第五階層 ― 天垓の結界
第四階層の主、ボーンロードの亡骸がゆっくりと崩れていく。
骨の巨体が、細かな魔力の粒になって床へ散っていった。
リオはまだ剣を下ろせずにいた。
呼吸が荒い。
額から汗が落ちる。
その少し前を歩いていたカイゼルが、振り返りもせずに言う。
「休むのは後だ。
ここで止まると、逆に身体が鈍る。」
リオは慌てて頷いた。
「……はい。」
ガルヴァンが豪快に笑う。
「ははっ、だいぶ冒険者っぽい顔になってきたじゃねえか。
最初に会った時は、もっと“巻き込まれた村人”みたいな顔してたぞ。」
「それ、全然褒めてないですよね……?」
「半分は褒めてる。」
「半分なんだ……。」
ドレクスが鼻で笑う。
「十分だ。
生きてるだけで新人にしちゃ上出来だろ。」
リュメリアは何も言わず、前方の扉を見つめていた。
黒く巨大な門。
他の階層の石扉とは明らかに違う。
磨かれたような黒い表面に、幾何学的な紋様が浮かんでいる。
レオンが歩調を落とし、リオの横に並ぶ。
「見えてきたな。」
リオは門を見上げながら訊いた。
「……あれが第五階層の門ですか?」
「そうだ。」
「なんか……今までの扉と雰囲気が違いますね。
重いっていうか、変な圧があるっていうか……。」
リュメリアがそこで初めて振り向いた。
「感じ取れるのね。
悪くないわ。」
ガルヴァンが肩を竦める。
「感じたところで、普通はどうにもならねえけどな。」
カイゼルが門の前に立つ。
その背中越しに、低い声が落ちた。
「ここから先は、今までと意味が違う。」
リオは自然と姿勢を正した。
「意味……?」
レオンが答える。
「第五階層の先には、天垓の結界がある。」
リオは小さく息を呑む。
「天垓……。」
ドレクスが腕を組む。
「世界の線引きだ。
越えていい者と、越えちゃいけねえ者を分けるためのな。」
「それって……つまり、僕は越えちゃいけない側ってことですよね。」
少し乾いた笑いを浮かべながら言うと、ガルヴァンがあっさり頷いた。
「普通ならな。」
「やっぱりそうですよね!?」
リュメリアがわずかに笑う。
「安心しなさい。
本来の予定では、あなたにその結界を正面から触らせるつもりはないわ。」
リオが首を傾げる。
「本来の予定?」
レオンが淡々と続ける。
「第五階層までは、SSと同行している者なら通行できる。
だが第六階層から先は別だ。
あそこから先は、SSランクの格と認められた者しか入れない。」
「じゃあ、僕はそこで終わりですか?」
「普通ならそうなる。」
カイゼルがそこで初めて振り返った。
「だが、今回は違う。」
リオは眉をひそめる。
「……違う?」
カイゼルの口元がほんの少しだけ歪む。
「お前には“見学”だけでは終わってもらっては困る。
せっかくここまで連れてきたんだ。
もっと深くまで見せる価値があるか、確かめる。」
リオは不安そうにレオンを見る。
「どうやってです?」
今度はガルヴァンが答えた。
「穴を掘る。」
「……はい?」
「裏道だよ、坊主。」
ドレクスが壁を拳で軽く叩く。
ゴン、と鈍い音が響いた。
「このダンジョン、全部が全部、天垓の結界で綺麗に閉じられてるわけじゃねえ。
境界の張り方には偏りがある。
“正面”は閉じてても、“横”や“裏”は岩盤のままだ。」
リュメリアが補足する。
「もちろん簡単ではないわ。
でも、結界そのものを破るんじゃなくて、結界の張られていない岩盤側から第六階層へ抜けるなら、理屈の上では可能。」
リオはしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「……それって、かなり危ないことしてません?」
レオンが少しだけ笑った。
「今さらだな。」
ガルヴァンが豪快に笑う。
「安心しろ。
失敗したら俺たちもただじゃ済まない。」
「それ、安心材料になってないんですけど……。」
その時だった。
門の紋様がふっと淡く光った。
空気が変わる。
リュメリアの表情が少し引き締まる。
「……来る。」
黒い門の中央、円形の紋様が青白く発光し始める。
魔力が流れている。
脈動。
規則正しい、巨大な鼓動のようなもの。
リオは思わず半歩下がった。
「なんか、すごく嫌な感じがします……。」
レオンが低く言う。
「当然だ。
あれは“拒絶”の力だからな。」
カイゼルが門へ手を置いた。
一瞬で光が強くなる。
だが次の瞬間、門は静かに開いた。
ゴゴゴゴ……。
その先に広がっていたのは、今までの階層とは違う空間だった。
広い。
異様に広い。
天井は見えない。
床には巨大な紋様が刻まれている。
その中心、さらに奥に――
半透明の壁のようなものが見えた。
青白い光の幕。
揺れている。
まるで水のように。
リオは息を呑む。
「あれが……」
「天垓の結界よ。」
リュメリアの声は、いつもより少しだけ静かだった。
「第六階層への境界線。
ここから先は、選ばれた者しか通れない。」
ドレクスが肩を回す。
「で、本来ならここから穴掘り開始だ。」
レオンが周囲の壁を見回す。
「右側の岩盤が薄い。
あそこから回り込めば、第六階層側に出られるはずだ。」
ガルヴァンがリオの肩を叩いた。
「ほら坊主。
お前はその辺で大人しく見学してろ。
下手に結界に触ると弾き飛ばされるぞ。」
「言われなくても触りませんよ……。」
リオはそう言いながらも、結界から目を離せなかった。
綺麗だった。
恐ろしいほどに。
ただの壁ではない。
意思があるように見える。
その時。
「……っ」
足元の小石に乗ってしまったのか、リオの身体がわずかに傾いた。
それを見たリュメリアが、反射的に腕を伸ばす。
「危ない。」
トン、と。
リュメリアの指先がリオの腕に触れた。
本当に、ほんの一瞬。
だが。
次の瞬間。
青白い結界が大きく揺れた。
全員の動きが止まる。
「……は?」
ドレクスが間の抜けた声を出す。
結界が、拒絶しない。
それどころか――
リオの前だけ、わずかに開いている。
水面が人一人分だけ裂けたように。
レオンの目が見開かれる。
「……おい。」
ガルヴァンが一歩前に出る。
「嘘だろ。」
カイゼルの目だけが異様に静かだった。
リオは何が起きたのか分からず、固まっている。
「え……?」
リュメリアだけが、その裂け目を見て、ほんの一瞬だけ口元を上げた。
誰にも見えないくらい小さく。
(あ、ラッキー。)
そのまま平然とした顔に戻る。
「……面白いわね。」
レオンが鋭く振り向く。
「今、何をした。」
「何もしてないわ。
転びそうだったから支えただけ。」
「だが結界が開いた。」
「ええ、開いたわね。」
リュメリアは肩を竦めた。
「私も驚いてる。」
ドレクスが笑い出す。
「ははっ!
穴掘りいらねえじゃねえか!」
ガルヴァンも低く笑う。
「こいつ、本当に普通じゃねえな。」
リオはまだ呆然としている。
「え、いや、ちょっと待ってください。
なんで……僕……。」
カイゼルがゆっくりと結界の裂け目へ視線を向けた。
そして静かに言う。
「決まりだ。」
「行くぞ。
第六階層へ。」
レオンがまだ納得しきれない声で言う。
「本来の計画とは違う。」
カイゼル
「だが、道は開いた。」
リュメリアが軽く笑う。
「だったら行くしかないじゃない。」
ガルヴァンが剣の柄を握る。
「ますます面白くなってきた。」
ドレクスがニヤリと笑う。
「事故ってのは最高だな。」
リオだけがまだ混乱していた。
「……いや、ちょっと待ってくださいよ。
僕、本当に入っていいんですか?」
カイゼルが振り返る。
その目は冷たく、そしてどこか楽しそうだった。
「良いも悪いもない。
結界が、お前を拒まなかった。」
少し間を置く。
「それが答えだ。」
リオは無意識に唾を飲み込んだ。
青白い結界。
開いた裂け目。
その向こうには、さらに深い闇がある。
まだ知らない。
その先で待っているものも。
この一歩で、もう戻れなくなることも。
そしてその時、リュメリアは内心で思っていた。
(やっぱりね。
ヴァル様の読み、当たりじゃない。)
(それに――
この子、ちゃんと二十年後まで生きるわ。)
彼女はそれを口には出さない。
ただ、何でもない顔でリオの背中を軽く押した。
「ほら。
止まってるとまた閉じるかもしれないわよ。」
「え、ええ!?」
そのまま、リオは第六階層へと足を踏み入れる。




