選ばれた傍観者たち
王と側近たちが去った後。
ギルドマスタールームには、少しだけ奇妙な静けさが残っていた。
テーブルの上には、成埜の地に関する権利書と、玉樹の書庫の入室許可証。
ゼルクもサイラスも、四天槍たちも、まだ半分ほど現実に戻れていない顔をしている。
ヴァルが酒瓶を揺らしながら笑う。
「いやあ。」
「今日は濃いな。」
リュメリアが即座に返す。
「大抵いつも濃いでしょ、あんたの周り。」
リオは、テーブルの上の銀板を見ていた。
玉樹の書庫。
その名を見ても、驚きはない。
ただ、目だけが少し細くなる。
ヴァルがそれに気づく。
「なんだ。」
「知ってる顔だな。」
リオは小さく息を吐く。
「……なんとなくな。」
「かなり、すごい場所だってことくらいは分かる。」
リュメリアが口元を上げる。
「へえ。」
「そこはちゃんと覚えてるんだ。」
リオは肩をすくめた。
「覚えてるというより。」
「体が嫌がってる。」
ヴァルが笑う。
「それが正解だ。」
「好き好んで入る場所じゃない。」
ゼルクが眉をひそめる。
「そこまで言う書庫とは、一体……」
リュメリアがさらりと言う。
「王家が“読ませないために守ってる書庫”よ。」
サイラスが真顔になる。
「聞かなきゃよかった。」
四天槍の女剣士も、小さく呟く。
「その言い方で、入りたくなる者はいないでしょうね……」
ラルラゴは何も言わない。
だが、その沈黙が「いずれ行くことになる」と語っているようだった。
その時だった。
リオの肩にいたノアが、ふわりと浮いた。
小さな光が、部屋の中央へ出る。
ヴァルが片眉を上げる。
「ん?」
リュメリアも目を向ける。
「珍しい。」
ノアが、自分から前に出ることはそう多くない。
ノアは、ゼルクたちの方を向いた。
その小さな姿のまま、静かに言う。
「あなたたち。」
ゼルクたちが、一斉に身を固くする。
「……は、はい?」
サイラスの返事が少し裏返る。
ノアは続けた。
「わたくしたちに、仕える気はありませんか?」
沈黙。
空気が、きれいに止まった。
ゼルクが数秒遅れて、目を見開く。
「……え?」
サイラスが、完全に固まる。
「は?」
四天槍の1人が思わず立ち上がる。
「い、今なんと……?」
ノアは同じ声音で繰り返す。
「わたくしたちに仕える気はありませんか。」
ヴァルが、ぶっと吹き出した。
「ははっ!」
「おいおい、ノア。」
「お前からそれを言うのか。」
リュメリアも珍しく目を丸くしている。
「ちょっと。」
「本当に珍しいわね。」
リオも、肩のあたりを見上げた。
「……ノア?」
ノアは答えない。
ただ、真っ直ぐ騎士たちを見ている。
そこには穏やかさと同時に、穣天使としての威圧が、ほんの少しだけ滲んでいた。
ゼルクが、ようやく口を開く。
「待て。」
「今のは……その、比喩ではなく?」
ノアは首を傾げる。
「比喩ではありません。」
サイラスが慌てて言う。
「いやいやいや!」
「ちょっと待ってください!」
「そもそも俺たちは隣国の……!」
ゼルクも低く続ける。
「絶騎士団だ。」
「王国の所属ではない。」
四天槍の女剣士も、動揺を隠せない。
「私たちだって、天槍騎士団の四天槍です!」
「いきなり“仕える気はないか”と言われても……!」
ノアは静かだった。
「はい。」
「存じております。」
サイラスが思わず言う。
「存じてて言ってるのか……」
ヴァルが腹を抱えて笑う。
「そりゃ面白い。」
「ノア、お前、今日やたら攻めるな。」
リュメリアも小さく笑う。
「でもまあ。」
「気持ちは分からなくもない。」
リオが目を細める。
「どういうことだ。」
ノアはゆっくり振り返り、リオを見た。
小さな声。
だが、はっきりしていた。
「強いからです。」
沈黙。
ノアは再び騎士たちへ向き直る。
「先ほどの手合わせを見ても、逃げませんでした。」
「恐怖で動けなくなりながらも、目を逸らしませんでした。」
「理解できないものを前にして、それでも見届けようとしました。」
四天槍の大男が、少しだけ目を見開く。
ノアは続ける。
「それは、ただの強さではありません。」
「見込みがあります。」
サイラスが思わずゼルクの方を見る。
「……見込み、だそうです。」
ゼルクは黙ったままだ。
だが、その表情は真面目だった。
ノアはさらに言った。
「今のままでも、あなたたちは優れた騎士です。」
「ですが、ここで引き返せば、ここで終わります。」
「この先を知ることも、届くこともありません。」
四天槍の女剣士が唇を噛む。
「……。」
リュメリアが椅子にもたれたまま、面白そうに言う。
「言うわねえ。」
ヴァルも酒瓶を持ちながら笑う。
「完全に勧誘だな。」
ラルラゴがそこで低く口を開く。
「ノア。」
短い声。
ノアがわずかに振り返る。
ラルラゴは言う。
「理由はそれだけか。」
部屋が静かになる。
ノアは少しだけ黙った。
それから、小さく光を揺らして答える。
「……いいえ。」
「リオ様の周りには。」
「強い者が必要です。」
その一言で、部屋の温度が少し変わる。
リオが何かを言いかける。
だが、ノアは先に続けた。
「これから先。」
「もっと大きなものと向き合うことになります。」
「その時、今のままでは足りません。」
「ですから。」
「そばに置くべきだと判断しました。」
サイラスが、小さく呟く。
「……そばに置く、か。」
ゼルクは静かに聞く。
「もし断ったら。」
ノアは穏やかに答える。
「無理にとは申しません。」
「ですが。」
少しだけ光が強くなる。
「もったいないと思います。」
ヴァルが笑う。
「ははっ。」
「やっぱり今日のノアは面白いな。」
リュメリアも肩をすくめる。
「ほんと。」
「穏やかな顔で、かなり強引なこと言ってる。」
四天槍の女剣士が、まだ戸惑ったままリオを見る。
「……あなたは。」
「どう思っているのですか。」
リオは少しだけ考えた。
そして、正直に言う。
「俺は。」
「まだ自分のことで手一杯だ。」
サイラスが即答する。
「ですよね。」
リオは続ける。
「だが。」
「ノアが自分から言うのは、珍しい。」
「それだけで、聞く価値はあると思ってる。」
ゼルクが、初めて小さく笑った。
「……なるほど。」
「穣天使に勧誘される人生は、想定していなかったが。」
サイラスが顔をしかめる。
「俺もです。」
「まったく、予定表に書いてない。」
ヴァルが楽しそうに言う。
「今さら予定通りに生きる気か?」
サイラスは即座に返す。
「少なくとも今日まではそうでした。」
リュメリアが吹き出す。
「この人、結構好きかも。」
四天槍の大男が腕を組む。
「……返事は、すぐに必要か。」
ノアは首を横に振る。
「いいえ。」
「考えてください。」
「よく。」
その静かな言葉に、誰も軽くは返せなかった。
勧誘というより、選択肢を突きつけられたのだ。
今までの自分で生きるか。
それとも、この化け物たちの世界に足を踏み入れるか。
ゼルクが最後に言う。
「……考えさせてもらう。」
ノアは、満足そうに小さく光った。
「はい。」
そして何事もなかったように、またリオの肩へ戻る。
リオはその小さな光を見て、少しだけ苦笑した。
「お前。」
「今日はやけに積極的だな。」
ノアは、ほんの少しだけ誇らしげに光った。
「はい。」
ヴァルが酒瓶を傾けながら笑う。
「いいじゃないか。」
「そのくらいの方が、らしくなってきた。」
リュメリアも目を細める。
「ええ。」
「ようやく、この部屋にいる全員が前に進み始めた感じ。」
ラルラゴは黙ったままだ。
だが、その沈黙の向こうで、確かに物語が次の段階へ進み始めていた。




