表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
外れスキルの【停止時能力向上】実は世界最強でした〜夢記録に刻まれた800年の真実〜  作者: 滝本りお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

115/266

息には息を

公爵の顔面が、まだ青ざめたまま引きつっていた、その時だった。


ゴゴゴゴゴゴ……


地の底から、怒涛みたいな唸りが響いた。


笑っていた者たちの顔が、一斉に止まる。


長机の杯が震え、

皿がかすかに跳ね、

床の下を、何か巨大なものが這い回るような感触が走った。


「……何だ?」

レインが反射的に身を低くする。


ミアの肩がびくりと揺れる。

聴界を持つ彼女には、ただの揺れではなかった。

地面の奥で、獣のような、災害のような、古い怒りの音が鳴っている。


だが、その場で騒がなかった者たちもいる。


ヴァル。

リュメリア。

ラルラゴ。

ノア。


そして、少し遅れて、絶騎士団とヴェルド・クレストの面々も。


特にヴァルは、むしろ楽しそうだった。


「おや」

と、杯を軽く揺らす。


「これはまた、派手なのが来たな」


「楽しそうに言うことじゃないでしょうに」

リュメリアが言う。

だが、その目はもう庭の奥を見ていた。


次の瞬間。


どおんッ!!


小さな城の庭の奥で、大地が水みたいにめくれ上がった。


土が、流れた。


砕けた石が、波のように左右へ押し退けられる。


そしてそこから現れたのは――


クラスト・ドラゴン。


土を水のように扱い、地中そのものを泳ぐ、伝説級の竜。


天階不明。

いや、天階の枠で測ること自体が馬鹿らしくなるような、明らかな規格外だった。


でかい。


ただ大きいのではない。

城と比べても、感覚が狂うほどに大きい。


隆起した土をまとい、岩盤みたいな鱗を全身に重ね、

ひび割れた隙間からは赤熱した光が漏れている。

まるで山そのものに、目と牙が生えたみたいだった。


公爵が、乾いた喉で息を呑む。


「……あ」


膝が笑う。

顔から血の気が完全に消える。


「終わりだ……」


誰に言うでもなく、唇が震える。


「終わりだ」

「この国は終わりだ」

「短い人生だった……」


本気で諦めた声だった。


その場の一部の者たちも、さすがに顔色を失う。


若い職人志望たち。

グレイランから来た者たち。

王国の下級使い。

セルディアのグラディスの仲間たち。


だが、そこで竜は待たなかった。


最初から狙っていたかのように、巨大な頭部が小さな城へ向く。


喉の奥で、赤と黒の光が膨れ上がる。


ノアの光が、わずかに強く揺れた。


レインが息を呑む。


「やば――」


次の瞬間。


ゴアアアアアアアアアアアアッ!!!


吐き出されたのは、息ではなかった。


溶岩と炎の奔流。


赤黒い灼熱。

金色に近い高熱。

それが混ざり合い、津波みたいな範囲で小さな城を覆い尽くした。


火柱ではない。

直線でもない。

面で呑み込む災厄だった。


庭も。

回廊も。

広間も。

城全体を焼き潰すつもりで、ただ一息で世界が赤く塗り潰される。


公爵が悲鳴を上げる。


「ぎゃああああああっ!!」


セルディアの使節の一人が、思わず頭を抱えて伏せた。

グレイランの子どもたちを庇おうと、何人かが前へ出ようとする。

ミアは目を閉じた。

レインは反射でリオの前へ半歩出た。


だが。


リオは動かなかった。

ノアも結界を広げない。

ラルラゴも剣に手をかけない。

リュメリアも、ただ静かに見ている。


そしてヴァルだけが――


やっと、ゆっくり立ち上がった。



炎が、止む。


ドラゴンが長い息を吐き終え、庭の向こうで低く唸る。


焼けた匂いが、来るはずだった。


城が崩れる音が、響くはずだった。


だが。


何も、変わっていない。


小さな城は、そのままだった。


壁も。

柱も。

庭の石畳も。

人も。


誰一人、焦げていない。


何なら、長机の上の酒瓶すらほとんど動いていなかった。


公爵が、口をぱくぱくさせる。


「な……」

「な、何故だ……」


その声は半分泣いていた。


周囲の者たちも、ようやく顔を上げる。

そして現実を見て、言葉を失う。


「……ノア様の結界か」

と、絶騎士団の一人が低く呟く。


「だろうな」

と、別の騎士も答える。


ヴェルド・クレストの後衛も、ほぼ同じような顔をしていた。

この規模の防御なら、まずノアだと思う。

それが当然だった。


だが、予想は外れる。


ヴァルが、まだ手にしていた酒瓶をひらりと掲げた。


「いや」

と、楽しそうに言う。


「今回は私だ」


沈黙。


公爵が、引きつった顔で見る。


「な……に?」


ヴァルは、肩をすくめた。


「火に酒をぶちまけて、冷ましただけだ」


意味が分からない。


その場にいたかなりの人数が、本気でそう思った。


「い、意味が……」

「分からんでしょうね」

と、リュメリアが淡々と返す。


サイラスが、半ば呆れたように額を押さえる。


「酒で、あれを……?」


「酒で、あれを」

ヴァルがにやにやしながら繰り返す。


リオが、すごく今さらみたいな顔で言った。


「ヴァルって、たまに本当に意味分かんないよね」


「たまにじゃないわ」

リュメリアが刺す。


クラスト・ドラゴンが、明らかに苛立ったように地を鳴らした。


土が波立つ。

巨体が半身を浮かせる。

喉の奥に、もう一度赤熱が集まる。


だが今度は、竜より先にヴァルが動いた。


一歩、前へ。


いつものだらしない酔っ払いみたいな空気は、もうどこにもない。


酒瓶を軽く持ち直し、

空気をひとつ吸い込み、

それから竜を見上げて、妙に楽しそうに笑った。


「息には息を」


その意味不明な言葉を残して。


ヴァルは、竜へ向かって息を吐いた。


ごうっ――


白い。


いや、真っ白だ。

しかもただ白いだけじゃない。

どこか青みがかっている。

冷たい光をまとった、真白の吐息。


それが一直線にクラスト・ドラゴンへ届く。


最初は細い。

だが、触れた瞬間に広がる。


竜の顔。

喉。

胸。

肩。

前脚。

岩のような鱗の表面が、みるみる青白く染まっていった。


「……は?」

と、グラディスが本気で間の抜けた声を漏らす。


ドラゴンが咆哮を上げる。


だがその咆哮すら、途中で凍る。


音が、白く砕ける。


巨体は一瞬で凍結された。


しかもただ氷に包まれたのではない。

**存在そのものが“冷たさに書き換えられた”**みたいな、不気味な凍り方だった。


岩みたいな鱗の上に、青白い霜の紋様が走る。

熱を孕んでいた亀裂は沈黙し、

溶岩の光は、一息で奪われた。


ヴァルが、にっこり笑う。


「粉にしちゃうよー」


その声だけ聞けば、酒の席の軽口だ。

だが今の光景のあとでは、誰も軽く受け取れなかった。


公爵は、腰を抜かしたまま首を振っている。


「む、無理だ……」

「こんなの、無理だ……」


だが。


クラスト・ドラゴンは、そこで終わらなかった。


青白く固まった巨体の内側で、赤熱がもう一度脈打つ。


どくん。


心臓の鼓動みたいな熱。


次の瞬間、氷の内側から灼熱が吹き返した。


竜は自力で体を温め始めていた。


「お」

と、ヴァルが目を細める。

「なかなかやるな」


バキバキバキィッ!!


凍結が割れる。


白い霜と青い氷片が宙へ散り、

クラスト・ドラゴンは咆哮と共に一気に体勢を戻した。


だがその再起動は、反撃ではなかった。


逃走。


とんでもない速さで、竜は身を翻した。


巨体が嘘みたいに軽く地面へ沈む。

土が水のように割れ、竜を呑み込み、

次の瞬間にはもう半身が消えていた。


「え」

と、レインが声を漏らす。


残った尾だけが土煙を巻き上げ、

クラスト・ドラゴンは、あまりにも見事に地中へ逃げ去った。


静寂。


誰も、すぐには喋れなかった。


そして次の瞬間、広間でも庭でもないその中間の空気の中で、

あちこちから反応が噴き出した。


「……逃げた」

「逃げたぞ」

「ドラゴンが?」

「逃げた」


絶騎士団の一人が、乾いた声で復唱する。


ゼルクは目を細めたまま、低く言った。


「判断が速いな」

「馬鹿ではないらしい」


サイラスは、もう驚くことに疲れた顔をしている。


「いや」

「賢いから逃げたのだろう」


ガルスは深く息を吐いた。


「……今のを見て、逃げぬ方がどうかしている」


セイラは凍結の残滓がまだ舞う庭を見つめたまま呟く。


「白い息、だと……」


グラディスの仲間たちは、完全に口を開けたままだった。


「酒瓶持った男が……」

「ドラゴンを……?」

「いや、意味が分からん……」


公爵に至っては、もはや言葉になっていなかった。


「な、な、な……」

「う、う、うぎゃあ……」


涙まで浮かべている。


タオーがその様子を見て、きゃはっと笑う。


「変な声ー」


その一言で、また何人かが吹き出した。


ヴァルは酒瓶をくるりと回し、何事もなかったみたいに席へ戻ろうとする。


リオが、さすがに言った。


「ちょっと待って」

「今の何?」


ヴァルは肩越しに振り返る。


「だから言っただろう」

「火に酒をぶちまけて、冷ましただけだ」


「説明を諦めるな」

と、リュメリアが即座に刺す。


ノアの光が、くすくすと楽しそうに揺れた。


「ヴァル様は、ときどき本当に派手でいらっしゃいますね」


「ときどき?」

と、リオ。


「ええ、ときどきです」

と、ノア。


ラルラゴはその一連を見て、短く言った。


「まだ足りん」


ヴァルが笑う。


「分かってるよ」

「だから砕かなかった」


その軽いやりとりが、逆に恐ろしい。


グレイランから来た者たちは、もう完全に口を開けているだけだった。

子どもたちなんて、目を輝かせている。

職人志望の若者は、真顔で誰かに聞いた。


「今の、酒でできるんですか?」


「できるわけないでしょう」

と、リュメリアが返した。


公爵だけが、まだ現実を受け入れられずに震えていた。


「ばけものだ……」

「ばけものしかいない……」

「終わっている……」


ヴァルがそれを聞いて、にやっと笑う。


「いや」

「終わってるんじゃない」


少しだけ、夜風が吹く。


「始まったばかりだ」


その一言に、誰もすぐには返せなかった。


成埜の地。

グレイラン。

小さな城。

外の国。

寄ってくる波。

そして今、伝説級の竜ですら逃げる場所になりつつある、この拠点。


目撃していた一同の胸に残ったのは、恐怖だけではない。


本当に、とんでもない場所が生まれ始めている。


そんな実感だった。


そしてその中心で、リオはまだ半分呆れたまま、ヴァルを見ていた。


「……やっぱり」

「うちのギルド、変だよね」


レインが真顔で頷く。


「今さらすぎる」


その言葉に、ようやく笑いが戻った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ