空気が裂けた。
リオの姿は、もう誰の目にも映っていなかった。
ただ一つ。
石畳の上に、遅れて衝撃だけが走る。
バンッ!!
四天槍の1人が息を呑む。
「な……っ」
絶騎士団幹部サイラスが目を見開く。
「見えない……!」
ゼルクも低く呟く。
「速い、なんてもんじゃない。」
「最初から消えているようにしか見えん。」
リュメリアは腕を組んだまま、目だけを細めていた。
「……やっぱり。」
「変わってる。」
ヴァルは酒瓶を口元まで持っていき、笑う。
「変わってなきゃ困る。」
「そうだろ、リオ。」
その瞬間。
ラルラゴの眼前に、リオが現れる。
剣はすでに振り抜かれていた。
一切の予備動作がない。
踏み込みも。
構えも。
呼吸の継ぎ目も見えない。
ただ、斬撃だけがそこにあった。
シュッ――
四天槍の女剣士が叫ぶ。
「入った!」
だが。
入らない。
リオの剣が、ラルラゴの首元へ届く寸前。
ぴたり、と止まっていた。
いや。
止められていた。
ラルラゴは、二本の指で剣を挟んでいた。
ただそれだけだった。
静寂。
風すら止まる。
リオの瞳がわずかに揺れる。
「……っ。」
ラルラゴは動かない。
二本の指で剣を受けたまま、低く言う。
「速い。」
「だが。」
ほんの少しだけ目を細める。
「軽い。」
次の瞬間。
ラルラゴの指先が、ほんのわずかに動いた。
それだけで。
ドンッ!!!
リオの体が弾かれる。
後方へ一直線。
石畳を削りながら滑っていく。
火花。
土煙。
だがリオは、片膝をついただけで止まった。
四天槍の大男が呻く。
「……おい。」
「今ので、立つのか。」
サイラスが低く言う。
「普通なら、腕どころか上半身ごと持っていかれている。」
ゼルクの額に汗がにじむ。
「ただ弾いただけだぞ……」
ノアの異結界が、わずかに軋んだ。
ミシ……
ノアが静かに目を伏せる。
「……強い。」
ヴァルが笑う。
「当たり前だ。」
「ラルラゴだぞ。」
リオはゆっくり立ち上がった。
口元を拭う。
うっすらと血がついている。
だが、その表情はむしろ落ち着いていた。
「……なるほど。」
ラルラゴが問い返す。
「どうした。」
リオは剣を持ち直す。
「最初の一太刀で分かった。」
「まだ遠い。」
リュメリアの背筋に、ぞくりとしたものが走る。
「今ので。」
「そこまで見るの……?」
ヴァルの口元から笑みが消えた。
「……ほんとに戻ってきたな。」
ラルラゴは、初めてほんの少しだけ口元を動かした。
笑みにも見えた。
「そうだ。」
「それを知るための一太刀だ。」
リオは構えを変える。
先ほどとは違う。
剣先が少し下がり、重心が深く落ちる。
肩の力が抜ける。
けれど隙はない。
四天槍の女剣士が息を呑む。
「構えが……変わった。」
ゼルクが低く言う。
「今の一瞬で、組み替えたのか。」
サイラスが目を細める。
「受けて、崩れて、立って、もう次に入ってる。」
「人間の戦闘の切り替えじゃない。」
ヴァルが酒瓶を軽く振る。
「そういうところは昔からだ。」
「一回で覚える。」
「二回目で奪う。」
ラルラゴは一歩だけ前に出た。
石畳が沈む。
ゴン……
広場全体が揺れる。
兵士たちの顔色が変わる。
「ま、まだ……」
「まだ本気じゃなかったのか……?」
リュメリアが淡々と答える。
「ええ。」
「今までは、ただ触っただけ。」
「ここからが手合わせよ。」
その時だった。
リオが、ふっと笑った。
小さく。
だが、確かに。
ラルラゴの目が細くなる。
「何がおかしい。」
リオは答える。
「いや。」
「少し安心した。」
「お前がちゃんとラルラゴで。」
一拍遅れて、ヴァルが吹き出した。
「ははっ!」
「言うようになったな、おい!」
リュメリアも口元を押さえる。
「なにそれ。」
「再会して最初に確認することが、それ?」
ノアだけは、少し涙ぐんでいた。
それが嬉しかったからだ。
ラルラゴは、わずかに息を吐く。
「減らず口も戻ったか。」
リオは肩を回した。
「戻ったんじゃない。」
「持ってきた。」
ヴァルが笑う。
「それもそうか。」
リオはラルラゴを見て言う。
「思ったより、元気そうで何よりだ。」
今度はヴァルが腹を抱えて笑った。
「はははははっ!!」
「聞いたか!」
「お前、今、ラルラゴに“元気そう”って言ったぞ!」
リュメリアも堪えきれずに笑う。
「だめ。」
「ほんとに面白い……」
ラルラゴだけは無表情のまま、低く言う。
「なら。」
「次は、もう少し元気を見せてやる。」
その瞬間。
ラルラゴの姿が消えた。
ゼルクが目を剥く。
「消え――」
言い終わる前に。
リオの後ろに、ラルラゴが立っている。
拳も。
剣もない。
ただ右手を振り下ろすだけ。
リオが振り返る。
遅い。
いや、間に合わないはずだった。
だが。
カンッ!!!
火花が散る。
リオの剣が、ギリギリでその手刀を受けていた。
四天槍全員が息を呑む。
「受けた……!」
「今のを!?」
だが受けただけでは終わらない。
リオの足元の石畳が、放射状に砕けた。
バギィッ!!!
地面が沈む。
リオの口から血が飛ぶ。
それでも、膝はつかない。
ノアの異結界が大きく軋む。
ギギギギ……!
ノアが羽を広げる。
「結界、強化。」
白金の光がさらに重なる。
ラルラゴの瞳が、わずかに開く。
「……ほう。」
リオは歯を食いしばる。
「っ……!」
腕が痺れる。
全身の骨が悲鳴を上げる。
だが。
心だけは、妙に静かだった。
目の前の一手。
重さ。
癖。
落ち方。
それだけを見ている。
リオが低く言う。
「……見えた。」
ラルラゴが問い返す。
「何がだ。」
リオは血を吐きながら笑う。
「お前の手癖。」
ヴァルが笑いを止めた。
リュメリアの目が変わる。
ゼルクが震える声で呟く。
「……今の一撃で。」
「そこまで読んだのか。」
サイラスが乾いた声を漏らす。
「冗談だろ……」
リオは剣を押し返す。
ほんの数ミリ。
だが確かに、ラルラゴの手が後ろへ動いた。
それを見た瞬間。
広場の空気が、変わった。
ヴァルが低く笑う。
「いい。」
「それでこそだ。」
リュメリアの背筋には、鳥肌が立っていた。
「……やっぱり。」
「あなた、リオだ。」
ラルラゴは静かに答える。
「そうか。」
ほんの一瞬だけ。
その口元が上がる。
「なら。」
「もう少し、付き合え。」
風が爆発した。
二人の姿が、同時に消える。
広場の中心が揺らぐ。
結界の内側から、音だけが遅れて弾けた。




