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外れスキルの【停止時能力向上】実は世界最強でした〜夢記録に刻まれた800年の真実〜  作者: 滝本りお


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頭角を表す

グロウ=ザルハドの足元から滲んだ黒が、ゆっくりと、だが確実に大聖堂の床を侵していく。


白い石は、染まるというより――沈み始めていた。


重い。


ただ立っているだけなのに、空間そのものが下へ引かれていくような圧がある。


リオは、その圧を真正面から受けながら、ゆっくりと息を吐いた。


剣を抜かない。


今は、違う。


前にダンジョンで思い出しかけた感覚が、もう身体の奥で確かに脈打っている。

剣で斬る前に、この世界での“本来の自分”が何をしていたのか。

その断片が、今はっきりと、指先の向こうに集まり始めていた。


グロウが一歩、踏み出す。


その瞬間。


大聖堂の床が、音もなく割れた。


砕けたのではない。

“割れるべき線”だけが突然現れたかのように、白い石床が幾筋にも走り、亀裂がリオへ向かって押し寄せる。


「っ!」


リオは横へ跳ぶ。


だが遅い。


亀裂は地を走っているのではなく、意思を持つ蛇みたいに追ってきていた。


「おいおい、開幕から嫌らしいな」

柱のそばでザルクスが笑う。


「黙ってろ!」


リオが着地しかけた場所の床が、今度は内側から盛り上がる。

黒い槍のような土塊。

いや、土ではない。

鉱石と骨と魔気を無理やり圧縮したような、重い槍群。


それが十、二十と一斉に噴き上がった。


リオは半歩だけ前へ出る。


避けるのではなく、踏み込む。


右手を軽く開き、正面へかざす。


その瞬間、空気がきしんだ。


噴き上がった槍群のうち、真正面の五本だけが、唐突に沈む。


まるで上から見えない巨手で押さえつけられたように、黒槍が途中で頭を垂れ、床へ叩きつけられた。


「……ほう」

グロウの片眼が細まる。


リオはその隙間を縫って距離を詰める。


速い。


自分でも、今の踏み込みの軽さに少し驚いていた。

剣を持たない方が、身体の“芯”が前へ出る。

そんな感覚がある。


グロウの腕が横薙ぎに来る。


黒褐色の外殻に覆われた腕は、人の形をしているのに、質量だけが魔獣じみていた。

当たれば終わる。

そう分かる。


だがリオは下がらない。


左手を振る。


グロウの腕の軌道、その“通るはずだった場所”だけを、ほんのわずかに捻じ曲げる。


ぶん、と鈍い音。


腕はリオの顔の前をかすめたはずなのに、次の瞬間には大聖堂の柱を削っていた。


「……空間の噛み合わせを」

グロウが低く呟く。

「未完成だが、悪くない」


「そっちはどうだ」

リオが息を整えながら返す。

「地面と仲良しすぎだろ」


「我は地の底に近い」

グロウの声が沈む。

「貴様らのように、地の上だけで生きてはおらぬ」


次の瞬間。


大聖堂の空気が、一段、落ちた。


「――っ」


リオの膝が沈む。


重い。


今度はただの圧ではない。

身体の内側にある血や骨まで、下へ引かれている感覚。

息を吸うだけで肺が重い。


「どうした、リオ」

ザルクスが笑う。

「もう終わりか?」


「うるさい……!」


リオは歯を食いしばる。


この感覚、嫌いじゃない。


苦しい。

けれど、こういう理不尽の中でこそ、自分の何かが噛み合う。


前にダンジョンで、剣を捨てた時。

あの時もそうだった。

追い込まれた瞬間、身体の方が先に“こっちだ”と教えてきた。


今も同じだ。


リオは、重圧の中であえて一歩踏み出した。


もう一歩。


さらにもう一歩。


グロウの片眼が、初めて明確に揺れる。


「何」


「これくらいで止まるなら」

リオが低く言う。

「たぶん、ザルクスのライバルなんて無理だよ」


ザルクスが腹を抱えて笑う。


「ははっ!」

「言うようになったじゃねえか!」


「黙ってろ!」


重圧がさらに強まる。


石床が悲鳴を上げる。

リオの足首が沈む。

膝も軋む。


それでも、リオの右手はゆっくりと持ち上がっていく。


思い出せ。


剣の前。

魔術の前。

術式のもっと前。


自分はどうやって、理不尽を殴っていた?


答えは、言葉より先に指先へ来た。


“落とす”


ただそれだけだった。


リオは、持ち上げた右手を、真っ直ぐグロウへ向けて振り下ろした。


その瞬間、大聖堂の中央に見えない断層が走る。


グロウの周囲の空間が、半瞬だけ上下にずれた。


「――!」


遅れて、圧が落ちる。


上からではない。

四方からでもない。

“そこに立っている”という事実だけが重くなったように、グロウの巨体が一気に床へ沈んだ。


どんッ!!


石床が陥没する。


黒い泥輪が乱れ、グロウの片膝が初めて地についた。


ザルクスの笑みが、そこで少しだけ深くなる。


「それだよ」

「そういうのだ、リオ」


グロウは沈んだまま、ゆっくりと顔を上げた。


怒っている。

だが、それ以上に――喜んでいるようにも見えた。


「……なるほど」

「未熟」

「だが、確かに“あれ”の側だ」


「あれ?」

リオが眉を寄せる。


「まだ知る必要はない」

グロウが立ち上がる。

「今の貴様では、知ったところで器が割れる」


「言うね」

リオは少しだけ笑う。


「事実だ」

グロウの背後で、今度は黒い層が縦に裂けるように立ち上がる。

「だが、見誤っていた」

「ザルクスが、ただの駒を置くはずがなかった」


ザルクスが鼻で笑う。


「当たり前だろ」

「俺が拾うのは、いつだって面倒なやつだけだ」


「それは知っている」

グロウはそう返すと、もう一度だけリオへ視線を定めた。

「若造」


「何」


「今の貴様には、まだ勝てる」

「だが、数年後の貴様には……わからん」


その言葉と同時に、グロウの足元の泥輪が一気に広がった。


まずい、とリオの身体が先に反応する。


踏み込む。

だが、遅い。


黒い泥ではない。

あれは、地の下へ通じる“口”だ。


グロウの輪郭が、その中へゆっくり沈み始める。


「待て!」

リオが叫ぶ。


グロウは最後に、割れた仮面のような顔のまま、静かに言った。


「この地は見られている」

「羅螺蘭様の名を、軽く扱うな」

「そしてザルクス」


「ん?」


「次は、お前一人の時代ではない」

「知ってるよ」

ザルクスは笑った。

「だから面白いんだろ」


グロウの片眼が、ほんのわずかに細まる。


それが笑みに近かったのか、敵意の残滓だったのかは分からない。


次の瞬間、その巨体は音もなく黒へ沈み、跡形もなく消えた。


静寂。


大聖堂の中に残ったのは、割れた長椅子と、陥没した床と、まだうっすらと残る重圧の余韻だけだった。


リオは、その場でしばらく立ち尽くしていた。


息が少し荒い。

でも、不思議と悔しさより先に、身体の奥が熱かった。


「……逃げた?」


「半分正解」

と、ザルクス。


「またそれかよ」


ザルクスは柱から離れ、陥没した床を覗き込んだ。


「ありゃ、逃げたっていうより“今回はここまで”ってやつだな」

「様子見だよ、様子見」

「でもまあ、お前のことはかなり気に入ったはずだぞ」


「嬉しくねえ」

「そうか?」

ザルクスが笑う。

「俺は嬉しいけどな」

「お前がやっと、剣以外の顔をちゃんと出し始めたの」


リオは、自分の手を見る。


さっき確かに使った。

剣ではない、自分の戦い方。

まだ断片。

まだ名前も、理屈も、全部は戻っていない。


でも、戦えた。


ラルラゴと手合わせした時とも違う。

ダンジョンで一瞬だけ思い出した時とも違う。

今のは、確かに自分の意思で掴みにいった感覚だった。


「……ザルクス」


「ん?」


「お前、最初からこうなるって分かってた?」


「まあな」

「腹立つ」


「褒め言葉として受け取っとく」


リオは少しだけ笑って、それからまた大聖堂の奥を見た。


高い天井。

まだ誰の祈りも染み込んでいない壁。

その中央で、自分は今、分類不能の存在と戦った。


そして勝った、とまでは言えない。

でも、確かに通じた。


「それが、それだ」

リオが小さく呟く。


ザルクスが吹き出した。


「お、気に入ったか」

「ちょっとだけな」


二人の笑い声が、高い大聖堂の中へ静かに広がっていく。


だがその奥で、残された気配はまだ消えていなかった。


羅螺蘭。

深環の外縁。

ザルクスと対立する三つの勢力。


成埜の地の開拓は、もう地上の話だけでは終わらない。

地下も、外も、過去も、全部がこちらへ寄ってきている。


そしてその中心に、今――


リオが、立ち始めていた。

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