修行の成果
洞穴の奥には、湿った岩の匂いが満ちていた。
ぽたり、ぽたりと水滴が落ちる音だけが、静かな空間に響いている。
リオは剣を握った。
手に汗がにじみ、腕がわずかに震えている。
少し離れた場所で、ヴァルが言った。
「構えろ」
「は、はい!」
返事をした次の瞬間だった。
がんっ――!
剣が弾かれる。
何が起きたのか理解するより先に、リオの体は後ろへ吹き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。
「ぐっ……!」
「遅い」
ヴァルの声は、淡々としていた。
リオは歯を食いしばって立ち上がる。
息を整え、もう一度剣を構えた。
ヴァルは動かない。
いや、動いていないようにしか見えない。
「もう一度」
リオは今度こそと踏み込んだ。
がんっ!
また剣が弾かれ、三歩ぶん後ろへ跳ね飛ばされる。
「う……っ」
「考えるな。感じろ」
リオは顔をしかめた。
「感じる……?」
「相手の呼吸、重心、空気の揺れだ」
ヴァルは剣を軽く振る。
ぶん、と風が動く。
「剣は腕で振るものではない」
「え?」
「世界で振る」
意味が分からない。
けれど、分からないままでも構えるしかなかった。
◇
時間が過ぎる。
朝。
洞穴の外。
リオは大岩の前に立ち、何度も剣を振っていた。
がん。
がん。
がん。
刃は岩に弾かれるばかりで、まともに入らない。肩の上ではノアが小さく光っていた。
ヴァルが言う。
「力を抜け」
「抜いたら切れません」
「だからお前は弱い」
その一言に、リオは黙る。
悔しい。
でも言い返せない。
リオは深く息を吸い、もう一度剣を構えた。
今度は力任せではなく、できるだけ静かに、ゆっくりと振る。
すっ――
刃が岩をなぞる。
かすかな線が入った。
「え?」
「そうだ」
ヴァルはそれだけ言った。
でも、その短い一言が、今までよりずっと嬉しかった。
◇
数日後。
洞穴の奥。
三体のゴブリンが、低く唸りながらリオを囲んでいた。
ヴァルは後ろから、いつもの調子で言う。
「全部倒せ」
「三体!?」
叫んでいる間にも、ゴブリンが襲いかかってくる。
リオは反射的に剣を振った。
一体目。浅いが、首元に入る。ゴブリンが崩れる。
二体目。
今度は爪が先に届く。
まずい、と思った瞬間だった。
リオの体が、考えるより先に動いていた。
半歩ずれる。
剣を流す。
そのまま斜めに切り上げる。
ざっ、と肉を裂く音。
二体目が倒れる。
「……!」
自分でやったのに、自分で驚く。
「止まるな」
ヴァルの声が飛ぶ。
三体目が来る。
リオは深く息を吸った。
踏み込む。
腰を入れる。
振る。
今度は弾かれなかった。
ゴブリンがゆっくり崩れ落ちる。
リオは肩で息をした。
「はあ……っ、はあ……」
ヴァルは静かに言う。
「少しだけ、剣士らしくなった」
リオの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「まだ虫だ」
「虫!?」
洞穴の奥に、リオの情けない声が響いた。
◇
さらに数日。
洞穴の中でも外でも、修行は続いた。
魔物の群れを前に、リオは走る。
斬る。
避ける。
踏み込む。
倒す。
最初の頃みたいな無様さは減った。
まだ粗い。まだ遅い。まだ隙も多い。
それでも、動きは確かに変わっていた。
ノアはいつも近くにいた。
肩で、小さく光る。
時々、暗い洞穴の中でその光だけが頼りになることもあった。
ヴァルは腕を組み、少し離れたところからその姿を見ていた。
「ほう」
漏れたのは、それだけだった。
だが、前より否定の色が薄くなっていることに、リオはなんとなく気づいていた。
◇
夜。
洞穴の外。
小さな焚き火の前で、リオはそのまま倒れ込むように座っていた。
「疲れた……」
ノアは肩で静かに眠っている。
火の向こうでは、ヴァルが無言で炎を見つめていた。
しばらくして、不意に口を開く。
「そろそろだ」
リオは重いまぶたを上げる。
「え?」
「ここまでだ」
その言葉に、リオは一気に体を起こした。
「修行、終わりですか!?」
「違う」
ヴァルは火から目を離し、洞穴のさらに奥――まだ誰も踏み込んでいない暗闇の方を見た。
「次へ進む」
リオもつられて、その奥を見る。
冷たい風が、暗い深部から流れてきていた。
ヴァルは静かに言う。
「本当の修行は、ここからだ」
そこで一度、言葉を切る。
「ただし――ここまでの修行は終わりだ」
リオの心臓が、どくんと大きく跳ねた。




