衝撃的事実をつらつらと
大聖堂の高い天井の下。
割れた長椅子の破片と、陥没した床の余韻が、まだ静かに残っていた。
グロウ=ザルハドの気配は、もうない。
だが、残された圧だけが、ここで何かが確かに起きたと告げていた。
リオは、自分の手を見ていた。
さっき使った“あれ”。
剣ではない。
けれど、自分のものだと分かる何か。
まだ名前も知らない。
理屈も、全部は掴めていない。
でも、もう感覚は残っている。
ザルクスが、その横でゆっくりと歩き出す。
「ちなみに今のは」
と、気楽な声で言った。
「土野郎どもな」
リオが顔を上げる。
「……は?」
ザルクスは、陥没した床の縁を靴先で軽く蹴った。
「俺と対立してる連中、三つあるって言っただろ」
「今のグロウみたいなのが、土野郎ども」
「あと一つは空野郎」
「もう一つは水野郎どもだ」
「いや、待て待て」
リオが眉を寄せる。
「土野郎、水野郎はまだ分かるとして、何その雑な分類」
「雑じゃねえよ」
ザルクスは笑った。
「本質だ」
「本質が雑なんだよ」
ザルクスは楽しそうに肩を揺らしたあと、ふっと横目でリオを見る。
「次、空野郎どもに会いに行くか?」
リオが一瞬、言葉を失う。
「……は?」
「だってよ」
ザルクスは本当に軽かった。
「まだお前、本来の力を全然引き出せてないだろ?」
「あんなグロウみたいな雑魚相手しても、しょうがない」
「雑魚!?」
リオが思わず声を上げる。
「いや、強かっただろ今の!」
「そりゃ多少はな」
ザルクスはあっさり言う。
「でも俺でも多少焦るくらいの相手じゃねえと、肩慣らしにもならん」
「基準が終わってるんだよ……」
「だからちょうどいい」
ザルクスはにっと笑う。
「喧嘩売りに行くか?」
「空の野郎どもに」
大聖堂の空気が、そこでまた少しだけ変わった。
いつもなら、リオはたぶん断っていた。
軽すぎる。
無茶すぎる。
ザルクスの誘いはだいたいろくでもない。
でも、今回は違った。
さっきの戦いで、確かに掴んだ。
自分の中に、まだ戻っていないものがある。
そして、それは今後の戦いの中でしか戻ってこない気がした。
それだけじゃない。
ヴァルより。
リュメリアより。
ノアより。
ザルクスより。
そしてラルラゴよりも――
強くなりたい。
リーダーとして、胸を張りたい。
ただ守られる中心じゃなくて。
並び立つ中心になりたい。
リオは、ゆっくりと息を吐いた。
「……行く」
ザルクスの口元が、一気に吊り上がる。
「いいねえ!」
「前のリオに戻ってきたじゃねーか!」
「前の俺知らないくせに言うな」
「知ってるから言ってんだよ」
ザルクスは、大聖堂の割れた長椅子の一つに腰を下ろした。
「安心しろ」
「流石にリオ一人に任せようとは思わない」
「やばい時は俺が出るから」
「笑いながら言うな」
「笑ってないとやってられねえだろ」
「その理屈で毎回押し切るのやめろ」
ザルクスは、くくっと笑ったあと、ふと話題を変えた。
「ところで」
「ん?」
「グロウとのやり合いで使った、あれ」
「何か分かるか?」
リオは、自分の掌を見る。
指先を少し開く。
さっきの感覚を探る。
空間をずらした時の、あの奇妙な手応え。
圧を落とした時の、骨の奥まで響く確信。
「……分からない」
と、正直に言う。
「でも、感覚は残ってる」
「こんどからは、たぶんいつでも出せると思う」
ザルクスが、そこで少しだけ目を細めた。
「だろうな」
「知ってるの?」
「だいたいはな」
「お前は、幼い頃から剣が好きだった」
リオが目を瞬く。
「そうなのか?」
「……あ、確かに」
「現実世界……あっちの世界でも好きだったな」
「だろ?」
ザルクスは笑う。
「で、剣を使う中で、お前は色んな異能を編み出しやがった」
そこで、指を二本立てる。
「魔聖に連なる親父の異能の一部と」
「聖人族の母ちゃんの異能の一部をな」
「ガキの頃から勝手に繋げて、勝手に支えてた」
リオの身体が、ぴたりと止まる。
「……ちょ、待って」
ザルクスは平然としている。
「何だ」
「今、なんて言った?」
「ん?」
「親父と母ちゃんの話」
「それ」
リオの声が低くなる。
「父と母を知ってるのか?」
ザルクスが、そこで初めて「あ」と言った顔をした。
「……あーーー」
「おい」
「いや」
ザルクスは頭をかいた。
「記憶ないっていうか、この世ではまだヒヨッコちゃんだったな」
「わりーわりー」
「わりーわりー、で済ませる話じゃないだろ!」
「事実だ」
ザルクスは悪びれもせずに言う。
「まずはそこから受け入れろ」
リオは完全に眉を寄せる。
「父親が何だって?」
「魔聖族?」
「は?」
ザルクスは、少しだけ首を振った。
「厳密には、古魔種だ」
「だがその中でもかなり希少な、魔聖に連なる異能を持った系統」
「今の分類で無理やり当てるなら、そういう言い方になる」
リオは何も言えない。
「ちなみに」
ザルクスは軽く続ける。
「とんでもなく強い」
「いや、もう笑うしかないくらいな」
「……なんだそれ」
「親父の方は古魔種としても希少性が高い」
「母ちゃんの方は聖人族だが」
「バケモンだ」
「ありゃもう、あれだ」
「魔神族すら恐れるえげつない聖人族だった」
「なんだって……」
リオの喉が、静かに鳴る。
知らない。
聞いたこともない。
でも、ザルクスが冗談で言っていないことだけは分かる。
「それで」
リオがやっと絞り出す。
「母さんは、何者なんだ」
ザルクスは、少しだけ天井を見上げた。
「お前の母ちゃんが」
「穣天使を作り上げて、その組織を取りまとめた」
リオの目が大きく開かれる。
「……え?」
「その中の一部が」
ザルクスは、そこでわざと少しだけ間を置いた。
「ノアだ」
沈黙。
リオは、その場で完全に止まった。
「な」
一拍。
「え」
ザルクスは、ものすごく楽しそうに笑っている。
「ノアはな」
「お前の母ちゃんに忠誠を誓ってる」
「だから息子であるお前にも、命を捧げるほどの忠誠を向けてる」
リオは、何か言い返そうと口を開きかける。
でも、声が出ない。
ノアの顔が浮かぶ。
いつもそばにいて、守ってくれて、やさしくて、でも時々妙に深い目をしていたノア。
「あれ、忠誠どころか」
ザルクスはにやりとした。
「愛してるぞ」
「は、それは今関係ないだろ!」
リオの声が、大聖堂に響いた。
ザルクスは腹を抱えて笑う。
「いやいや、関係あるだろ」
「だって、お前が何者かって話だぞ?」
「全部繋がってんだよ」
リオは額を押さえる。
「待ってくれ」
「情報量が多すぎる」
「親父が古魔種で」
「母さんが聖人族で」
「その母さんが穣天使作って」
「ノアがその一部って」
「何それ」
「俺、どういう立場なんだよ……」
「だから今まで何回も言ってただろ」
ザルクスは笑う。
「お前、普通じゃねえって」
「そこまで普通じゃないと思ってない!」
「じゃあ今日から思っとけ」
リオは大きく息を吐いた。
大聖堂の高い天井が、妙に遠く見える。
ついさっきまで分類不能の化け物とやり合っていたのに、今はそれ以上に頭が揺れていた。
ザルクスは、ひとしきり笑ったあと、少しだけ真面目な顔になる。
「まあ、全部はまだいい」
「今のお前に一気に飲ませても、消化しきれねえ」
「十分飲まされた気がするけど」
「まだ序の口」
「やめてくれ」
ザルクスは肩をすくめる。
「とにかく」
「お前は自分で思ってるより、ずっとやばい血と、やばい記録を背負ってる」
「だから、あれくらい使えて当然なんだよ」
リオは、自分の手をもう一度見る。
さっきグロウに対して使った力。
あれは偶然じゃない。
血と、記録と、過去の断片が、ようやく今の自分に追いつき始めている。
「……じゃあ」
と、リオが言う。
「なおさら行くしかないな」
ザルクスの口元が、また深く吊り上がる。
「空野郎どもに?」
「うん」
「もっと戻す」
「もっと強くなる」
「リーダーとして、胸を張りたい」
ザルクスは、しばらくその顔を見ていた。
それから、昔を知る者だけが浮かべられる笑みで言う。
「やっぱりお前は、それでいい」
大聖堂の外では、第三区の工事音がまだ続いている。
地上では町が育っている。
地下ではダンジョンが唸っている。
そして空の向こうにも、次の敵がいる。
リオは、大聖堂の扉の向こうを見た。
まだ知らないことだらけだ。
でも、知らないままで立ち止まっている気はもうなかった。
「……次は空か」
「そうだ」
ザルクスが立ち上がる。
「喧嘩売りに行こうぜ」
その一言に、リオは少しだけ笑った。
軽すぎる。
でも、今はそれくらいでちょうどいい。
次の戦いは、もう始まっている。




