手合わせの終わり
広場が消えたように見えた。
実際に消えたわけではない。
ただ、誰の目にも、もう追えなかっただけだ。
音だけが遅れて届く。
ドンッ!!
ガンッ!!
バギィィッ!!
石畳が砕ける。
空気が裂ける。
結界そのものが波打つ。
ノアが羽を大きく広げる。
「結界、固定。」
白金の光が何重にも重なる。
それでも。
余波は結界の中にまで染み込んできた。
四天槍の1人が片膝をつく。
「ぐ……っ。」
別の騎士は、その場で腰を抜かした。
「な、何だこれは……」
絶騎士団幹部サイラスは歯を食いしばる。
額から汗が流れ落ちる。
「……手合わせ、なのか……?」
ゼルクは答えない。
答えられない。
ただ、広場の中心を見ている。
そこでは、火花だけが無数に散っていた。
一瞬ごとに位置が変わる。
右。
左。
上。
見えたと思った瞬間には、もう次の衝突音が鳴る。
リュメリアが低く呟く。
「……やるじゃない。」
ヴァルは酒瓶を口元に運びながら、楽しそうに笑った。
「だろう?」
「ラルラゴ相手に、ここまで形にできるやつなんて、そういない。」
その瞬間。
広場の中央で、音が消えた。
完全な静寂。
次の瞬間だった。
リオの体が、真上から落ちてきた。
ドォンッ!!
石畳が陥没する。
煙が上がる。
結界の中で、数人の兵士がその場で気絶した。
「う、うわっ……」
「もう無理だ……」
「息が……」
ノアがすぐに結界を一段厚くする。
「下がって。」
「これ以上は、直接見ないで。」
だが、誰も目を逸らせなかった。
煙の中心。
そこに、片膝をついたリオがいた。
肩で息をしている。
口元から血が流れている。
腕は震え、剣先は砕けた石に触れていた。
それでも。
まだ剣を離していない。
その前に、ラルラゴが立っている。
無傷だった。
衣服の端すら乱れていない。
だが。
その目は、最初とは明らかに違っていた。
ラルラゴが低く言う。
「終わりだ。」
沈黙。
リオは俯いたまま、荒い呼吸を整えようとする。
「……っ。」
「……はぁ……」
手が震えている。
だが、その震えは恐怖だけではない。
出し切った者の震えだった。
ラルラゴは静かに続ける。
「お前は、まだ届かん。」
「だが。」
少しだけ間を置く。
「届こうとはした。」
その一言で、広場の空気が変わった。
ヴァルが目を細める。
リュメリアは何も言わない。
だが、その唇がわずかに震えている。
ゼルクが呟く。
「……認めた。」
サイラスが信じられない顔をする。
「今のを、ですか。」
ゼルクは小さく頷く。
「逆だ。」
「あれだけ差があるのに、“今の”まで持っていったことが異常なんだ。」
リオはゆっくり顔を上げる。
目だけは、まだ死んでいない。
「……負けか。」
ラルラゴが答える。
「完敗だ。」
ヴァルがそこで吹き出した。
「ははっ!」
「そこははっきり言うのな!」
リュメリアもようやく息を吐く。
「優しく終わらせる気、ほんとにないのね。」
ラルラゴはリオから視線を逸らさない。
「甘くしても意味がない。」
リオは苦笑した。
「……それもそうか。」
そう言って、ようやく剣を下ろす。
その瞬間、広場の結界の中で、もう1人の兵士がへなへなと座り込んだ。
「む、無理だ……」
「今のを見て、立っていられる方がおかしい……」
四天槍の銀髪の女剣士も、顔色を失っていた。
「私たちが積み上げてきた剣が……」
「まるで子供の遊びに見える……」
ゼルクは静かに言う。
「いや。」
「違う。」
「俺たちの剣が浅いんじゃない。」
「今、目の前にいた2人が、深すぎるだけだ。」
その時、ヴァルが酒瓶を揺らしながら、ゆっくり前へ出てきた。
その目は、珍しく真面目だった。
「リオ。」
リオが顔を向ける。
「……なんだ。」
ヴァルは、にやりと笑った。
「お前の剣の動き。」
「あと、その美しさを見てると、酒が進む。」
リュメリアが呆れた顔になる。
「そこ、そんな入り方するの?」
ヴァルは気にしない。
むしろ楽しそうだった。
「よし。」
酒瓶を軽く掲げる。
「提案だ。」
リオが眉をひそめる。
「提案?」
ヴァルは笑う。
「私が魔術を教える。」
「だからリオよ。」
「私に剣を教えろ。」
広場が静まり返る。
四天槍も。
絶騎士団も。
兵士たちも。
誰も、今の言葉を理解できなかった。
リュメリアが最初に反応する。
「……は?」
「ちょっと待って。」
「それ、順番おかしくない?」
ヴァルは肩をすくめる。
「おかしくない。」
「私は昔から合理的だ。」
リュメリアが即座に返す。
「今の発言のどこに合理性があるのよ。」
ヴァルはリオを指差す。
「見ただろ。」
「こいつの剣は、私に必要だ。」
「なら交換だ。」
「分かりやすい。」
ラルラゴが、そこで初めてヴァルを見る。
「……本気か。」
ヴァルは笑う。
「ああ。」
「今の一太刀だけで、十分だ。」
「私が磨いた魔術を叩き込む価値がある。」
そして、もう一度リオを見る。
「どうだ。」
「悪い話じゃないだろ?」
リオは、しばらく何も言えなかった。
顔には、明らかな困惑が浮かんでいる。
「……え。」
「いや、待て。」
ヴァルが片眉を上げる。
「何だ。」
リオは本気で混乱した顔をする。
「それって……」
「え?」
「俺が……?」
「ヴァルに……?」
ヴァルは当たり前のように頷く。
「そうだ。」
リオの目が見開かれる。
「……俺が、お前に剣技を教えたのか?」
沈黙。
風が吹く。
リュメリアの目が細くなる。
ノアが、ふわりと光った。
ラルラゴだけが、何も言わない。
だが、その沈黙が逆に意味深だった。
ヴァルは、にやりと笑う。
「さて。」
「どうだろうな。」
リオが一歩、ヴァルに詰め寄る。
「おい。」
「ごまかすな。」
ヴァルは笑いを堪えている。
「ごまかしてない。」
「ただ、今それを全部言うのは面白くないだけだ。」
リュメリアが肩をすくめる。
「はい出た。」
「この人、そういうところ本当に最悪。」
ヴァルは酒瓶を傾ける。
「まあ、落ち着け。」
「お前が思ってるより、話はずっと長い。」
リオはまだ混乱したままだった。
「……長い、って。」
ラルラゴがそこで低く言う。
「ヴァル。」
「焦らせるな。」
ヴァルは笑う。
「いいじゃないか。」
「ようやく面白くなってきたところだ。」
ノアが、少しだけリオのそばに寄った。
その光は優しい。
リオは息を吐く。
剣を下ろす。
だが、その目はもう、さっきまでと違う意味で揺れていた。
ラルラゴとの手合わせで見えたもの。
そして今、ヴァルの言葉で開きかけた過去。
広場の空気は、戦いの緊張から、もっと別の“真実の匂い”へと変わり始めていた。
ヴァルは最後に笑って言った。
「安心しろ、リオ。」
「お前が知りたがってることは、これから嫌でも知る。」
「その代わり。」
酒瓶を軽く振る。
「剣、教えろよ。」
リオは、ようやく少しだけ笑った。
「……まずは魔術だ。」
ヴァルが満足そうに頷く。
「交渉成立だ。」
リュメリアが呆れたように天を仰ぐ。
「ほんと、勝手なんだから……」
だが、その声はどこか少しだけ嬉しそうだった。




