続きの名は、まだ遠く
リオが目を閉じ、小さく笑った、その直後だった。
ヴァルが酒瓶を指先でくるりと回しながら、いかにも「ここからだ」と言いたげに口元を上げる。
「さて、と」
「せっかくここまで引っ張ったんだ。名前くらいは出してやらないとな」
リオはゆっくり目を開けた。
「最初からそうしてくれると助かる」
「はは、落ち着いてるようで、ちゃんと気になってるじゃないか」
ヴァルは楽しそうに笑う。
リュメリアが頬杖をつきながら、ふっと目を細めた。
「じゃあ、先にあっちね」
「あっち?」
リオが首を傾げる。
ラルラゴが短く言う。
「賑やかな方だ」
その一言に、ヴァルが吹き出した。
「雑だが、間違ってない」
「むしろ一番伝わるわ」
リュメリアも肩を揺らす。
ノアがやわらかく光った。
「とても明るいお方です」
リオは少しだけ苦笑する。
「それは、なんとなく想像できる気がする」
ヴァルが片眉を上げる。
「ほう?」
「みんなの言い方が、もうそういう顔をしてる」
リオが静かに答える。
その返しに、リュメリアがくすりと笑った。
「ええ、鋭いわね」
そして少しだけ、場の空気が整う。
戯けたような軽さが、ほんのわずかに静まった。
リュメリアは、リオをまっすぐ見て告げる。
「名前は――」
ほんの一拍。
「ザルクス=ガイア」
その名が落ちた瞬間、リオの表情がわずかに止まった。
「……ザルクス=ガイア」
口の中で確かめるように、静かに繰り返す。
ザルクス。
その響きには、どこか納得できる強さがあった。
明るく、騒がしく、それでいてただ者ではない――そんな輪郭が、名前だけで少し伝わってくる。
だが。
「ガイア……」
後ろの名に、ほんのわずかに意識が引かかる。
どこかで聞いたことがあるような。
けれど、それがいつで、どこで、誰のものだったのかまでは分からない。
思い出せそうで、届かない。
霧の向こうに何かがある。
そんな感覚だけが、かすかに胸に残った。
リオは眉を寄せるでもなく、ただ静かにその違和感を受け止めた。
「どうかしたのかしら?」
リュメリアが問う。
「……少しだけ気になった」
リオはそう言って、視線を落とす。
「後ろの名に、妙な覚えがある気がしたんだ。でも、はっきりとはしない」
ヴァルとリュメリアが一瞬だけ視線を交わす。
ラルラゴは黙したまま、リオを見ていた。
「そうか」
ヴァルが、いつもより少しだけやわらかい声で言う。
「なら、それで十分だ」
「十分?」
リオが顔を上げる。
「全部を一度に掴む必要はないってことだ」
ヴァルは酒瓶を肩に乗せたまま笑う。
「名前ってのは、それだけで扉になることもある」
リュメリアも静かに頷いた。
「今は、引っかかった。それでいいのよ」
リオは少しだけ考え、それから小さく息をついた。
「……そういうものかな」
「そういうものです」
ノアがやさしく言う。
「記憶も、ご縁も、急にすべてが繋がるとは限りませんから」
その言葉に、リオの表情が少しだけ和らぐ。
「たしかに、そうかもしれない」
ラルラゴが低く口を開いた。
「焦る必要はない」
短い言葉だったが、妙に重みがあった。
リオは静かに頷くと、改めて問い直した。
「……それで、そのザルクス=ガイアという人は、どんな人なんだ」
ヴァルがすぐに笑う。
「軽い」
リュメリアが続ける。
「うるさい」
ラルラゴが一言で締める。
「強い」
ノアが少し考えてから、やわらかく添えた。
「とても温かい方です」
リオが思わず目を瞬かせる。
「最後だけ印象がずいぶん違うね」
「違わないわ」
リュメリアがくすっと笑う。
「全部本当よ」
ヴァルが指を折りながら数え始める。
「よく喋る。よく笑う。距離が近い。面倒ごとに首を突っ込む。妙に人懐っこい。空気をかき回す。だが――」
そこで、少しだけ声色が変わる。
「本当に強い」
リオの目が静かに細まる。
「そこは、みんな同じことを言うんだね」
「当然だ」
ラルラゴが答えた。
「事実だからな」
リュメリアが足を組み直す。
「しかも、あの人は特に肉体戦が異常なの」
「大地と獣と魔物、その全部と噛み合うような戦い方をするわ」
「噛み合う、か」
リオはその言葉を反芻する。
ヴァルが楽しげに頷いた。
「そうだ。力任せに見えて、実際はとても深い」
「地の魔気を纏って、獣の力を引き出して、地上の魔物まで従える。しかも本人の体そのものが厄介だ」
ノアが静かに補足する。
「ザルクス様が本気になられると、その場の空気まで変わります」
「大地そのものが呼応しているように感じられるのです」
リオは少しだけ目を見開いた。
「……それは、たしかにただ事じゃないね」
「ただ事じゃないわ」
リュメリアが笑う。
「本人はあんなに騒がしいのに」
「そこ、やっぱり大事なんだな」
リオが穏やかに返す。
「大事だ」
「大事よ」
「大事です」
三方向から重なって返ってきて、リオはとうとう小さく笑った。
「そこまで揃うと、会う前から少し分かった気になるよ」
ヴァルがにやりとする。
「だろう?」
リオは椅子にもたれ直し、天井を見上げた。
「……ザルクス=ガイア、か」
まだ姿は見えない。
どこにいるのかも、なぜ今ここにいないのかも分からない。
けれど、その名にはたしかに何かがあった。
知らないはずなのに、遠く感じない。
まだ会っていないのに、不思議とその存在だけが胸に残る。
ノアが、肩の上でやわらかく光る。
「きっと、お会いになれば分かります」
「そうだね」
リオは静かに答えた。
「そんな気がする」
ヴァルが酒瓶を軽く掲げる。
「では、記念すべき第一報だ」
「未登場メンバー、その一――ザルクス=ガイア」
「本人が聞いたら、“その一”はやめろって言いそうね」
リュメリアが笑う。
「言うだろうな」
ヴァルも笑う。
ラルラゴは何も言わない。
だが、その沈黙にはわずかな懐かしさが滲んでいた。
リオはその空気を感じ取りながら、もう一度だけその名を胸の内で繰り返す。
ザルクス=ガイア。
その名だけで、まだ見ぬ“続き”が少しだけ近づいた気がした。




