第六階層 ― 静かな深層
地下深層という場所は奇妙だ。
階層を一つ降りるだけで、空気の質が変わる。温度でも湿度でもない。もっと原始的な感覚――生き物の本能が「ここは危ない」と囁くような重さだ。第六階層は、まさにそういう場所だった。
青白い結界の膜をくぐった瞬間。
リオの身体を、冷たい空気が包み込んだ。
足元の石の感触が変わる。
今までの階層の石床よりも、滑らかで、どこか磨かれている。
リオは思わず立ち止まった。
「……なんか、変ですね。」
ガルヴァンが後ろから歩いてくる。
「変?」
リオは周囲を見回した。
「音が……ない。」
レオンが小さく頷く。
「気づいたか。」
ドレクスが鼻を鳴らす。
「この階層はそういう場所だ。」
リオは耳を澄ます。
確かに。
水滴の音もない。
魔物の気配もない。
風すらない。
ただ、広い空間が静かに横たわっている。
リュメリアが軽く伸びをした。
「懐かしいわね、この空気。」
リオが驚く。
「来たことあるんですか?」
「あるわよ。
SSランクの任務で何度か。」
ガルヴァンが笑う。
「新人にはまだ早い場所だがな。」
リオは苦笑する。
「それ、さっきも言われました。」
カイゼルが前方を見つめたまま言う。
「気を抜くな。」
その声はいつもより低かった。
「第六階層は、魔物の数は少ない。
だが――」
レオンが続ける。
「その代わり、一体一体が重い。」
リオが聞き返す。
「重い?」
ドレクスが拳を握る。
「強いって意味だ。」
リュメリアが少し笑う。
「単純ね。」
ガルヴァンが通路を歩きながら言う。
「この階層の魔物はな、群れない。
一体で縄張りを持つ。」
「だから、出会った瞬間が勝負になる。」
リオは少し息を吐いた。
「……なんか、急に実感が出てきました。」
レオンが横目でリオを見る。
「怖いか?」
リオは少し考えてから答える。
「……正直に言うと、はい。」
ガルヴァンが笑う。
「いい答えだ。」
「怖いと思える奴の方が長生きする。」
ドレクスが通路の壁を軽く叩いた。
ゴン。
低い音が響く。
「ただな。」
リオが振り向く。
「?」
ドレクスがニヤリと笑う。
「怖がってる間に死ぬ奴も多い。」
リオは顔をしかめる。
「それ慰めになってないですよね?」
「なってない。」
ガルヴァンが豪快に笑った。
その時だった。
カイゼルが突然、手を上げた。
「止まれ。」
全員が一瞬で足を止める。
リオも慌てて止まる。
「……どうしました?」
カイゼルは通路の奥を見つめていた。
長い沈黙。
レオンが小さく言う。
「来てるな。」
リオの背筋がぞくりとした。
「……魔物ですか?」
リュメリアが目を細める。
「ええ。」
「しかも結構大きい。」
ガルヴァンが剣を抜く。
金属音が静かな階層に響いた。
「やっと歓迎か。」
ドレクスが拳を鳴らす。
「この静けさ、退屈だったんだ。」
リオも剣を構える。
「どこです?」
レオンが指を前に向けた。
「通路の曲がり角。
十秒後に出てくる。」
リオは驚く。
「十秒って……」
「気配だ。」
レオンは淡々と言った。
「数えてみろ。」
リオは息を整えながら数える。
(……三)
(四)
(五)
空気が重くなる。
(六)
(七)
通路の奥。
影が揺れる。
(八)
(九)
ドン。
重い足音。
そして――
巨大な影が、ゆっくりと通路の曲がり角から姿を現した。
リオは思わず息を呑む。
「……でかい。」
高さ三メートル以上。
四足。
全身が黒い甲殻で覆われている。
そして口元から、長い牙が二本。
ガルヴァンが低く笑う。
「ほう。」
「ブラックガルド。」
リオが聞き返す。
「知ってるんですか?」
ドレクスが答える。
「第六階層の中型ボスだ。」
リオの目が見開く。
「中型!?」
リュメリアがくすっと笑う。
「安心しなさい。
本物のボスはもっと大きいわ。」
ブラックガルドがゆっくりと首を動かす。
赤い目が光る。
そして――
まっすぐリオを見る。
リオの背中に冷たい汗が流れる。
「……また僕ですか。」
ガルヴァンが笑う。
「新人は人気者だな。」
レオンが静かに言う。
「知能が高い。
弱そうな個体から潰すつもりだ。」
ドレクスが拳を鳴らす。
「つまり新人の仕事だ。」
「え?」
リオが振り向く。
ガルヴァンが肩を叩いた。
「行ってこい。」
「いやいやいや!」
リュメリアが楽しそうに言う。
「大丈夫よ。」
「死にそうになったら助けてあげる。」
リオは苦笑した。
「それ、あんまり安心できないんですけど……。」
カイゼルが最後に言う。
「行け。」
短い命令。
リオは一度深呼吸をした。
「……分かりました。」
剣を握り直す。
そして一歩前へ出る。
ブラックガルドが低く唸った。
空気が震える。
第六階層。
最初の戦いが、静かに始まる。
その様子を見ながら、リュメリアは心の中で思っていた。
(うん。)
(やっぱりこの子、面白い。)
そしてその奥。
第六階層のさらに深い場所。
巨大な石の扉が静かに佇んでいた。
刻まれた文字。
《羅螺蘭の間》
まだ誰も、そこへ近づいてはいない。




