに声が続く。
「アストラ――いえ、オルビス・ノヴァの皆様! 至急、ご確認願います!!」
朝の静けさが、一気に吹き飛んだ。
リオは急いでベッドから降り、窓の方へ歩み寄る。
カーテンを開けると、下には王国の紋章を身につけた使者が、息を切らして立っていた。
「何があったんですか!」
リオが窓から声をかけると、使者がはっと顔を上げる。
「リ、リオ様!」
その反応に、リオは少しだけ肩をすくめた。
「うん、俺だけど。どうしたの?」
使者は慌てて姿勢を正す。
「昨日、王より下賜された未開拓地――成埜の地の周辺より、魔気が観測されました!」
リオの表情が引き締まる。
「成埜の地から……魔気?」
「はい!」
使者は早口で続けた。
「少数ではありますが、王国側へ向かうような動きが確認されております!」
「規模が小さいうちにと判断し、急ぎご連絡に参りました!」
リオは窓辺で一瞬だけ考える。
「みんな、まだ寝てるのかな……」
廊下の方へ意識を向けるが、気配は静かなままだ。
ヴァルならまだ熟睡していそうだし、リュメリアも昨日は遅かった。
ラルラゴだけは起きていてもおかしくないが、今この時点で反応はない。
リオはもう一度、窓の下の使者へ視線を戻した。
「……今、俺しか起きてないっぽいんだけど」
使者がごくりと唾をのむ。
「は、はい」
「俺1人で行ってもいいかな?」
沈黙。
次の瞬間、使者の顔色が変わった。
「リ……リオ様が、直々に!?」
「うん」
リオはきょとんとした顔で頷く。
「だめ?」
「い、いえ! そのようなことは決して!」
使者はぶんぶんと首を振る。
「観測された魔気は天階レベルⅢからⅣ程度……ですので……!」
そこまで言って、言葉に詰まる。
「……お一人で十分かと……」
「はっ、いえ、十分というより、その……一瞬で……」
「え」
リオは少しだけ眉を下げた。
「俺だけじゃ無理かなぁ」
「ち、違います!」
使者は真っ青になって叫んだ。
「そのような意味では決してありません!」
リオは思わず笑った。
「大丈夫だよ」
「行ってみる」
そして、少しだけいたずらっぽく口元を緩める。
「俺、なんてたってEランク冒険者だからね」
使者は、ぴたりと固まった。
「……え?」
「Eランク……?」
何を言われたのか、うまく飲み込めていない顔だった。
驚きというより、純粋な混乱がそのまま表に出ている。
「何を……ですか……?」
リオは一瞬きょとんとして、それからふっと笑う。
「あ、こっちの話」
その言い方があまりにも軽くて、使者はますます反応に困った顔になった。
「え、ええと……は、はい……!」
リオは窓から離れる。
「すぐ行くから、先に門のところで待っててくれる?」
「は、はい! 承知しました、リオ様!」
足音が遠ざかっていく。
部屋に再び静けさが戻る。
けれど今度の静けさは、さっきまでの朝の穏やかさとは違っていた。
どこか、胸の奥が熱を帯びるような静けさだった。
リオは軽く息を吐くと、部屋の隅に置かれた装備へ目を向けた。
そこには、昨日までの自分にはなかったものが並んでいた。
見慣れない装備。
見慣れない剣。
見慣れない杖。
どれも質が良いのは一目で分かる。
けれど、まだ“自分のもの”という感じは薄い。
リオは少しだけ首を傾げながら、それらを見つめる。
「……すごいな」
昨日までとは、まるで違う。
まるで、知らない誰かの部屋みたいだった。
それでも、手に取ってみれば少しずつ馴染むものもある。
布地の感触。
革の締め具合。
腰の重さ。
適当に着替えながら、リオは視線を武器へ向ける。
杖にも目が行った。
けれど最後に手を伸ばしたのは、やはり剣だった。
鞘ごと持ち上げると、しっくりくる。
不思議なくらい自然に、手に収まる。
「……やっぱり、こっちかな」
その一言に、自分でも少し安心する。
剣を腰に差し、軽く動いてみる。
問題ない。
リオは窓の外を見た。
王から与えられた土地。
まだ見ぬ未開拓地、成埜の地。
そして、そこに現れた魔獣。
「場所は……なんとなく分かる気がするんだよな」
昨日の話の流れと、王から示された位置、それに頭の中に残る妙な感覚が、ぼんやりとひとつの方向を指していた。
見学ついでに、魔獣とやり合ってみる。
そう考えると、不安より先にわくわくが来る自分がいた。
「……よし」
リオは扉の方へ向かう。
昨日、たった1日で何もかもが変わった。
そして今日もまた、きっとその続きだ。
長い長い時間のうちの、たったの2日目。
けれどその2日目もまた、静かに世界を動かし始めている。
リオは部屋の扉に手をかけると、ひとつ深呼吸して、小さく笑った。
「じゃあ、行ってみるか」
その声には、もう迷いはなかった。




