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灯りを分ける夜

「行こう」


リオのその一言を合図に、一行は夜の路地へ足を踏み入れた。


さっきまで賑わう飯屋通りの灯りにいたせいか、暗い路地の空気はひときわ冷たく感じられた。

焚き火の火は小さく、壁際にうずくまる者たちの影を頼りなく揺らしている。


一行が近づくと、そこにいた者たちの目が一斉に向いた。


当然だった。


城から出てきたばかりのような気配をまとった者たちが、

わざわざこんな場所へ足を踏み入れてくること自体がおかしい。


最初に立ち上がったのは、まだ若い男だった。

痩せてはいるが、目つきだけは鋭い。


「……何だよ」


警戒と苛立ちが、そのまま声に出ていた。


ヴァルが片手を上げる。


「いや何、飯食いに行くんだが」


「は?」


「どうせなら一緒にどうだと思ってな」

ヴァルはさらりと言った。

「飯も酒もある。温かい席もある。来たいなら来い」


一瞬、沈黙が落ちる。


焚き火の向こうで、誰かが小さく鼻で笑った。


「なんだそりゃ……」

「酔ってんのか?」


「まだ飲んでる途中だ」

ヴァルは真顔で答えた。

「だが話は本気だぞ」


リュメリアが額に手を当てる。


「最初の切り出しが雑すぎるのよ、あなたは」


「本当のことしか言ってない」


「そういう問題じゃないわ」


リオは苦笑しながら、一歩前に出た。


「急に声をかけて驚かせてしまったなら、ごめん」


その声は大きくなかった。

けれど、路地の冷えた空気の中では、不思議とよく通った。


「無理にとは言わない」

「ただ、よかったら一緒に食べないかと思って」


立ち上がっていた若者が、じっとリオを見る。


「……何でだよ」


「何で、って?」

リオが静かに聞き返す。


「俺たちに」

若者は低く言った。

「何でそんなことする」


その問いに、リオは少しだけ考えるように目を伏せた。

けれど答えたのは、ヴァルだった。


「腹が減ってそうだったからだ」


あまりにもあっさりした返答に、路地のあちこちで怪訝そうな顔が増える。


ヴァルは肩をすくめる。


「深い理由が欲しいなら後で考えるが、今はそれで十分だろう」

「飯は温かいうちの方が美味い」


リオは小さく笑った。


「……うん、たぶんそれで十分だね」


ノアもやさしく光を揺らす。


「温かいものは、分けた方がもっと温かくなります」


その言葉に、焚き火のそばにいた小柄な女が、ふっと表情を緩めた。

腕の中には、眠たそうな目をした子どもがいる。


「……ほんとに、いいのかい」


「もちろん」

リオは頷く。

「来たい人は、誰でも」


ラルラゴは何も言わずに立っていたが、それが逆に妙な説得力になっていた。

リュメリアは小さくため息をつき、肩をすくめる。


「もうここまで来たら引き返せないわ」

「人数が増えたら増えたで、店ごと買い取る勢いで行きましょう」


「さすがに買い取るな」

ヴァルが言う。


「たとえ話よ」


路地の空気が、少しだけ緩んだ。


最初に動いたのは、さっきの若者ではなかった。

壁際に座っていた痩せた老人が、ゆっくりと立ち上がる。


「……行けるなら、行くさ」

「こんな誘い、二度とねえかもしれねえ」


それをきっかけに、空気が変わった。


「おい、ほんとにいいのか」

「酒もあるって言ったよな?」

「子どももいいのか?」

「人数増えても文句言うなよ」


「言わないとも」

ヴァルが笑う。

「ただし私の分の酒まで飲むな」


「一番先に飲むのはどう考えてもあなたでしょうに」

リュメリアが即座に返す。


気づけば、路地のあちこちから人が集まり始めていた。


年寄り。

若者。

子を連れた母親。

痩せた男。

無口な女。

耳の長い者、角を持つ者、肌の色が異なる者、体つきの違う者。


この一角には、聖人族ばかりではなかった。

多種多様な種族が、国の表側からこぼれ落ちるように寄り集まって生きている。

昼には見えなかったその濃さが、夜になるとむしろはっきりと見えてくる。


リオはその様子を見て、静かに胸の内で受け止めていた。


同じ王都の中に、

こんなにもいろいろな人がいて、

こんなにも同じように腹を空かせている。


「よし、行くぞ」

ヴァルが両手を広げる。

「今夜は宴だ!」


「だから言い方が芝居がかってるのよ」

リュメリアが言う。


それでも、その声にはもう笑いが混じっていた。


こうして、夜の路地から小さな行列ができた。


賑わう飯屋通りへ向かう頃には、最初の警戒はもう半分ほど溶けていた。

通りの灯りが近づくにつれ、路地から来た者たちの目にも、少しずつ色が戻っていく。


そして、一行は大きめの酒場兼飯屋へ雪崩れ込んだ。


最初、店の者は目を剥いた。


「……え」

「お、お客様、その人数は――」


「大丈夫だ」

ヴァルがにやりと笑う。

「今日は王の厚意がついている」


「それを免罪符みたいに使うのやめなさい」

リュメリアが呆れる。


だが店側は王の名を聞いた瞬間、顔色を変えた。

慌ただしく席を整え、長机を繋げ、鍋を増やし、パン籠を追加し、酒樽まで運んでくる。


気づけば店の奥は、ちょっとした祭りみたいになっていた。


湯気の立つ煮込み。

焼きたての肉。

山盛りのパン。

果実酒、麦酒、薄めた蜜酒。


最初は半信半疑だった路地の者たちも、

目の前に本当に温かい料理が並ぶと、さすがに言葉を失った。


「……食っていいのか」

「冷める前にどうぞ」

リオが微笑む。


その一言で、ようやく最初の一口が始まった。


そこからは早かった。


ひと口、ふた口と食べ進めるうちに、強ばっていた肩が落ちる。

酒が回るにつれ、声が増える。

最初は遠慮がちだった笑いも、少しずつ大きくなっていく。


「うまい……」

「信じられねえ」

「この肉、ほんとに俺たちが食っていいやつか?」

「おい、パンまだあるぞ!」


子どもたちは早々に笑い始め、

大人たちも、最初の警戒を忘れたように杯を交わし始めた。


ヴァルは当然のように中央で盛り上がっていた。

知らない男と肩を組み、もう三杯目なのか五杯目なのか分からない酒を飲んでいる。


「だから私は言っただろう!」

「夜は食って飲んで語る時間だ!」


「さっきから同じことしか言ってねえぞあんた!」

と、路地から来た若者が笑う。


「大事なことは何度でも言う!」


「それっぽく聞こえるのが腹立つな!」


リュメリアは呆れつつも、子どもに皿を取り分け、母親たちと自然に言葉を交わしていた。

ノアは小さな光をやわらかく揺らしながら、子どもたちに囲まれている。

ラルラゴは相変わらず多くを語らないが、その無言の存在感が逆に妙な安心感を与えていた。


そしてリオは、そんな光景を静かに見回しながら、ひとりひとりの顔を覚えるように席の間を歩いていた。


宴がかなり温まった頃。


向かいの席にいた、さっき路地で最初に睨んできた青年が、杯を片手に低く言った。


「……なあ」


リオが足を止める。


「どうしたの」


青年は少し酔っているのか、頬が赤かった。

だが目だけは妙に真っ直ぐだった。


「どうして、こんなことしてくれるんだ」


店の喧騒の中、その問いだけが少しだけ静かに聞こえた。


リオが答える前に、ラルラゴが低く口を開いた。


「我々は力ある者だ」


一瞬、周囲の空気が変わる。


青年が目を上げる。


ラルラゴは変わらぬ声で続けた。


「だからこそ、力なき者に力を与えるのは義務だ」


その言葉は、決して大きくはなかった。

けれど、酒場のざわめきの中で、不思議なほどよく響いた。


「力ある者……」

と、誰かが小さく繰り返す。


青年は呆然とラルラゴを見たあと、今度はリオを見る。


「……あんたら、何なんだよ」


ヴァルが横から笑う。


「ただの通りすがりの食いしん坊集団だ」


「絶対違うだろ」

今度はその青年自身が吹き出した。


そこから先は、妙に早かった。


誰かが「リオ様」と呼び、

誰かが「ラルラゴ様」と続け、

「ヴァル様、酒強すぎるだろ!」という笑いが起き、

「リュメリア様、子どもに優しすぎる」と声が上がり、

「ノア様、光が綺麗……」と子どもが目を輝かせた。


一夜にして、呼び方が変わる。


でもそれは畏れだけじゃなかった。

敬意と、驚きと、どこか親しみの混ざった“様”だった。


種族も、年齢も、立場も、全部違う者たちが、

その夜だけは同じ机を囲んでいた。


聖人族の少ないこの一角で、

角持つ者も、耳長の者も、獣人も、肌の色の異なる者も、

皆が同じ湯気の向こうで笑っている。


その光景を見ながら、リオは小さく目を細めた。


これが何かをすべて変えるわけじゃない。

でも、今この夜だけは、たしかに何かがほどけている。


宴は、楽しく終わった。


最後には、店の空気そのものがあたたかくなっていた。

路地から来た者たちは、来た時より少しだけ顔色が良く、目に光を戻していた。


別れ際、あの青年が少し照れくさそうに頭を掻く。


「……また来るのかよ」


ヴァルがにやりと笑う。


「飯が美味ければな」


「そこかよ」

青年が笑う。


リオは静かに言った。


「また会えたら嬉しいよ」


その言葉に、青年は一瞬だけ言葉を失い、

それからぶっきらぼうに頷いた。


夜風は冷たかった。

けれど酒場を出たとき、一行の背中にはまだ店の灯りの温もりが残っていた。


そして――


次の日の朝。


王都の空気は、前夜とはまるで違う顔をしていた。


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